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最終目撃情報:まだ見ぬ世界の誰か――

「おーい、ちょっとここ抑えててくれねえか」

「今行きます!」


 憲兵は助けを呼ぶ声の元へと駆け付けた。

 言われた通りに板を抑えると、家主は慣れた手つきでそれを固定していく。


「やーすまねえな憲兵さん」

「いえ、復興の補助も我々の仕事の内ですから」



 ギルガノットが去って数か月。


 聖都メリアスは復興作業の真っただ中だった。

 今回の事件で各地に被害はあったものの、それらは小規模な人的被害ばかり。

 都市そのものが破壊されたのはここと大都市イアだけであった。

 特にメリアスは一度は完全に水没してしまったこともあり、全てを元に戻すにはまだまだ程遠い。

 今も憲兵や元龍旗兵まで駆り出しての大規模な復旧作業が続いている。


「憲兵さん、ちょっと茶でも飲んでいきなよ」

「そんな――ではお言葉に甘えさせてもらいます」


 家主に誘われ憲兵も一息入れることにした。

 本日は晴天。

 屋根の上の錆びついた風見鶏がカラリと音を立てた。

 暖かくも風は涼しげな良い天気だ。

 そして朝から力仕事で渇いた喉に美味いお茶。


「あぁ……あの日が夢みたいだ」


 彼の相方はあの日、ギルガノットの分体に喰われ死んだ。

 死体は未だ見つかっていない。

 食い尽くされたか、あるいは遠く流されたか。

 今思い出しても悪夢のような光景だった。

 そしてその後のこともまた現実とは未だ思えていない。

 龍の出現。

 雷雲に閉ざされる空。

 そして銀色の怪物の誕生。

 まるで神話を目の当たりにしたかのように、その時の自分はただただ屋根にしがみ付いていることしか出来なかった。

 しかしこうして壊れた家々を直していると、段々とあれが空想でも夢物語でもなく紛れもない現実だったと認識できる。


 多くの被害が出た。


 中でも一番の被害はこの国の王――龍の死だ。

 だがそれに関しては未だ実感が沸いていないと言うのが正直な感想だった。

 何せ彼を初めとして、ほとんどの国民は実際に龍を見た事がなかったのだ。

 それはどうやら龍の政略だったようで、姿を見せないことで神性をより強めようとしていたと噂されていたが、真実は定かではない。


 かつて龍神が死ねば世界は終わると聞いていた。

 海は荒れ果て、津波が町を飲み込む。

 天候は狂い、畑は全て枯れ果てる。

 海獣が陸を跋扈する死の世界が訪れると。

 だが実際は驚くほどに何も起こらなかったのだ。

 海はいつまでも穏やかで、空は突き抜けるように晴れ渡り、海獣は相変わらず沖合で無邪気に泳いでいる。

 今日も魔法都市の数々は平和そのものだった。


 茶を飲み終えると、家主は背を伸ばし徐に立ち上がった。


「そうだそうだ、今日の分の御供え忘れるところだった」

「あ、では自分も付き合います」

「おう、ちょっと酒持ってくるわ」



 ――そういえば、一つだけ変化があった。



 家主は家から一本の葡萄酒の瓶を持ち出した。

 そこらの酒屋で売っている安物の蒸留酒だ。

 憲兵と家主はそれを持って街を歩いた。

 人々は壊れた家を直したり、また路上で商いをしたりと忙しそうだ。

 だが彼らの顔は決して苦しいだけではなさそうだ。

 むしろ長年抑え付けられていた、様々な重圧から解放されたような――生まれ変わったような爽やかさすら感じさせる。

 街の大通りを抜けると、木々に囲まれた丘の入口に辿り着く。

 水害の中でも倒れることのなかった強く古い小さな森。

 その丘を登れば目的地だ。


「今日はまだお供えも少ないな」

「まだ日も高いですからね」


 小さな祠だった。

 古く苔の生えた石の祠。

 屋根の部分には蜥蜴のような蛇のような――少なくとも海蛇には見えない不思議な生物が装飾として置かれている。

 その形を見て憲兵は「やっぱり似てはないな」と一人小さく呟いた。

 そう、これは古代龍神の祠――その一つ。

 家主は小さな盃を手前に置くと、トクトクと葡萄酒を注いでいく。

 そして手を合わせ拝んだ。


「龍神様――明日も穏やかな日でありますように」


 彼がこの祠に通い出したのはつい最近からだ。

 いや、それどころかほとんどの住人はここの存在すら知らなかった。

 新しい形での龍神信仰。

 これこそが、龍の死がもたらした変化だった。

 思えば、生前の龍は――一部の信者を除き――一般市民からしてみれば神と言うよりは、あくまでも国を支配する会ったこともない王様でしかなかった。

 それも観光地化と海の保全ばかりで、そこに初めから住む人々としては決して良い王様とは言えない。

 ただ日ごとに増える観光客を言われるがままに相手するだけの多忙な日々――それを補助もせずに任せきりの横暴な支配者だ。

 しかし、あの事件から人々の印象は変わった。

 龍は一国を護った王――いや、神として認められたのだ。

 龍は――彼女は死んで初めて龍神となった。

 それはきっと本人してみれば皮肉な結果なのだろう。


 憲兵は家主と共に祈りを終えると「そうそう」とあることを思い出した。


「今度入り江に新しい人魚が来るそうですよ」

