第50話 冷たい右腕
エリーはわざとらしく肩をすくめ、わずかに芝居がかった口調で両手を広げる。
「——で。そろそろ晩ご飯の時間じゃない?」
現実的な話題に、空気が少しだけ緩む。
「そこのを右に入ったところにマーメイドの酒屋があるわ、あなたたちはご飯食べてなさい」
エリーはくるりと踵を返し、ドアの方へ歩き出した。
「私はミラと話があるから、先に行ってて」
「ミラと?」
ダリウスが首をかしげる。
「女同士の話し合いよ」
エリーは軽くウィンクしてみせた。
その仕草に、ダリウスとオットー、エドガーは顔を見合わせる。何か言いたげではあったが、結局何も言わずにソファから腰を上げた。
「……じゃ、俺たちは飯の準備でも見てくるか」
「そうですね。さっきの料理の続きも気になりますし」
「俺はビールのラインナップが気になるな!」
三人が部屋を出ていき、扉がぱたんと閉まる。
残された部屋には、散らかった魔道具の山と——
そのひとつ、風を噴き出す円筒型の道具に向かって「あー」と声を伸ばしながら遊んでいるミラの姿だけがあった。
「……ミラ」
エリーの声が、先ほどまでとはまるで違う色を帯びる。
軽さも、皮肉も、すべて削ぎ落とした、真っすぐな声音だった。
「あなた、《神光再命》はもう使わない方がいい」
ミラの肩が、びくりと跳ねる。
「えっ……?」
手の中の魔道具から、風がひゅうと情けない音を立てて漏れた。
ミラは慌ててそれを抱きかかえ、視線を彷徨わせる。
「な、なんでかな? ……確かに、あれを使うと気絶しちゃうけど……」
笑ってごまかそうとする声は、情けないほど上ずっていた。
次の瞬間、エリーがすっと距離を詰める。
長い青髪がふわりと揺れ、ミラの目の前にエルフの顔が迫った。
「ちょ、ちょっと、エリー……?」
返事の代わりに、エリーはミラの右腕をつかむ。
そしてためらいなく、ローブの袖を捲り上げた。
「——っ!」
露わになった腕は、途中から色が違っていた。
人の肌の柔らかな色ではない。
大理石のような、冷たい灰白。指先に向かって、ひび割れた石化がじわじわと侵食している。
ミラ自身が、見慣れているはずのそれを、改めて視界に入れてしまう。
喉が詰まり、息が止まる。
「これでも——使えるって言えるの?」
エリーの声は、責めるでも、責めないでもない。
ただ、真っ直ぐに問いかけるだけだった。
ミラは唇をかみしめた。
逃げ場所を探すように視線が揺れるが、エリーの瞳からは逃れられない。
数拍の沈黙の後——彼女は顔を上げた。
その瞳には、怯えと、意地と、子どもなりの覚悟が混ざり合っていた。
「……使う」
ミラははっきりと告げる。
「私は、仲間が傷を負えば——迷いなく使うって決めてるの!」
言葉と一緒に、喉の奥から何かがこぼれそうになる。
それでも、ミラは噛み殺すように飲み込んだ。
エリーの眉がきゅっと寄る。
「——やめなさい」
今度は明確に、語気が鋭くなる。
「やめなさい。でないと、このこと三人に言うわよ」
「っ……卑怯よ!」
胸の奥を抉られたように、ミラも声を荒げた。
エリーから視線を外そうとして、外せない。
ぐちゃぐちゃの感情が、涙と一緒に込み上げてくる。
「卑怯は、あなたの方よ」
エリーの返しは、刃のように速かった。
「仲間にこれを伝えずに——」
石化した右腕を、エリーの指先が軽く叩く。
「最後、本当に石になった時。
ダリウス達は、どう思うのか。想像したことはある?」
「それ、は——」
ミラは途端に言葉を失う。
脳裏に、簡単に浮かんでしまうからだ。
絶望したように膝をつくダリウスの姿。
怒鳴りながら泣くオットーの顔。
黙って魔導書を取り落とすエドガーの背中。
想像したくない。
でも、しようと思えば、容易に浮かんでしまう。
「……」
ミラは、視線を床に落とした。
エリーはひとつ、ゆっくり息を吐く。
「あなたの才能は、人の子の“器”を超えてるわ」
声は、先ほどより柔らかかった。
「でも、精神がそれに追いついていない」
エリーは、そっとミラの頭に視線を落とす。
「無自覚に才能を振り回すとね。
いちばん傷つくのは——周りの人たちなの」
ミラの肩が、小さく震えた。
頭の中に、塔に来る前の自分がよぎる。
誰もいない部屋で、ひとりで祈って、ひとりで倒れていた日々。
“神に選ばれた自分”だけで完結した、小さな世界。
そこに今は、三人分の顔がある。
それが、嬉しくて、怖い。
「……」
声にならない何かが喉で渦巻いて、言葉にならない。
エリーはそれ以上追い詰めようとはせず、くるりと踵を返した。
ドアの前で立ち止まり、振り返る。
「——じゃまた明日」
落ち着いた、いつもの調子に少しだけ戻った声だった。
そう言って、ドアノブをまわす。
扉が開き、酒場の喧噪と、湖上の夜風が、細い隙間から流れ込んでくる。
ばたん、と扉が閉まる。
残された部屋には、散らかった魔道具と、ミラの荒い呼吸だけがあった。
「……」
ぐちゃぐちゃになったものが胸の中をかき混ぜる。
悔しさ、怖さ、恥ずかしさ、そして——どうしようもないほどの、温かさ。
ミラはぎゅっと両手を握り込むと、ぐい、と袖を引き下ろした。
石の腕を隠して、くるりと背を向ける。
エリーの残した言葉が、じんわりと耳の奥に残っていた。
(……頭、冷やしてから……だよね)
彼女は自分にだけ聞こえる声でそう呟くと、小さく息を吸った。




