第二十八話 神立
「………」
沈む。沈む。沈む。
(…俺は、死んだのか?)
ぼんやりとした意識のまま、信乃は思う。
あの一撃をまともに受けて、生きていられる筈が無い。
その証拠に、信乃の体は地の底へと沈んでいった。
体は冷たい何かに包まれ、徐々に熱を奪われていき、
見上げた月明かりですら、どんどん遠く離れて…
「…? ゴボッ!?」
信乃は体を包む物の正体に気づき、驚いて息を吐いた。
ゴボゴボと口から泡が吹き出し、慌てて体を動かす。
「ぷはっ!? はぁ、はぁ、はぁ…!」
何とか水面に顔を出し、荒々しく呼吸をする信乃。
周囲を見渡し、今いる場所が井戸の中であることを理解した。
「…なるほど。槍に叩き潰される寸前に、井戸に落っこちて助かったのか」
我ながら悪運が強い。
自分でも死んだと勘違いしたせいで、うっかり溺死しかけたが。
「村雨は………あった」
井戸の壁に引っかかっていた妖刀を取り、息を吐く。
あの鬼、酒吞童子は強敵だ。
筋力も技術も信乃を上回る。
残るはこの刀に秘められた妖術だが、それも失敗した。
万策は尽きた。
せめて、天候が雨なら出来ることも多いのだが。
「…雨」
そこまで考えて、信乃は周囲に視線を向けた。
ここは井戸の中。
辺りに水は幾らでもある。
「あるじゃねえか、ここに山ほど…」
信乃は自身の左肩に触れる。
動かなくなっていた左肩に妖力を巡らせ、補強する。
「治った訳じゃねえが、コレで少しは動かせる。さて…」
ニヤリと信乃は不敵な笑みを浮かべた。
「反撃開始と行くか!」
「何じゃ…?」
溢れる妖力を感じ取り、酒吞童子は顔を向けた。
視線の先で、まるで間欠泉のように井戸の水が天高く立ち上る。
水の柱の前に立ち、信乃は村雨を天に掲げていた。
「神立“蛟”」
重力に逆らって宙を舞う水が鎌首をもたげる。
それは氷の頭部と水の体を持つ巨大な蛇の如く。
氷で作られた口を開けて、酒吞童子を見つめていた。
これこそが雨を司る妖刀『村雨』の真価。
水があれば、その分だけ力を増す。
周囲の水を全て操ることが、この刀の本領だ。
「くかかかかか! 面白い! 少しは愉しめそうじゃ!」
「その余裕。後悔すんなよ?」
信乃の刀が振り下ろされる。
同時に、空中を漂っていた水の大蛇が酒吞童子へと襲い掛かった。
酒吞童子は好戦的な笑みを浮かべ、槍を盾にするように構える。
水の大蛇は真っ向からそれに衝突するが、その余裕は崩れない。
「どれだけ集まろうと、たかが水如きが! この儂を潰せるものか!」
正面から水の衝撃を受けても、酒吞童子は一歩も圧されることが無い。
「どんなに強靭な獣だろうと、氾濫した激流には勝てないものだぜ」
「!」
信乃が呟くと、酒吞童子の握る槍からピシッと小さな音が聞こえた。
槍に僅かな亀裂が入っている。
(…馬鹿な、ありえん!)
酒吞童子の顔が憤怒に染まる。
たかが人間の、たかが妖刀の力で、この槍が傷つくなどありえない。
「か、ああああああああああ!」
吠えながら槍を動かし、その先端を氷の頭部に突き立てる。
放つのは自身が誇る技。
「我流『落葉』」
眼にも留まらぬ速度で放たれる槍の連撃。
それは水の大蛇を貫き、抉り、跡形もなく粉砕した。
「は」
砕けた欠片が雪のように舞う中、酒吞童子は嗤う。
所詮、人間の技などこの程度。
少し本気を出せば、簡単に砕け散る。
「脆い! 脆い! 脆い! くかかかかかか!」
嘲笑する酒吞童子の眼前に迫る影があった。
大きく跳躍し、両手で刀を振り被る信乃だ。
恐らく、水の大蛇を潰した隙を狙ったのだろう。
「その程度、予測していたわ!」
それに驚くことなく、酒吞童子は槍を構える。
以前同様に首を狙ってきた信乃を、逆に仕留める技を放つ。
足場のない空中では躱せない。
「…なかったのか」
「…?」
必殺の一撃を放つ寸前、信乃の口が僅かに動いた。
訝し気な顔をする酒吞童子を見ながら、信乃はもう一度口を開く。
「気付かなかったのか。お前の槍は、もう砕けている…!」
「な…」
その瞬間、酒吞童子の槍が音を立てて砕け散った。
水の大蛇を受け止めた時、槍も無傷とはいかなかった。
その事実を認めずに、技を放ったことで限界を迎えた。
砕けた槍を呆然と眺める酒吞童子。
それは明確な隙だった。
「貰った!」
両手で振るわれた刀が、酒吞童子の首を断つ。
斬り飛ばされた首が地面を転がった。
「馬鹿な。馬鹿な。馬鹿な! この儂が…!」
首だけになりながらも、酒吞童子は憤怒の表情で信乃を睨む。
それに近づき、信乃は刀を振り上げた。
「コレで勝ったと思うな! 儂にはまだ、奥の手が…!」
「そうか。では、出し惜しみして格下に負けた己の間抜けさを悔いながら………地獄へ堕ちろ」
「き…さま…!」
その眉間に妖刀が突き立てられる。
怨嗟の声を上げていた酒吞童子の首は、憤怒の形相を浮かべたまま凍てつき、砕け散った。