「そいつは嬉しいな。家の湿気取りでも頼むか」

「いや、セセラギさんみたいに優しい人とは……」

「はっはっ! 冗談だよ」


 家主は笑って言った。


「この前だって助けてくれたんだ。このぐらいは俺たちが自分で何とかするさ」


 憲兵は思う。

 ()()()()()としてのフリムローダは死んだ。

 だがそれが何が終わるわけでもない。

 人々にはまだ龍が作った街も技術も生き方も残されている。

 ()()()フリムローダは死んでなどいないのだ。


「さ、帰って修理の続きだ」

「はい!」



 街人の戦いは終わらない。

 聖都メリアスがまた美しい街並みを取り戻すまで。




 人魚ウタカタは岩礁で歌った。


『セセラギの代わりにメリアスに行きなさい』


 仲間たちからそう宣告されたのはつい先日のこと。

 ウタカタは勿論反発した。


『何でアタシが行かなきゃなんねーんだ!?』


 反発した――しかし――

 内心では何となく理由は分かっていた。

 ウタカタは一族のはみ出し者だ。

 感情がないほどに高貴で純粋なマーメイドとされる社会の中で、子供の時から遊び好きでイタズラ好き。

 声だって清んだような皆とは違うしゃがれたものだ。

 成長してより性格はねじ曲がり、おおよそ人魚のイメージからは程遠い不良娘として知られている。

 つまりこれは――


『……はっ! 体のいい島流しだろ? 無表情のくせに冗談が上手いぜ』

『………………』

『いいさ、行ってやるよ……どうせここに居場所はないんだ』


 自棄になって吐き捨てるウタカタ。

 そんな彼女に仲間たちは言った。


『やはり貴女こそが街に相応しい――頼みましたよウタカタよ』





「けっ!」


 ウタカタは思い出してまたイライラが募ってきた。

 何が相応しいだ。

 ただの嫌味じゃないか。

 人魚様も人間臭くなったものだ、と。


 岩礁の人魚はフリムローダの国民として正式に登録され、更には特級権限を多く与えられる。

 人々の相談に乗る謁見も決して強制ではなく、あくまでも人魚の気が向いたときにやれば良いだけなのだ。

 ウタカタはここに登録されて何日も経つが、未だに一度も謁見を開いたことはない。

 それどころか就任の挨拶すらしていない。

 ただただ毎日この岩に登っては歌い続けるだけだ。


「――――♪」


 人魚に感情はいらない。

 彼女らはより海に近付くために想いを捨てていく。

 歌はその手段だった。

 胸に沸き上がる感情をこうして吐き出すことで、徐々に無へと清められていく。

 ウタカタの歌も同じように、乗せるのは己の感情だ。

 だが普通の人魚が吐き出すような、純粋で美しいものとは違う。

 妬み、恨み、反感、怒り、憤り。

 自身の中に渦巻いている負の感情を大声で吐き出し続けた。

 きっと街の人間は驚いているだろう。

 そして人魚に幻滅するはずだ。

 セセラギが作ってきた崇高で可憐な人魚のイメージ。

 それを破壊してやるのは彼女なりの復讐だった。


「ふぅ…………」


 今日は苛立ちながら歌ったせいか、既に喉が疲れてきてしまった。

 まだまだ歌えることは歌えるが、どうせ誰に頼まれているわけでもないのだ。

 ここまでにするか、と彼女が海に帰ろうとしたとき――



「人魚のねーちゃん、もう終わっちゃうのか?」



 ――と急に声をかけられた。


「――――!」

「今日はいつもより一段とノってたのに勿体ないなぁ」


 その男――青年は謁見のための船着き場にいた。

 以前は憲兵が常に見張っていたが、今は復興で駆り出され誰もいないことが多かったのだ。

 いや、そんなことよりも彼は今なんて言った?


「いつもより? 今までアタシの歌を聴いたことがあるのか?」


 正直なところウタカタ自身はこの歌を"騒音"としか思われていないと考えていた。

 歌として認めてくれている。

 それだけでも少し口許が緩みそうだった。

 男は更に続けた。


「おう! オレはあんたのファン第一号よ。何つーか聴いてるとスカッとすんだよなー」

「それでもセセラギには及ばないんだろ……?」

「あぁ、確かにあの人の声は凄かった。頭の中のむしゃくしゃが洗われるようなそんな歌だったな」

「だったら――――」

「でもオレはあんたの歌のが好きだね。むしゃくしゃをそのまま吐き出したような――――それに声も格好いいしよ」

「……………!」


 セセラギは偉大な人魚だ。

 あれだけ人の近くにいながら、尚も超然と美しく人々を歌声で癒してきた。

 だがここに自分の歌が――自分の声の方が好きだと言ってくれる人間がいる。

 こんな気持ちは初めてだった。


「実はオレも楽器を持ってきてるんだな――いっちょ一緒に吹かせてもらってもいいか?」

「――勝手にしろ、人間」


 男は笛を鳴らし、人魚は歌った。

 街はもう日も暮れて月だけが彼らを照らす。

 天に轟くような合奏はいつまでも鳴り止まなかった。



 翌日――。


「何だこりゃあ……」


 ウタカタは自分の目を疑った。

 静かで寂しかった岩礁近くの浜辺。

 そこが人の壁で埋め尽くされていたからだ。


(もしかして、ついに騒音で追い出されるのか?)


