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第91話 ありがとうを伝える日

その時、再び扉がノックされた。

場の空気が、ぴたりと止まる。


高位ヒーラーの光が、まだしずくの体を包んでいる。

ほのかは椅子に座ったまま、思わず背筋を伸ばした。

ミコトも、膝の上で揃えていた指先に少しだけ力を入れる。


月島が扉へ視線を向けた。


「どうぞ」


扉の向こうから、受付のお姉さんの声がした。


「月島部長。佐倉さんのお母様、佐倉七海さんが来られました」


その名前が出た瞬間、部屋の空気が変わった。


佐倉七海。

現代の魔女と呼ばれ、十層で月の魔女と対峙した探索者の一人。


月島の目が、ほんのわずかに細くなる。


「通して」


「はい」


扉が開く。

いつもの穏やかな雰囲気はあるが、柔らかい表情なのに目が鋭い。

深層へ潜った探索者の顔だった。


その視線が、まずしずくに向く。


「しずく」


声は静かだ、静かすぎて逆に怖い。


「…お母さん」


しずくが小さく返すと、七海はすぐに歩み寄った。

ヒーラーの治療を邪魔しない位置で膝をつき、しずくの顔を見る。


「意識は?はっきりしてる?」


「…うん」


「痛みは?」


「だいぶまし…かな」


七海はそこで、ほんの少しだけ息を吐いた。

それから、高位ヒーラーへ頭を下げる。


「ありがとうございます」


ヒーラーは手を止めずに頷いた。


「外傷は問題ありません。出血と衝撃が大きいので、しばらくは安静に」


「もちろんです」


七海の返答は早かった。

その声に、ほのかが少しだけ肩をすくめる。

しずくは何も言えなかった。


七海は、そこで初めて月島を見た。


「佐倉さん、お呼びする前に来られるとは思いませんでした」


月島が言うと、七海は静かに答えた。


「配信を見ていましたから」


その一言で、ほのかの顔が少し青くなる。


「あの…」


七海の視線が、ほのかへ向いた。


「ご、ごめんなさい。しずくを守りきれなくて」


七海はすぐに首を横に振った。


「違うわ」


声はやわらかい。


「あなたは、あの子が戻るまで前に立ってくれた」

「ありがとう、ほのかちゃん」


ほのかの目が、少しだけ揺れた。


「…はい」


それ以上は言えなかった。


七海は次に、ミコトを見た。


「しずくを繋ぎ止めてくれて、ありがとう」


ミコトは慌てて頭を下げた。


「いえ、わたしは…間に合わなかったところもありました」


「間に合ったから、今この子はここにいるの」


七海はそこで少しだけ微笑んだ。


「それで十分よ」


ミコトは唇を結び、それから小さく頷いた。


「はい」


しずくはそのやり取りを聞きながら、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。

怒られると思った。

責められるかもしれないと思った。


でも母は、最初に二人へ礼を言った。

それが少しだけ苦しくて、少しだけ誇らしかった。


月島が端末を閉じた。


「佐倉さん、状況はどこまで把握されていますか」


七海は椅子へ腰を下ろす。


「配信で見えた範囲は概ね」


「では、声の件は?」


七海の表情が、そこで初めてわずかに変わった。


「声?」


しずくは、母を見る。

言わなければならない。


「…お母さん」


「うん」


「倒れてた時…声がした」


七海は黙って続きを待った。


「幼い女の子みたいな声。すごくやる気なさそうで、面倒くさそうで」


七海は、ゆっくりと視線を落とした。

考え込むように。

いや違う、思い出しているように。


しずくは、その沈黙が怖かった。


「その声、何か名前を言った?」


七海が静かに尋ねた。


「言った。でも…言えない」


「言えない?」


「口にしようとすると、声が出ないの。書こうとしても書けないの」


月島が補足する。


「声と記述が制限されてる可能性があります」

「本人の記憶は保持されていますが、外部出力だけが封じられている状態です」


七海は目を閉じた。


「そう」


たった一言、だがその声は重かった。

それから、しずくの銀盾へ視線を向ける。


強化された銀のバックラー。

中央のミスリルは、あの時と違い光を携えたままだ。


「しずく。その声は、たぶん敵じゃない」

「でも、完全な味方とも限らない」


しずくは母の言葉を聞きながら、自分の中の感覚を確かめていた


「…あの声は、敵じゃない気がする」


七海は頷き、少しだけ笑った。


「やる気がなくて面倒くさそうなら、なおさらね」


そこで、高位ヒーラーが治療を終えた。


「今日は安静にね、激しい運動は禁止。入浴も軽めに」


しずくが頷く。


「あと、念のため病院で見てもらってください」


七海はすぐに答えた。


「必ず連れてきます」


ヒーラーは頷き、部屋を出ていった。

治療の光が消えたことで、しずくはようやく自分の身体がかなり軽くなったことに気づいた。


痛みは残る。

けれど、さっきまでとは比べものにならない。


七海は改めて月島を見た。


「今日の映像は?」


「本部が確保中です。現時点では、配信上も異常なボス部屋は確認されています」

「ただ、記録が後から変質する可能性は捨てていません」


「急いだ方がいいですね」


「ええ」


月島の声が低くなる。


「今回の件は、前回よりはるかに外部露出が大きい。完全な秘匿は不可能です」


ほのかが、少し気まずそうに端末を見る。


「配信…切った方がよかったですかね」


月島は首を横に振った。


「結果論だけど、今回は配信があったから記録が残った。悪いことばかりではないわ」


ミコトが話を切り替えるように、七海へ問いかける。


「しずくさんの声にかかった制限は、危険なものでしょうか」


七海は少し考えてから答えた。


「すぐに害が出るものではないと思う」

「でも、名前を封じられているなら、その名前自体に意味があると思うわ」


「今、名前を知られるとまずい?」


「あるいは、知る段階ではないと見るわ」


七海の答えに、しずくは背筋を伸ばした。

知る段階ではない。

それは、いつか知る時が来るという意味にも聞こえた。


七海は、少しだけ声をやわらげる。


「しずく、今は無理に思い出そうとしないで」


「…でも」


「名前に触れようとして声が出ないなら、それは警告でもあるわ。こじ開けるものじゃない」


「…うん」


月島が端末を閉じながら、全員を見た。


「今日はここまでにしましょう。佐倉さんが治療後なので、これ以上の聴取は避けます」


七海も立ち上がる。


「ありがとうございます。しずくは連れて帰ります」


七海はそう答えてから、ほのかとミコトを見た。


「二人とも、今日は本当にありがとう。帰りは送るわ」


ほのかが頷き、ミコトは丁寧に頭を下げた。


しずくは二人を見る。

言いたいことがたくさんあった。


守ってくれてありがとう。

回復してくれてありがとう。

戻るって信じてくれてありがとう。


「ほのか、ミコト…ありがとう」


ほのかは笑った。

少し泣きそうだけど、いつものほのかの笑顔だった。


「次からはあんな無茶なしね」


「…ほのかも」


「それはお互い様」


ミコトも小さく頷いた。


「三人ともですね」


その言葉に、三人は少しだけ笑った。


月島はその様子を静かに見ていた。

七海も少しだけ表情を和らげた。


部屋の空気の奥には、まだ重いものが残っている。

終わっていない、けど今日はここで一区切り。


しずくは、母に支えられるように立ち上がった。

たぶん、ここからは大人たちも動く。

そして自分たちも、もう無関係ではいられない。


しずくは銀盾にそっと触れた。

相棒は、ただ静かにそこにあった。

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