第27話 ダンシングソード
慎重に通路を進んでいると、ほのかがぴたりと足を止めた。
「…待って」
しずくもすぐに動きを止め、銀盾を少し引き寄せる。
ほのかは手で壁際を示した。
二人はすぐ近くの岩陰へ身を潜める。
湿った洞窟の空気の向こうから、今度ははっきりと人の声が聞こえた。
「いや、ゴブリン多すぎだろ」
「でも今日は悪くないじゃない?魔石そこそこ出たし」
探索者だ。
たぶん二人、足音も軽い。
ほのかがそっと身を乗り出し、物陰の隙間から覗く。
しずくも少し遅れて見る。
若い男女の探索者。
どちらも二十歳前後くらい。
防具は軽装。使い込んだ感じの武器を持っている。
敵意はなさそうだった。
ほのかが小さく囁く。
「たぶん普通の探索者」
しずくが頷くと、ほのかも目で合図した。
二人は物陰から出る。
「あ、どうも」
ほのかが先に軽く手を上げる。
しずくも小さく頭を下げた。
向こうの二人も一瞬だけ警戒したあと、すぐに力を抜いた。
「ああ、びっくりした」
「こんにちは、若いね?」
軽い社交辞令。
「そっちは調子どう?」
「まあまあかな、そっちは?」
「ぼちぼち、ゴブリンがめんどいっすね」
そんな、探索者らしい短い会話。
でもその途中で、男の探索者がふと思い出したように言った。
「そういやさ」
ほのかが何気ない顔で聞き返す。
「ん?」
「さっき、若い男と…子供?みたいな三人組が、ゴブリンの寝ぐらの方に向かってたんだけど」
しずくの胸が、どくんと鳴った。
子供?
前に協会で見た。
あの、小学生くらいにしか見えない女の子。
ほのかの表情も、ほんの少しだけ固くなる。
「子供って?」
女の探索者が肩をすくめた。
「背がすごい小さい子。ローブっぽいの着てたかな。で、若い男が二人」
男の探索者が、少しだけ眉をひそめる。
「あの男二人、いい噂聞かないんだよね」
ほのかが目を細める。
「…どういう?」
「初心者を食い物にしてるって話がある」
「囮にしてるとか、荷物持ちにして危ないとこ押し付けるとかだな」
「証拠ないから協会も動けてないっぽいけど」
しずくの指先が、銀盾の縁をぎゅっと握る。
女の探索者が付け足した。
「ま、噂半分だけどね。でもゴブリンの寝ぐら方面は、初心者だけで行く場所じゃない」
そこで二人は、それ以上深入りしなかった。
探索者同士の距離感だ。
忠告はする。でも責任までは負えない。
「じゃ、お互い良い狩りを」
「うん、そっちも気をつけて」
二人は軽く手を上げ、そのまま別の通路へ去っていった。
足音が遠ざかり、湿った静寂が戻る。
しずくは、すぐには口を開けなかった。
ほのかも黙っている。
でも、二人とも同じことを考えているのが分かった。
子供みたいな子、若い男二人。
ゴブリンの寝ぐら、囮にしている噂。
しずくが、絞り出すように小さく言った。
「…あの子、かも」
ほのかが短く頷く。
「たぶんね」
その声は軽くない。
しずくの胸の奥が、ひやりとする。
放っておけば、見知らぬ誰かの話だ。
でも、もう顔を知ってしまっている。
小さくて、明らかに危なっかしかった、あの子。
ほのかが息を吐く。
「正直、噂だけで突っ込むのは危ない」
しずくは頷く。
正しい、二層は一層と違う。
ゴブリンはずる賢い、寝ぐらならなおさら。
「…でも」
しずくが言う。
ほのかが、横目で見る。
しずくは前髪の奥で視線を落としたまま、でもはっきり言った。
「…もし、本当だったら」
ほのかは数秒黙ってから、口元だけで笑った。
「うん」
機弩を持ち直す。
「見捨てると、あとで寝覚め悪い」
しずくもロングソードの柄を握る。
ほのかが、気配察知を広げるみたいに目を細めた。
「ゴブリンの寝ぐら、方向はだいたい分かる」
それから、しずくを見る。
「行く?」
しずくは、一度だけ深く息を吸った。
怖い。
でも、答えは決まっていた。
「…行く」
ほのかがにっと笑う。
「よし」
二人は向きを変える。
今度の目的地は、狩り場じゃない。
ゴブリンの寝ぐら。
そして、その奥にいるかもしれない三人組だった。
寝ぐらへ向かう通路は、さっきまでより天井が低かった。
湿った岩肌。
上を見れば、黒い影がいくつもぶら下がっている。
吸血蝙蝠が六匹。
羽をたたんで、天井にへばりつくように眠っている。
あるいは、眠ったふりかもしれない。
しずくは思わず足を止めた。
「…多い」
ほのかも足を止める。
けれど、その顔には少しだけ怖い笑みが浮かんでいた。
「ねえ、双剣。ダンシングソード、試し撃ちしてみていい?」
しずくは一瞬だけ目を瞬いた。
今、ここで?