 元々その覚悟はあった。

 望んでいたと言っても良い。

 昨晩などはあんな時間に歌い続けたのだ。

 復興で疲れた人々の安らぎの時間を奪った。

 いくら糾弾されても文句は言えない。


(でも――――)


 彼女はチクりと心に何かが残る。

 昨日は楽しかった。

 あれほど楽しいのは初めてだった。

 こんな日が永遠に続けばいいのにとすら思った。


(いや、仕方がない。覚悟はしてたじゃないか)


 ウタカタは意を決して彼らの前に出ようとする。

 すると昨晩演奏をした男が、集団を掻き分けて走りよってきた。


「人魚のねーちゃん!」

「あんたか……残念だがアタシは――」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「………………は?」


 ライブ?

 何を言ってるんだこの男は。

 そう思いながらも、恐る恐る人々の声に耳を傾けた。


「きゃー! こっち向いたわ!」

「人魚さーん!!」

「また歌を聴かせてください!!」

「あんなに熱い歌は初めてだ!」


 ウタカタは目をパチクリさせた。


「これは……?」

「いや、見ての通りあんたのファンだろ?」


 ウタカタは知らなかった。

 最近は住民のほとんどが街の中心地で復興作業をしている。

 だから昼に歌っていた彼女の声は届かなかった。

 だが昨晩夜に歌うことで、その声に感銘を受けた人たちが一度に押し寄せたのだ。

 彼女の歌はセセラギのそれとは違う、社会に対する不満を歌ったものだった。

 それが長年窮屈な生活を強いられていた、聖都メリアスの住人の心に刺さったのだ。


「それにしてもこんなに……」

「怖いか?」

「……少しだけ」

「じゃあ今日も隣で演奏させてもらっていいかな?」


 男は少しだけ恥ずかしそうに言う。


「ファン第一号としてちょっとは近くにいたいからな」


 ウタカタはコクリと頷いた。

 そして人魚が人にあまり干渉してはいけないと言う掟。

 その意味を初めて理解したのだ。

 人魚の力は海の力。

 人知を超えた絶対的な力だ。


(誰か1人のために使うには――大きすぎるな……)


 理解して改めて前任者に敬意を払う。

 彼女もきっと沢山の願望を飲み込んで来たのだろう。

 それが疲れたがゆえの最後だったのかもしれない。

 自分にはそこまでの意志が持てるだろうか。

 いや――――でも――――


「それじゃあ期待に応えてやるかね」

「やったぜ!」


 ――でも、今は。

 少しぐらいは何も考えずに楽しんでもいいだろう?



「アタシは新たなここの主ウタカタだ! みんなよろしくなぁー!」

「イエーイ!!」



 これまでとは少しだけ違う。

 清らかでもなく、泥にまみれたようで。

 純愛を歌わず、愛を歌い。

 美しくも格好良い人魚の歌。


 メリアスには力強い歌が今日も響き渡る。




「はぁ……」


 魔女シャウラは憂鬱な溜息をついた。

 ここは彼女の住まう魔女の森ではなく、そこから離れた"沼"と呼ばれる場所だ。

 常に陰気な雰囲気が漂い、ゴーストが飛び交う危険な地域。

 何故こんなところに来たかと言えば、それは故魔女姫の仕事の一つを終わらせるためである。


「…………」


 黙々と沼地を歩き続ける。

 幸い今はゴーストは出ていないらしい。

 しかし奴らはいざとなれば黙ってやり過ごせば良いのだ。

 問題は()()()()()()()()()()()()である。

 沼をしばらく歩くと、藪に閉ざされた小さな林が現れる。

 シャウラはそれをかき分け中を潜った。

 すると目の前にはとんがり屋根の不気味な家々が建ち並んでいる。

 そう、ここはもう一つの魔女の棲家。

 堕ちた魔女とも呼ばれる沼地に住む彼女らの集落である。

 魔女姫――ミィアラキスの仕事とは彼女たちに聖魔法の魔導書を届けることであった。


(はぁ……気乗りしないわ)


