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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第13話 女神の特待生

翌朝。

 洞窟の天井は暗いままだ。朝なのか夜なのか、見上げただけでは区別がつかない。松明の火だけが揺れている。


 オットーが大口のあくびをしながら寝袋から這い出てくる。背中が鳴りそうなほど伸びる。


「ふぁ〜……よく寝たわい……」


 その向こうで、ダリウスは慣れた手つきでフライパンを操っていた。

 じゅう、とベーコンが音を立てる。脂が弾け、匂いが湿った空気を押しのけた。


「——飯ができたぞ!」


 焦げ目のついたトーストに、厚めに切ったベーコンがどっしりと乗る。

 とろけたチーズが熱で膨らみ、端から垂れた。


 メープルシロップは惜しまず回しかける。甘い匂いが肉の香りに絡み、胃が勝手に動く。唾が溜まり、飲み込む音が自分でも分かった。


「お、出た! ダリウスの飯!」


 オットーが子どものように駆け寄ってくる。足元が軽い。


 一方、エドガーはいつもよりずっと入念に歯を磨いていた。顔が近い。歯ブラシの往復が止まらない。


「……………」


 毛先がミシミシ鳴りそうな勢いだ。


 ダリウスは目線だけを逸らし、パンを皿に並べる速度を変えない。


(昨日、ミラに“口移し”でポーション飲ませてもらった件が……

 完全にトラウマになってるな……)


「ダリウスのご飯が冒険の醍醐味ですね」


 エドガーは歯磨きを終え、何事もなかった顔で席に着いた。胸を張り、喉を一度鳴らす。さっきまでの集中は跡形もない。


「おかわりもあるからな」


 ダリウスはパンを皿に並べながら言う。


「昔からダリウスがご飯当番だったの?」


 ミラが瞳をきらきらさせて尋ねる。


「一番うまいからな。器用なんだよ、ダリウスは」


 オットーはトーストをかじりながら応える。パンくずがひげに付く。


「お前らが料理下手すぎるだけだ」


 ダリウスはコーヒーをすすりながら溜息をつく。湯気の向こうで目を細めた。


 ミラは微笑んだ。


「私もね、ダリウスのスープ、一番好き。

 飲むとね……“心がぽわっ”てなるの」


 ダリウスは視線を逸らし、コーヒーカップを置いた。置く音が小さく鳴る。口元だけが少し緩んでいる。


「よし!」


 ミラはパンを飲み込み、拳を突き上げる。


「食べ終わったら出発だね! レッツゴー!」


 ダリウスは顔を戻し、静かに言った。


「……いや、ここで二日休もう」


 ミラの手がぴたりと止まった。スプーンが宙で止まる。


「えっ、なんで?」


 エドガーは首を回し、肩を押さえた。指先が力なく離れない。


「昨日の戦闘で……身体がバキバキでしてね……」


 オットーは腰をさすりながら乾いた笑いを漏らす。


「俺も腰がやばい。ミラ、女神の加護かけてくれんか……?」


 ミラの眉が上がり、視線が二人の間を往復する。


「い、いいけど……なんで二日も……?」


 ダリウスは箸を置き、真面目な顔で言った。


「いいかミラ……

 おじさんの身体はな——筋肉痛が……遅れてくる」


 間が落ちた。


「ぷっ……」


 ミラが吹き出し、ダリウスの腕を軽く叩く。


「またまた〜! 筋肉痛なんて翌日に来るもんだよ!」


 エドガーは深く息を吐き、真顔のまま言った。


「残念ながら……現実は残酷なんですよ」


「え……?」


 ミラがきょとんとしたまま固まる。


 オットーは遠くを見つめ、腰に手を当てて呟いた。


「俺も三十過ぎた頃からだ……

 最初は“魔物に呪われたのか”って本気で思ったからな……」


 ミラの表情がゆっくり崩れる。口が開き、まばたきが止まる。


「そんな……筋肉痛って……遅延配送されるの……?」


 ダリウスは肩をすくめ、口元を少し緩めた。


「まぁでも昨日の戦闘で痛感したよ」


 エドガーも頷く。頷いた拍子に肩がまた痛んだのか、眉が一瞬だけ寄る。


「えぇ……たかがゴブリン数十体。

 昔なら何の苦もなく捌けたはずなんですが……」


 オットーは腕を組み、言葉を続ける。息が一度詰まり、吐き直す。


「今はペース配分を少しでも間違えれば……そのまま崩壊だ」


 ダリウスはふっと笑った。笑いは短い。


「まぁ……三百歩ずつの冒険ってとこだな」


 オットーが鼻で笑い、エドガーが肩をすぼめる。

 ミラはパンの端をちぎり、口に運ぶのを忘れて手元で止めた。


 話の途中で、ダリウスがもう一枚ベーコンを焼き足した。鉄板の音がして、匂いが増える。

 休むと言い切ったあとも、手は止めない。



 朝食を片付けながら、ミラはそっとオットーの背に手を当てていた。

 淡い光が指の隙間から漏れ、オットーの腰が少しずつ伸びる。


「おお……効いてきた……! 本当に助かるぜミラ……」


 オットーは腰を伸ばし、息を吐いた。声が軽い。


 その様子を見ながら、エドガーが呟いた。


「……ミラは、生まれつき女神の加護を持っていたんですね。」


 オットーが当然のように頷いた。


「だよな? 羨ましいぜ。俺も欲しかったぜそんな才能」


 ミラはさらりと言った。


「違うよ。神学校に通ってるの」


「……!?」

「……ッ!?」


 エドガーとオットーが固まった。目だけが動く。


 ダリウスはコーヒーを飲みながら言う。声は平らだが、カップを置く動きが丁寧になる。


「ミラは神学校で主席なんだぞ」


 ミラは胸を張って付け加えた。


「しかも特待生で学費も無料なの」


 エドガーとオットーの視線が、ゆっくりとダリウスへ向く。

 ダリウスは慌てて手で“その話はするな”とジェスチャーする。ミラは気づかないふりでにこにこしている。


 ダリウスは強引に話題を切り替えた。


「そ、それより……誰か一旦、下の階層へ行ってマナポーションを買ってきてくれないか?

