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10/13

目撃情報10:ドラゴン

 ~龍神の傍で夏を過ごす~


 一度きりの今年の夏。

 どこで遊ぶかは決めましたか?

 まだのあなたにオススメするのは――

 龍神の都フリムローダ!

 綺麗な海に大満足のサービスの数々。

 人魚の歌声に酔いしれる至上の一時を!

 そこは龍神の加護の国。

 世界でもっとも安心する旅が待っています。

 ここは楽園フリムローダ――――


      フリムローダ観光事務局



 ・国宝の人魚が行方不明に


 昨日昼過ぎ、メリアス港沖の岩礁に訪れていた人魚のセセラギさん(年齢不明)が行方不明に。

 セセラギさんはフリムローダ王国から国家特異歴史顧問として、長年国民に親しまれながら相談役を請け負い働いていた。事件当日も本来の謁見日は異なるが、臨時謁見人との話し合いの為に岩礁にいたと憲兵は証言している。

 しかしその相談者との謁見を終えた後、そのまま海へと飛び込んだのを最後に消息不明に。

 関係者によれば、突然海中に姿を消すのは良くあることだが、こちらからから呼びかけても何も返答がないので探してみたところ、海中には彼女のものらしき装飾品が無造作に散らばっていたと言う。

 ここ最近近隣の海では凶暴な海獣被害が多数目撃されており、今回の事件とも何かしらの関係があるのではと関係者各位不安に感じているようだ。


     フリムローダ海覧新聞



「安全って何だろう」

「突然なに言い出すんだ?」


 憲兵二人は聖メリアス港の夜間警備についた。

 港の警備など本来の仕事ではないのだが、ここ数日のキナ臭さからすれば仕方のないことかも知れない。

 西海岸でのエルフから始まった一連の事件。

 それは人魚セセラギの消失という――半ば最悪の形でこの街にも訪れてしまった。

 だが、来てしまったとならば逆にやることは明白になる。


 ――それはこの街の中にギルガノットを入れないこと。


 極めて単純な最後の防衛ラインだった。

 新聞を読んでいた憲兵は相方に質問する。


「本当に――本当にこんな警備で侵入を防げるのかな?」

「怖じ気づいたのか?」

「そ、そんなんじゃないけどさー」

「別にお前に化け物退治しろってわけじゃねーよ」

「分かってるけど……」

「そもそも俺達がいなくても防御は完璧なんだよ」


 セセラギの行方不明以前から、その計画は進められていた。

 海から街へと繋がる全水路を封鎖。

 更に水道に関しては、外部からの入り口をレジスト魔法と感知魔法をかけ続けて常に見張っているのだ。

 また大都市イアで起きた空からの襲撃。

 あれを防ぐために、近隣の海をリザードマンの船と見張り台からの監視で竜巻一つ見逃さないように警戒している。


「ギルガノットは一見すると神出鬼没だ。だけど実際は川や水道を利用しているに過ぎない。いくら能力が多かろうと水の生物には変わらないんだよ。そう――()()()()()()()

「なるほどねぇ」


 心配性の憲兵はとりあえずは納得したようだ。

 彼は「読んでも不安になるだけだから」と新聞を畳んで、自分達が見張るべき海に目を向けた。

 そして、こんなことを言う。


「しかし今日は何だか()()()()()()

「海が近い?」


 奇異なものを見る目を相方へと向ける。

 海に近いも遠いもあるはずがない。

 そんな表現自体聞いたこともない。


「わけ分からんこと言うな」

「えー、だってほら。()()()()()()()()()