 シャウラは今日何度目か分からぬ溜息を漏らす。

 沼の魔女は昔は森に棲んでいた仲間であった。

 だが彼女らは龍を呪うあまり、やがて黒魔術や呪術に傾倒していく。

 それらは強力だが、同時に術者の心を壊す危険なものだった。

 だから既に闇に心が呑まれた彼女らを森から追放したのだ。

 そして人が立ち寄らぬ沼にもう一つの集落が出来た。

 ゴーストに囲まれながら、静かに鬱々と呪いを研究する陰鬱な連中。

 それと関わりを持ちたいと思わないのは当然だろう。

 もっともその当然が通じないのがミィアラキスだった。

 彼女はシャウラたちに隠れて、たまにここを訪れ、彼女らと魔法の研究に励んでいたらしい。

 いかにも知識に貪欲な魔女姫らしいやり方だ。

 そしてそんな研究の中で生まれたのが聖魔法だった。

 報酬は研究の完成を手伝う事。

 つまり既にもらっているのだ。

 森では「そんなもの無視すればいい」との声も多かったが、何といってもミィアラキスの最後の仕事でもある。

 魔導書を届けるくらいはしてあげよう。

 結果としてシャウラが代表して訪れることとなったのである。


(生きて帰れるのかな)


 シャウラはドアの前まで来て躊躇った。

 噂では沼では魔女や悪魔すら魔法薬の素材になるらしい。

 生きたまま磨り潰され、煮られ、骨まで使われるのだ。

 気が向かない。

 いっそ帰ってしまおうか。

 彼女がそう思って一歩引いた時――



「あのー玄関で何やってんスか?」



 ドアが開かれた。


 出てきたのはまだ若い魔女だった。

 彼女は固まったままのシャウラを見ると「うーん」とジロジロ観察を始めた。

 そして、ポンと手を叩いて顔を綻ばせる。


「あ、もしかしてシャウラさんスか!?」

「え……あ、はい」

「やっぱり! ミーアから聞いてた通りの美人さんっスね!」

「び、美人? と言うかミーア?」

「まっ! とりあえず中入って下さい!」


 何だかおかしなことになった。

 そう思いながらもシャウラは強引に家に連れ込まれる。

 家の中は――思ったよりも普通だった。

 どことなく悪魔的デザインだが、女の子らしくもある可愛い小物の数々。

 カボチャ型のランタンが部屋を明るく照らしている。


「なにー? ケルナー、お客さん?」

「そうっス!」


 部屋にはもう一人魔女がいた。

 こちらもまだ若い気だるげな目の女の子だ。


「あ、申し遅れたっス。あたしはケルナー。こっちがカペラっス」

「えーと、私は森の魔女シャウラです……」

「おー、じゃあミーアちゃんが言ってた付き人さんだー」


 どうやら少なくとも獲って喰われることはないらしい。

 それどころか逆に警戒してしまうほどに人懐っこい魔女たちだった。

 ケルナーはトテトテとお茶とお菓子を持ってくる。

 客人が珍しいのかやけに楽しそうだ。

 シャウラはお茶を飲むとようやく落ち着きを取り戻した。


「美味しいお茶ですね」

「でしょー。ウチがイアから取り寄せたとっておきだからねー」

「カペラはそういうの探すの得意なんスよ!」


 確かに改めて部屋を見渡せば、色々な街のものが混在している。

 メリアス製らしき陶器から、悪魔製に見える装飾まで。

 少なくとも沼に閉じこもっているイメージからは程遠い。


(もしかしたら森よりも他国の文化を取り入れてるかも……)


 シャウラがそんなことを考え驚いていると、カペラが魔導書に気付いたようだ。


「あー、もしかしてミーアちゃんが持ってく約束してた聖魔法魔導書?」

「――その通りです」

「持ってきてくれたんスか! ありがとうございまス!」

「いやぁー、ウチらも何回か練習中のやつは見してもらったんだけど、やっぱりミーアちゃんみたくは上手く使えなくってさー。助かるよ」

「魔女姫とは親しかったんですか?」

「勿論っス!」


 何でもミィアラキスが来るまでは、沼の魔女はここまで社交的ではなかったらしい。

 別に積極的に誰かを呪おうとするほどの気力はない。

 かと言って他にやることもない自堕落な日々。

 そこに突然押しかけてきたのがミィアラキスだった。


『さぁ! 妾に黒魔術を教えるのじゃ! 礼は出世払いでな!』


 彼女は知識の共有に躊躇がなかった。

 勿論門外不出の魔法を教えるような非常識さはない。

 だが一般的な魔法――あるいは自分で考えた魔法は全て惜しみなく提供してくれた。

 代わりに教わる側としても一切の遠慮がなく、呪いも何も関係なく次々と吸収していったと言う。


「ミーアには聖も黒も森も沼も関係なかったっス」

「何か沼でじみちーに頑張ってるのが馬鹿らしくなったよね」


 沼の魔女は徐々にミィアラキスに影響され、色々な事を学ぶようになった。

 近くの街に住む人間たちの文化も取り入れた。

 場合によっては悪魔の国にも行ってきた。

 魔女姫が現れてから数年しか経っていないが、永い停滞の反動かみるみる生活は現代的になっていったのだ。

 シャウラは一つ疑問を抱いた。

 今はもう龍を恨んでいない。

 なのに何故そこまで頑張る必要があるのかと。

 二人は逆に不思議な顔をしてしまった。


「何でって――そりゃー新しいものって楽しくない?」

「そうっス! 流行りの化粧品とか小物も欲しいっス!」

「……そ、それだけ?」

「流行を追いかけるのが生き甲斐っスから!」

「そう、ミーアちゃんが教えてくれた」


(何か良く分からないところだけ伝染しちゃってるな……)