 エドガーが予想以上に使うと思う」


 エドガーは肩を落としつつも受け入れた。


「味が苦手なんですが……仕方ないですね」


 オットーは腰を伸ばし、明るい声で言う。


「よし、俺が行くぜ。ミラのおかげで腰も軽いしな!

 ミラ、ついてきてくれるか?」


「わかったわ!」


 ミラは元気よく頷く。


 エドガーも表情を緩めた。笑った拍子に頬が引きつり、すぐ戻る。


「助かります。……身体中が痛くて、座ってるだけで辛いんですよ」


 ミラはふと首を傾げた。


「でも……下の階層まで魔物は出ないの?」


 ダリウスはミラへ視線を向ける。


「安心しろ。魔物には縄張りがあるからな。

 昨日倒したルートはしばらく出てこないよ。安全だ」


「そっか。じゃ、行ってくるね!」


 ミラは軽く手を振り、オットーと共に洞窟の奥へ消える。

 二人の足音が小さく遠ざかり、野営地にはコーヒーの匂いだけが残った。



 市場は今日も混雑していた。

 コボルトが香草を売り、オークが肉を焼き、スライムが掃除用ジェルを路肩で売っている。

 ミラとオットーは瓶を袋に詰め、口を縛って背負い直した。


 帰り道の通路は暗い。松明の間隔が広く、影が濃い。

 ミラは鼻歌を歌いながら歩く。オットーは袋を提げたまま、足が重い。


「…………」


「〜♪」


 鼻歌が石壁で反響する。

 オットーは口を開いたまま閉じ、もう一度開いた。


「ミラ……」


「ん?」


「言おうかどうか……迷っていたんだが」


 ミラは一拍置き、少し目を丸くした。

 次の瞬間、笑う。


「神学校のことよね?」


「!? 知ってたのか!?」


 オットーが本気で驚いて目を見開く。


 ミラは肩をすくめ、少し照れたように言う。


「学校の友達と話してるうちに自然にね。

 入学するのに“お布施”がいるんでしょ?

 立派な家が建つくらいに」


 言い終えてから、ミラは口の端を指で拭った。鼻歌が止まる。


 オットーはゆっくりミラの顔を見つめた。足が一歩遅れる。


「ああ……そうだな。

 そのことは、ダリウスには」


 ミラは前を見たまま言った。歩幅を変えない。


「言わないよ。

 気づかないふりしてるの。

 ……その方が、ダリウス気を使わないから」


 オットーは言葉を失い、頭をかいた。指が髪に引っかかり、乱れる。


「……そうか。

 悪かったな, 野暮なことを聞いた」


 ミラは首を横に振り、笑った。笑いが小さい。


「ううん。聞いてくれてありがとう」


 足音が二つ分、並んだ。

 ミラの足は軽い。オットーの足は重い。

 どちらも止まらない。



 三階層、野営地。

 簡易テーブルの上にコーヒーが湯気を立てていた。香りが広がり、岩の冷気に負けずに残る。


 エドガーはカップを軽く傾け、ダリウスの横顔を見る。


「……いくらしたんですか? お布施という名の入学金は?」


 ダリウスはコーヒーを口へ運び、飲み込んでから指を四本立てた。目は逸らさない。


 エドガーが盛大にむせた。


「ごほっ……!?

 予想以上でした。

 引退した時のお金、それから冒険者に復帰したお金……それだけでは到底足りないですよね?」


 ダリウスは薄く笑みを浮かべた。笑いは短い。


「まぁ、借金を少しな」


 エドガーは長く息を吐く。肩が落ち、目の奥が少しだけ柔らかくなる。


「……あなたらしいですね。

 ミラには言わないつもりなんですね?」


 ダリウスはカップの黒い表面を見つめたまま頷いた。


「あぁ……。

 でも、多分ミラも気づいてる」


 エドガーが少しだけ驚いてダリウスを見る。


「では……なぜ?」


 ダリウスはしばらく黙った。

 指先がカップの取っ手を撫で、離れる。


「ミラは……俺が気を使わないように、気遣ってくれてる。

 だったら、俺もミラの優しさを無碍にするわけにいかないだろ」


 言い終えてから、ダリウスはコーヒーをもう一口飲んだ。喉が鳴る。


 エドガーは目を細め、呆れ顔で笑った。


「……あなたたち, もう親子以上に親子ですね」


 遠くから明るい声が響いた。


「おーい!」


 ミラが両手をぶんぶん振りながら帰ってくる。

 袋が揺れ、中の瓶がぶつかって音を立てた。


 ダリウスは立ち上がり、軽く背伸びをした。腰が鳴りそうになって止める。


「さぁ……あいつらにも, 美味しいコーヒーいれないとな」


 ダリウスはポットを手に取り、火へ近づいた。手首が自然に動く。

 湯気が上がり、匂いがまた濃くなる。

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