疑念
ガミガミと怒るアルフに、ロッテは図ったような涙目でごめんなさぁい、と見上げる。こんな美女に見え隠れする谷間を見せられて上目遣いをされたら、堅物なアルフでもぐっと次の小言を呑み込んだ。
「…ったく。ご自身の立場を分かってるんですか。独り歩きは危ないと何度も申し上げているでしょう」
「だって城の中よ?それに私なんて王女様でもないのに、あなたのような立派な騎士様についてもらうのは申し訳ないわ」
「そうは言っても、これが決まりなのだから仕方ないでしょう。諦めて下さい」
立ち去るタイミングを失って何故かロッテに付き合ってアルフに説教されている果胡は、二人の構図を見ながらまるで昔のバートとオリヴィアを見ているようだと懐かしんでいた。よって、アルフの小言は何も聞こえていない。
「ねぇ、そう思いますよね、カコさん!」
「へ?」
だから話を振られても困る。
「そ、そうですね…?」
「ええっ!やだカコ!カコは私の味方よね?」
「そ、そうですね…?」
「女性はすぐそうやって数で勝負しようとする。嫌な所ですね!」
「そ、そうですね…?」
「うっわ、男女差別!男尊女卑反対!」
「そ、そうですね…?」
「本当に世界に男女平等が成り立っているのなら、神子様だって女性限定ではないはずでしょう!」
「そ、そうですね…?」
「それはそれ!これはこれ!」
もはや果胡に話を振った意味はあったのか。あっという間に白熱していく戦いに、果胡はこの場でお暇したかったのだが、ロッテががっしり果胡の腕を掴んでいる。勘弁してほしい。
聞いていれば分かるが、ロッテとアルフの関係はあまりよくないらしい。普段からこの状態かどうかは分からないが、これだけ言い争えるくらいには馴染んでいるみたいではあるが。
ロッテはそのうちリタを引き合いに出してきて、アルフよりリタがいいなんて言うものだから、リタを人間的に嫌っているアルフの琴線に触れてしまった。彼の額に青筋が浮かぶ。
「…っ、な、んであの人を持ち出し…」
「あーあーあーあー!もう二人ともやめましょう!ここ書庫ですし!続きは部屋でお願いします!」
まさかアルフがロッテに手を上げることはないだろうが、これ以上は収まりがつかなくなってしまうと、果胡は無理矢理二人の間に割って入った。どちらに背を向けていいかは分からなかったので、右手でアルフを、左手でロッテの胸を押し、物理的に二人を遠ざける。左手の感触がマシュマロであった。
「アルフは今年もう三十の歳になるのでしょう?九つも離れている女性に向かって大人げないですよ」
「そ、それは…」
「ロッテも、神子というのは例え城内であれ護衛を付けなければならない存在なんです。危険な場所でも安全な場所でも関係ありません。誰かがそばにいるという状態に慣れて下さい」
「…むぅ…」
「分かったら二人ともどうか私を解放してください!お手洗いに行きたいです!」
しゅん、と肩を落とした二人に宣言をした果胡は、鼻息を荒くしている。こんなに威風堂々と思いの丈をぶつけられたら、二人同時に『あっ…』という顔になってもおかしくないだろう。
「ご、ごめんね、カコ!私ったら!」
「いえ、分かって頂けたのなら幸いですそれでは私は粗相を起こす前にこれにて失礼いたします」
「あ、ちょっと待ってくださいカコさん!」
この機を逃せば次逃げるタイミングはないと、果胡は足早に立ち去ろうとしたのだが、その背中にアルフが声を掛ける。彼は果胡にここで粗相をしろと言うつもりか。
「…………………何か?」
疑念たっぷりの目で振り返ると、アルフの視線も怪訝な色を見せていた。これは、ついさっきロッテにも向けられたものだ。本能的にまずい、と果胡は生唾を呑み込んだ。
「あなたとは今日初対面だと思ったのですが、僕の年齢、何で知っているんですか…?」
彼が十二歳の時、帯剣の儀で神託を受けた(演技をした)のはオリヴィアだ。当時、リタに次いでその年齢で帯剣を許されるのは珍しく、たった二年で一等騎士にまでなったのだから、覚えていてもおかしくない。逆算すれば年齢などすぐに割り出せるのだが、今は計算できてしまった算数の知識を呪う。
またやっちまった、と果胡は頭を抱えたくなった。
