2-6
「……じゃあ、なんでカナはここにいるんだ」
カナは目を伏せ、悲しそうにため息をついた。
「じゃが忌は違う。奴らもわしらと同じく夜の世界に生きておるがヒトを食らう。ヒトを食わねば生きていけぬ。しかし忌がヒトを襲い続け、ヒトが我ら夜に生きるモノの存在に再び気がつけばどうなるか。圧倒的なヒトの数に我らは今度こそ駆逐される。それは避けねばならぬ」
顔をあげると真っ直ぐに俺を見つめる。
「忌を狩るは我ら夜属の使命。闇に紛れ、ヒトの目に触れず生きていく。そうして我らは今日までの命脈を保ってきた。おぬしが夜属として目覚め、この世に生きているという事は我らの選んだ道が間違っておらなんだという証拠。それを嬉しく思う」
幼い顔立ちに似合わない愛おしげな瞳で俺を見つめている。
そして、まるで遠い過去から何かの偶然に未来の世界を覗き見たかのようなセリフ。
「そんな事を言われたって……それに俺がその夜属とかいうのになったなんて言われてもわけがわからないし、忌なんて化け物は見た事ないぞ」
「忌もまた夜の世界で生きておる。じゃからそう目立つ事はすまいて。村が丸々一つ消えたりすれば確実に騒ぎになるしの」
龍城市はおよそ30万の人口だが、それが全員消えたりしたら大騒ぎどころではない。間違いなく警察沙汰になるし、下手をすると自衛隊が出動するなんて展開もありえる。
「数多の同胞が姿を消したら不信に思うのは必然。そうなれば人々は怪しむ。何によってこの事態がもたらされたのかを知ろうとする。そしてやがては我ら夜の住人の存在に気が付くようになるじゃろう。故にそうした騒ぎを起こさぬよう、わしらは人知れず忌を狩るわけじゃ」
「なかなか複雑な立場なんだな、夜属って。でもなんで俺が夜属になったんだろう。怪力があるとか動きが特に素早いってわけでもないのに」
「もしかしたら遠いどこかでわしらの血が入ったのかもしれんな。夜属は血によって目覚める。もっとも九十九や宿曜などは事情が少々異なるようじゃが、やはり血を受け継いでいる者のが目覚めやすいのじゃろう」
「つくもって……俺の事?」
「そうじゃ。おぬしは付喪神を知っておるか」
「ああ、聞いた事あるぞ。長い間使っていた道具が魂を得て妖怪になるって話だな。あれって本当にあった事だったのか……」
「おおよそ間違ってはおらぬが、夜属の場合は少々事情が異なっておってな。まあ、基本は家憑きよ。古くから続く家には相応の歴史を持つ九十九が仕えておる。つまり九十九を保有する家の格を示しておるわけじゃ。刀剣九十九のように戦いが得意な者は戦場に駆り出されておったようじゃがの」
その九十九というのが今、俺が手にしている筆なのか。
まだ筆として使われていないせいか、そんなに古いものには見えなかった。
「九十九は憑いた物と会話をできると聞いておるが、どうじゃ。何か話は聞けぬのか」
「え、ないないない。そんな筆と会話なんてした事ないって」
「む、という事はおぬしは九十九ではないのか。ふむ……」
「考え込んでるところ悪いんだけどさ、もうちょっと説明して欲しいっていうか、わからない事ばかりだからいくつか質問をさせてもらいたいんだけど」
「構わぬ。もっとも、答えられるのはわしが知っておる事だけじゃが」
「もう少し詳しく夜属っていうのを教えてくれ。鬼とか天狗ぐらいは俺も聞いた事あるけど、いまいちよくわかってなくてさ。そもそもカナはなんなんだよ」
「わしか。わしは木霊じゃ」
「こだまってやまびこの事か? ヤッホーっていうあれ?」
「当たらずと雖も遠からずじゃな。山彦はわれら木霊の仕業とも言われておったからの。まあ、簡単に言ってしまえば樹木に宿る精霊みたいなものじゃ」
「精霊って人間じゃないだろ」
「阿呆。みたいなものと言うておろうが。わしにも親はおった。普通に生まれ、普通に育った。じゃが夜の扉を開いて木霊として目覚めたのじゃ。木霊は大地と共にある。木々の声なき声を聞き、動物の意思を感じ取る。もっとも、切った張ったは苦手じゃがな」
