第40話 静かな部屋のティータイム
図書準備室の空気は、思っていたよりずっとやわらかかった。
本の匂い。
窓の外から差しこむ、春のやわらかい光。
机の上に並ぶ、三つのお弁当箱。
最初は少しぎこちなかったのに、食べ始めてしまえば、空気は自然とほどけていく。
「それ、卵焼き?」
ほのかが、しずくのお弁当を見て言う。
「…うん」
「一個ほしい!」
言い方が軽い。
しずくは一瞬だけ固まって、それから小さく頷いた。
「…いいよ」
卵焼きをひとつ、ほのかのお弁当箱の端へ移す。
ほのかは代わりに、自分のお弁当から照り焼きっぽい肉をひとつ摘んだ。
「はい、お返し」
「…あ」
しずくは、それを自分のお弁当箱へ受け取る。
なんだか、それだけで妙に緊張した。
おかずの交換、家族以外と。
そんなの、したことがなかった。
ミコトも、小さく笑う。
「…わたしの煮物も、よかったら」
ほのかがすぐに目を輝かせる。
「え、ほしい!」
しずくも、前髪の奥からそっと見る。
ミコトのお弁当の煮物は、見た目からしてもうおいしそうだ。
ミコトは少しだけ笑って、小さな煮物を二人にひとつずつ分けた。
その代わりに、ほのかがブロッコリーを、しずくが唐揚げを渡す。
机の上で、おかずが少しずつ行き来する。
「…おいしい」
しずくが煮物を食べて、思わず呟く。
ミコトが少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「…よかった」
ほのかも、照り焼きの肉を頬張りながら言う。
「しずくのお母さんの卵焼き、めっちゃ家庭の味で落ち着く」
「…それ、いい意味?」
「いい意味、いい意味」
ほのかが笑う。
「ミコトのは高級店、しずくのは安心する家の味、私のは庶民」
「自分で言うんだ」
しずくがぽつりと返すと、ほのかが吹き出した。
「今つっこんだ! しずくが!?」
「…え」
自分でも、言ってから気づいた。
つっこんでいた、自然に。
ミコトもちょっとだけ目を丸くして、それから小さく笑った。
「…たしかに」
その笑い声が、静かな図書準備室にやわらかく広がる。
しずくは少しだけ頬が熱くなった。
でも、嫌じゃなかった。
むしろ、うれしい。
お昼休みに三人で、おかずを交換しながら笑っている。
そんなの、少し前の自分なら想像もできなかった。
しずくは、箸を持ったまま少しだけぼんやり思う。
これ、友達っぽい。
いや、もう友達なのかもしれない。
食事がひと段落したところで、ミコトが静かに立ち上がった。
「…少し、待っててください」
そう言って、部屋の隅の棚から箱をひとつ取り出してくる。
しずくは、なんとなくその動きを目で追った。
箱が机の上に置かれる。
開かれた中身を見て、ほのかが声を漏らす。
「え、なにこれ」
ティーセットだった。
しかも、ただのティーセットじゃない。
白を基調にした陶器のカップ。
縁には細い金彩。
派手すぎないのに、見るからに上品で、高そうでおしゃれ。
ポットも揃いで、持ち手の曲線まできれいだ。
しずくは目を瞬かせた。
「…すごい」
ミコトは少しだけ視線を伏せる。
「…祖母の趣味で」
と言いながら、手つきは慣れていた。
ティーバッグじゃない。
小さな缶を開けて、茶葉を計る。
ポットに入れ、お湯を注ぐ。
蒸らす時間まで、ちゃんと見ている。
その一連の動きが、なんだかもう絵だった。
ほのかが呆れ半分、感心半分で言う。
「ミコト、どこまでお嬢様なの」
ミコトは少しだけ困った顔をした。
「…そんなことないです」
「あるよ」
しずくがぽつりと言うと、ミコトがちょっとだけ固まる。
ほのかが笑う。
「あるね」
やがて、ミコトがポットを持ち上げた。
紅茶の香りが、ふわっと図書準備室に広がる。
甘くはない。
でもやわらかくて、少し花みたいな匂いがする。
しずくは、その香りだけで少し落ち着くのを感じた。
ミコトが丁寧に三つのカップへ注いでいく。
琥珀色。
光を受けて、きれいに透ける。
「…どうぞ」
そう言って、自分より先にほのかとしずくの前へ置く。
ほのかが、カップを持ち上げる前に言った。
「なんか、急にアフタヌーンティー感出てきた」
「…図書準備室なのに」
しずくが続けると、ほのかがまた笑った。
「しずく、今日ちょいちょい返してくるね?」
しずくは、自分でもちょっと驚いていた。
この部屋だと、言葉が少しだけ出やすい。
ミコトもカップを持ち上げる。
「…温かいうちに」
三人で、そっと口をつける。
「おいしい」
しずくが小さく呟く。
本当に、おいしかった。
苦すぎない。
でも薄くもない。
香りがふわっと残る。
ほのかも素直に言う。
「うわ、ちゃんとした味する」
「紅茶ですから」
ミコトが真面目に返して、ほのかが吹き出す。
そのやりとりを見て、しずくも少しだけ口元をゆるめた。
お弁当を食べて、おかずを交換して。
そのあと、茶葉から淹れた紅茶を飲む。
静かな図書準備室で。
なんだか、夢みたいだ。
教室の隅で一人でお弁当を食べていた少し前の自分に言っても、きっと信じない。
ミコトが、カップを置いて小さく言う。
「ここ、昼休みはほとんど人が来ないので」
「うん」
「だから、落ち着くんです」
しずくは、ゆっくり頷いた。
「…わかる」
ほのかも、紅茶を飲みながら机に肘をつかず、でもすごくくつろいだ顔で言う。
「ここ、めっちゃ当たりだわ」
それから、にやっと笑った。
「昼の拠点、ここで決まりだね」
ミコトが少しだけ嬉しそうに目を細める。
しずくは、その二人を見ながら、カップを両手で包んだ。
温かい。
カップも部屋も、今の空気も。
しずくは、胸の奥にふわっと広がるものを感じていた。
ダンジョンは怖い。
ローグライクも、意味が分からない。
協会に呼ばれるし、変な装備も落ちる。
でも、こういう時間があるなら。
少しずつなら、前に進める気がした。
そう思った瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。
ほのかがカップを持ち上げながら、言った。
「こういうの、いいね」
ミコトが頷く。
しずくも、小さく頷いた。
たったそれだけの返事。
その一言に、いまのしずくの気持ちがちゃんと全部入っていた。
続きが気になる方は、ブクマお願いします!
また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!




