神より近い存在
花が飛んできそうなテンションでロッテは熱い思いを吐露した。その時のリタがどんなに優しい笑みを湛えていたか、どんなに甘い声で囁いてくれたか、幼いロッテの恋心を虜にして離さなかったリタの素晴らしさをもう数十分こうして書庫の隅で語っている。
「……えー…っと。誰の話ですか?」
「えっ、リタに決まってるじゃない!」
「リタ、とは、私が知っているリタですか?」
「そうよ。でなきゃ話さないわよ。カコなら分かってくれると思って!」
「はぁ」
果胡としては正直、同姓同名の違う人の話をされているようだった。最初はいかにもリタのことだと分かる描写ばかりだったが、途中からロッテの主観が入り、その王子様のような人は誰だ?となった。普段は精悍な顔つきを崩さずクールに構えているけれど、ロッテの前では柔らかく微笑んでくれる。温かい手で導いてくれて、心の落ち着く揺り籠のような懐の深さを与えてくれる。そんなことを言われたら果胡でなくてもリタの姿を想像出来る者は少ないだろう。恋は盲目とはよく言ったものだ。せめて借金の形に使われて喜ぶほど溺れないでほしい。
「陛下からもバートからもアリスターからも、リタはそんなんじゃないから考え直せと言われているけど」
やっぱり。
あんたみたいな美人、もっとちゃんとした人が向いてるよ、と果胡は頷いた。
「でもリタは中途半端な神子である私の背中を押してくれたことには変わりないわ」
ロッテはさすがに自分が代理の神子であるとは漏らさなかったけれど、彼女が本物の神子ではないと知っている者が聞けば、神子代理という肩書に負い目を感じているように聞こえる。もう何年もその仕事を請け負っているはずなのに、未だに不安が拭いきれない。本物ではない、周りには信じられているのにその力を使うことは出来ない。それがどんなに恐ろしいことか。
「…ロッテは、立派に神子をこなせているでしょう」
お世辞などではない。自然と漏れた果胡の言葉に、ロッテは一瞬綺麗な目を見開いて、それからすぐに細めて笑みに変える。
「ふふ、ありがとう。カコはいい子ね」
「そんなんじゃ…。これまで何事もなくこの世界が在れているのは、あなたが神子をしっかりやれているから。そう思っただけです」
「……そうかしら。…私は、ちゃんと神子を上手に出来ているか不安なの」
そうだと思う。
「ここだけの話だけど、神の声ってたまにあまりよく聞こえないのよ。式典なんかの時は特に」
でしょうね。神、寝てますから。
「神託を受ける時は半分演技も混ざっていて」
知ってる。
「だって酒落臭いじゃない?神の声って何よって思うのよ、私」
知ってる。
「でも民は神を信じてるし、世界には神が必要だし、神子が必要なのよ」
知ってる。
「だから少しでも資格があるのなら、その役を受けないわけにはいかないの」
知ってる。
「……でも……、私、ずっと怖いのよ。自分が神子として生きていることが」
分かってる。
理不尽な役目も、意味があるかどうか分からない演技も、役目よりも重い周りからのプレッシャーも、神子になった者なら必ず通る道。
果胡、いやオリヴィアも全部経験済みだ。
そんなこと言えるはずもなく、代わりに果胡はロッテを腕の中に抱きしめた。
「……、…カコ…?」
「────…ごめんなさい…」
今言えるのは、それだけだった。
「…どうして…、カコが謝るの?」
「何となくです。…何も、してあげられないから」
「そんなの、できるわけないじゃない。神子よ?唯一無二の仕事が誰かに手伝ってもらえるものなら、最初からこんなに悩んでなどいないわ」
おかしなこと言うのね、とロッテは肩を竦めて笑った。
不安を、恐怖を言葉に出来るだけ、彼女は強いと果胡は思う。誰かに弱みを見せることは、そう簡単なことではないから。弱みを見せた相手に、心配させなような笑顔を見せられるのは簡単なことではないから。
「でもありがとう、カコ。その気持ちだけで頑張れるわ。味方がいるって心強いものよ」
「私には…、神子、様のお仕事はよく分かりませんけど、形だけではなく、神子様を心の拠り所にしている人間も少なくはありません。神がいるとかいないとか、神託を受けるとか受けないとか、そういうことではなく、神子という存在に救われている人もきっといると思うんです」
