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「さて、まずは何から話してやるべきか……おぬしのような阿呆にも理解できるようにとなるとなかなかに難しいのじゃが」
「だからいちいちアホって言うなよっ」
「そうじゃな、まずは自分が何者なのかを理解してもらうために、夜へと続く扉を開いた者――夜属について話すべきか。我らの使命についてもな」
改まった口調に俺も態度を変える。
それだけの真剣さがカナから感じられた。
「夜へと続く扉? よるぞく?」
「そうじゃ。おぬしはまず、この世にヒト以外のモノが生きている事を知らねばならぬ。我ら夜属と忌の事じゃ。忌はヒトを食らう。自らが生きるためにな。故に夜属は忌を倒す。自らが生きるためにじゃ」
「悪い、よくわからないんだけど……」
「あー、おぬし――」
「アホじゃない!」
フンと鼻で笑われた。
アホと言われるよりムカつく。
「ヒト以外のモノ。化生、怪、変化、化け物、妖怪――そう呼ばれるモノがこの世におる。そしておぬしもそのようなモノとなった。それはわしも同じ。我が命を賭けて封印の要として使命を果たしてきた。じゃが、この社が崩れたせいで封印が綻んでしまったようじゃ」
「……はあ」
呆れるしかなかった。
そんな与太話を信じるなんて今時の中学生でもいないだろう。子供だましにしてもあまりに出来が悪い。
「呆けた顔をするな、馬鹿者。わしの話が信じられんというのか」
ヒーローに憧れていたからこそ、小さい頃はあれこれと夢想したものだ。
いつか自由に空を飛べるようになったり、美少女を守って悪者と戦ったりなんて事が本当に起きるかもしれないと夢憧れた。
だから昌美と一緒に龍城英雄隊なんていうチーム名を考えたりもした。
今思えば恥ずかしい事この上ないが、当時はそれがカッコいいと本気で思っていたのだから仕方がない。
けれど成長するとともに現実にそんなファンタジーはありえないのだと思い知らされた。大学へ進学し、就職して、結婚し、子供が生まれて……そんなどこにでもある当たり前の生活を送る事になるんだろうと思っていた。
この筆をおばあちゃんにもらうまでは。
今の俺は違う。何故なら本物の力を持っているからだ。
もしかしたら、この能力を使えば俺は本物のヒーローになれるのかもしれない。
空想の世界に生きるヒーローには明確な倒すべき相手がいる。
世界征服をたくらむ敵を倒すために戦ったり、忍び寄る地球崩壊の危機を救うためにヒーローは活動をする。
だけど現実には倒すべき相手などいない。
世界征服を掲げる悪の組織はいないし、そうそう簡単に地球の危機は訪れない。
犯罪者は警察が相手をするもので、そこにヒーローの出番はない。
俺たちが生まれる前には第三次世界大戦が起きるかもしれないなんて話もあったらしいが、今はアメリカ一強の軍事バランスが成立しているから戦争なんておきるはずがない。
もっとも個人の力で戦争が止められるとも思わないけど。
世界の敵、打倒すべき対象、回避しなければいけない危機がなく、通常の犯罪に関わらないのなら、身近なところでヒーローは活躍すればいい。
ちょっとした事で構わない。小さな不幸をなくすために活動をすればいい。
その意味で、この能力はうってつけだった。
力を使う事にリスクはほとんどなく、適度に便利なもの。
小さい頃に思い描いていた敵なんて必要はない。今の世界にだって解消されるべき不都合や不幸な出来事があるのだから。
腰を上げる。
これ以上は話を聞く必要がない。そんな事より、ちょっと行き過ぎた妄想が入っているこの子を警察なり病院に連れていかなければ。
「待て、どこへ行く」
「普通に考えれば迷子だよな。でもこの年で既に中二病を患ってるっていうのも、ある種のエリートなのかも。着物とかすげーよな。これで眼帯をしてたり日本刀を腰に下げていたら完璧だ」
「だからおぬしはさっきから何を言っておるのだ」
「まあ、その夜の生き物だっけ? そういうのは残念ながら存在しないから。キミの妄想の産物さ」
もっとも特別な力っていうのはあるんだけどな。
「とりあえず親御さんに連絡しないとな。通ってる小学校ぐらいはわかる? わかるなら学区内を探してもらって――痛っ」
向こう脛を思い切り蹴っとばされた。
「いきなり何しやがる!」
「よいからそこに座れ。わしの話はまだ終わっておらぬ」
「いいよ、聞くまでもないから。一応、それは完治する病気だから安心しろ」
「ほほう、わしの言う事を聞けぬと言うか。面白い……」
ゆらりとカナの周囲の空間が揺れた気がした。
「長く封印の要として役目を果たしてきたわしの力をなめるでない。おぬし一人の動きをとめる事なぞ造作もないぞ」
まるで蛇に睨まれた蛙のように体を動かす事ができなくなった。
カナの瞳は冴えた光を湛えており、まるで心の奥底まで覗き込まれているようだ。
「ほれ、どこへなりと好きなところへ行ってみるがいい。できぬのならば、わしの話を大人しく聞け。この先、おぬしの力が必要になるかもしれぬ」
「くっ、まさかこんな事って……」
両足は地面に根を生やしてしまったかのようでピクリとも動かせない。