「……普通に生まれ育ったのに夜属になったりしてさ、怖くなかったのか?」
カナの口元が緩む。
「わしの住んでおった集落は夜属と縁が深いところだったからの。むしろ血を引く者が現れたと喜ばれたぐらいじゃ」
「そっか。その……幸せだった?」
ゆっくりと頷いたカナを見て、何故だか嬉しくなった。
少なくとも両親に望まれ、幸せな生活を送れたのだろうから。
「じゃあ次は夜属ってやつについて。そもそも夜属ってなんなのさ」
「さっき話したじゃろう。夜属とは夜の世界を歩むモノ、夜の理に属するモノとな」
「つまり人間じゃないって事? でもカナも俺も人の姿だろ」
「ああ、なるほど。そういう意味で聞いたわけじゃな」
カナはつと視線をそらし、思案気な顔をする。
「夜属はヒトの姿でありながら、ヒトではない。姿形は似ているが違うものじゃ。たとえば狼と犬のような関係じゃな。姿は似ておるが違う生き物じゃろう」
「遺伝子が違うって事? でも近い存在だから姿が似ているみたいな」
人間でいったらコーカソイドやモンゴロイドといった違いみたいなものだろうか。
「いでんしというのはよくわからんが、変身せぬ夜属と人の姿はまったく同じと言ってもいいじゃろう。ただ真身があり、人の姿を仮身とする人狼たちは事情がやや違うようじゃが」
「人狼って狼男の事だよな。西洋の吸血鬼なんかの仲間だと思ったけど。でもマジにそんなのが存在しているのかよ……」
世の中には俺の知らない事ばっかりだ。
まさかアニメや漫画の中にしか存在しないようなのが実在したなんて。俄かには信じられない。だけどおばあちゃんから譲り受けた俺の能力があるのも事実だし、少なくともカナは嘘を言ってはいないのだろう。
「あとは俺の事について。九十九っていうのはどんな力が使えるんだ?」
「知らぬ。そんな事はおぬしのが詳しいであろう」
「実は全然知らないんだよ。使い方なんて教えてもらってないし」
「そうか。ならばこの場で何か力を使ってみせよ。そうすれば少しぐらいわかる事があるやもしれん」
「そうだな。じゃあ簡単なやつだけど」
筆を取り出して目を瞑り、精神を集中させる。
やってみせるのはなるべく効果がわかりやすいものがいい。例えば昨日やった跳躍だ。これなら成功を経験しているからイメージは明確になる。
さらに効果をあげるためにオリジナルの文言も唱えて念を入れてみた。
『我は高く跳ぶもの。どのような垣根も我が跳躍を阻む事はできない』
それから空間に『跳』という漢字を書く。
ぼんやりと空間に浮かび上がった〈跳〉という文字に右足をかけてぐっと腰を落とし、自分の身長よりもずっと高い場所にある木の枝を目標にジャンプする。成功だ。
「どうだ。筆で漢字を書くとその力が使えるんだ」
見上げているカナを振り返って胸を張って見せた。
「こいつは驚いた。てっきり九十九だと思っておったが、どうやら呪符術の一種じゃな。なかなか興味深い能力ではないか」
「じゅふじゅつ?」
「よいから降りてこい。そんなところにおられたら会話もままならぬ」
もっともな話なので素直に従う。
枝から飛び降り、たいした衝撃もなくすたりと地面に降り立つ。着地する俺を見ていたカナはわずかに眉をあげた。
「何か体術を習っておったのか」
「ああ、小さい頃に空手と柔道――武道を少しだけ。もう辞めちゃったけど」
「そうか。筋はよかったようじゃな」
肩をすくめる。
実際、そう言って褒められたし、型などの練習は楽しかった。でも殴られるのも投げられるのも痛いのが嫌で辞めてしまったクチだ。
改めてカナの前に腰を下ろすと、待っていたとばかりにカナは話を始めた。
「簡単に言うとじゃ、おぬしの力は言葉を介して現世に変化をもたらす事ができる。宿曜は呪符や札などを使って力を行使する者が多いと聞くが、おぬしの場合はその筆を使うというわけじゃな。言うなれば『言葉使い』といったところか」
筆をぴっと指差す。
言葉使い――悪くない気がする。