「なに?」


 ――確かに。

 確かに言われてみれば、いつもは港の縁に立てば大人の背丈ほど下にある水面――それが今日はしゃがめば触れるほどに高い。

 しかしおかしい。

 ここは龍神と人魚の住まう聖都。

 海はいつだって、彼女らに従うように穏やかだ。


「そんなことが……」

「ははっ、海の水が増えてるのかな」

「おい、冗談でもそんなこと――――」


 ――ピチャッ


 それは僅かだが、あまりに大きな変化の予兆。

 いや――予兆ではなく、異変の飽和する最後のサインだった。


「おい! 足下まで水が来てるぞ!」

「え、あ……うわぁ!!」


 そして一度飽和したそれは一気に加速する。

 文字通りこの街の防波堤は――



 ――――決壊した。



「だ、誰か助けがぼぼがぼ――――」


 二人の憲兵から見れば、水位が上がり港が水没したかのように見えただろう。

 都にいた人間からすれば、そう見えてしまうのは仕方なかった。

 それを正しく認識できたのは、都の外に住む人々。


 西海岸の観光客は見たはずだ。

 遥か遠方に四角い塊が浮かび上がる瞬間を。


 森の中で魔女たちは見たはずだ。

 遠くで青い檻が現れる様を。


 凍土ティルシハに生きるものはもういない。

 だが巨人よりも大きなそれは確かに存在した。


 グラムオンの渓谷にいるスライムたち。

 自分よりも強大な死の液体に何を思うだろうか。


 大都市イアは復興の最中だった。

 そこは水色の影で閉ざされる。


 月の悪魔たちは知らない。

 自分達の知らない所で、世界が危機にあることを。




「――ぶはぁ! はぁ……っ! はぁ!」


 憲兵は何とか燈台まで泳ぎ着いた。

 この高さならば天辺までは水没していないようだ。

 呼吸が落ち着くと、自分が護る街を振り返る。

 ――そして、絶望の景色を眺めた。


「街が……街が沈んでいる……」


 聖都メリアスはまるで四角い牢獄で固められたかのように、街だけが上昇した水位に沈んでしまっていた。

 既に水魔法などと言うレベルを超えている。

 これほどの事が出来るのは、水を操ると言われる人魚くらいしか……。


「――がはっ! ごほっごほっ」

「おぉ、生きてたか!」


 次に水面から顔を出したのはもう一人の見張り憲兵だった。

 彼も溺れつつも灯台まで泳ぎ着いたようだ。


「とりあえず水から上がるんだ!」

「う……うん……」


 疲れているのか、上手く上がれない彼へと手を伸ばす。

 だがその体は予想外に重かった。

 まるで逆から引っ張られているような――――


「あぁあぁああーー! 足が! 足に何かが!」


 水の青に同化して最初は気付かなかった。

 だが良く見れば、水面下にはスライムのような影が大量に泳いでいる。

 イアでの事件。

 憲兵はその報告を聞いていた。


「ギルガノットの分体……!」

「た、たすけ――」


 助けを呼ぶ声も空しく、彼の体は水の怪物へと吸い込まれて行った。

 だがそれを悲しがる暇はない。

 この数の分体。

 もし街中が同じような状況になっているとしたら……。


 男の体から力が抜けていく。

 自分ではどうしようもない事態に。

 いや、誰であろうと人一人が対応できるわけがない。

