第四十一話 勅命
「………」
鬼童丸の一件の翌日。
維那村に戻って一夜を明かした信乃は、千代の下に呼び出されていた。
「それで、鬼童丸とか言う鬼は退治できたの?」
やや不機嫌そうに千代は信乃に訊ねた。
どうやら頼光直々の命令から自分が省かれたことが内心不満のようだ。
しかし、着いて行った所で役に立てなかっただろうことは自覚している為、口には出さない。
「ああ、完璧な勝利とは言い難いが、確かにこの手で斬った」
「…そう、流石は直毘衆最速と呼ばれる信乃ね」
口では褒めながらも、千代は複雑そうな表情を浮かべた。
悔しいのだろう。
酒吞童子に敗北した自分と、その仲間である鬼童丸を打ち滅ぼした信乃を比べて。
ひそかに信乃を目標としている千代としては余計に。
「…どうやら調子が出てきたみたいだな」
「え?」
「俺が村を出た時は、意気消沈して抜け殻のようだったじゃねえか?」
「ッ」
信乃の歯に衣着せぬ物言いに、千代の顔が歪む。
確かに、その通りだった。
父である道雪の墓標と雷切を燃やされたことで、千代は人形のように空っぽになっていたのだ。
今まで目指してきた悲願を失えば、誰だって落ち込む。
「…アンタのお陰………いや、アンタのせいね」
苦々しい表情で信乃を睨む千代。
それを持ち直したのは、頼光から受けた連絡。
信乃が鬼童丸と呼ばれる鬼を退治したと言う情報だった。
自分が立ち止まっている間に信乃は前へと進んでいた。
落ち込んでいる余裕などない、と千代は思ったのだ。
雷切は失われたが、自分が超えると決めた信乃はまだ目の前にいるのだから。
「…そう言えば、鈴鹿は? 一緒に帰ってきた筈でしょ?」
「アイツは護符を配って回っている」
「そうなの。彼女の護符がよく効いたら、お礼を言いたかったのだけど」
頼光と連絡を取れたのも鈴鹿の護符が効き、妖力が正常に戻ったからだ。
初めて見る物だったが、その効き目の強さに千代は驚いていた。
村のこともあるので、近々何かお礼をしなければ、と千代は思った。
「ふう。こんな所ですかね」
護符を配り終えた後、鈴鹿は息を吐く。
コレで手持ちの護符は全部だ。
その内、時間を見つけて新しい護符を作らなければ。
「………」
信乃に弟子入りした時は、鬼から人々を護る力が欲しいと願ったが、未だ鈴鹿が身に着けている術は傷や病を癒したりする微々たる物だ。
それでも傷ついた人々は護符を受け取って、喜んでくれた。
鬼と戦う際には全く役に立てない為、こう言う時くらい役に立たなければ。
「?」
ぐいっと何かに引っ張られるのを感じ、鈴鹿は首を傾げて足下を見る。
「わあ」
そこには一匹の犬がいた。
少し汚れているが、真っ白で利口そうな顔立ちの犬だ。
構って欲しいのか、口で鈴鹿の服を噛んで引っ張っている。
「君は、この村の犬かな? 私に何か用?」
「わん!」
「お腹空いているの? ごめんね、今は何も持ってなくて」
「わん! わん!」
「う、うーん? 違うのかな? じゃあ、お散歩?」
動物は好きだが、流石に犬語は分からない為、鈴鹿は困ったように首を傾げる。
とりあえず、頭でも撫でようかとその小さな頭に手を伸ばした。
「八房。ここに居たのか」
そう言いながら、誰かが近づいてくる。
飼い主の人か、と視線を向けた鈴鹿はそのまま動きを止めた。
「あ、あ、あなたは…!」
「うん? どこかで会ったか?」
絶句する鈴鹿を余所に、その男はどうでも良さそうに呟く。
特徴的な黄色の眼が鈴鹿の顔を射抜いた。
「蝦夷、さん。どうして、あなたがここに…!」
僅かに身を震わせながら、鈴鹿は蝦夷の顔を指さす。
以前、貝寄と言う村で虐殺を行った直毘衆。
信乃との戦いに敗れ、都へ護送された筈だ。
直毘衆がどんな罰を下したにせよ、釈放されるには早すぎる。
「人を指差すんじゃねーよ、殺すぞ」
「ッ」
不機嫌そうな蝦夷から放たれる冷たい殺気に、鈴鹿は後退った。
前に会った時と何も変わっていない。
触れる物全てを傷付ける刀のような男のままだ。
「っと。流石に今、問題を起こせばもう庇っちゃくれねーな。しばらくは自重するか」
「?」
「こっちの話だ。それよりお前、確か信乃の…」
言いかけて、蝦夷は言葉を止める。
その顔に、ニヤついた笑みが浮かぶ。
「まさか、お前の顔をまた見るとは思わなかった」
