第七十八話 宝物
雨が好きだった。
土砂降りの日に外を出歩く物好きはいない。
家を出て、いつもの場所へ篭れば、誰にも会わずに済む。
一人が好きだった。
ずっと一人でいれば、誰かに傷付けられることも、誰かを傷付けることもない。
『………』
幼い頃から自覚していた。
物心つくよりもずっと前から、知っていた。
自分はきっと、誰かを傷付ける側の人間だ。
夢を見るのだ。
人を殺す夢を。
何人も、何十人も、何の躊躇いもなく。
夢の中の自分は、化物だった。
その腕で紙切れのように人を引き裂き、血肉を喰らっていた。
アレはきっと、未来の自分の姿だ。
いつか自分はあんな化物になってしまうのだ。
『ッ…』
怖かった。
人を殺すことが怖いのではない。
人の命を喰らうことに、何も感じない化物になることが恐ろしいのだ。
ああ、誰も俺に関わらないでくれ。
誰も俺に触れないでくれ。
俺はまだ、誰も殺していないのだ。
俺はまだ、化物では無いのだ。
人間のままでいさせてくれ。
どうか、どうか…
『こんな所で何をしているの?』
頭上から聞こえた少女の声に、頭を上げる。
そこにあったのは、見慣れた少女の笑顔。
『濡れちゃうよ? 早くお家に帰ろうよ、信乃ちゃん』
天文道による騒動から十日が過ぎた。
その間に帝主導による調査が行われ、もう都に鬼は完全に居ないことが証明された。
鬼達は不気味な程、静かだった。
最近では地方で餓鬼が出たと言う話も殆ど聞かない。
「くはは。ぞろぞろと仰々しいこった」
蝦夷は都の街並みを眺めながら呟く。
大名行列の如く、大勢で道を歩くのは帝と直毘衆だ。
帝を先頭にして、すぐ傍に頼光。
その後ろにはあまり見慣れない直毘衆が何名か続いている。
「アイツ、誰だっけ?…まあ、思い出さなくていいか。どうせ、雑魚だろう」
直毘衆には、隊長以外の上下関係は存在しないが、実力差は存在する。
頼光は別格として、次点でその秘蔵っ子である信乃。
蝦夷はその次辺りで、他はどれもこれも似たり寄ったりだ。
正直、普通の鬼ならともかく、霊鬼六道の相手が務まるか微妙なところだ。
「で? アンタは出なくて良かったのかー? 先輩よ」
「それを言うならお前もだろう。蝦夷」
呆れたような顔で信乃は息を吐いた。
「ふん。あんな物に俺が出てどうする。俺と違って都で人気者のアンタが出ろよ」
「何だ、嫉妬しているのか? 可愛い所あるじゃん」
「黙れ。殺すぞ」
信乃の軽口に殺気立つ蝦夷。
(キレるの早え…)
とは言え、刀を抜かないだけ未だ理性は残っているのだろう。
この男は本気でキレると、蜘蛛切をぶん回すから。
「つーか、珍しいな。お前が俺に絡むなんて」
信乃は訝し気な顔で蝦夷に尋ねた。
基本的に人間嫌いであるこの男が、自分から信乃の下へ現れたのだ。
「お前、俺のこと嫌いだとか言ってなかったか?」
「………」
嫌そうな顔で信乃を睨む蝦夷。
蝦夷としても、楽しくお喋りする為に現れた訳では無いようだ。
「…ここ数日、都中を探し回ったが、めぼしい物が見つからねえんだ」
「はぁ? 何、お前窃盗でもしているのか?」
「違え。探しているのは、宝だ」
舌打ちをしながら蝦夷はそう言うが、相変わらず意味が分からない。
心を読めるせいか、蝦夷は一方的に会話を進める癖があるが、今回は特に酷い。
言葉が足りな過ぎて、何が言いたいのかさっぱり分からなかった。
「チッ、最初から説明しねえと分からねえのか」
「俺はお前と違って心が読めねえんだよ」
「…帝だ。皇族に伝わる宝とやらだ」
「それって、前にお前が聞いていたやつか?」
「そうだ。俺は確信した。それは必ず実在する」
獰猛な笑みを浮かべて蝦夷は言った。
「きっと刀だ。滅茶苦茶強え、妖刀だ。絶対に手に入れてやる…!」
果心居士から聞いた情報もあり、それが妖刀であると確信している蝦夷。
その事実を知らない信乃は胡散臭そうに、首を捻った。
「そんな物あったら、真っ先に使いそうだけどな。あの帝なら」
「帝には妖刀適正はねえ。他人の手に渡ることを恐れて隠しているんだろうよ」
「ふむ…」
それは確かに有り得そうな話だが、あの帝に限ってそれは無いだろう。
自分の命さえ躊躇いなく犠牲にしようとする男だ。
鬼を倒す為なら、それくらいの危険は受け入れそうだ。
少なくとも、我が身可愛さで切り札を死蔵するとは思えない。
「だっておかしいだろ。十年前も今も、何で鬼共は都に拘る? 都に狙っている物があるとしか思えねえ」
「………」
それは一理ある、と信乃は思った。
一体鬼が何を求めているのかは知らないが、何か都に狙っている物があるのは確実だ。
帝の命かと思ったこともあったが、先日の雰囲気から判断するに違うだろう。
鬼達、ひいては果心居士が狙う物。
それは本当にあるのかも分からない皇族の宝?
鬼に対する切り札に成り得る武器なのか?
雷切の時のように、使われる前に回収するつもりか?
(どうも、それだけじゃない気もするが…)
「…アンタ、宝の隠し場所に心当たりは無いか?」
「俺が知る訳ねえだろ。元々、都住まいでもねえし」
「それは俺も同じだ」
「千代みたいに長く都で暮らしているなら、噂くらいなら聞いていたかも知れねえが」
「…じゃあ、千代はどこに居るか知っているか?」
「アイツは今、都には居ねえよ」
信乃はふと視線を帝と頼光へ向けながら呟く。
本来なら、あそこで頼光と共に歩いていたであろう者のことを思い出す。
「天文道の姉妹と共に、帝の任務に向かっているらしいぞ」
「どこへ?」
「『紅鏡』………十二年前に焼け落ちた果心居士の故郷だよ」