 ――災害。

 人智を超えた驚異の前に――人はただ祈る事しか出来ない。


 ただ一つだけ――一つだけ幸いだったこと。

 それはこの街には正に"祈るべき"相手が存在したのだ。

 憲兵はその名を口にする。



「龍神様……」




 そして、王宮から巨大な龍が現れた。




 フリムローダの龍――アイルダは絶対なる王である。

 これまでも彼女――あるいは彼は、自らの覇道を阻むものを排除してきた。


 最初の敵は海の生物たちだ。

 早々に傘下へと降った海獣と違い、知能の低い魚は彼女に従うことはなかった。

 そして、かつては同じく魚類であった彼女にとってそれは許し難い事だった。

 龍は唯一の存在でなくてはならない。

 下等な同類など恥でしかない。

 だから滅ぼした――歴史ごとだ。


 海を牛耳る頃、彼女は既に一個の魔法生物として完成の域に達していた。

 ならば次に向かうはあの浜の向こうである。

 エルフ、獣人、魔物が大人しく投降する中、最後まで抵抗した勢力が二つあった。

 一つは多彩なる魔法を操る魔女。

 一つは特殊な力で、鉄壁の鱗を無視して魂を壊しにくる悪魔。

 彼女らは手強かった。

 結局完全なる支配も殲滅も出来ず、魔女は停戦と共に森へ逃げ、悪魔は魔神に引き連れられて別の世界へと消えていった。

 そして陸上は龍のものとなり、そこに王国が出来たのだ。


 だがまだ平穏は訪れない。

 意外にも最後に抵抗を示したのは貧弱なる人間だった。

 魔力も肉体も弱い彼らの中に、ある日突然変異体が現れたのだ。

 人々はそれを勇者と呼んで崇めた。

 勇者は人並み外れた力があったが、脅威はそこではない。

 一番厄介だったのは、龍燐をも傷つける聖剣ベアウルフの存在だった。

 例え勇者を殺しても、僅か数十年で新たな勇者が現れ――そして、不思議なことに聖剣は何度破壊しても勇者の手へと再出現するのだ。

 長い時間をかけて――人間と表面上は仲良くし、勇者も懐柔してからもその剣の存在だけは不安要素だった。

 そもそも聖剣と言う名前も好きではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 魔剣と呼び名を変えてやったのは、半ば目眩まし、半ば嫌がらせである。

 そして、つい最近になってようやく具体的な対策が見つかった。

 彼女は以前呪われた道具が、生物の腹の中で眠ってしまう事例を見たことがあった。

 だから、あの憎き剣も同じ方法で封印が出来るのではと考えたのだ。

 つまりは何者かが勇者を倒して、聖剣を食えば良い。

 だが勇者を倒せる生物など、それこそ龍以外に存在しない。

 所詮は実行出来ぬ計画、所詮は机上の空論。

 そう思っていた――ギルガノットと呼ばれる化け物が現れるまでは。

 計画は見事に成功した。

 口だけは達者な勇者をまんまとけしかけ、ついに聖剣の封印に成功したのだ。

 魔女は力不足。

 魔族は去った。

 聖剣は消えた。

 目障りな人魚もいない。

 完全なる安息。

 完璧なる支配がやってきた。



 ――やってきたはずなのに。



【死霊に取り憑かれ――利用されていることを知り、それでもまだ続けるのか? 醜き海の亡霊ギルガノットよ】


 

