35歳のシンデレラ 大道芸人編 38
「…久しぶりさ…」
私は、葉問を見上げなら、答えた…
「…お久しぶりです…」
葉問が、答える…
その顔は、実に嬉しそうだった…
その顔は、実に楽しそうだった…
だから、私は、言ってやった…
「…葉問…なんだか、オマエ、嬉しそうだな…」
「…それは、お姉さんに、こうして、久しぶりに会えましたから…」
葉問が、返答した…
私は、内心、
…コイツは、相変わらず、女あしらいが、うまいな…
と、思った…
…相手が、喜ぶことを、言う…
…相手=女が、喜ぶことを、言う…
うまく、相手=女を喜ばす術を心得ている…
ちょっと、いい男に、
「…今日は、久しぶりに、キミに会えたから、嬉しい…」
とか、言われれば、女なら、誰もが、天にも昇るほど、嬉しいものだ…
が、
そんな手は、この矢田トモコには、通じん…
葉問、オマエのそんな手は、この矢田トモコは、とっくにお見通しさ…
私は、思った…
だから、
「…葉問…オマエ、相変わらず、女あしらいがうまいな…」
と、言ってやった…
が、
「…お姉さんほどでは、ありません…」
と、予想外の返答をした…
「…なんだと?…」
「…この葉問が、できるのは、女のひとの気持ちをうまく、昂らせるだけ…それに、比べ、お姉さんは、誰にも、好かれます…この葉問には、決して、できないことです…」
葉問が、笑みを浮かべなら、返した…
…ああ言えば、こう言う…
そして、なにより、さらりと相手を持ち上げ、相手を気持ち良くさせる…
こんな芸当ができるのは、私の知る限り、葉問だけ…
まさに、葉問だけだった…
だから、私は、内心、この葉問を、警戒する…
少しばかり、いい男で、ホントは、この矢田も、少しばかり、惹かれるが、警戒するのだ…
私は、思った…
そして、
「…葉問…今日は、オマエ、なんの用だ?…」
と、聞いた…
なぜ、いきなり、この場に現れたのか、疑問だった…
そして、そう言えば?
そう言えば、以前、この葉問は、リンダと、恋仲のような場面があったことを、思い出した…
この葉問は、リンダに対して、なんの気持ちがないようだったが、リンダが、この葉問を好きだったのだ…
性同一性障害と、告白した、ハリウッドのセックス・シンボル、リンダ・ヘイワースが、この葉問には、メロメロだった…
まさに、この葉問の前では、女を丸出しにしていた…
だから、私は、このリンダを信じられんのだ…
私の怒りの矛先は、またも、リンダに向かった…
私の大事な太郎を、私から、奪い取ろうとした、リンダに、向かっていた…
抜群の美貌と、完璧なプロポーションを、持つ、リンダ・ヘイワースが、実は、私は、心は、男と、告白したにも、かかわらず、この葉問の前では、メロメロ…
女を、丸出しにする…
だから、信じられんのだ…
私は、思った…
思いながら、ふと、気付いた…
だとしたら、どうだ?
この葉問は、今、リンダに会いに来たのでは、ないか?
