第八十話 日記
「千代さん。コレを退かすのを手伝ってくれませんか?」
「了解、コレね」
大きめの残骸をその細腕で容易く動かす千代。
千代の身体能力は鈴鹿と然程変わらないが、妖力で強化すればこれくらいは簡単だ。
「ありがとうございます。やっぱり直毘衆の方は凄いですね!」
鈴鹿は明るい笑みを浮かべて礼を言った。
その顔に、先程までの悲哀は見えない。
千代の言葉で鈴鹿の罪悪感が完全に消えた訳では無いだろうが、少しは前向きに考えることが出来るようになったのだろう。
鈴鹿の命には何の罪も無い。
生きることに罪悪感を感じる、などと言う悲しいことは考えなくていいのだと。
「………」
人の為に努力できる鈴鹿の笑顔が、少しだけ眩しかった。
直毘衆は、千代は、結局のところ全て自分の為だ。
人を救うのも、鬼を殺すのも、全て千代自身の為。
道雪と同じ英雄になる。
偉大な父に恥じない娘であることを証明する。
それだけを望んで生きてきた。
求めていた『雷切』は失われたが、その夢は変わらない。
この手で霊鬼六道を倒し、証明して見せる。
自分を女と侮った者達に認めさせるのだ。
千代は道雪と同じ、英雄になったのだと。
「…千代さん。千代さん」
「ん? 何かしら?」
「コレ、何ですかね?」
そう言って鈴鹿が差し出したのは、ボロボロの紙束だった。
古い物だからか状態が酷い。
汚れているし、虫食いの跡もある。
「そこの瓦礫の下に埋めてありました。読めますか?」
「…誰かの日記、のようだけど」
手で汚れを拭いながら、千代はそれに目を通す。
穴が空いている所はもうどうしようもないので、虫食いが酷い所は読み飛ばす。
比較的状態が良い所を探して、読み上げた。
「神憑りの、術…?」
「それって…!」
「『神憑りの術の応用。鬼の霊を降霊し、憑依させることで鬼の力を手に入れる』」
それは、帝が語っていた事実だ。
かつて果心居士が望み、実現させた野望。
「コレってまさか、果心居士の日記?」
「読んでみましょうよ! 何か手掛かりが掴めるかも…!」
「え、ええ! もちろん」
逸る心を抑えながら千代は続きを読み進める。
(まさか、本人の日記が見つかるなんて…!)
コレは大発見だ。
あの男の秘密が、目的が分かるかも知れない。
「『最初の実験は失敗。思うように鬼が呼び出せなかった』『何か触媒が必要だと推測』」
それは日記であると同時に、果心居士の研究資料でもあった。
「『鬼の伝説が残っている――から鬼の物と思われる―――を入手』『実験に使用』『結果は、今のところ順調である』」
鬼を蘇らせると言う途方も無い計画の軌跡。
「『成功だ。私は鬼の力を手に入れた』『―――の力を手に入れたのだ』」
所々読めない部分があるが、大体は読み取れる。
果心居士は鬼を呼び出す為、鬼の遺骨を探し出し、実験に使った。
自らに遺骨を埋め込み、鬼の霊をその身に宿したのだ。
「『己に満ちる力に笑いが止まらない』『今なら何でも出来そうだ』『この拳で大地を割ることも』『この足で千里を駆けることも』」
書き手の興奮を表すような乱れた字だった。
「『この牙で人肉を喰むことも出来るだろう』『…いや、私は何を考えている?』『良くない傾向だ。鬼の霊の影響か』」
「…?」
「『最近、夢を見る』『人を殺す夢だ』『ここに居る私ではない』『別のどこかで、鬼だった頃の私』『…妙なことを書いたな』『私は人間だ。鬼ではない』」
日記の内容が段々と不穏な気配を帯びてきた。
字が更に乱れ、書き殴るように文字が刻まれている。
「『おかしい。おかしい。おかしい』『私は人間だ。人間だった』『いや、違う。私は鬼だ。ずっと昔から鬼だった筈だ』『鬼が人間になった?』『人間が鬼になった?』『分からない。分からない。私にはもう、分からない』」
同じ言葉を何度も繰り返したり、意味の分からない言葉を並べたりと、その内容は果心居士の狂気を表していた。
鬼を身に宿した影響だろうか。
自分が人間なのか、鬼なのか。
それが分からなくなってきている。
「『ああ、また夜が来る』『もう眠りたくない』『次に寝たら、もう私は私では無くなっている気がする』『どうしてだ。どうしてこうなった?』『私は、私を迫害した者達に復讐したかった』『容貌が違うと言うだけで差別するこの国の連中に思い知らせてやりたかった』『私は…』」
そこで、日記は終わっていた。
恐らく、そこで果心居士は眠りに落ちたのだろう。
その記憶を失う前に、この日記をここへ隠して。
誰かに見つけて欲しかった訳では無く、ただ自分が自分であった証を残したくて。
そして、果心居士の自我は鬼に呑まれた。
今、活動しているあの男は、果心居士であって果心居士ではない。
果心居士と言う人間に霊鬼が合わさって生まれた、霊鬼六道だ。
「………」
千代は静かに日記を閉じた。
憐れだとは、思う。
きっと元々はこの国の人間では無かったのだろう。
果心居士自身はこの村で生まれたが、先祖が海の向こう側の出身だったのだろう。
その特徴を強く引き継いだ果心居士は、この国の人間に迫害された。