「この筆で漢字を書くとその漢字が持つ力が使えるっておばあちゃんが言ってた。実際、さっきみたいにやると漢字が浮かび上がって効果が得られるみたいなんだけど……」
催眠術や自己暗示によって自分が持つ能力を高めるのではなく、事象に働きかけ変化させる事ができるのならばこの能力には様々な応用が利く。
自身の強化以外に他者へ影響を及ぼしたり、空間に働きかける事も可能になるわけだ。
「珍しい力じゃな。このような力を持つ者がいたという話をわしは聞いた事がない。どんな経緯で生まれた能力か聞いておるのか」
「いや、そういうのは特に。この筆をもらった時もろくな説明もなかったし。漢字を書くとその力が使えるようになるって言われたぐらいかな」
「もしかしたら先代は自分の代でその力を終わらせるつもりだったのかもしれんな」
「なんでさ、もったいない」
この力があれば普通ならできない事ができるようになる。例えば本物のヒーローにだってなれるかもしれない。
「力を持つという事は必ずしも幸せな事ではない。人は異質な者を嫌い、排除する傾向が強い。時には村全体がそうなる事もある。そもそも、おぬしは祖母殿がその力を使ったところを見た事がないのではないか」
「そういえば」
「たとえ肉親であれ、自分とは違う特異な者であるとわかったらどうしたと思う。今と同じ気持ちで接する事ができたと思うか」
わからない。
おばあちゃんが好きなのは変わらないと思うが、こんな力を持っていると知っていたらどうだろうか。自分とは違うという感情が生まれなかったとは言えない。
でも今は俺がその立場にいるという事だ。下手に能力があると他人に知られれば、それだけで警戒される可能性はある。
「まあ、わしも宿曜の事は詳しく知らん。変わり者が多いから、存外、力を受け継ぐというのはそんなものなのかもしれん。他にその力について何か言っておらなんだか」
「うーん、あとは他人の前でむやみに使うなぐらいかな」
当然というようにカナは深く頷いた。
「繰り返し言っておるように人は異質なものを嫌う。おぬし自身のためにも、夜属の同胞のためにも、その力は滅多な事で使うな」
カナに言わるまでもない。
他人とは違う、何か特別な力を持っている事が知られたら面倒になる事は簡単に想像できる。
これまでは無防備すぎた。反省しなければ。
「もっとも、よほどの事がなければ大丈夫じゃがな」
「どういう事だよ」
「この世の理に働きかける我らの力は天秤を揺するような行為じゃ。それゆえ人々は本来ありえない事を目にしたと思い、自身の都合のよいように解釈しようとする。簡単に言えば、勝手に自分の記憶を書き換えるとでも言えばよいかの」
それはまさに大穴から脱出した経緯を覚えていない昌美に起きた事だった。
本当は筆の力を使ってジャンプして脱出したのに、昌美は先に自分が穴から出て俺を引き上げたと記憶していた。
まさに都合のよいように記憶が改ざんされている。
「それで昌美はちゃんと覚えてなかったんだな」
「……まさかおぬし、他者の目があるところでその力を使ったとは言わぬよな」
「あ、あはははは……」
怖い目をしていたのでごまかし笑いしかできなかった。
「まったく……もう少し用心せよ。天秤がいつ反対に傾くかわからぬ。たまたま目撃者の記憶が書き換わる方に傾いてくれたからよかったが、下手をすればおぬしがこの世の理に喰われていたかもしれんのだぞ」
「この世の理に喰われるって……つまり俺が死ぬって事か?」
頷くカナは人の悪い笑顔をしている。
「知らなかったとはいえ、今後は気をつけよ。まだ死にたくはあるまい」
「わかった……気をつける」
視線を避けるように首を垂れる。
カナのセリフには半ば脅しがあるような気がしたが、自分が死ぬかもしれないという危険を犯すつもりにはならなかった。力の行使にリスクが低いだなんてとんでもなかった。
女の子と付き合った事はないし、もし死ぬとしてもエッチをしてからにしたいというのは偽らない気持ちだ。
健全な男の子なら普通の感情だと思う。