 シャウラは溜息をついた。

 だがそれは来る前とは違う、どこか暖かな溜息だ。

 指針となる魔女姫が死に、目的となる龍もいなくなり――森に混乱の時代が訪れるだろう。

 だがこうしていつの間にか、先に進んだ彼女たちを見ると、その心配に胃を痛めていたのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 頭の固い森の魔女はここまで簡単には行かないだろう。

 だが少しずつでも他の文化を取り入れていければ――

 ――いや、周りの良い所だけ一方的に貰っていっても良いかもしれない。

 私たちは狡猾な――魔女なのだから。


「いつかウチらで新しいブランド作るのが目標なんだー」

「目指せ一大ウィッチブームっス!」



 シャウラはもう少しだけ、この可愛い先駆者たちの話を聞いていくことにした。





 西海岸よりややティルシハに近い海。

 沖には多くの巨大な船が揺れていた。

 船の持ち主はリザードマンの漁師。

 そう、先の戦いから船の修理に追われていた彼らだったが、この度目でたく修繕は終わり漁の時間がやって来たのだ。

 初めはメリアスから西海岸まで散らばるように出かけて行った船だったが、いつの間にか全員がここティルシハ沖に集結するようになってしまった。

 普通ならば漁場の取り合いで喧嘩の一つも起こるだろう。

 だがリザードマンたちに不満の声は上がらない。

 ――それは当然だった。

 この海は今、連日かつてない大量だからだ。


「おぉー、縄を入れて引けばもういっぱいだ!」

「こんなの見た事ねえや!」

「あぁー龍神様ありがてえ」


 この感謝は皮肉でも信仰でもなく本心からのものだった。

 つまりこの現象を起こしているのは、あの日散らばった龍の亡骸だったからだ。

 虹色の雨となった龍の体。

 それは近海の海獣たちを一手に呼び寄せた。

 それも危険な海獣は龍に恐れをなしているのか近寄らず、漁師の目的であるところの小さなものから中くらいまでの大人しい怪獣ばかりが集まっている。

 正に文字通り龍のもたらした大漁だったのだ。

 毎日が歓喜のお祭り騒ぎ。

 誰もが笑顔が止まらなかった。

 一人のリザードマンを除いては。


「はぁー」


 若いそのリザードマンは溜息をついていた。

 彼も漁師だ。

 大漁は勿論嬉しい。

 だがそれ以上に気がかりがある。

 龍は確かに横暴な王様だった。

 それは一番強固な監視を敷かれていたリザードマンたちが一番知っている。


【お前たち魔力のないリザードマンは、本来ならば"魚"として扱わねばならん。だが半身を陸に預け半端な身として私に忠誠を尽くすのであれば、今のまま生かしておいても良いぞ】


 リザードマンに伝えられる龍の絶対的な脅迫。

 それは仕事の選択も獲物の取り分も――全てを龍に握られる支配の始まりである。

 勿論歴史上には何人も反発し刃向う者もいた。

 だが結局は何一つ傷をつけることは出来なかったのだ。

 だから今この大騒ぎは正に解放の宴である。

 しかしだ――


「これじゃあいけねえよな……」


 龍は独裁的で横暴だ。

 しかし海の均衡を保つことには誰よりも必死だった。

 海獣が増えて観光客を襲わないように。

 かと言って取り過ぎて海の生態系がこれ以上壊れぬように。

 自身が魚を滅ぼした負い目もあったのかも知れない。

 とにかく漁獲量は徹底的に管理され、それは海を――しいては自分たちの生活を守ってきたのである。

 だがこの欲望のままに獲り続ける光景。

 今は偶発的に海獣が大量発生しているから良いだろう。

 いや、むしろ悪いのだろうか?

