35歳のシンデレラ 大道芸人編 43
…私が、憎いほど、羨ましいだと?…
そんな言葉は、初めて聞いた…
夫の葉尊から、初めて聞いた…
私は、驚いた…
同時に、夫の葉尊の真意を探るべく、
「…私が、羨ましいだと?…」
と、聞いた…
「…なにが、羨ましい?…」
「…お姉さんは、労せずして、誰かも、好かれます…」
「…どういう意味だ?…」
「…普通の人間は、誰かに気に入られるのは、その前提として、気に入られようと、努力するものです…」
「…努力だと?…」
「…男が、女を好きになれば、プレゼントを贈ったりして、相手に、気に入られようと、相手の気を惹くものです…ですが、お姉さんには、それが、一切ない…にもかかわらず、誰からも、好かれる…誰にも、気に入られる…これは、ありえないことです…」
「…」
「…だから、羨ましい…憎いほど、羨ましい…」
葉尊が、声を振り絞るように、言った…
私は、驚いた…
まさに、まさか? だ…
まさか、自分の夫から、そんなことを、言われるとは、思わんかった…
思わんかったのだ…
それになにより、夫の葉尊の、こんな顔は見たことがなかった…
悪意に満ちた、毒々しい顔だった…
葉尊は、真面目で、おとなしい男だった…
少なくとも、私の前で、こんな表情は、見せたことがなかった…
なかったのだ…
同時に、気付いた…
以前、葉問が、言ったことを、思い出した…
なぜ、葉尊の父親の葉敬が、私を選んだのか?
その理由だ…
葉敬は、何度も、言うように、台湾の大実業家…
一代で、台北筆頭を立ち上げ、大企業に、成長させた、台湾屈指の財界人だ…
その息子の葉尊が、この日本の平凡な家庭出身の矢田と、結婚すると、聞けば、反対するのが、普通だ…
が、
葉敬は、賛成した…
諸手を上げて、賛成した…
が、
それが、私は、謎だった…
なぜなら、私に誇れるものは、なにもないからだ…
私は、ルックスも平凡ならば、頭も平凡、生まれも平凡…
まさに、絵に描いたように、平凡な女だった…
それが、台湾の大富豪の息子と、結婚する…
そんな夢のようなことが、あるはずが、なかった…
なかったのだ…
が、
現実だった…
なにより、私にとって、驚きだったのは、葉尊の父の葉敬が、私と葉尊の結婚に反対しないことだった…
これは、ありえんことだった…
どう考えても、ありえんことだった…
が、
その謎を解き明かしたのが、葉問だった…
葉問が、以前、私に言った…
葉問も、また、なぜ、葉敬が、お姉さんとの結婚を許したのが、謎だったと…
また、葉敬と葉問は、仲が悪かった…
当たり前だが、葉問は、存在しない…
葉尊のカラダに現れた、もうひとつの人格に、過ぎない…
だから、葉敬にすれば、自分の息子に現れた、もうひとつの人格である、葉問を好きになるはずがなかった…
葉問は、あっては、ならない存在…
存在しては、ならない存在だったからだ…
だから、二人は、犬猿の仲…
だから、互いに相手の動静が、気になる…
嫌いは、好きの裏返し…
嫌いということは、関心があるということだからだ…
だから、好きの裏返しは、嫌いではなく、無関心…
関心がないということだ…
そして、葉問いわく、葉敬が、私を選んだ、理由…
それは、葉尊を、善人にすることだと言っていた…
いや、
正確には、葉尊から、悪の心を取り除くことだと、言っていた…
葉尊は、誰が見ても、真面目で、おとなしい…
が、
その姿は、葉尊のすべてではない…
葉尊の心には、ジキルとハイドではないが、悪の心が巣くっている…
それは、葉尊が、幼い頃、事故で、双子の弟の葉問を、亡くしたことで、明らか…
幼い葉尊が、双子の弟の葉問にした、ちょっとしたイタズラが、原因で、葉問が、死んだ…
葉問の死に心を痛めた葉尊は、いつからか、自分の中に、もうひとつの人格を作り出した…
それが、葉問だった…
つまりは、自分の仕掛けたイタズラが、原因で、死んだ、双子の弟の葉問を、葉尊は、自力で、生き返らせたのだ…
が、
問題は、そこではない…
なぜ、葉尊が、弟の死を招くようなイタズラを葉問に仕掛けたか? だ…
そして、それを、葉尊の父の葉敬は、葉尊の性格だと見抜いた…
真面目で、おとなしい葉尊の裏にある、邪悪な心だと見抜いた…
それゆえ、葉敬は、私を選んだのでは?
と、いうのが、葉問の考えだった…
葉問が、言うには、私といることで、葉尊は、変わる…
葉尊の心の奥にある、邪悪な心を、なくすことができる…
それが、目的で、葉敬は、私を選んだ…
この矢田を選んだのでは?
