第二十七話 親子
『何故、男ではなかったのか』
そんな失望を、千代は幾度となく向けられてきた。
道雪の子である、と言うだけで人々は身勝手な期待を寄せ、
女である、と言うだけで人々は身勝手な失望を向けた。
普通の娘のようには生きられなかったし、生きたくなかった。
父の友人であった頼光の手を借りて直毘衆に入り、父のようになろうと努力した。
正直なところ、千代は父のことを殆ど覚えていない。
だから、千代が目指す父とは『英雄としての道雪』
誰もが認め、誰もが慕った伝説の英雄。
そんな漠然とした者になろうと努力し続けた。
『………』
七年ほど前、恩人である頼光が一人の少年を連れてきた。
千代より少しだけ年上の少年は、みるみるうちに実力をつけ、次々と同僚を追い抜いて行った。
千代もその一人だった。
それは憧れ………否、嫉妬だったのかもしれない。
自分より後に入った者が、自分に出来ないことをいとも簡単に成し遂げる。
向こうはどうか知らないが、千代にとってその少年は忘れられない相手になった。
いつか必ず超えて見せる。
口には出さずとも、常にそう考えていたのだ。
「…ッ」
千代は苦い表情で信乃が消えた瓦礫を見つめる。
音が聞こえない。
生物の気配を一切感じなかった。
本当に死んでしまったのだろうか。
(…今は、そちらを気にしている余裕はないわね)
愛刀を片手で握り、千代は気を引き締める。
「神足『朧月の舞』」
月光の下、千代の姿が三つに分裂する。
それを見て、酒吞童子は顔を不快そうに歪めた。
「馬鹿の一つ覚えか! 既に敗れた技を二度と使うなど、愚の骨頂!」
今度は吠えるまでもない。
酒吞童子は大きく槍を振り被り、その全てを薙ぎ払う。
所詮幻影に過ぎない三つの影は、強風を受けた炎のように全て吹き消された。
「…む」
そう、全てだ。
三つの影、その全てに手応えはなく、跡形もなく消えてしまった。
であれば、本体はどこに…
「神足『無月の舞』」
その声は、酒吞童子の背から聞こえた。
月の影に隠れた姿が現れる。
三つの影は全て偽物。
本物は妖刀の力で姿を消し、酒吞童子の死角へと移動していた。
敵を侮る酒吞童子の弱点を突き、致命傷を負わせる為に。
(私の力では、この鬼の首を断つことは出来ない)
酒吞童子の硬い皮膚は、信乃でも断ち切ることが出来なかった。
妖力が殆ど残っていない千代でも、それは不可能だろう。
だからこそ、狙うのは皮膚に覆われていない場所。
酒吞童子の眼球に向かって、千代は突きを放つ。
「甘いわ!」
「!」
酒吞童子は振り向きざまに裏拳を放つ。
柱のように太い腕から放たれる真横から受け、千代の体から骨が軋む音が響いた。
「ああああ…!」
体勢が崩れた千代はそのまま地に沈む。
全身が裂けるような痛みが走り、千代は悲鳴を上げる。
「策は良かった。じゃが、頭は回っても体が追い付いておらんな。未熟者が」
「…くっ」
遅かった。
完全に不意を突いていた筈なのに、それでも遅すぎた。
「まだ、まだ…!」
軋む体を精神で抑え付け、千代はまた立ち上がる。
「神足『朧月の…」
「それはもう、飽いたわ」
言葉を遮り、酒吞童子は手にした石を投擲する。
それはただの石の欠片だが、酒吞童子の怪力で投擲されれば、十分に武器となる。
「ッ…!」
人の拳ほどの石は千代の腹部にめり込み、攻撃を中断させた。
千代の口から血が零れ、倒れ伏す。
「憐れ、憐れじゃな。親が道雪だったばっかりに、こんな目に遭うなんてのう」
「…何を、言って」
「言った通りじゃ。貴様の不幸は全て、道雪のせいじゃろうが」
酒吞童子は倒れる千代を見下ろしながら言う。
「貴様だって思った筈じゃ。何で自分だけが不幸なのか。どうして、自分の父は道雪だったのか」
「………」
「父を憎んだことだって、一度や二度ではないのじゃろう?」
千代の憎悪を煽るように、酒吞童子は嗤う。
自身の運命を呪ってはいないのか。
偉大過ぎる父のことを憎んではいないのか。
その言葉を受け、千代は倒れたまま妖刀を握った。
「父を憎んだことなんて、一度もない」
「…何じゃと?」
「父は…父様は、人々を護る為にその身を捧げた英雄よ。私はそのことを誇りに思っている」
父と比べられ、非難されるのは全て自身が未熟だから。
自分の未熟さを棚に上げて、父を逆恨みしたことなど一度もない。
よろよろと起き上がりながらも、千代の眼は真っ直ぐ酒吞童子を見た。
「…その眼。貴様の父親によく似ておる」
ギリッと酒吞童子の口から音が聞こえた。
「実に、不愉快な眼じゃ」
心底不快そうに酒吞童子は槍を握り直す。
その眼を見ていると、過去を思い出しそうだった。
刃を交え、その末に自身を敗った男のことを。
本気の殺意を向ける酒吞童子を睨み、千代も妖刀を握り直す。
「…?」
その時、千代はふと訝し気に空を見上げた。
先程まで出ていた月が隠れている。
雲一つなかった筈の空が、厚い雲に覆われていた。
「…雨?」
その頬に触れた水滴を見て、千代は呟いた。