誰に向けて言っているのか。
「神という存在が真であれ偽であれ、神子は確かに真です。神子は人間で、こうして見ることも出来るし触れることも出来る。誰でも会話をすることだって出来る。神より余程近しい存在なんです。神子とは人間に、神より神らしいことを出来る」
「カコ……」
まるで、自分に言い訳をしているようで。
言葉通りに受け取るロッテには申し訳が立たない。
「────…と……、私は思っています…」
ふと我に返れば、目線も声も下がっていく。今この世界にとっての神子はロッテだ。一市民である果胡が口出しすることではないと途中で気付いた。
尻すぼみになっていった果胡が自信をなくしたと思ったのか、ロッテは丸くしていた目をふと緩ませて、果胡の頭を抱き返した。
「ありがとうっ、カコ!」
「っわ、」
「私、神子はずっと一人だと思ってた。神にもなれず、人間にもなれない、中途半端で異端な存在だと」
よく分かる。
果胡は心の中だけで大きく頷いた。
「でもそんなの神子のエゴね。カコのような人がいる限り、私は神子で在り続けるべきだわ。穢れなく神を信頼している人達の為に、神子は神の存在を確立させなければならない」
「…そうです。理不尽ではあるけれど、大切なものを守る為に、それと戦わなければならないときもあると思います」
神子が神子を辞めてしまったら、世界も人間も神も自分も大好きな人達も全部、崩壊してしまう。こんな仕打ちあんまりだと嘆いているうちに崩れてしまうのだ。
理不尽極まっているけれど、やるしかない。
「戦いなら任せて!こう見えて強いのよ、私!」
「…確かに、ボディは暴力的ですね」
「やだ、そういうことじゃなくて、腕っぷしの方!昔リタに鍛えてもらったから!」
「へぇ」
オリヴィアだけでなく、ロッテにもそんなことをしてたんだと思いながら相槌を打つと、果胡の声は自分が思った以上に淡白な返事になってしまった。不自然だっただろうか、ロッテに気を悪くさせてしまっただろうかと慌てて彼女を見たが、ロッテは何も気付いていないようだった。むしろ、見ててと言ってシャドーボクシングを始めている。
「戦いと言えばロッテ、アルフはどうしたんですか?今護衛についているはずでしょう?」
「ええ。でも私ももう子どもじゃないわ。城の中だし、四六時中ついて回られるのは少し煩わしくて…。トイレに行くと言って撒いてきちゃった!」
「…やり手だ」
新人とは言え、特別騎士にもなった一等騎士を撒くなど、こやつもやりよる。ロッテにもオリヴィアの血が混ざっているのか。
てへ、と舌を出すロッテと今頃こんな彼女を死に物狂いで捜しているだろうアルフを思うと居たたまれなくて仕方がない。バートもそんな感じだったのだろうか。今度彼に会った時はちょっと優しくしよう。
「あれ」
でもさすがにそろそろ戻らなきゃ、と立ち上がるロッテは、きょとんとした目を果胡に向ける。果胡はその意味が分からなくて彼女と同じような目で返した。
「カコ、詳しい。一等騎士のアルフが私の護衛についていること、よく知ってたわね」
「あ」
墓穴。
「アルフは一等騎士だから、神子の護衛についていること、あまり知られてはいないはずだけど」
「あー…、えー…と、あー、ほら、アルフは特別騎士になったばかりでしょう?特別騎士になりたては神子の護衛をすることが多いって聞いたから…」
「カコって最近城に来たばかりなのよね?そんなことよく知ってるわね」
墓穴に墓穴を掘りまくって、果胡はロッテの視界の外で冷や汗びっしょりだ。単にリタに聞いたと言えばいいだけなのだが、それではリタが情報漏洩に加担したとか言われないだろうかとか、ますますリタとの関係が怪しいと思われないだろうかと、いろいろなことを考えすぎていい言い訳が思いつかない。あうあうと口をパクパクさせているうちに、ロッテはパン、と手を打った。
「ああそうか!」
「はい?」
「カコは医務室勤務だから、もしもの時の為に知らされているのね!特別騎士に専門でつく医務官もいるみたいだから!」
「そそそそソウイウコトデス」
どうやら都合のいい解釈をしてくれたようで助かった。果胡がほっと胸を撫で下ろしたのと同時に、アルフの切羽詰まった声がロッテの名を呼んだ。