 王宮は水で満たされて、絢爛な内装はゆらゆらと揺蕩(たゆた)う。

 家臣は皆避難した。

 残る龍はただ悠然と王座に座し続ける。

 彼女にとっては水中も地上も何ら変わらない。

 自分以外の生物の命が等しく無価値なように。


 そこに現れたのは一匹の客人だ。

 美しく灰色だった肌は、傷付き、黒ずみ――それでいて尚も美しく。

 生え代わり続ける牙は、まるで永遠を約束された力の象徴のように。

 深淵なる黒き瞳は、優しさすら感じさせて。


 訪問者の名はギルガノット。


 そのあまりにも堂々とした登場に、龍は数十年ぶりに高揚していることを自覚した。

 彼女は口許を歪ませて問いかける。


【くっくっ……殺意を向けられることは多々あれど、私を喰おうとする悪食家など誰以来か。良かろう――――】


 龍は椅子から立ち上がると、次第にその輪郭がぼやけていく。


【喰えるものならば喰らうが良い。その()()()()に収まるものならばな】


 曖昧だった龍の輪郭は急速に肥大化していく。

 首は天を貫くように伸びていき、髪は(たてがみ)へと変化する。

 玲瓏たる衣装は鱗へと姿を変え、仮面はそのままに巨大化して顔を覆った。

 城の天井は破れ、突如現れた雷雲が龍の首を受け止める。

 気付けば街の空は、黒き雲と終わりなき長さを持つ龍の胴で埋め尽くされていた。

 頭も尻尾も見当たらない。

 だが恐らくあの雲の上から、金色の瞳で地上を見渡しているのだろう。

 水に固められた街。

 雷雲と龍の空。

 誰もが神話で伝え聞くような風景がそこには広がっていた。


【さぁ、存分に殺し合おうぞギルガノットよ。無論まだやる気があると言うのならば――――】


 雲の上から放たれる声に応えるように、一本の小さな水柱が天へと昇っていく。

 そして、それは数ある龍の胴体にぶつかると、中から大口を開けて鱗へと牙を向くものが姿を見せた。

 その歯は貫きこそしないものの、確かに無敵の龍鱗にがっしりと食い込んでいる。


【面白い……】


 この世界で最も強い二つの生物が――今邂逅したのだ。




 龍は内心とても驚いていた。

 それはギルガノットの牙が、傷こそつかないものの自分の鱗に干渉できている事実にだ。

 龍鱗は元より魔法も物理攻撃も跳ね返す鉄壁の鎧だ。

 だが彼女のものは単純に頑強というだけではない。

 この国に古来より存在した土着神『龍神』信仰。

 彼女はそれに自分を重ね合わせて、人々の信仰の対象となったのだ。

 その結果、この体はある種の"神性"を得ることに成功した。

 人には干渉されない神の力。

 なのにこの魚はこうして噛み付いている。

 つまり神性に対抗する術を持っているのだ。

 思い当たるのは二つ。

 一つは聖剣。

 それはこいつの中にあるが、ギルガノットは多分物質から能力を得ることは出来ないはずだ。

 ラーニングとはあくまでも生命から力を奪う能力なのだ。

 現に今もあの忌々しい聖剣の力は感じない。

 とすれば残る可能性は一つ――


【――――悪魔を喰ったな。魂そのものに触られるような、いっそ懐かしいほどに不快な感覚だ。だが――――】


 龍はギルガノットの噛みつきなど意に介さず、その身を別の胴へと叩きつけた。

 原始的な攻撃だが、これだけで衝撃波が飛び海がさざ波を立てる。

 ギルガノットは重傷こそ負っていないものの、牙は何本も折れて抜け落ち、衝撃に体は痙攣を起こしている。


【おっと、これで潰れていないとは――存外頑丈な体のようだ。だが締め付けている以上は逃げることは叶わぬぞ?】



 龍は自らの胴体同士で挟み込むように、ギリギリとこの小さな挑戦者の身を締め付けていく。


