第14話 老練な作戦と、ダンジョンの意地悪さ
ダリウスたちは、洞窟内を一歩ずつ噛みしめるように進んでいた。
三階層で味わった“崩壊寸前”の戦いが、足の裏にまで残っているようだった。
わずかな判断の遅れで死ぬ。
ひとりが倒れれば、全員が倒れる。
——老いは武器を奪うが、慎重さは与える。
その事実を深く刻みながら、彼らは十階層へ向かった。
*
やがて視界が一気に開けた。
洞窟広間。
天井は暗闇に溶け、松明の光すら届かない。
どこからともなく、ごぉお……と低音が響き、石壁がわずかに震えていた。
そして——。
二十メートル近い巨大な扉が、前方に立ちはだかっていた。
異様な気配が、扉の隙間からじんわりと漏れ出ている。
「来たな……」
ダリウスは喉を鳴らし、剣の柄を確かめた。
「えぇ……」
エドガーは静かに、しかし指先がわずかに震えている。
「面倒くせぇ……どう見てもボス部屋だ」
オットーは鼻をこすりながら言った。
天井から落ちた一滴の水が、ぽちゃんと耳に届く。
それだけで、胸が強く波打つ。
「みんな、一旦……野営しよう」
ダリウスは空気を切り替えるように言った。
「うん。じゃあ……結界、張るね」
ミラが微笑み、胸の前で両手を組む。
淡い光が広間に広がり、見えない薄膜となって四人を守った。
「助かる。……よし、荷を下ろすぞ」
*
テントが設置され、焚き火が灯る。
炎のゆらぎが洞窟の壁に影を落とし、四人は簡易テーブルを囲んだ。
ランプの橙色の光が、疲労のにじんだ顔を照らし出す。
「コンラートの話では……巨大モンスター、だったな」
ダリウスは水を飲み、息を整えながら言った。
「えぇ。さすがにいきなりドラゴン……はないでしょうが」
エドガーが落ち着いた声で続ける。
「いや、想定しといて損はねぇ」
オットーは鼻を触りながら、岩に背を預けた。
「ここは普通のダンジョンじゃない。何が出てもおかしくねぇよ」
「だな。……だが、多分もっとも高い可能性を基準に組み立てるべきだ」
ダリウスが腕を組む。
エドガーがうなずいた。
「ゴーレム、オーガ、そして……ゴブリンキング、でしょうね」
「この階層は洞窟で、ゴブリンが多かった。順当にいけばゴブリンキングだろうな」
オットーが天井を見上げながら言う。
「そうなると、配下のゴブリンを加えた集団戦の可能性が高い……か」
ダリウスは顎に手を当てた。
「その場合……俺はいつもより後ろになるな」
オットーが肩をすくめる。
「そうなると、ダリウスの負担は上がるが……」
「でも、私も簡単な結界を張れるから……」
ミラが唇に指を当てて考える。
「ゴブリンの群れなら、斧を持ったオットーが前に出て、ダリウスと二枚壁になるのがいいんじゃない?」
「……そのパターンも作戦に入れましょう」
エドガーが頷いた。
「それに、誰かがガス欠になった時のパターンも考えたほうがいい」
「俺が先にバテるのは……ありえるな」
「エドガーの魔力切れも、このあいだみたいに……」
仲間同士、誰が弱いかではなく、
誰が“どんな弱さを抱えているか”を、正面から確認し合っていく。
若い頃にはなかった、静かで強い会話。
四人は、その後もしばらく——
炎がぱちぱちと弾ける音の中で、あらゆる状況に備えるための話し合いを続けた。
*
洞窟内は深い闇に沈んでいた。
どこまでが夜で、どこからが朝なのかもわからない。
「よく寝たな……八時間は寝たか?」
ダリウスが寝袋から起き上がり、背中を軽く伸ばす。
「ミラ、そろそろ起きてくれ」
「まったく……」
エドガーは既に起きており、いつも以上に念入りに歯を磨いていた。
「オットー、あなたも起きなさい」
「ドーナッツ!? ……あ、はっ、おはよう!」
ミラは寝ぼけながら跳ね起きた。
「バーボン……? ウォッカ……? ……って、あぁ、みんな早いな」
オットーも起きるが、寝言が完全にアル中。
「「……」」
ダリウスとエドガーは無言で見つめ合った。
「さぁ、行くか」
ダリウスの一言で、四人は動き出した。
*
巨大な扉の前に立つと、まるで洞窟そのものが息を潜めたように静まり返った。
ミシ……ミシ……
ゴゴゴゴ……!
