第四十七話 侵略
「夢を見た?」
「ああ」
翌朝、信乃は宿を訪れた頼光に自分の身に起こったことを告げた。
あの土砂降りの世界のこと。
そこに居た自分の影法師。
夢とは思えない現実感を伴う、奇妙な体験だった。
「奴は自分のことを村雨丸と名乗った。妖刀が語り掛けてくることなんて、あり得るのか?」
「無い。とは言い切れないかな」
信乃の真剣な表情から、頼光もただの夢とは思わなかった。
怖い夢を見た、なんて言うほど信乃は幼くないし、弱くもない。
だとすれば、信乃の経験した夢には何か意味があることになる。
「知っての通り、妖刀はかつて人ならざる物を斬った刀のことだ。その刀には返り血と共に穢れが染み込んでいるだろう」
故に鬼を滅ぼす程の妖力を秘めているのだが、その穢れは呪いとなって使い手さえも害する。
「素質の無い者が妖刀を握れば狂気に堕ちてしまうが、それは妖刀に宿る怨霊に操られている、とも考えられないかな?」
「つまり、妖刀には意思があり、奴らはあくまで人間に力を貸しているだけ。気に入らない人間が触れれば逆に体を乗っ取るってか?」
信乃は腰に差した妖刀『村雨』を見つめる。
あの村雨丸と名乗った男は、確かにそんなことを言っていた。
信乃の人生に興味がある、と。
相棒と言うよりは、支援者。
人間の物語を愉しむ傍観者だ。
「ハッ、ならせいぜい面白い人生を見せて、奴から見限られないようにしないといけねえな」
「…気を付けるんだよ、信乃君。君の妖刀は他とは違う」
頼光は心配そうな表情で信乃の顔を見つめる。
「直毘衆の殆どは都で天文道が集めた妖刀を渡されるけど、君は自ら妖刀を手にして直毘衆の門を叩いた」
本人曰く、滅ぼされた故郷に残っていた刀だ、と。
齢十三の少年が、抜身の妖刀を手にしながらそう告げたのだ。
その素質、その異常性に、頼光は戦慄した。
「都にある妖刀は天文道によってその歴史を調べられているけど、君の村雨は何も分かっていない」
いつから存在するのか、誰か作り出した物なのか。
そもそも、一体何を斬って妖刀となったのか。
「分かっているさ。自分の道具に使われるような無様は晒さねえよ」
「なら、良いんだ」
「それより、今日だろ? 帝に会いに行くのは」
話を変えるように信乃は呟く。
「昨日は聞けなかったが、結局何でそんな話になったんだ?」
「実は僕にもよく分からないんだ。どうも、陛下が君達に興味を持ったらしい」
「俺達に?」
信乃は訝し気な表情を浮かべる。
考えられるのは、鬼童丸を討伐した信乃だろうか。
今、人類の脅威となっている鬼を討伐したとすれば、帝自ら褒美を与えても不思議ではない。
しかし、最近政治に関心を失っている帝がそんなことをするだろうか?
「僕も確かめたいことがあったから、それに便乗させてもらったのさ」
頼光はつい先日、門前払いされたばかりだった。
帝が信乃達に関心を持っていると聞き、合わせて謁見できるように取り付けたのだ。
「会ってみないと分からない、か。俺、礼儀作法とか苦手なんだが」
「まあ、それは彼女達が合流してから僕が教えるよ」
「うげ。マジかよ」
嫌そうに信乃はそう吐き捨てた。
「コレは、あまり良くない状況ですね」
鈴鹿山にて海若が苦々しい表情を浮かべた。
酒吞童子が山を降りてから暫く、
そろそろ信乃の下に辿り着いたか、と調べた所、嫌なことが分かった。
信乃は都に居る。
都は海若達の計画の最終目標であり、いずれ攻め滅ぼすが、今はその時ではない。
だが、酒吞童子は恐らく、何の躊躇いもなく都に攻め入るだろう。
彼の実力なら死にはしないだろうが、痛手を負う可能性もある。
「加勢が必要、ですかね」
とは言え、酒吞童子は六道最強の霊鬼を宿す者だ。
頭に血が上った彼を抑え、連れ帰ることが出来るのは…
「先輩。例の話、聞きましたか?」
同じ頃、都の正門前で男が呟く。
堅牢な門を護る門番である男は、先輩である男に目を向けた。
「昨日、戻ってきた直毘衆達に陛下がお会いになるそうですよ。信じられます?」
「直毘衆の信乃殿は、例の鬼を滅ぼしたんだろう? なら、別に騒ぐほどのことでは」
「いやいや、あの陛下がそんな殊勝なことしますかって」
仮にも自分の仕えている相手に言う言葉では無かったが、もう一人の男も同感だった。
鬼の恐怖を忘れる為、色に溺れる愚帝。
それが都に住む者の帝に対する評価だった。
「大方、千代さんとかに目を付けただけですって、絶対! ちくしょう、少し憧れてたのに…」
「下世話な話をするな。無駄話はやめて仕事に…」
言いかけて男はハッと前を向いた。
瞬間、ズンッと隕石でも落ちてきたかのような衝撃が響き渡る。
突如として空から落下してきたのは、七尺を超える巨体。
その身の丈以上の巨大な槍と、返り血で真っ赤に染まった禍々しい鎧。
額だけではなく、肘や膝からも尖った角が幾つも生やした、恐ろしい風貌の鬼。
「臭うぞ。ここじゃな」
悪鬼は言う。
目の前にいる人間達など、視界にすら入らないかのようにどこかを見つめる。
「せ、先輩…!」
「逃げろ! 早く逃げて、このことを伝えるんだ!」
恐怖に震える後輩の男に向かって、年配の門番は叫ぶ。
「早く…」
ぐちゃり、と水気を帯びた音が聞こえた。
降ろされた悪鬼の足に、その男が踏み潰された音だった。
「ん? 何か踏んだかのう?」
「あ…あ…」
「しかし、この門は随分と狭いな。邪魔じゃ」
手にした槍が無造作に振るわれる。
それだけで、都を護る堅牢な門が粉々に破壊された。
腰を抜かし、身を震わせる男の前を通り、悪鬼は都に足を踏み入れる。
「さて、奴はどこに居るか。これだけ人が居れば、骨が折れそうじゃわい」
困ったように悪鬼は足を止めて唸る。
「まあ、まずは………そうじゃな」
ぐるり、とその顔が怯える男の方を向いた。
「腹ごしらえ、といこうか」
「ひ、あ…ああああああああ!」




