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第87話 勝利と、月の残響

月の剣は、静かに冷気をまとっていた。


赤い月光の凍傷とは違う。

あの不快で、まとわりつくような冷たさではない。

皮膚の下へ入り込み、身体の奥を勝手に凍らせてくるような嫌な感覚でもない。


もっと澄んだ冷気。


夜の底に沈んだ水。

雲の切れ間から落ちる本物の月明かり。

静かで冷たくて、けれどどこか清らかなもの。


それが、しずくのロングソードに宿っていた。


刃がゴブリンリーダーの腕をかすめるたび、傷口に白い霜が落ちる。

そこから薄氷のように、じわじわと冷気が広がっていく。


ゴブリンリーダーの動きが、少しずつ鈍っていった。

それでも、リーダーは止まらない。


シャーマンを失い赤い月光を失っても、自分の身体が凍り始めても。

その巨体は、まだ戦うことをやめない。


だが、さっきまでの圧はもうなかった。


一歩が遅い。

刃の返しが重い。

曲刀を振り抜いた後、ほんのわずかに隙ができる。


その隙を、しずくは見逃さなかった。


月の剣で浅く刻む。

深追いはしない。


一撃ごとに、リーダーの体へ冷気を置いていく。


月の剣は、ただ斬るための剣ではなかった。

触れた場所から敵の熱を奪い、動きを鈍らせ次の一手を遅らせる。

一撃で倒す力ではなく、一撃ごとに相手を弱らせていく力。


それは、しずくの戦い方とひどく噛み合っていた。


正面から押し潰すのではない。

受け流して崩し、少しずつ勝てる形へ持ち込む。


銀盾と同じだ。

しずくの手の中で、月の剣はただの攻撃手段ではなくもう一つの相棒のように働き始めていた。


「ほのか!」


しずくが叫ぶ。


「わかってる!」


ほのかが、踊り子の双剣を抜いた。


今度は投げる。


【ダンシングソード】


二振りの刃が、ほのかの手を離れた。

銀色の軌跡が宙を舞う。

踊るように跳ねるように、風をまとってリーダーの背後へ回り込む。


しずくの邪魔はしない。

真正面はしずくの場所。

そこに割り込めば、かえってリズムを崩す。


だから双剣は背後から。

横から斜め上から、風の刃を叩きつける。


リーダーの背中に裂傷が走る。

膝裏を風が切る。

曲刀を振るう腕に、細い傷が増える。


「いい、通ってる!」


ほのかが叫ぶ。

その声に応えるように、しずくは半歩踏み込んだ。


銀盾で曲刀を外へ流す。

双剣がリーダーの背後を削り、リーダーの意識が一瞬だけ後ろへ散る。

そこへ月の剣が正面から入る。


三つの動きが噛み合っていた。


しずく一人なら、ここまで踏み込めない。

ほのか一人なら、ここまで攻め続けられない。


けれど、二人なら違う。

しずくが正面でリーダーを固定し、ほのかが横と背後から隙を作る。

その隙を、しずくが月の剣でさらに広げる。


そして。


【ホーリーバインド】


ミコトの声が重なった。


聖なる紐が走る。

完全に縛れる相手ではない、力で引きちぎられるかもしれない。


だが、月の剣の冷気でリーダーの動きは鈍っている。

傷口から広がる霜が筋肉の動きを奪い、踊り子の双剣が意識を散らしている。


そこへ、ミコトの聖なる紐が絡む。

リーダーの曲刀が、途中で止まった。


「止まった!」


ほのかの声が跳ねる。


ゴブリンリーダーが、力任せに紐を引き千切ろうとする。

だが、背には双剣。

正面にはしずく。


月の剣を構えた、しずくがいる。


『止まった!』

『ここしかない!』

『いけしずく!』

『月の剣で決めろ!』

『三人の連携えぐい!』

『しずく一人じゃなくて三人で止めた!』

『ミコトの拘束タイミング神!』

『ほのかの双剣が完全にサポートしてる!』

『ここで終わらせろ!』


しずくは、月の剣を構え直した。

身体はまだ痛い。

さっきの傷が完全に消えたわけではない。


でも立てる。


ほのかが時間を稼いでくれた。

ミコトが繋ぎ止めてくれた。

相棒が守ってくれた。


そして今、二人がリーダーを止めてくれている。

なら、ここで振り抜く。

ここで決める。


頭の奥で、あのやる気のない少女の声が聞こえた。


『外すなよ。ここまでお膳立てして外したら、さすがに面倒見る気なくすぞ』


しずくは、小さく息を吐いた。


「…外さない」


強く踏み込む。


銀盾で作った間合い、ほのかが散らした意識。

ミコトが止めた動き、月の剣に宿った冷気。


全部を乗せて、しずくはロングソードを振り抜いた。

月光をまとった一閃が、白い軌跡を描く。