葉問は、独身…
ホントは、葉問は、存在しないが、独身だ…
そして、リンダも、独身…
決まったパートナーはいない…
異性の恋人はいない…
だから、これまで、普段のプライベートの時間は、この矢田と過ごした…
仕事がない、暇な時間は、この矢田と過ごした…
私は、それを、考えた…
そして、葉問が、おそらく、リンダに会いに来たと、気付いた私は、
「…野暮な質問だったさ…」
と、言った…
「…葉問…オマエと、リンダが、恋仲だったことを、私は、忘れていたさ…」
と、続けた…
「…ちょうど、私は、今、ここを出て行くところさ…まあ、リンダと仲良くやってくれ…」
と、私は、言って、部屋を出て行こうとした…
が、
葉問が、どかなかった…
私の前に立ち塞がった…
私の前に立ったままだった…
私は、頭に来た…
「…そこをどけ…葉問!…」
私は、怒鳴った…
「…今、私は、機嫌が悪いのさ…ここで、オマエまで、私の邪魔をするな!…」
私は、怒鳴った…
すると、葉問が、笑みを浮かべながら、
「…お姉さん…どうして、機嫌が、悪いんですか?…」
と、聞いた…
私は、迷うことなく、
「…リンダさ…」
と、言った…
「…リンダ? …ですか?…」
「…そうさ…」
「…リンダが、一体、お姉さんになにをしたんですか?…」
「…なにをしたか? …だと?…」
「…ハイ…」
「…私から、太郎を取り上げようとしたのさ…」
「…太郎?…」
「…この猿さ…」
私は、自分の胸に抱いた太郎を葉問に見せた…
「…太郎は、私の恩人さ…猿だから、恩猿さ…太郎がいなければ、私は、この十日間、生きてこれなかったさ…」
「…生きてこれなかった?…」
「…私は、これまで、この太郎が、大道芸を、観客に見せて、観客からお金をもらって、生きてきたのさ…詳しいことは、リンダに聞いてくれ…」
私は、葉問に、言って、部屋を出ようとした…
「…それは、わかりました…でも、お姉さん…行き先は、あるんですか?…」
「…ないさ…」
「…だったら、どうして、この部屋から、出てゆくんですか?…」
「…リンダが、信用できんからさ…」
「…リンダが、信用できない…」
「…葉問…オマエは、こうして、リンダを訪ねて来るぐらいだから、あまりリンダの悪口は、言いたくないが、リンダは、信用できん女だ…よく覚えておけ…」
私は、言って、リンダの家を出ようとした…
が、
それでも、まだ、葉問は、私の前に立ち止まったままだった…
私の前から、動かんかった…
「…どこをどけ! …葉問…今の私は、機嫌が悪いゾ…」
「…いえ、どきません…」
「…なんだと?…」
「…行き先のないお姉さんを、この部屋から出すわけには、いきません…」
「…なんだと?…」
「…お姉さん…頭を冷やして下さい…」
「…頭を冷やせだと?…」
「…そうです…今、お姉さんは、大変な状況にあるんですよ…」
「…大変な状況だと? …一体、どういう状況だ…」
「…サウジアラビアのゴタゴタです…」
「…それが、私になんの関係がある?…」
「…おおありです…」
…バカな?…
…なにが、私とサウジアラビアのゴタゴタが、関係がある?…
相変わらず、おおげさなことを、言う男だ…
私は、思った…
だから、この葉問は、うさんくさいんだ…
私は、考えた…
たしかに、ちょっとばかり、いい男だが、やはり、うさんくさい男は、ダメだ…
信用できん…
なまじ、少しばかり、いい男だと思って、信用すれば、どうなるか、わからん…
最悪、ソープランドに売りとばされるか?
なにか、そういう危険な事態になるかも、しれん…
私は、思った…
だから、
「…葉問…オマエは、相変わらず、おおげさな男さ…」
と、言ってやった…
「…まあ、もっとも、それが、オマエの手かも、しれんな…」
「…手? …どういう手ですか?…」
「…女を口説く手さ…」
「…どういう意味ですか?…」
「…女の前で、わざとおおげさなことを、言う…わざと、キミは、今、ピンチだ…大変、危険な状況だと、説明する…」
「…」
「…それを、聞いた女が、慌てる…動揺する…そして、それを、見て、初めて、葉問…オマエは、たしかに、大変な状況かも、しれないけれど、ボクに任せておけば、大丈夫とか、なんとか、オマエは、言うのさ…」
「…」
「…要するに、葉問…オマエの女を口説く手段さ…だが、この矢田トモコには、オマエのその手は、通用しないさ…」
私は、断言した…
自信を、持って、断言した…
すると、どうだ?