扉が、ゆっくりと。
ゆっくりと——開いていく。
「オットー。最前線、警戒しながら進んでくれ」
「……おう」
普段は楽天的なオットーの声も、このときばかりは低い。
中は闇。
懐中の光では届かないほど、深く、広い。
だが——足音の反響だけは異常だった。
コツ……
コツ……
コツ……
足元に返ってくる反響音が、どれほどこの空間が広大かを物語っている。
「広い……な」
ダリウスは思わず呟いた。
中央付近まで進んだ、その瞬間——
バッ!!
壁という壁に、一斉に松明の灯りが走った。
炎が轟音を上げ、闇が一瞬で吹き飛ばされる。
そして——現れた。
影が、存在した。
いや、影に見えた“塊”が、ゆっくりと姿を形づくっていった。
大人の三倍はある巨体。
岩のように分厚く、ひび割れた皮膚。
呼吸のたびに、洞窟全体が揺れるほどの肺の膨張。
右手には、オットーの大斧が子供用のおもちゃに見えるほどの巨斧。
そして——真っ赤な眼光が、四人を貫いた。
まるで生きた灼熱の塊が、そこに二つ、燃えているかのように。
オーガだった。
その瞬間、
「オットー行くぞ!」
ダリウスの即断は、迷いを切り伏せる剣のように鋭かった。
「おうともよ!」
オットーは息を吸い込み、身体を前へ叩きつけるように走り出す。
老いてなお、かつての“突撃のオットー”の片鱗がそこにあった。
エドガーはその背中を見た瞬間、魔導書を開いて詠唱に入る。
声は震えていない。だが、ページを押さえる指先だけはわずかに強張っていた。
(単体で、遠距離攻撃なし……昨日の想定パターンの一つ、初撃は……)
昨夜の作戦会議が、四人の脳裏に一瞬でよみがえる。
——オットーが盾を捨てて攻撃に専念し、足止め。
——ダリウスが背後に回り込み、急所を狙う。
それが、オーガに対して最も勝率が高い手だった。
*
「でりゃあああああッ!」
オットーの大斧が、真正面から振り下ろされた。
重い金属音が洞窟に響く——が、
ザシュッ……!
オーガの皮膚は岩板のように硬く、斧はかろうじて皮を裂いただけ。
「マジかよ……全力だったぜ、今の!」
呆れた笑いと同時に、オットーの顔に焦燥が走る。
「想定内だ、オットーッ!」
ダリウスは既に横へ滑り込み、疾風のように背面へ回り込んでいた。
腰を落とす。
重心を一点に収束させる。
獲物を狙う猫科のように、空気が静止した。
「——ッ!」
次の瞬間。
跳ぶ。
大地の反発を全て脚に集め、真上へ。
剣先が溜めていた闘気を爆ぜさせながら、斜め下から弧を描く。
「《グランドスラッシュ》!」
轟音。
斬撃。
閃光。
そして——
オーガの左肩が、吹き飛んだ。
「グゴォォォオオオオ!!」
咆哮。
巨体がぐらりと揺れ、バランスを失って地響きを立てて倒れ込む。
ダリウスもその衝撃に膝をついた。
息が完全に上がり、肩がひゅうひゅうと鳴っている。
(……やり切った。あとは頼んだぞ、オットー)
「オットー……頼む……!」
かすれ声でそう告げ、剣を地面に突いて身体を支える。
「任せろっての!!」
オットーは吠えるように笑い、ダリウスの前に立つ。
盾を構え、全身の力を前へ注ぎ込む。
「シールドバッシュッ!!」
ごう、と空気が押し出される。
透明な衝撃波のようなものが盾を中心に広がり、倒れたオーガの目前で爆ぜた。
「グアアアアアアッ!!」
怒りの咆哮。
失った左肩から血が噴き、オーガの赤い眼光が完全に二人へ向かった。
「ぜぇ……ぜぇ……成功だ……」
ダリウスは息を切らしながら笑う。
「完全に怒らせたな……!」
「あぁ……これで俺たちしか見えなくなったはずだ!」
オットーは巨斧を構えたオーガの前に仁王立ちし、
巨大な盾を地面に押し付けるように構えた。
——ここからは、時間稼ぎだ。
オーガがよろめいた身体を立て直し、両腕の筋肉を隆起させる。
巨大な斧を振りかぶり——。
ドガァアアアアンッ!!