もしかしたら寺を破門された時も、異質な風貌が一番の理由だったのかも知れない。
それを強く憎んだ果心居士は、復讐する力を求めた。
その末路がコレだ。
「このことは陛下に報告した方が良いわね」
「そうですね」
あの果心居士は以前とは異なる中身になっている。
それが分かっただけでも一歩前進だろう。
「初芽。局。ちょっとこっちに来て!」
もうこれ以上ここで分かることは無い、と判断して千代は二人を呼んだ。
声が聞こえた二人は手にしていたガラクタを捨て、駆け寄ってくる。
「果心居士の日記を見つけたわ。まだ読めない所があるけど、都に戻れば修復できるかもしれない」
「本当ですか?」
「ならもう、都へ帰る?」
「ええ、そうね。もうここには…」
千代がそう言いかけた時、音が聞こえた。
カランコロンと下駄が鳴る音。
空気が澱んだように感じる濃い穢れの気配。
「全く、何て人達でしょう。人の日記を勝手に読み、あまつさえ盗もうとするなんて」
「果心居士…!」
「正しく、鬼。鬼畜の所業ですよ」
数匹の餓鬼を従えた果心居士がそこに居た。
果心居士は昆虫に似た異形の餓鬼を撫でながら、笑みを浮かべる。
「私が果心居士であると名乗った時から、この場所には監視を付けていました。何せ、私の手掛かりがあるとすればここしかありませんからね」
「…罠を張っていたの」
「ええ。ですが、まさかこんな可愛らしい方々が引っ掛かるとは思わなかった。私は運が良い」
愉し気に笑いながら果心居士は懐から遺骨を取り出す。
「遺骨…!」
「さて、コレに適合しそうなのは…」
果心居士は品定めをするように視線を動かす。
四人へ順番に目を向けた後、視線は一人に止まった。
「やはりあなたですかね。鈴鹿さん」
「え? 私…?」
驚いたように目を見開く鈴鹿。
まさか自分が目を付けられると思わなかったのだろう。
この場に居る人間の中で、最も弱いのは鈴鹿なのだから。
「初めて会った時にも言ったでしょう? 情の深いあなたは、良い鬼になると」
愉悦に歪んだ顔で果心居士は言う。
「鬼になれば、世界が変わりますよ。人であった頃の苦しみも痛みも、全て忘れられる。何物にも縛られず自由に生きられる。それは何て、素晴らしいことだろうか」
かつて果心居士と言う人間だった男は言う。
恍惚とした表情で、その夢想を語る。
「あなたはそうやって、人であった頃の己を捨てたの?」
「………」
「いや、捨てたことすらもう覚えていないんでしょう? だから、この日記をここに隠していたことも知らなかった」
千代は日記に刻まれた果心居士の慟哭を思い浮かべる。
消えたくない、と泣き叫びながら消えていった人としての自我。
鬼になると言うことは、苦しみから解放されると言うことでは無い。
人間だった頃に持っていた全てを、失うことだ。
ここに居る果心居士には苦しみも痛みも無いのかも知れないが、それは決して幸福ではない。
鬼なった時点で、果心居士と言う人間は死んでしまったのだ。
「人の幸福は、人を捨てることでは絶対に手に入らない。鬼の怨霊に呑まれ、自我を失った亡者め。私が黄泉路へ送ってやる!」
妖刀を抜き放ち、千代は駆ける。
地面を蹴ると同時に神足を発動させ、加速する。
「………」
それを眺めながら、果心居士は静かに傍らに従えた餓鬼を動かそうとした。
「隙あり」
「天誅!」
声に合わせ、餓鬼達の体に無数の苦無が突き刺さる。
初芽と局だ。
千代が会話し、時間稼ぎをしている間に攻撃の準備を整えていたのだ。
苦無自体に殺傷力は無いが、その武器に塗られた毒は対鬼用の毒。
餓鬼達は悲鳴を上げながら消滅していく。
「…チッ」
「取った…!」
狙うのは心臓。
果心居士が遺骨を埋め込んでいる可能性の高い場所。
そこを貫き、心臓ごと破壊する。
「『来い』」
刃が果心居士に届く寸前、果心居士は小さく呟いた。
瞬間、強い風が吹いた。
「なッ…!」
千代は目の前の光景に思わず声を上げる。
突然強い風が吹いたと思ったら、いきなり目の前に影が現れたのだ。
「――――――」
全身甲冑の鎧武者だ。
鬼を模した兜で顔を隠しており、中から真っ赤な眼が覗いている。
両腕と両足には紋様が刻まれた鉄の枷を付け、腰には鎖が巻かれた抜身の刀を下げている。
顔どころか肌の色すら分からない存在だが、その息遣いは男のように聞こえた。
「………」
新たに現れた鬼は、千代の刃を右腕の籠手で受け止めていた。
渾身の一撃だったと言うのに、籠手には傷一つ付いていない。
「敵性。発見」
ゾッとするな冷淡な声で、それは簡潔に言った。
「『金剛』さん。あそこに居る人間が見えますか?」
「………」
金剛と呼ばれた鬼は、果心居士の指さす方向を見る。
そこに居た鈴鹿を、その感情のない赤い目で見つめた。
「あれ以外は殺して構いません。敵は直毘衆と天文道ですが、問題はありませんよね?」
「………」
まるで人形のように金剛の首が動く。
初芽、局。
そして、一番近くに居る千代へ眼を向けた。
「御意」
簡潔に呟き、金剛は戦闘態勢に入った。




