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世界は全てを理不尽にして神子に押し付ける  作者: 咲乃いろは
第五章 侵されていく神子の存在
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再来の役目

リタが貸してくれた上着の裾が膝上まできているので、見えそうだったパンツはどうにか隠し切れている。だが靴は血でぐしょぐしょだし、城の床は真面目な使用人たちが普段からツルツルに磨き上げているお陰で何度も滑って転びそうになる。バートを抱えているリタは手が塞がっている為、倒れかける果胡を伸ばした脚で器用に支えた。助けてくれるのは有り難いが、他に何か方法はなかっただろうか。


緊張の糸が僅かに緩んだからか、張り詰めていた気が抜け、果胡の意識はぼんやりしてきていた。まだ警戒を解いていい時ではないと言うのに、触れる空気が重い。転びそうになるのは、被ったバートの血の所為だけではなかった。

遠くで聞こえている金属がぶつかる音がさらに遠くなっていく。リタと自分の靴音だけが鮮明に聞こえていた。




「カコ」




水の中から掬い上げられたように、リタの声が通った。

返事の代わりに顔を上げると、訝し気な彼の表情がこちらに落ちてきていた。


「お前、大丈夫か」

「な…、にが、ですか。バートのお陰で私は怪我していませんから大丈夫ですよ」

「だってなんかフラフラしてるし」

「普段の運動不足が祟って、ちょっと走ったくらいで猛烈に疲れているだけです。心配には及びません」


少しだけ口角を上げてみせれば、リタはそうかと呟いたが、何だか納得いかない表情を滲ませた。同時に、ふと背中のバートに目を向ける。


「そういえばバートの傷、カコが止血したって言ってたけど、圧迫しただけでよくこの怪我を止血出来たな。これだけの出血量なのに」

「それは…」


霞む視界を振り払いながら、果胡は返事に言い淀む。考えなしに行動したわけではないけれど、結果的に怒られることは分かっている。昔からこういうことには慣れている。ここで変な言い訳をした方が返って悪い事態を引き起こしてしまうのだ。何にせよリタには正直に言っておいた方がいい。




「神力を使いました」

「………………は?」




はっきりとそう答える果胡に、リタはたっぷりの間を置いて口をあんぐりさせた。当然と言えば当然、冷静になった今、果胡自身だってさすがにやりすぎたかもしれないと思っているのだ。


「神力、って、お前…、は?何、どういうこと?」

「すみません。一応考えがあってやったことですが、話をややこしくしたかもしれません。バートもあのままでは危なかったですし、()本物であるロッテの身を探してこれ以上の被害が出るより、私を神子だと思わせて事態を収束させる方が先決かと思いまして」

「いや、だからってお前…」


如何とも言い難い状況に、リタは手が空いていたなら頭を掻きむしっていたことだろう。いつだって予想を大きく上回る行動をする幼馴染に対する感情のコントロールは慣れている。責めたくなる気持ちをぐっと押さえて、リタは目下の問題の方を考える。


「あー…、とりあえず説教は後。それで、どうするつもりだ?このバートの怪我は見る人が見れば物理的に止血されたものじゃないことくらいすぐにばれる」

「嘘を吐いても後で自分の首が絞まりそうですから、もし何か訊かれたら正直に神力を持っていると言います。神子でなくても神力を持っている人間はいますし、神力の効果は一時的なものにしてあります。地下に着く頃にはバートの傷は開いてしまっているでしょう」

「敵の方はどうする?そんなこととは知らなかったから、さっきの奴ちゃんと殺してないぞ」

「私もロッテも神子だと言いました。混乱していることでしょうね」


例えば敵が果胡を本物の神子だと判断するとして、そのことを誰かに広めて何かメリットがあるだろうか。否、警備が固くなって神子を手に入れにくくなるだけだ。それよりは自分達だけが知っている真実は秘めて、こっそり襲った方が頭のいい方法だと言える。ロッテが本物だとしても、現状での警備が既に固いのだから事態は大して変わらない。

果胡が神子だということが敵から漏れるリスクがゼロではないものの、今この城に降りかかっている被害以上ではない。決してスマートではないけれど、最善だったと果胡は思っている。

ただ、リタは全然肯定しないけれど。


「………この馬鹿……」

「お言葉ですが、史上初幼等部落第記録保持者のリタよりはいくらかマシかと思いますが」

「それまだ擦ってくる?」

「まぁ、ロッテへの注目が分散されれば危険も分散されます。巻き込んでしまったことは申し訳ないですが、少しでもロッテへの危険が減るのなら…」

「そうじゃなくて」


リタにしては珍しく少し強い口調で、果胡の言葉を遮る。驚くほどの強さではなかったが、思わず果胡の目がきょとんとするほどには。


「リタ?」

「……そうじゃなくて。…自分に危険が及ぶってことは考えなかったのか……」


やるせないような、仕方ないような、どうにも出来ずに頭を抱えてしまいたくなる衝動が、抑えた声に滲んでいた。

分かりきったことのはずなのに、果胡は初めてそこで気が付いたように目を丸くさせた。


「…そ、れは…、…すみません…。ロッテよりは私が狙われた方がまだいいかと思いまして…」

「だから何でだよ。ロッテは神子として厳重に扱われているが、お前は違う。本物であるはずなのに、それは誰も知らない。誰の目も届かない所で誰も知らない危険が膨らんでいく。……また、一人で何もかも持って行く気か」