 ギルガノットはその間にも魔法を行使した。


 火魔法。雷魔法。


 一見有効に思えるそのどちらもが龍の鱗に阻まれ、ダメージどころか力を弛ませることすら出来ない。

 神の龍鱗の前では魔法など無意味に等しい。


 早くも勝負は決したかと思った時――――


 ――ギルガノットの体が透けていった。



【――――! 幽体化か】



 勇者を相手にしたときは、歯や内臓などは幽体化させないこたでこちらからは攻撃が出来るようにした。


 しかし今回は現世のものを完全に透過する完全幽体化だ。


 ギルガノットは龍の締め付けをスッと抜け、そのまま下に落ちて退避しようとした。


 ――しかし、易々とそれを見逃す龍ではない。



【ふん、悪足掻きに過ぎぬわ】



 彼女の胴の一部が発光する。


 そして、発光した体は勢い良く振り払われ、幽体となったはずギルガノットをものともせずに叩き付けた。



【魔女が作り出したらしい聖魔法だが、私にとっては初めから魔法属性など意味を成さぬ。百の事象に千の法をもって応える。それが万象を司るということだ】



 魔法も幽体も巨人の怪力による牙も通じない。


 神を名乗るに相応しい完全生命体。


 そんな相手を前にして、ギルガノットに残された道。



 ―――――それは



【ここにきて臆したか、ギルガノットよ】



 それは無様な敗走だった。


 人魚から奪った力で水を操り道を作る。


 空にはどこまでも龍の雷雲が続く。


 果ての見えない逃走劇だった。



【ならば――ただ何も成さずに灰塵と消えよ】



 龍は残念そうにそれだけを言うと、雲へと魔力をつぎ込んでいく。

 雲はバチバチと音を立てて、今にも弾けそうなほどに電流を溜め込んでいく。

 そして雷雲はより唸りを上げて、ギルガノットへとその光を落とした。



 ――シュン



 それを防ぐためにレジストを繰り返すギルガノット。


 だが龍の雷はまるで生きているかのように、次々と現れてはそのどれもがその身を追いかけた。


 上空からそのまま襲いかかる雷。


 左右から、あるいは下からも不気味な軌道で回り込まれる。


 全方位からの絶え間ない攻撃にレジストが間に合わない。


 一方的すぎる消耗戦にギルガノットが使った次の手は、これも悪足掻きにしか見えない炎と水の複合魔法――霧魔法ミストランド。

 文字通りただ広範囲に霧を出すだけの目眩ましである。

 高魔力ゆえの尋常ならざる量の霧は聖都メリアスだけに止まらず、フリムローダ全域を包み込んでしまった。

 下界はただただ白い霧の海原が広がるのみ。

 上空の黒き雷雲と白い霧。

 その中を行き来しながらもギルガノットは雲海を逃げ続けた。


【はっ! 水平線の果てまで逃げる気か? ならば我が雷は果ての果てまでも追いかけようぞ】


 龍は嗤う。

 万里を見通し世界を監視する彼女にしてみれば、濃霧など余りにも些細な障害に過ぎない。

 精々どの街の上にいるかを見失う程度。

 だが人よりも遥か高位の視野を持つ龍にとって、国境も海上も関心はなく、また関心もない。

 今はただ一匹の虫に絶望を与えることしか頭にはなかった。


 どれほどの距離を逃げただろう。

 終わることのない稲妻の嵐。

 レジスト、分体による身代わり、水壁による防御。

 ありとあらゆる手を尽くして神憑り的な回避を続けてきたギルガノットだったが――ついにその限界が訪れた。


「――――!」


レジストをすり抜けて、何発かの落雷がギルガノットに直撃したのだ。


【ようやく当たったか。だがまだくたばりはしなかろう?】


 彼女の言う通りだった。


 

