第七十一話 正体
ぐったりと地面に倒れる帝の体。
辛うじて生きているのか、その肥満体は僅かに動いている。
それに気付き、玉梓は不快そうに眉を動かした。
「どうして、それをまだ生かしているのよぉ?」
「少々調べ物がありまして。体に聞く、と言うやつですよ」
そう言って海若は片手で帝の頭部を掴み、持ち上げる。
その細腕からは想像できない怪力だ。
「陛下を…!」
「動くな!」
頼光達が止めようと動く前に、海若は叫んだ。
盾にするように意識を失った帝の体を前に突き出す。
「そうそう、そのまま。動かないで下さいね」
「くっ…」
鬼の怪力なら、このまま帝の頭蓋を握り潰すことさえ可能だ。
例え神足を使ったとしても、海若が帝を殺害する方が速い。
悔し気に顔を歪める頼光を見て、海若は面の下で嘲笑を浮かべる。
「いやぁ、楽な仕事でしたよ。天文道も出払って、警備も手薄。おまけに帝本人は都の異常にも気付かず、ぐうぐうと寝ていたのですから!」
玉梓が正体を隠して頼光と接触したのは、この為だった。
直毘衆、天文道の注意を全て玉梓と餓鬼に引き付け、その隙に海若が目的を果たす。
以前、維那村で海若と酒吞童子が行った時と同じだ。
「…無駄話はそれくらいにして。それで? その男で何をする気?」
「もう終わりましたよ。念の為『他心』してみましたが、本当にこの男は何も知らないようですね」
(…他心、だと?)
頼光は海若の言葉が気になり、観察するような視線を向けた。
鬼である海若の口から、どうしてその言葉が出るのか。
三明は鬼を倒す為の術。
それをどうして鬼が使えるのか。
「…頼光殿」
思考する頼光へ囁くように、才蔵は呟いた。
「これから陛下の身に何が起こっても冷静でいて下され」
「…何の話だい?」
「時間がない。これから拙者が奴らの隙を作る。それに合わせて、頼光殿は男の方をお願いする」
「………分かった」
話は読めなかったが、頼光は才蔵の真剣な声を信じた。
手にした杖を握り直し、体に力を込める。
「ってことはもうそれは用済みよねぇ」
「そうですね。都での要件は全て終わりました」
「だったら私の用事を手伝ってよ。連れて帰りたい子達が沢山いるのぉ」
「またですか? これ以上餓鬼を増やされても…」
「はッ!」
会話する二人を遮るように、才蔵の声が響いた。
振り被った両手から六本の苦無が投擲される。
黒く光る苦無の先端には全て、同じ毒が塗られていた。
「それで攻撃のつもりですか?」
海若は呆れるように片腕で薙ぎ払うような仕草をした。
突風が吹き、海若を狙っていた苦無を弾き飛ばす。
「やれやれ、この人質が見えないんですか。このまま果実のように頭を潰しても良いんですよ?」
「…人ならざる魍魎共。不思議には思わなかったのか?」
「はい?」
才蔵の言葉に海若は首を傾げた。
「何故、今までずっと身を隠していた帝が頼光殿と信乃殿の前に姿を現したのか。何故。この異常事態で護衛が一人も居なかったのか」
それはあまりにも都合が良すぎた。
あまりにも容易に事が運び過ぎた。
まるで、何者かの罠であるかのように。
「目を開いてよく見てみるが良い。お前が掴んでいるそれが、何か」
「まさか…!」
瞬間、帝の体が音を立てて破裂した。
強い光と音を撒き散らし、帝は跡形もなく四散する。
(偽者…!)
至近距離でそれを浴びた海若と玉梓は思わず目を抑えた。
それは明確な隙だった。
「ぐ…あ…!」
投擲された苦無が玉梓の胸、頭など急所全てに突き刺さる。
その苦無に塗られた毒が全身に回り、玉梓の体が力なく倒れた。
「この…!」
「隙あり、だ」
それに気付く間もなく、海若に杖が突き付けられる。
「薪尽きて火滅ぶ『薪尽火滅』………燃え尽きろ、怨霊」
杖から放たれた白い炎は、海若の全身を余すことなく焼き尽くした。
先程の玉梓に放った物とは比べ物にならない火力。
存在の痕跡すら残さず、魑魅魍魎をこの世から焼却する。
「ぐ、ああああああ!」
叫び声と共に海若は全身から妖力を放った。
黒く澱んだ妖力が炎を弾き飛ばす。
「ふう…ふう…ふう…!」
息も絶え絶えに頼光と才蔵を睨む海若。
体には酷い火傷の跡があり、その仮面も半分は焼け落ちていた。
「いつから、帝を偽者に…」
「最初からだ。玉梓と出会っていたのも、遊女を呼んで遊び惚けていたのも、全て我が影分身。そもそもあの臆病な陛下が人前に出られると本気で思って?」
堕落したと巷で噂されていた帝は影武者だった。
今まで誰もが帝と思い込んでいたのは、偽者だったのだ。
「なら。本物はどこに…」
「安全なところ隠してあるでござる。あんな奴でも、また使い道はあると思うのでな」
海若を嘲るように才蔵は笑った。
そして、仮面が半分壊れた海若の顔を見つめる。
その見覚えのある風貌を。
「…やはり、お前だったのか」
「………」
残った仮面が砕け、地面に落ちる。
露わになったその顔は人間だったが、異様な風貌をしていた。
眼は青く、肌は白く、どこかこの国の人間とは異なる容姿。
左眼の下には『調和制伏』と刺青を入れており、彫刻のように整った顔には何故が亀裂が走っている。
まるで、この国の外からやって来たような異物感を持つ男だった。
「『果心居士』」
才蔵はその男の名を呼んだ。
稀代の妖術師。
かつて帝の寵愛を受け、その果てに都を追放された男。
十二年前に故郷と共に焼け死んだと伝えられる謎の多い人物。
「チッ」
果心居士は心底不快そうに舌打ちをした。