「……リタ……」


この世界に残していったリタが十六年間どんな思いをしたのか、本当に果胡は考えたことがあっただろうか。誰にも知られず死んだ幼馴染が、その死自体もなかったことになり、その事実をリタだけが抱え続けた。知らないことが恐怖であると知らしめることになったと、何故果胡は分かってあげなかったのか。




「ごめん、なさい……」


「……いや…、悪い…」




何に対する謝罪か分からない癖に、謝ることしか出来ない。

それなのにリタは、言い過ぎたと謝った。


「…だが、言ったこと自体は事実だ。何の護衛もつかないカコは、ある意味ロッテよりも危険だ。ロッテに神子の荷を負わせた罪悪感を先行させて自分の身を軽んじるな。お前がいなくなっていいことなんて一つもない」


強く言い切ったリタに、果胡は今度こそ強く頷いた。ロッテの為、リタの為、国の為、世界の為に、果胡はまた神子を背負わなければならない。














***














「じゃあ頼みます」


リタはバートの身体をエリスに預ける。果胡の言う通り、その時にはバートの傷口からはまた血が滲んできていたので如何にも今までずっと傷口を圧迫し続けてましたと言わんばかりに果胡がバートの腹部を押さえていた。

エリスは気を失っているバートのことは元より、血塗れの果胡の姿にも叫び出さんばかりに驚いていたが、バートの状態が悪いことも分かっている為、果胡の血ではないと宥めるとすぐに治療に取り掛かった。

地下の隠し通路の先には、こういった事態に備えた部屋が設けられている。ある程度の物資が揃えられており、限りはあるが怪我人の処置も滞りなく出来る。

とは言っても、限られた人数で回す医療班は目が回りそうに忙しくしている。少しでも手助けになればと果胡も手伝おうと腕まくりをしかけた瞬間、その腕をくいっと引っ張られる。


「リタ?」

「ちょっと来い」


通って来た通路を少しだけ戻り、他の人の目が届かない場所に来てからリタはぐいっと果胡に顔を寄せてくる。


「……な、にか…?」


視界を埋める端正な顔は、これだけ近付けば薄暗いこの地下でも充分に分かる。見慣れた顔でも近すぎる距離感に果胡は一歩仰け反った。

それなのにリタは追いかけるように頬に手を添えてくる。


「あ、あの…?」

「もう一度訊くけど、お前大丈夫か?」

「はい?…だから大丈夫だと言っ───…っ、」


誰の悪戯か、カクンと膝が折れて視界が崩れる。硬い石畳に全身を打ち付ける前にリタが待ち構えたように支えてくれた。


「───…っと…、ほら、言わんこっちゃない」

「え…、あ…すみませ…」


四肢が重い。頭が重い。空気が鉛のようだ。深く息をしているつもりなのに全く酸素が肺に入って来ない。冷や汗が一気に全身に噴き出した。

何が起こったのか全く分からなくて、ゆっくりと壁に寄りかからせてくれるリタの手にただただ従った。


「な、んか、急に、おかしく…」

「急にじゃない。さっきから顔色おかしかっただろ。…ったく、昔から人のことには良く気が付く癖に自分のことは鈍感だな」

「あー…」


思えばそうかもしれない。単に疲労だと思っていたが、それにしては目が回るし身体は重すぎるし気持ちが悪かった。早くバートを医務官の元に連れて行かなければとばっかり考えていたので、いざエリスに預けて安心すると、辛うじて張っていた気が全て抜けてしまったようだ。

どうやらリタはそれら全てを想定済みだったようで、こうなると思ったと大して驚いている様子はなかった。汗で顔や首に張り付く髪を払ってくれ、いつの間にか取って来ていた水を飲ませてくれる。思ったより冷たい水に、絞まっていた喉が少し開いた気がした。


「…神力を使ったからだと思います…。神と話した時のように、身体が神力に慣れていない。…この身体で神力を使えたこと自体ちょっと驚きでしたけど」


はは、と乾いた笑いを零すと、笑っている場合かとリタのデコピンが飛んできた。具合が悪いと言っているのに酷い。


「カコ、悪いが俺はこれから一旦外に出て事態を片付けてくる。今下手にお前をエリス達に診せることもできねぇから、ここで大人しくしていろ」


勿論、もし具合の悪さに耐えられなくなったらエリスを呼べ、とリタは念を押す。少し通路に出て大きめの声を上げれば届く距離に医務官達はいる。

果胡は声を出すのも億劫で、眩暈が酷くならない最小限の動きで頷いた。





「出来るだけ早く戻って来るから」





いつもはだらけているだけの彼が、息が止まる程イケメンな顔をして微笑んでいる。

リタ=ヴァインツィアルという男は、こんなに眩しい人間だっただろうか。










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