目の前の葉問が、沈黙した…
「…」
と、なにも、言わんかった…
だから、私の言葉が、正しいと確信した…
間違ってないと、確信した…
が、
違った…
葉問が笑った…
ゆっくりと、笑ったのだ…
私は、頭に来た…
だから、私は、
「…葉問…なんだ? …その笑いは?…」
と、聞いてやった…
「…私が、なにか、おかしなことを、言ったか?…」
私が、言うと、葉問は、
「…」
と、なにも、言わんかった…
ただ、笑っていた…
が、
私は、その笑いが、気に入らんかった…
なんだか、私が、バカにされてるように、思えたからだ…
「…お姉さんが、羨ましい…」
と、いきなり、葉問が、言った…
なんだか、わからんかった…
話の脈絡もなく、いきなり、私が羨ましいなんて?
わけがわからんかった…
「…どういう意味だ? …葉問…なぜ、私が、羨ましい?…」
「…アムンゼン殿下…」
これも、いきなり、言った…
「…アムンゼンが、どうかしたのか?…」
「…殿下は、お姉さんが、心配で、わざわざ、お姉さんの元に、行きました…」
「…私が、心配? …どうして、心配なんだ?…」
「…お姉さんは、有名なんですよ…アラブ世界で?…」
「…私が、アラブ世界で、有名だと?…」
「…アラブの女神…」
いきなり、葉問が、言った…
「…アラブの女神だと?…」
「…アラブの至宝と呼ばれた、アムンゼン殿下が、お気に入りの人物…それが、お姉さんだと、知る人には、知られています…」
…アラブの女神か?…
そう言えば、たしか、そんなふうに、呼ばれていると、聞いたことがある…
だが、それは、あくまで、アラブ世界でのこと…
この矢田は、日本人…
しかも、今まで、日本を出たこともない…
外国に、行ったことなど、これまで、一度もない…
私が、そんなふうなことを、考えていると、
「…葉問…それ、ちょっと、どういうこと?…」
と、いう声がした…
リンダだった…
「…なにが、どういうことだ?…」
「…アムンゼンが、お姉さんが、心配だったということよ…」
「…このお姉さんは、今も言ったように、アラブの女神とアラブ世界で呼ばれ、知る人ぞ、知る存在だ…」
「…それは、わかっている…でも、どうして、アムンゼンが、お姉さんの身を心配するの?…」
「…このお姉さんが、アムンゼンのお気に入りだと、一部の人間に知られているからだ…」
「…でも、それが、どうして、アムンゼンが、このお姉さんの身を心配するの?…」
「…このお姉さんを取り込めば、アムンゼンを味方につけられるからだ…」
「…どういう意味?…」
「…今、サウジアラビアで、現国王と、現国王の父である、前の国王の争いが、始まっている…」
「…それは、知っている…」
「…そして、サウジアラビアの王族や、他の権力を持つ者たちが、気にしていることは、ただ一つ…」
「…なに、それ?…」
「…アムンゼンが、どう動くか? …だ…」
「…」
「…アムンゼンが、腹違いの兄である、現国王の味方につくのか? 父である、前の国王の味方につくのか? 皆、固唾を飲んで、見守っている…」
「…」
「…それで、アムンゼンを味方につけようとする一部の者たちが、先走って、お姉さんに近付いたという情報が、入った…」
「…だから、アムンゼンは、お姉さんを心配して、お姉さんの元に行き、いっしょに、大道芸をしていたわけ?…」
リンダが、驚いたように、言う…
それを、聞いて、葉問が、
「…リンダ…オマエの情報網をまだまだだな…」
と、笑った…
リンダは、なにも、言わんかった…
「…」
と、無言だった…
そして、私は、驚いた…
いや、
驚いたなどという、生易しいものでは、なかった…
なぜなら、まったく現実感がなかったからだ…
遠い異国である、サウジアラビアの争いが、なぜ、この日本の矢田に及ぶのか、わけが、わからんかった…
ただ、わけは、わからんが、もしや、この矢田の身に、この先、危険が及ぶかも、しれんということだけは、わかった…
嫌でも、わかった(涙)…