 仮に数が通常通りになったとしても、一度覚えてしまった甘い蜜の味を忘れることは出来ない。

 龍と言う縛りがなくなった今、止める者は誰もいないだろう。

 その果てにあるのは恐らく、海獣の減少――そして我々の廃業だ。

 きっと少ない漁場を巡り内輪揉めも起こるだろう。

 それだけは――


「それだけは避けないと!」


 若いリザードマンは興奮する漁師の間に割って入って宣言した。



「皆良く聞け!」


 何だ何だと近くの漁師たちは振り向いた。


「このまま欲望に任せて獲り続ければいずれ不漁の時代がやってくる! このお祭り騒ぎは今日までにして明日からは自分たちを節するべきだ」

「何だてめーは!」

「邪魔すんじゃねえ!」

「そう言って独り占めするつもりだろ!」


 海の男たちは喧嘩っ早い。

 だが彼もまた荒波に揉まれ育った一人。

 このくらいではめげなかった。


「いいや、俺に決める権利はないさ」

「じゃあどうするってんだ!?」


 彼は説明した。

 まず各船に漁獲管理者を一人決め、船長と合わせて二人が代表となる代表者会議を開く。

 そしてまず前年度の漁獲量と収益を見ながら、獲っても問題のないギリギリの線を導きだし、それを全体漁獲量として定めるのだ。

 最初の半年はそれを均等に割り振った漁獲量を個人漁獲量として、半年経った段階でそれぞれの船の釣果を見てもう一度振り分ける。

 また漁場の中間をいくつか中立漁場として、漁獲量の多い船は少ない船にそれを譲っていくのだ。

 大漁の船は卸売場での優先権をいくつか作り、仕事へのモチベーションも保つようにする。


「最初はなかなか上手くいかないと思う。だけど何とか自分たちだけで海の均衡を保つようにしていくんだ」

「…………」


 最初は反発していた他の漁師たちも、いつの間にか彼の言葉に耳を傾けていた。

 それは彼らが気付かないふりをしていただけで、実の所同じ不安を抱えていたからに他ならない。

 肯定に近い沈黙の中、一人の年配のリザードマンが手を挙げて質問をした。


「何で俺たちがそこまで考えてやらなくちゃいけなんだい?」


 いずれ危険が分かれば、聖都メリアスの役人が口出しをするかも知れない。

 あるいは人魚が忠告をするかも知れない。

 ならその時を待てば良いのでは、と。

 若いリザードマンはゆっくり首を振った。


「それでは駄目だ」

「何故?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――!」

「龍には少し――貸していただけなんだ」


 そう、彼らは漁師である以前に護る者だ。

 長き支配の時がそれを忘れさせていた。

 だがきっとすぐに思い出すだろう。

 我々は誇り高きリザードマンの一族なのだから。



 ――ポチャン



「ん?」


 その時若いリザードマンは何かが水に跳ねるのを見た。

 一瞬極小の海獣かと思った。

 ――だが違う。

 手足ではなく、背びれと尾びれのみの奇妙な流線型の姿。

 まるでお伽噺に効く"魚"のような――


「――まさかな」


 その小さな影は西海岸に向かって悠々と泳いでいき――やがて見えなくなった。





 西海岸の入り江。

 その片隅に花が手向けられていた。

 白い砂浜に青い海。

 赤い花が置かれることで、まるで絵画のような風景だった。


 ――ザッ


 足音が近付いてくる。

 現れたのは1人の男。

 手には新しい花。

 ここにある花のほとんどが彼の手によるものだ。

 男の名前はアサラ=ダートヘルム。

 エフル族の一人――そして――

 ギルガノット事件の最初の被害者――ミリムの恋人だ。


「ミリム……」


 あの日から多くのことがあった。

 日に日に強大になっていく怪物に世間はざわめいた。

 アサラも最初の目撃者として何度も質問を受けた。

 ――姿は見たのか?

 ――恋人を失ってどう思ったか?

 ――助ける暇はなかったのか?

 その度にただ反射的に答えてきた。

 すると記者たちは、大した情報も得られないと残念そうに去っていくのだ。

 やがてミリムはちょっとした英雄として扱われる。

 持ち上げられ、奉られ、同情された。

 その流れはギルガノットが去った今でも続いている。

 だがアサラにとっては全てどうでも良い事だ。

 彼にとっての事件はあの日のあの瞬間――

 ――その一瞬が全てなのだから。

 誰かに同情される度に思う。

 自分たちはそんな立派なものじゃない。

 この旅行だって彼女の親の金を盗んで来たのだ。

 生まれてからまともに働いたこともなければ、エルフらしく研究に没頭したこともない。

 ただただ消費していくだけの人生。

 彼女の死は彼だけのもので、彼の悲しみは彼の孤独だった。



「私もいいかね――アサラくん」



 突然の第三者の声にアサラはビクッと震える。

 振り返るとそこには知らないエルフの男が立っていた。

 一見すると若い――だがエルフは長命ゆえに年齢は分かり辛い。

 眼鏡に眉間に刻まれた皺。

 これは狩人よりも学者といった風体である。

 そこでアサラはその人物が誰か――ある可能性に思い至った。


「ミリムの……お父さんですか……?」

「…………」


 この無言は恐らく肯定である。

 アサラの背にツっと冷たい汗が流れる。

 実の所ミリムの家には何度か行こうとしたのだ。

 だが玄関でメイドに追い返され、結局会うことは叶わなかった。

 きっと彼はそれを言いに来たのだろう。

 この旅行を企画して誘ったのはミリムだ。

 だが家族からしてみれば、そんなの関係ないだろう。

 ただどこの馬の骨とも分からぬ男が娘を連れて行き――そこで娘は死んだ。

 その事実だけで十分なはずだ。

 アサラはどこかへ逃げ出したくなった。

 ――だが。


(くそっ! そうじゃないだろ!)