足どころか首から下は指先すら思うとおりにならなかった。
「どうした、動けぬか。ならばこの世には異能の力を持つモノがおる事を理解できるな」
「まさか……キミにも特別な力が?」
「わかったら、わしの話を聞くな」
「あ、ああ……」
「よし、いいじゃろう」
「くはっ」
いきなり体のコントロールが戻ったために転びそうになる。
「まずは座れ。もう少し話がある」
渋々ではあるが元の場所に腰かける。
俺と同じような力があるのなら下手に逆らわない方がいい。
「我らは夜の世界を歩むモノ。夜の理に属するモノ。鬼、天狗、人狼、竜神、土蜘蛛……様々な呼び方をされてきた。ヒトは我らの事を畏れ、時に敬った。カミとして崇められた同胞も多い」
鬼や天狗、竜神なら俺だって知っている。
昔話にも出てくる有名な存在だし、慣用句で「鬼の首を取ったよう」といえば大手柄を立てたように得意になる事を言うし、いい気になってうぬぼれている事を「天狗になる」なんて表現したりする。
おまけに龍城市は竜神にまつわる話が多い。
この地には古くから竜神信仰があり、丘の連なりが竜の背中のように見えるというのもそうだし、鎌倉時代に完成したお城には五つ衣に紅の袴を身に着けた竜神の乙女が現れたという言い伝えも残る。
「しかし今の世はヒトのものじゃ。我らがいくら優れた力を持っていようともヒトの数にはかなわぬ。仮にヒトと争えば我らの敗北は必至。故に我ら夜の住人は人里を離れた。あるいはヒトの中に隠れ住むようになった。そうして今日まで生き延びてきた」
「ちょっと待ってくれ。鬼とか天狗や竜神なんてものがこの世界に本当にいるのか?」
「うむ」
自信満々に頷かれて、二の句が継げない。
「そなたらが我らの存在を知らぬのは当然の事。もともと夜属の数は少ないし、なるべく人と交わろうとしてこなんだからの。それも生きていくための知恵じゃ。じゃが完全に交流がなかったわけではないし、大きな戦になった事もある。おぬしは坂上田村麻呂の事は知っておるか」
「さすがにそれぐらいは。日本で初めて征夷大将軍になった人だよな。東北に攻め入って朝廷の支配を確立した英雄だって学校では習ったけど」
「英雄、か。それは一面からの見解じゃな。確かに蝦夷での戦いは夜属が最後に起こした大きな抵抗じゃ。寡兵にもかかわらずよう戦ったと聞くが、結局、数には勝てなんだ。時代の趨勢は既に決している事を悟り、以降、夜属は表の歴史から姿を消すようになったわけじゃ」
歴史の授業で教えられた内容とは違う解釈を当たり前のように語られて混乱する。
坂上田村麻呂による蝦夷征伐は朝廷に従わずに抵抗した阿弖流為を倒し、大和朝廷の支配力を高める事になった歴史上の事実だ。
カナの語る歴史は授業とは全く違っていて、信じられない事ばかりだった。
カナによると大和朝廷の支配の及ばない東北地方はかつて蝦夷と呼ばれ、そこには統一した政治集団を持たない人々が数多く暮らしていたという。
しかし朝廷の影響力が関東以北に及ぶと朝廷に積極的に接近する集団や断固として敵対をした集団が現れるようになる。朝廷は敵対する者を討伐するため蝦夷にたびたび兵を送った。
教科書では初めて征夷大将軍になったのは坂上田村麻呂だと教えているが、それ以前に征夷将軍や征東将軍といった役職が存在していたらしい。
征夷というのは東夷を征伐するという意味だ。当時、朝廷から見て東に住む人々を東夷と呼んでいた。夷は弓と人の組み合わせで好戦的な人々という蔑称である。
つまり征夷大将軍とは東国に住む人々を征伐する大将軍という意味になる。
「歴史は勝者によって作られる。雷や炎、風を操り、獣の姿をとって戦った我ら夜属を朝廷は徹底的に貶めた。化生、怪、変化、化物、妖怪……人と異なる我らは排斥され、歴史上から抹殺された。もっとも、それは我らにとってはよい事であったと言える。人に知られずひっそりと生きていく事ができるようになったのじゃから」
貶められ、畏れられ、貶され、排除され……それでも生きていく事ができたからよかったと言えるまで、どれだけの葛藤があったのだろう。
「我らとしては折り合いさえつけばよかったわけじゃ。接触をしなければ問題が起きる事はない。仮に接触するとしても最小限にすれば衝突の危険性は下げられる」
「でもそれはなんか悲しすぎるっていうか、ひどすぎる。もっと話し合って、お互いの事を理解しあえたらよかったんじゃないのか。そうしたら争いなんて起きないはずだろ」
カナの口元が歪んだ。
それは皮肉めいたものではなく、ただただ悲しげな表情であった。
「理解しあった結果、残された解決方法は殺し合いしかないという事もある。我らはそれを望まなかった。殺す事も殺される事も嫌じゃからな。だから姿を消した。その気持ちをわかって欲しいとは言わぬ。そういうものなのだと承知しておいてくれたらの」
そう言われたら何も口にする事はできない。これが全部作り話だったらと思うがカナの表情と声からはそんな気配は微塵も感じられなかった。
それに俺もその夜属というのならば、カナと同じ立場になったという事だ。既に他人事ではなかった。