 普通の生物ならば、一撃で炭と化す神たる力。


 だが巨人のタフさとエルフの魔法抵抗力を持つギルガノットは、体表からブスブスと煙を出しつつも持ちこたえていた。


 もっともその見た目はあまりにも痛々しい。


 あちこちが火傷、または黒く焦げた体。


 先程の締め付けで、骨も何本かは折れているだろう。


 更に先日受けた傷痕が開き、血も滲んでいる。


 魔力だって、あれほどレジストに霧魔法にと酷使したあとだ。

 いつ枯渇してもおかしくはなかった。


【ふん、無駄な追い掛け遊びであったな】


 龍は最早動くこともままならないギルガノットをゆっくりと――とぐろを巻くように捕まえ締め付ける。

 まるでどこまで逃げようとも、全ては己の掌とばかりに。

 ギルガノットにもう抵抗する力は残っていない。

 締め付けられるごとに、その身はミシリミシリと音をたてて破壊されていく。

 骨は折れ、圧迫された内臓からは血が吹き出す。

 数日に渡りフリムローダを脅かした海亡の旅は終わりを迎えようとしていた。

 龍は最早意識があるかも分からぬ好敵手に最期の言葉を投げ掛ける。


【悔いて絶滅しろ――ギルガノット】



 ――――絶滅。


 落ちていく意識の最中、その一言が怪物の中でこだました。




 そこは青く冷たい海底だった。

 周りには色とりどりの魚が群れをなして泳いでいる。

 懐かしき故郷の風景。

 だがよく見れば魚たちは地球のものとは少し姿が違う。

 ここは似てはいても別の海。

 フリムローダがまだ名を持たぬ楽園だった時の景色。

 その中には小さな白い海蛇が泳いでいた。

 幼く微弱な魔力に、内に秘めたる巨大すぎる野心。

 海蛇は自分よりも大きな魚に何度も痛め付けながらも、己の欲を満たすために戦い続けた。

 時に人魚の子を喰らい、時に禁忌の洞窟へと出向き、力を得るために全てを踏みつけてのしあがる。

 そして、海蛇が海蛇と呼べなくなった頃――魚たちは一匹残らず虐殺された。

 それは復讐だったのか、過去の清算だったのかは定かではない。

 だが突然殺された彼らの憎しみもまた計り知れないものだった。

 哀しみの亡霊は異界のサメへと語りかける。


『忌々しき蛇を殺せ』


 虹の門を潜ってから何度も聞いた声。

 この地へと――この窮地へと導いたあの世の声。


『体朽ちるまで殺せ』


 ギルガノットは考える。

 何のために、と。


『蛇を殺せ』


 違う、それは自分の心ではない。


『殺せ』


 何者にも命じられる覚えはない。

 自分は――――


『殺せ!』


 自分は別の海の覇者――何にも縛られない。


『乱心したか――!』


 違う、心を取り戻したのだ。

 誰を狙うでも、誰を怨むでもない。

 ただ自分の前では餌に過ぎない。


『あああああぁぁああっ!!』


 残ったのは無数の小魚の骨。

 所詮は集まり自分を大きく見せる魚群の霊だ。


 そういえば――誰も恨まないとは言ったが、一つだけ噛み砕かねばならない存在があった。

 今となっては遥か遠き地にいる名も知らぬ怨敵。

 そいつらを食らうためには――そのためには、まず目の前にいる一匹の海蛇をどうにかしなければ。



 ――ギルガノットは深海より覚醒した。





【……! まだ意識があったのか!?】


 三途の川より舞い戻りし異界の転生体ギルガノット。

 だが決して事態が好転したわけではない。

 その身は相も変わらず、龍の胴に囚われたままだ。

 それでもギルガノットは絞り出すかのように体内で魔法を練り上げる。

 恐らくこれが最後の魔法。

 一度限りの悪足掻き。


 それを口から撃ちだろうとした瞬間――――締め付けはより強くなった。


 龍には初めからお見通しだったのだ。

 その圧力に思わず血と共に練り上げた魔法を下へと落とすギルガノット。

 緑に光る最後の策は霧の中へと消えていった。


【フフフフフ……どうだ今の気分は?】


 龍は再び嗤う。

 勝利を確信した笑い声。



 ――――その時だった。



 ――ヒュオオウ



 直下の霧が渦を巻くように開けていき、そこから二人にとっては久しぶりとなる地面が見えた。


 ギルガノットが使った魔法はイアを襲ったものと同じ――風魔法アップドラフト。


 大出力の竜巻が一瞬にして霧を吹き飛ばしたのだ。

 もっともそれだけではただ逃げ場を無くすだけの自分の首を絞める愚行。

 龍も最初はそう思った。

 だが問題は霧が晴れても尚白銀に輝く下界の景色だった。



 下に広がるは――永久凍土の地ティルシハ。



【これは……! 体が……!】


 龍の体は急激に冷やされて凍りついていく。

 かつて龍を倒すために作られた永遠の氷魔法、それがギルガノットの放ったアップドラフトにより威力を増して龍に襲い掛かる。


【まさか――初めからこの為に――ここに来たと悟らせぬために霧を作ったと言うのか!?】


 龍は寒さに弱い。

 だがただの氷魔法などはそよ風の如く受け流せる。

 ――()()()()()()ならば、だ。

 未だ潰し得ぬティルシハの氷は、さしもの龍とて防ぎきれぬものではなかった。


 ――――それでも。


【小賢しい……! これで私を倒せるとでも思ったか!】


 龍は全力の炎魔法を使う。

 確かに一瞬動きは止められる。

 しかしそれだけだ。

 ダメージにはなり得ない。

 ギルガノットもそれは分かっている。


 一瞬動きを止められれば十分だったのだ。



 ――サメスキル【幽体】。

 