 彼はむしろ誰かに孤独を分かって欲しかった。

 罰して欲しかった。

 それが土壇場でこの体たらくだ。

 だらしないと思わないのか。

 エルフとして恥ずかしくないのか。

 そうだ――正直に謝ろう。

 そして命を差し出せと言われれば、大人しく差しだそう。

 少しでも彼女の償いになるのなら。

 ――気付けば震えは止まっていた。


「お父さん――娘さんは――」

「分かってるさ。どうせ娘が誘った旅行なんだろう」


 彼は容赦ない言葉使い。

 鋭い目つきで近付いてくる。


「はい……でも僕も――」

「――この馬鹿娘めっ!!」


 彼の突然の怒声が静かな入り江に響き渡る。

 彼は堰が切れたかのように叫びだした。


「毎回毎回私の金を勝手に持ち出して――何も言わずに出て行き、挙句の果てにそのまま喰われて死んだだと!? ふざけるのもいい加減にしろ! 帰る度に叱りつける親の気持ちを考えたことがあるのか!」

「お、お父さん――」


 アサラはさすがに何かを言いたくなった。

 何も死んだ娘にそこまで言わなくてもいいじゃないかと。

 だが――()()()()()()()()()()()()のを見て留まる。

 ミリムの父は泣き崩れるようにして、その場にしゃがみこんだ。



「黙って出て行ったら……別れの言葉も言えないじゃないか……くそっ……!」



 アサラはその姿を黙って見ているしかなかった。

 自分たちは何も意味のない人生を歩んでいる。

 それはあくまでも子供らしい勝手な理由だったのだ。

 誰でも生きている以上は親――あるいは友人。

 あるいはまだ自分の知らぬ誰かと繋がっている。

 孤独に死ねるなんて思い上がりだ。

 少なくとも――少なくとも自分たちだけは信じてやらないといけない。

 自分を生かしてくれる誰かの存在を。

 自分を心配してくれる誰かの存在を。

 そうじゃなきゃ――あまりにも申し訳がなさすぎる。


 アサラはふと彼女が消えた海岸を振り返った。

 そこにはまたあの虹の輪が浮かんでいる。

 彼にとっては不吉の象徴。

 全ての始まりであり、全ての終わりだった。

 だが消えるもの全てに意味があるならば。

 きっとあの虹もどこかの誰かに繋がっているのだろう。

 まだ会ったことのない異世界の誰かに。


 虹はより煌々と輝き。

 そこに一隻の小舟が近付いている。

 だが今の彼には――ここで泣く娘を亡くした男の傍にいるのが精いっぱいだった。




「さーて、やっと着いたな」


 西海岸で船を漕ぐ男がいる。

 一人で持つには大げさすぎる荷物。

 更に服装は寒冷地から火山帯まで想定した重装備だ。

 いささか心配性過ぎるところはあるが、これから行く場所を考えると荷が多くなってしまうのを責めることは出来ない。

 そんな心配性の男の名を――海洋学者コバルト=ホライズンという。


「ふぅ……緊張するな……家の戸締り大丈夫かな」


 ギルガノット事件――その終結。

 学会の日陰者だった彼は、あの日を境に一躍有名人となった。

 初めに怪物の姿を目撃し、何度も刃を交え(スピナが)、更に最後は多種族の力をまとめあげて見事ギルガノットを撃退したのだ。

 有名人と言うよりは英雄に相応しいだろう。

 今まで彼を爪弾きにしていた学会も口出しは出来なくなった。

 何せ一大勢力だった古代龍信仰は龍を失ったことで一大事だったのだ。

 内部分裂に様々な謀略が飛び交い、コバルトに構っている余裕はなくなったのである。

 それにこれだけ英雄視された人間を今更貶めようなど、あまりにも無茶な考えでもあった。


(面倒も多かったけど、良い事もあったっけなぁ)


 良い事はいくらかあった。

 中でも一番大きかったのは異世界説の強化――いやブームと言っても良いだろう。

 世は一大異世界ブームとなったのだ。

 何せそちらの世界の凄さを毎日のようにギルガノットが宣伝しているようなものだったのだ。

 例え怖い物見たさでも、嫌でも注目は集まってしまうだろう。

 今までは考えられなかった資金援助も大量に舞い込んだ。

 どの大企業も我先にと、異世界の技術を欲しがったのだ。


(俺はあくまでも海洋学者なんだけど……)


 コバルトにとっては若干複雑な思いもあったが、それでも有難い事には変わりない。

 今乗っているこの船もそれで得た物の一つだった。

 もっともこれから行うことを考えると、ある意味ではスポンサーを裏切ることになる。

 そこに関して彼は「まぁ、使い方として間違ってはないよな?」と自分に言い聞かせて、無理やり納得する形となった。


 小舟で目的の場所まで近づくと今度は次の準備に入る。

 取り出したのは小さな箱のような魔道具だ。

 これは援助された資金を使い、知り合いの魔女に頼んで作ってもらった代物である。

 効果はなんてことない――強力な魔力を内部で循環させるだけのものだ。

 普通に使えばちょっとした副産物の他には何の効果もない――ガラクタだ。

 だがここでそれを使うことで、特別な効果かが現れる。


 ――カチッ


 魔道具を起動させるとブィーンと言う音と共に――彼には感知できないが――中では魔力が高速で回り始めた。

 そして辺りに魔力の風が吹き始める頃――目の前についに現れたのだ。



 鮮やか過ぎる海にかかる虹。

 それは水面に反射して出入口(ゲート)にも見える。

 ――いや、今なら断言できる。

 これは紛れもなく異世界に通じる虹の架け橋だ。



「数か月ぶりだな」


 ギルガノットが去った時。

 コバルトには一つだけ罪悪感が残った。

 それは異世界にあの怪物を放ってしまったことだ。

 多くの人々は「ただ返しただけだろう」と思うだろう。

 だが奴をあれだけ凶悪にしてしまったのは、この国――そして龍が残した魚の亡霊の力である。

 これだけ龍と国の成り立ちに巻き込んでおいて、ただ一方的に被害者ぶるのはどうにも納得がいかなかった。

 コバルトなりにけじめを付けたかったのだ。



 ――――()()()()()()()