というのが、葉問の見立てだった…
私は、驚いた…
まさに、まさか? だ…
そんなことは、考えたことは、なかったからだ…
が、
私は、今、悪意に歪んだ葉尊の顔を見て、そんなことを、思い出した…
以前、葉問が、私に言ったことを、思い出した…
そして、私は、ブルった…
夫の葉尊の、変貌を目の当たりにして、ブルった…
たしかに、葉問から、聞いてはいたが、眉唾ものというか…
どこかで、葉問の言葉を信じていなかった…
が、
今の葉尊の顔を見て、それが、ウソではないことに、気付いた…
気付いたのだ…
そして、そんな葉尊の顔を目の当たりにして、私は、どうしていいか、わからんかった…
この矢田は、どうしていいか、わからんかった…
実は、この矢田は、結構、気が小さい…
いわゆる長い物には巻かれるタイプだ…
自分より、強い人間には、逆らわんタイプだった…
が、
それは、謝れば、許してくれると、思う相手だから…
が、
この葉尊には、ムリ…
謝れば、許してくれる相手ではないことが、直観で、わかった…
だから、私は、ビビった…
どうして、いいか、わからんかったからだ…
すると、だ…
太郎が、いきなり、暴れ出した…
私の膝の上に乗った太郎が、いきなり、暴れ出した…
「…キー…キー…」
と、鳴き出した…
私は、慌てて、
「…いかんさ…太郎…暴れちゃいかんさ…」
と、言って、ギュッと、太郎を抱き締めた…
ホントなら、私が、太郎の代わりに、暴れ出したいくらいだった…
ホントなら、私が、太郎の代わりに、この場から、暴れて、逃げ出したいくらいだった…
私は、必死になって、太郎を抱き締めた…
こんなところで、太郎が暴れ出したら、たまらんからだ…
「…太郎…こらえてくれ…」
私は、言って、太郎を抱き締めた…
太郎を抱き締め続けた…
すると、太郎が、徐々に、落ち着いた…
私は、ホッとした…
心の底から、ホッとした…
そして、ホッとすると、今度は、葉尊が、気になった…
おそらく、今、太郎が、
「…キー、キー…」
と、鳴き出したのは、私を守ろうとしたため…
葉尊が、変貌して、邪悪な心を見せたためだと、気付いた…
が、
その太郎は、私の心が通じたのか?
おとなしくなった…
いや、
そうではない…
もしかしたら、葉尊から、邪悪な心が消えたのでは?
ふと、思った…
だから、太郎が、鳴き止んだのでは?
ふと、気付いた…
そして、そんなふうに、気付くと、私は、恐る恐る葉尊を見た…
ハンドルを握る葉尊を見た…
葉尊は、もう、なにも言わず、ハンドルを握ったままだった…
なにも、言わず、黙って、ハンドルを握って、運転に集中していた…
つい、今さっき、この矢田に向かって、悪意に満ち満ちた表情を見せたのは、ウソのようだった…
まるで、今にも、私に襲いかかるとまでは、言えんが、私を呪詛するような、表情だったのは、ウソのようだった…
まるで、私を呪うような表情だったのは、ウソのようだった…
私は、思った…
同時に、一体、私が、なにを、したというんだ?
私は、思った…
が、
葉尊の言葉を、そのまま、信じるならば、葉尊は、私が、羨ましいと、いう…
労せずして、他人に好かれる、この私が、羨ましいと、いう…
私は、考えた…
たしかに、それが、真実ならば、羨ましいと、思う人間も、いるかもしれない…
私は、思った…
人間は、嫉妬の生き物…
自分にないものを、他人が、持っていれば、羨ましがる人間も、多い…
美人を見て、周囲の男が、皆、憧れるのを目の当たりにして、女なら、自分も、美人に生まれたかったと、思うのは、最たる実例だろう…
これは、男も同じ…
カッコよい男の周りには、女が、集まるものだ…
男も女もルックスが良く生まれれば、異性にモテる…
だから、それを羨む人間は、一定数いる…
そして、それに嫉妬して、美人やイケメンの悪口をいうものも、また一定数いるものだ(笑)…
また、下手をすれば、それが、悪口にとどまらず、イジメになる…
とにかく、自分より、優れているのが、許せないからだ…
そして、それは、どんな社会にも、起こりうる…
会社に入れば、高卒の人間が、大卒の人間を羨んで、イジメに走るのは、枚挙にいとまがない…
自分が、出世できないから、出世するかも、しれない人間をイジメる…
その根底には、コンプレックスがある…
拭い難いコンプレックスがある…
自分が、頭では、勝てないのだから、諦めれば、いいのだが、それが、できない…
そういう人間は、どこの世界でも、一定数いるものだ…
が
それが、この矢田にも当てはまるのか?
と、言えば、大きな疑問…
疑問だ(爆笑)…
たしかに、葉尊の言う通り、この矢田は、少しばかり、ひとに、好かれるのかも、しれん…
が、
この矢田は、自分でいうのも、なんだが、美人では、ない…
また、威厳もない…
平凡中の平凡…
道端で会っても、誰もが、気に留める人間ではない…
だから、葉尊のいうことも、わからんではないが、どうしても、納得できんかった…
やはり、誰もが、美人だったり、頭が、良かったり、金持ちに生まれたりと、わかりやすい、事例に嫉妬するものだからだ…
葉尊が、いうように、私が、誰にも好かれるとしても、それで、私を嫉妬するとは、どうしても、思えんかった…
私は、考えた…
そして、そんなことを、考えていると、まもなく、自宅のマンションに到着した…