「嫌な気配を感じて急いで見たら、最悪な奴が居るわね」
現れたのは妖刀を手にした信乃と千代だ。
蝦夷の放つ妖力と殺気を感じ取り、ここまでやって来たのだ。
「これはこれは、直毘衆がこれだけ揃うことも珍しいじゃねーか」
歓迎するように手を広げているが、蝦夷もその手に透明化した愛刀を握っている。
しばらくは自重すると決めたばかりだが、争いごとは大歓迎だ。
「とっくに直毘衆を追放されたと思っていたけれど」
「生憎と、お優しい方がこの俺に情けを掛けてくれてなー」
「お優しい方?」
「帝だ」
「「「!」」」
蝦夷の口から出た言葉に、三人は言葉を失う。
何故、蝦夷を釈放する為に帝が動くのか。
直毘衆とは言え、立場的には帝の部下の一人に過ぎない。
問題行動を起こせば、切り捨てられるのが当然の筈。
何か特別な関係にあるのか、と訝し気な視線が蝦夷に集中する。
「この非常事態だ。猫の手も借りたいと言うやつじゃねえのかー?」
「………」
どうやら、帝と個人的に付き合いがある訳ではないようだ。
蝦夷のことは信乃もあまり知らないが、遠方の出身だと聞いたことがある気がする。
帝と交流を持てる筈も無かったか。
「それより、俺がここへ来たのは帝の『勅命』を伝える為だ」
「勅命…!」
その言葉に再び三人に緊張が走る。
直毘国に住む者にとって帝の言葉は絶対だ。
それに逆らうことは、国に反逆することと同義。
即ち、死罪である。
「『全ての直毘衆は都へ帰還し、鬼よりこの地を護れ』………以上だ」
「な…」
「全ての直毘衆、だと?」
「それって…」
いつ鬼達が再び暴れるか分からない状況で、全ての直毘衆を都に集める。
それはつまり、都の護りを固める為に他の地方を切り捨てると言うことではないか。
確かに帝の命はこの国の誰よりも優先されるが、これでは国民を見殺しにすることと同義。
「何だ? 帝の勅命に逆らうのかー?」
「…ッ!」
それでも逆らうことは出来ない。
そもそも、直毘衆とは帝の親衛隊が前身となった帝直属の組織。
帝を護ることこそが何よりも優先すべきことなのだ。
「さて。納得したならとっとと都へ戻れ。俺もまだ仕事が残っているからなー」
「このまま他の直毘衆に伝えに行くのか?」
「ああ、アンタほどじゃねえが、俺の神足もそこそこだしなー。鬼と戦って直毘衆も数減らしているし、そんなに時間は掛からねーだろ」
「…何でそんな面倒なことをする? 頼光に勅命を伝えさせれば早いだろう」
「さあ? 何か嫌われることでもしたんじゃねえのー?」
ニヤついた顔のままそう言うと、蝦夷は犬を連れて立ち去った。
他の直毘衆の生き残りに勅命を告げに行ったのだろう。
「信乃さん…」
「………」
信乃は無言で空を見上げる。
鬼だけじゃない。
この国で何が起きている?
「鬼童丸さんが死亡したようです」
鬼の本拠地である鈴鹿山にて、海若の声が響く。
その顔は般若面に隠され、表情を窺うことは出来ない。
「『畜生道の霊鬼』の消滅を確認しました。もう彼はこの世には居ません」
声だけは淡々と、その事実を告げる。
「チッ、若造が調子に乗るからじゃ」
「あはは。あの生きたがりが最初に死ぬなんて皮肉よねぇ」
「………」
鬼達の反応は様々だ。
同胞の死を僅かに惜しむ者、その惨めな死を嗤う者、何の反応もしない者。
酒吞童子はしばらく黙った後、海若へ眼を向ける。
「…それで、殺ったのはどの人間じゃ?」
「位置的に、恐らく維那村に居た直毘衆かと」
「…あの水の妖刀使いか」
ギリッと酒吞童子は歯を軋ませる。
浮かべる感情は、怒りだ。
同胞を殺されたこともそうだが、何よりあの男に首を刎ねられた屈辱が蘇る。
「のう、天邪鬼よ。本格的な都攻めを行うまで、霊鬼は温存しろと言っておったな?」
「はい」
「じゃが、奴の存在は我らにとって、邪魔じゃ。計画を実行に移す前に排除するべきではないか?」
「…そうですね。その意見には同意します」
「これより儂は全力で奴を滅ぼすが、構わんな?」
返答は聞かず、酒吞童子は地面を蹴る。
大地を揺らす衝撃と共に、酒吞童子の姿は天高く消えた。
「行かせて良かったの? これ以上六道に欠員が出れば、計画に支障が出るわよぉ?」
「問題ありませんよ」
海若は面の下で笑みを浮かべた。
「彼は、六道最強の霊鬼を身に宿していますので」