第三十七話 狂乱
「し、死ねぇ!」
村人の男が手にした鍬を振り上げる。
錆びつき、あまり手入れもされていないが、それでも人を十分に殺傷できる武器だ。
背後から襲い掛かった男の鍬は、信乃の後頭部を捉えた。
「鈍い」
しかし、それは信乃に触れる直前に柄の部分から切断される。
鬼と斬り合う直毘衆の一閃。
ただの村人である男には、視認することすら出来なかった。
「は、速い…」
「怯むな! こっちの方が数は多いんだ!」
瞳を狂気に濁らせて、村人達は叫ぶ。
余所者である信乃達はともかく、この村の人間である菘のことすら見えていないようだ。
「チッ、やり辛え…! おい、ガキんちょ! この村に井戸はねえのか!」
「い、井戸? 井戸なら、そこに…」
男達の大声に怯えながら菘はそれを指さす。
「よし! あそこなら届く!」
「届く…?」
鈴鹿がそう言って首を傾げた瞬間、信乃は手にした刀を投擲した。
放たれた刀は村人達の間を抜け、狙い違わず古びた井戸の中に突っ込んでいく。
「武器を離したぞ! 今の内に…」
「来い」
何も握っていない手を開き、井戸の方へと翳す信乃。
それに呼応するように井戸の中から水が噴き出した。
「神立“蛟”」
現れるのは、水の大蛇。
重力に逆らって宙を舞うその巨大な姿に、村人達は思わず武器を落とした。
「う、うわあああああああ!」
「ば、化物だ! こいつも! アイツと同じ…!」
(一緒にすんじゃねえよ)
心の中でそう吐き捨てながらも、信乃は不敵な笑みを浮かべた。
実力差を思い知り、慌てて逃げ出す村人達。
刀を交えるよりも、派手な妖術の方が凡人の心には響く。
この村の人間達は鬼の妖術に苦しめられているので、特に恐怖を感じるのだろう。
とにかく、刀で村人を斬るような事態にならずに済んだ。
「だーめじゃないか。逃げるなんて許可していないよ?」
信乃が安堵の息を吐こうとした時、悪鬼の声を聞いた。
声が聞こえると同時に、我先にと逃げ出していた数名の村人が膨張する。
「あ、がががが…!」
「ぐが…あああああああ!」
泡が弾けるような軽い音を立てて、村人達の体が破裂した。
血と肉を撒き散らした遺体の傍には、返り血に塗れた蛇が地面を這っている。
「ひ、ひいいいい!」
「ち、違う! アンタに逆らったわけじゃ…!」
「君達、自分の立場が分かっているの?」
いつの間にか現れた鬼童丸を目にして、村人達は腰を抜かすほどに怯えた。
「犠牲になるのが自分だけだと思っているでしょ? 違うよ。君達が僕に反抗すれば、まず君達の妻や子供を殺すよ?」
「ッ!」
恐ろしい言葉に、村人達の顔が色を失う。
鬼童丸が握っているのは、彼らの命だけではないのだ。
「勿論、僕自身が手を下すなんて面倒なことはしない。殺すのは君達自身だ。肉体を操り、君達自身の手で愛する者を殺させてあげる」
「あ、あ…」
「あははは! 意識を奪うなんて無粋な真似はしないからね? 君達は意識を保ったまま、自分の手が妻や子供を殺す感触を! 死にたくなるくらい堪能して………あれ?」
狂気に満ちた笑みを浮かべる鬼童丸の首が地に落ちる。
少し驚いたような鬼童丸は地面を転がりながら、信乃へ視線を向けた。
「無駄だって理解したと思っていたけど?」
「お前の悪趣味には、もううんざりだ」
「そうかな? 問答無用で殺したり、頭からバリバリ食べたりするよりは温情だと思うけど?」
肉体を蛇に変えて、体を修復していく鬼童丸。
「むしろ、他人を捨てられない人間の方が、生物として脆弱なんじゃないの?」
嘲笑を含んだ目で鬼童丸は信乃を見つめる。
「妖刀使いってのは、もっと冷酷な奴だと思っていたけれど、随分と甘いんだね」
鈴鹿と菘を庇うように立つ姿。
これだけの悪意を向けられても村人を一人も斬り殺さない姿。
その甘さを鬼童丸は嗤う。
「…そう思うか?」
信乃が片手を振り上げる。
すると、その手に独りでに飛んできた村雨が収まった。
「死にたくない奴らは大急ぎでこの場から去れ! 逃げ損なった奴は無傷では済まねえぞ!」
大声を上げながら信乃は手にした刀を振り下ろす。
それが合図となり、宙を舞っていた水の大蛇が地上へと落ちてきた。
狙うのは、目の前に立つ鬼童丸。
だが、その周囲もただでは済まない。
バケツをひっくり返したような大雨。
否、井戸をひっくり返すような光景だ。
その濁流は、人も建物も呑み込み、大地を洗い流した。
「し、死ぬかと思いました…」
びしょ濡れになった鈴鹿は、ぐったりとした顔でそう呟いた。
混乱に乗じて逃げ出すことには成功したが、だいぶ水を飲んでしまったし、髪の先まで濡れてしまった。
「自分ごと水で呑み込むなんて…どうしてあんな無茶な作戦を思い付くんですか」
「仕方ねえだろ。あのへっぴり腰の村人相手だと、手加減してもうっかり殺しそうだ」
手を出しにくい村人に囲まれ、鬼童丸が現れた状況は最悪だった。
鬼童丸の前で村人が戦うことを止める筈も無く、あのまま戦っていれば確実に村人は皆殺しになっていただろう。
「…人は、斬ったことが無いんですよね?」
「ああ? 前にそう言っただろう。俺は嘘はつかねえ」
「そうですよね」
鈴鹿は安堵したように笑みを浮かべた。
信乃が彼らを殺さなくて良かった、と。
人を殺すこともそうだが、何よりこの場には菘が居る。
幼い彼女に同じ村の人々を殺す光景など、見せたくなかった。
「それにしても、どこか服を乾かす所は無いでしょうか? このままだと風邪ひきますよ」
「そうだなぁ」
「信乃さん、妖術で火とか出せないんですか?」
「生憎と俺は水専門だ。その濡れた服を凍らせることくらいなら出来るが?」
「絶対にやめて下さい。凍死します」
想像してしまったのか、ぶるぶると体を震わせながら鈴鹿は言う。
「あの…」
「うん? どうしたの、菘ちゃん」
そんな会話が聞こえていたのか、菘が濡れた服を絞りながら呟く。
「だったら、私の家に来たら、どうかな?」