でも、状況は悪くない。
幸い、蝙蝠たちはまだこちらに気づいていない。
寝ているのか、じっと動かない。
しずくは、ほのかの腰にある踊り子の双剣を見る。
共有ロック装備。
本来なら、自分のローグライク装備。
でも、今持っているのはほのかだ。
不思議な感じがした。
自分の当たりを、誰かが使う。
それなのに、嫌じゃない。
しずくは小さく頷いた。
「…いい」
ほのかの目が少しだけ輝く。
「よし」
機弩を背中へ回し、双剣の一本を抜く。
銀色の刃。
そこに、うっすらと風がまとわりつく。
しずくは息を潜めて見ていた。
ほのかは、軽く手首を返して刃の重さを確かめる。
それから、ほんの少しだけ集中した。
「…少しでいいんだよね」
双剣の説明を、頭の中でなぞるみたいに。
消費MP:小。
ある程度、使用者の意のままに操作可能。
ほのかは刃を肩の高さまで持ち上げた。
そして、小さく呟く。
【ダンシングソード】
銀の刃が、音もなく前へ滑った。
いや、飛んだというより。
風と共に踊った。
ふわりと風を巻くように浮かび、空中でなめらかに弧を描く。
しずくは、思わず目を見張った。
速い。
でも、チャージショットみたいな直線の速さじゃない。
軽やかで、やわらかくて。
それでいて、狙いは鋭い。
最初の蝙蝠の喉元を、銀の線が撫でる。
音もなく、一匹が落ちる。
そのまま、双剣は止まらない。
次の個体へ、そのまた次へ。
まるで本当に、踊りながら敵を渡っていくみたいだ。
「…すご」
しずくの口から、素で漏れた。
三匹目を裂いたところで、ようやく蝙蝠の群れが異変に気づいた。
耳障りな鳴き声、羽音と共に残りの三匹が一斉に飛び立つ。
ほのかは慌てなかった。
「戻れ!」
小さく指を引く。
銀の双剣が、空中でくるりと反転する。
戻りながら、もう一匹を切る。
さらに風圧が起きる。
舞い戻る刃の軌道に巻き込まれて、蝙蝠たちの飛び方が乱れた。
「しずく!」
「うん!」
しずくは即座にロングソードを構えた。
一匹、低く飛び込んでくる。
ダンシングソードのせいか、動きが明らかに鈍い。
銀盾を少しだけ上げる。
爪が盾を掠めた瞬間、しずくは剣を振る。
蝙蝠が落ちる、残り一匹。
最後の一匹が天井近くへ逃げようとした、その瞬間。
戻ってきた双剣が最後の一閃を描いた。
短い悲鳴を残して、蝙蝠が光になって消えた。
湿った洞窟に、羽が舞った残滓だけが残る。
ほのかの手の中へ、双剣が吸い込まれるように戻ってくる。
ほのかは数秒、固まっていた。
それから、しずくを見る。
「…やば」
その一言に、全部詰まっていた。
視聴者コメントが爆発する。
『つよ!?!?』
『ダンシングソードえぐい』
『ほぼ自律兵器じゃん』
『飛行特攻すぎる』
『双剣というか飛ぶ刃』
しずくも、まだ少し呆然としている。
「…戻ってきた」
「ほんとに戻ってきたね…」
ほのかが笑う。
でも、その笑いには少しだけ興奮が混ざっていた。
「しかも思ったより操作きく」
双剣を見下ろす。
「これ、近接武器っていうか…半分、飛び道具だ」
しずくは頷く。
「…ガンナー向き」
「うん。めちゃくちゃ向いてる」
ほのかは双剣を軽く振った。
刃に、また風がまとわりつく。
「さすがファンタジー装備…」
しずくは、お母さんの言葉を思い出していた。
使ってなんぼ。
たしかに、その通りだった。
ただ強いだけじゃない。
ちゃんと使い方がある。
そして、その使い方は、使ってみないと分からない。
天井から落ちた蝙蝠たちの魔石と素材が、足元に転がっている。
ほのかはそれを拾いながら、小さく言った。
「これ、ゴブリン相手にもかなり使えそう」
「…うん」
「特に弓持ちとか後衛」
しずくも、すぐにイメージできた。
前衛をしずくが止めて、後衛を双剣が狩る。
嫌なくらい強い。
ほのかは双剣を腰に戻し、機弩を構え直した。
「よし」
表情が少し引き締まる。
「試し撃ち終了」
そして、通路の奥を見る。
「次は本番だね」
しずくも銀盾を構え直す。
ゴブリンの寝ぐらは、もう近い。
湿った空気の奥から、かすかに何かの声が聞こえてきていた。