「ぐっ……!! お、おも……っ!」
オットーの盾ごと、身体が後ろに押し下げられた。
洞窟の床石に靴底がきしり、砂が削れる。
「ダリウス、急げ……! これ、腰にくる……!」
ダリウスは肩で荒く呼吸しながら、地面に片肘をついたままオットーを見上げる。
額から汗が滴り、呼吸はひゅうひゅうと音を立てる。
「はぁ……はぁ……あとは……エドガーの魔法が先か……
オットーのシールドバッシュが先に……切れるか……の勝負だ……」
オーガの斧が再度振り下ろされる。
ガギィィィィィンッ!!!
「ぐあっ……! ぉ……おい……マジで重い……! 腰が……砕ける……!」
シールドが波打つように震え、その表面の光が微かにチカチカと点滅し始めた。
*
一方エドガーは、戦場に似つかわしくないほど静かに魔導書を開いていた。
虫眼鏡を片手に。
老眼で滲む文字を追い、口を開く。
だが呪文は一音ずつしか紡げない。
(……くそ……昔なら二十秒で終わった詠唱が……今じゃ二分以上かかっている……)
(バカかエドガー……! 集中しろ……!
老いたことを嘆くのは後だ……!
今はただ……仲間のために……一秒でも早く……!)
「ミラ! ランプを……!
魔導書が暗くて……読みにくいです……!」
「わかった!」
ミラがすぐさまランプを掲げる。
揺れる炎の光が、魔導書の文字をかろうじて照らし出す。
その横で、オットーの盾が——ピッ、ピッ、と危うい点滅を始めた。
*
「うおおおっ……! 手も……足も……重い……っ!」
オットーの全身が震える。
汗が滴り落ち、額は蒼白に変わりつつある。
「へっ……エドガーもいい演出するぜ……!
一番いいタイミングで……決めようってか……っ!」
「はぁ……はぁ……エドガー……急げ……」
ダリウスは剣を杖のように地面へ突き、必死に身体を起こした。
「はぁ……最悪……俺たちで……もう一度前に……行くぞッ」
その言葉を遮るように、オットーが振り返り、
汗まみれの顔で——だが、笑って言った。
「おうよ。
ついていくぜ、リーダー様よ」
その笑顔は、若い頃と何も変わらなかった。
*
——ピッ……ピッ…………ピッ…………。
盾の点滅が、視界の端で消えそうに揺れる。
オットーの足が大きく滑り、膝が落ちかけた。
「くっ……! まずい……!」
焦りが、エドガーの詠唱にも滲み出る。
普段は流れるように明瞭な詠唱が、震え混じりの声へと変わっていた。
(待ってるぞ、エドガー……!
俺のシールドが消える前に……!)
洞窟の空気そのものが、張り詰めた刃物のようになった。
「——お待たせしました!
《白き黎明の矢》!!」
エドガーが魔導書を掲げた瞬間、洞窟内の温度が一気に下がった。
空気が凍りつき、白い吐息が漏れる。
天井すれすれまで、無数の氷の矢が次々と形成されていく。
——ギィィ、ギギギギ……!
鋭く透明な氷柱が数十、いや数百。
光を反射しながら、オーガの真上へと集束した。
エドガーが手を前に突き出す。
「——散れッ!!」
氷の豪雨が、弾丸のような速さでオーガへ降り注いだ。
世界が白に染まる。
霧と氷の衝突音が洞窟に響き渡った。
ドガガガガガガガガガ!!
霧が渦を巻き、視界を奪い、音が止む。
そして霧が晴れる。
そこには——
全身を穴だらけにされたオーガが立っていた。
巨体が、崩れ落ちるように膝をつき、
ドウゥゥン……と鈍い音を立てて倒れる。
ダリウスは剣を杖代わりにしながら、ふぅ……と長く息を吐き、
その場へ腰を落とした。
「……終わった」
力の抜けた声だった。
オットーも張り続けていたシールドバッシュを解き、
肩を落とすように大きく息を吐いた。
「ふぅ……あっぶねぇ……」
ミラは両手を上げて歓声をあげ、跳ねる。
「やったね!!」
エドガーも珍しく柔らかく笑った。
「えぇ……これで、次の階層への扉が……」
エドガーが指差した先。
巨大な石扉は——
開いていなかった。
「……?」
ミラが首をかしげる。
次の瞬間。
「ダリウスッ!」
エドガーの声が緊迫に震えた。
「扉が出ない!
まだ……息があります!!」
その叫びは、
勝利気分の空気を凍らせるのに十分だった。