「――――っ」


 虹を見るコバルトの表情。

 目は知らない世界を夢見て輝き。

 口は笑いを堪えて引きつっている。

 頬は昂揚で赤く染まり、胸は高鳴り続ける。


 彼はあの時確かにギルガノットの世界を見た。

 見たことない光景だった。

 あれを見て――憧れない学者などいないだろう。


 何とことはない。

 コバルトは単純に行ってみたかった。

 それだけの理由だった。


「っと、早く行かないと閉まっちゃうな」


 コバルトは虹の中心に向かって船を漕ぎだした。

 家のことは全て済ませてある。

 仕事も――多分分かってくれる。

 ただこちらの世界に心残りがあるとすれば――


「スピナ……」


 そう、あのリザードマンの相方のことだけだった。

 彼女はあの時――生存は絶望的かと思われた。

 だが助かった。

 理由は本人も気を失っていたので詳しくは分からない。

 だがこう推測は出来る。

 ギルガノットは最後に足掻くように幽体化を繰り返した。

 普段なら滅多にやらない全身の幽体化も含めてだ。

 普通なら奴に呑みこまれたものは体の一部としてそのままである。

 だが生きたままに飲み込まれ、あの時点でまだ息のあった彼女だけは例外だったのだろう。

 内臓まで幽体となった時に、透過して海に落とされたのだ。

 これを奇跡とは呼ばない。

 最後まで生き続け足掻いたからこその生存だ。

 スピナは今はまだ怪我を癒すためにメリアスの病院にいるだろう。

 あそこには彼女の母親もいる。

 ――もうコンビは終わったのだ。


 ここからはひとり旅。

 彼女に会う前と変わらない日常。

 それに戻っただけなのだ。


 だけど―――


「でも久々の1人はなかなか心細いもんだな……」















「そう言うと思ったよ――コバルト」






 海から――突然()()()()()()



「どわぁぁああー!!」

「いや、そんなに驚かなくても……」

「ス、スピナ!?」

「うむ」


 彼女は「よっ」と言いながら軽く船に飛び乗る。

 結構な大怪我だったのに、今では傷跡すら見えない。

 そもそもどこから乗って来たのだろうか。

 だが、紛れもないスピナ=ターナー本人である。


「……足の傷は?」

「三日も寝れば治るさ。後は普通に仕事してた」

「……どうやってここまで?」

「船底にしがみ付いていた」

「…………」

「冗談だ。海岸で見張っていて泳いできただけに決まってるだろう」

「決まってるって……結構距離あるけどな」

「私が半分リザードマンなのも忘れたのか? やはり心配で一人では行かせられないな」


 彼女はニッと悪戯な笑みを浮かべた。

 何か吹っ切れたのか、以前よりも明るい表情だ。


「戻って来れるか分からないぞ」

「ちゃんと職場にも母にも言ってあるから大丈夫さ。それに最初にいっただろう? ギルガノットは私が必ず殺してやるってな」


 彼女はもうそんなことは思っていないのは明白だった。

 つまりこれはただの表面上の理由付けに過ぎない。

 コバルトと同じように。

 だったらきっと本当の理由も――



「やれやれ……旅行気分で来られても困るんだけどな……まぁここで追い返すわけにもいかないし……」

「そのタイミングで乗ったからな」

「狡賢くなったな……」

「ふっ、お前やギルガノットに習ったんだよ」


 コバルトはついに諦めたようだ。

 こうなったら異世界旅行――最後まで付き合せてやろうじゃないか。


「はぁ……ところで今日は何曜日だっけ?」

「何を突然? 今日は――茸曜日――いや、灰曜日だったか」

「いや、あっちの世界が休日で人が多かったら嫌だなと思って」

「お前こそ旅行気分じゃないか……」


 スピナは「そもそも異世界に曜日あるのか?」と言いコバルトは「それもそうだ」と返した。

 何てことない会話の内にも異世界の扉は近付いて行く。

 今から行くのは前人未到の地だ。

 だけどどうしてか心は家にいるかのように落ち着いている。

 今なら――どこに行っても負ける気はしない。



 コバルトたちは虹の先を見て――言った。



「――それじゃあ、行ってきます」





 二人を乗せた小舟は虹の中へと消えて行った。


 魔道具の副作用――溢れた魔力は光に当たり――

 小さな虹を辺り一面に生み出していた。








   異世界鮫 終

異世界サメメモ

2019年現在。ホオジロザメの永続的な飼育には――未だ成功していない。




これにて本編終了です。

ご愛読ありがとうございました。

でもせっかくなので一話だけ番外編を載せようと思います。

明日中に更新予定なのでそちらも是非読んで下さい。

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