とりあえずはリタに聞いた、ということにしたが、アルフは頷いたもの、納得はしていない微妙な返事をしていた。
***
「やっちまいました……」
「ご愁傷様」
果胡は城の最北端、リタの部屋で頭を抱え項垂れていた。一方リタは床に敷いた布団の上でだらしなく寝転がって首に下げたペンダントを差し込む月明かりに翳していた。小さくキラキラと光る石は、雑に削られた恐らく翡翠。透ける石の中は、深い海のような幻想的な世界が広がっている。
「他人事ですね…。こっちはアルフにバレたら色々と面倒なことになりそうで戦慄しているというのに」
「口が滑ったのは仕方ないとして、言い訳がまずかったな。俺がアルフの話を誰かにするっていうのがそもそも違和感だから」
「そうですっけ?リタは誰かと特別仲が悪いっていうイメージないですけど」
幼い時からそうだった。世渡りが上手いと言うか、人の扱い方が上手いというか、怒られたり嫌われたりしても、喧嘩をする程になっていることを見たことがない。だからと言って幅広く人と仲良くしているということもない。好意でも悪意でも一方的に彼に突っかかってくるものはいるが。
「仲悪いわけじゃねーよ。ただ俺が一方的に嫌われているだけ。アイツは俺が自分のことを話すことも嫌がるから、必要に迫られなければアルフのことは話さないからな」
「あー…、そういえば彼がリタに向ける目はいつも敵意の塊でしたね。何でなんだろうと思ってましたが、この間の訓練を見てアルフがリタに敵意を向ける理由が分かったところでした」
リタがアルフを一瞬で打ち負かしたあの紅白戦。あの時アルフが何か言ったわけでもないが、あの状況でアルフがリタに敵意を向ける理由は、本人以外は誰でも分かることだった。証拠に、リタは怪訝な表情を隠せない。
「理由が分かった?」
「私の予想でしかないですけどね。嫉妬だと思いますよ。アルフほどの腕があれば、より高みを目指したいと思うでしょうし、自分より強い相手がアリスターのようなしっかりした人ならまだしも、リタだなんて、ちょっと同情しますしね」
「俺が何をした…」
考えてもみてほしい。
アルフは努力の人だ。特別才能がなかったわけではないが、最初から剣が強かったわけではない。騎士の道に進もうと思ったのは、年齢が違うこともあるが恐らくリタよりも早く、経験も長い。強くなろうと長い年月と必死の努力を重ねて今特別騎士にまで上りつめた。それなのにリタ=ヴァインツィアルという人間は、フラッと現れてフラッと一等騎士になってフラッと特別騎士になって、ついでに王室付にまでなっている。『なんかやってみたら出来たわ』と言っているような出で立ちの男に一瞬で打ち負かされ、ニコニコとしていられるわけがない。
尤も、リタは才能に胡坐をかくような人間ではないし、他からどう思われようが他意はない。
「アルフは真面目な人ですからね。リタのようにちゃらんぽらんな人に負けたのが悔しいんだと思いますよ」
「ああそう。別に俺はアルフ嫌いじゃないんだけどなー。努力家で、誠実で、強い眼差しを持っている。俺には持てない意志がある。…尊敬する先輩だ」
「……それ、本人に言ってあげたらどうですか」
「必要最小限の口きいてくれないもんあの人」
リタは拗ねたように口を尖らせるが、特に気にしているわけではなさそうだ。そういうところが、何とも言えない苛立たしさを募らせるというところを本人は分かっていない。アルフに同情しか覚えない。
「何はともあれ、アルフは憶測で物事を判断するような人間じゃない。これ以上勘付かれるようなことをしなければ大丈夫だと思うけどな」
「それはそうですけど…」
そもそも、オリヴィア=ダウズウェルという人間の存在が消えている上に、転生して、さらに異世界からやってきたなんて、そんな摩訶不思議な事態は、想像することすらできる者はいないだろう。それも真面目で現実主義なアルフがそんなことを考え付くとも思わない。今後の言動を気を付ければひとまずは大丈夫だろうと思うが、相手が疑り深いバートだったら今頃詰んでいたところだ。
記憶が戻れば戻るほど、整理しなければならない情報が増えてくる。気を付けなければあっという間に世界が崩壊してしまいそうだった。
果胡は一つ息をついて、リタが持つ翡翠の先に月光を見る。