偽物の月が放つ、のっぺりした白ではない。

もっと静かで、深く澄んだ光。

闘技場の夜そのものを切り取ったような刃だった。


刃は、リーダーの胸を深く切り裂いた。

硬い肉を裂く感触。

骨に触れ、そこを越えていく重さ。


ゴブリンリーダーの巨体が、びくりと揺れる。

胸の傷口から、血ではなく白い霜が広がっていった。

その霜が、リーダーの体を内側から浸食していく。


致命傷だった。


ゴブリンリーダーは、それでも一度だけ曲刀を持ち上げようとした。

だが、腕は上がらない。


聖なる紐が軋む。

踊り子の双剣が背後から離れる。

月の剣の冷気が、最後の動きを奪う。


リーダーは、ゆっくりと膝をついた。

石畳に重い音が響く。


しずくは剣を構えたまま、リーダーを見据えていた。

リーダーの目には、怒りも恐怖もなかった。

任務を終えられなかった兵士のような、静かな空白だけがあった。


その目がほんの一瞬だけ、しずくの銀盾を見た。

それから、月の剣へ。

何かを認識したように、わずかに目を細める。


リーダーの体が光に変わり始めた。

胸の傷から、粒子がほどけていく。


「勝った?」


ほのかが、震える声で言った。

ミコトはまだ杖を構えたまま、すぐには答えなかった。


しずくも、剣を下ろせなかった。

完全に消えるまで、誰も気を抜けなかった。


やがて、ゴブリンリーダーの姿はすべて光になり、夜空へ溶けるように消えた。


同時に、システムウィンドウが開く。


【二層ボス討伐完了】


【ゴブリンリーダー/ゴブリンシャーマンを撃破しました】


その表示を見た瞬間、ほのかがその場にへたり込みそうになった。


「勝ったぁ…」


ミコトも大きく息を吐く。


「…よかった」


しずくは、まだ月の剣を握っていた。

刃にまとわりついていた冷気が、少しずつ薄れていく。

淡い光が消え、ただのロングソードへ戻っていく。


月の剣。

それは、一瞬だけしずくの手に宿った力だった。

リーダーを鈍らせ、最後の一撃へ繋げた力。


けれど、その力だけで勝ったわけではない。


ほのかが前に立たなければ、しずくは戻れなかった。

ミコトが回復しなければ、しずくは立てなかった。

ほのかの双剣が意識を散らし、ミコトの拘束が動きを止めなければ、月の剣の一撃は届かなかった。


しずくは強い。

けれど、一人で強いわけじゃない。


ほのかがいて、ミコトがいて。

二人が背中を支えてくれるから、前に立てる。


三人が揃った時、しずくはようやく一番強くなれる。

それが今、はっきり分かった。


頭の奥で、あの声がまた聞こえた。


『はい、おしまい。あー、疲れた。もう寝る』


本当に面倒くさそうな声だった。


『でもまあ、よく立ったじゃん』


それだけ言って、声はふっと遠のいた。


しずくは、無意識に銀盾へ触れた。


「誰…なの」


答えはない。


『勝ったああああ!』

『神回すぎる』

『ほのかの時間稼ぎやばかった』

『ミコトの杖奪いから全部流れ変わった』

『しずく復帰熱すぎ』

『月の剣って何!?』

『最後の演出やばい』

『三人揃った時の安定感すごい』

『しずく、仲間いるとマジで強い』

『二層ボスとは?』


ほのかが、へたり込みながら笑った。


「いや…ほんと、二層ボスとは?」


ミコトも空を見上げる。

そこにはまだ、模様のない白い月もどきが浮かんでいた。


赤くはない。

けれど、普通の月でもない。


ボスは倒した。

システムも討伐完了を告げている。


それなのに、しずくの胸の奥の不安は消えなかった。

むしろ、強くなった気さえする。


月の剣、やる気のない幼い声。

赤い○。

そして、模様のない月。


勝った。

でも、何かに一歩近づいてしまった。

そんな感覚が、しずくの中に残っていた。


しずくは剣を下ろし、ほのかとミコトを見た。

ほのかは座り込んだまま、まだ息を切らしている。

ミコトも疲れ切った顔で、それでもしずくの様子を気にしていた。


二人とも、ぼろぼろだった。

それでも、そこにいてくれた。


「…ありがとう」


しずくが小さく言う。

ほのかが、少し驚いた顔をしてから笑った。


「それ、こっちの台詞だし」


ミコトもやわらかく頷いた。


「三人で勝ったんです」


その言葉に、しずくはゆっくり頷いた。


三人で勝った。

その事実だけは、偽物の月が浮かぶこの異常なボス部屋の中でも、確かに本物だった。

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