 ギルガノットは龍の動けぬ内に再び幽体化を使い、龍の締め付けから逃れた。

 このまま逃げれば、少しは生き長らえることは出来る。

 だがそれでは先程の繰り返しだ。

 ギルガノットは今回逃げるためではない。

 龍を殺すためにこの力を使ったのだ。


【な、何をする気だ!】


 幽体が向かうは龍の外ではない。

 その逆――()()()()()へと潜り込んだ。

 時間はない。

 龍は氷が融ければ聖魔法を使い、体内であろうと弾かれてしまうだろう。

 ギルガノットは素早くその身を龍の動脈――血流の中へと沈ませた。

 海水とは全く違う赤い水の中。

 まずはまともに泳げるようにならなくては。


 ――サメスキル【適応】。


 すぐさまスキルを用いて血の海原に体を馴染ませる。

 更に続けざまに――


 ――サメスキル【軟体】。


 巨大とは言えど決して太くはない血管の中。

 体をギリギリまで細くし、ギルガノットは泳ぎだした。


【こいつ……何を……!】


 赤い道を進み目指すはその川の始まり。

 龍は体内のギルガノットの動きを知って焦る。

 ――心臓か。

 奴はこのまま心臓を喰うつもりなのだ。

 だが分かってしまえば、逆にそれは龍に安心をもたらす情報でもあったのだ。


(大丈夫だ……今の奴の力では私の心臓を食い破る力はない)


 龍には更に肉体の一部を瞬間的に強化する力もあった。

 それを使えば、内臓とて一時的に龍鱗と同等の防御力を得ることが出来る。

 ――大丈夫だ。

 我が肉体に弱点はない。


 そして、ギルガノットはついに辿り着く。

 巨大な龍の心臓へと。

 鼓動だけで体が震えるほどの力強い脈動。

 龍にとっての最後の砦であり、ギルガノットにとっての最後の希望。


【喰えるものならば――やってみろギルガノットっ!!】


 ギルガノットは一直線に泳いでいき、躊躇うことなく噛み付いた。








 ――――()()()に。







【あ?】


 龍は一瞬何が起きたか理解出来なかった。

 だが、突如全身から力が抜けていくのを感じる。

 まるで意識が体から切り離されてしまったかのように。

 そして、永き時を生きた意識も刹那の間に失われていく。

 その中で彼女が考えられた事は二つ。

 一つはなぜ自分がやられたのか。

 これについては手遅れではあるが、すぐに思い当たることがあった。

 彼女がかつて恐れた聖剣に匹敵する脅威。


【そうか……喰ってきたのは悪魔でなく……魔神だったのか…………】


 悪魔の世界は見通せないがゆえの誤算。

 龍に触れる魔の力と、魂に触れる魔神の力は似て非なるもの。

 魂を守る術はこの世に存在しないのだ。

 最悪を想定しなかった――そして最善を尽くしたものとの差。


 そして彼女が次に考えたのは――自分が生れたて広い海の小さな片隅だった。


 他の魚たちに怯え。

 海獣から身を隠し。

 己の命を守るのに精一杯だった日々。

 自分の弱さが嫌いだった。

 自分より強い生物が憎かった。

 少しずつ力を付けてもその思いは変わらない。

 より強い生物に怯え。

 より狡猾な海獣から逃げ続ける。

 他人は――いや、自分でさえ今では覇道を歩んできたと思っている。

 だが結局は何も変わらなかったのだ。

 神になりかけようと、強者が弱者を喰らう世界の理から外れることは出来なかった。



【私は少し……疲れたよ…………】



 さぁ、強者の交代だ。

 数百年不動の頂は変わる。

 孤独な最強の捕食者よ。

 喰うだけの立場は、同時に喰われるのを待つだけの悲哀の存在。

 生きたまま抜け出すことは出来ぬ。

 ――――少なくとも私には。

 この海で育った私はこの海で死ぬ。

 だがお前はどうだ? ギルガノット。

 異邦の君はどこで死ぬ?

 あるいはお前ならば――――





 龍の体は砕け散った。


 雷雲は心臓のあった場所を中心に穴が開き、上空を埋め尽くしていた龍の身は、キラキラと虹色の雫となって降り注ぐ。


 霧も幻のように消えていき、メリアスの水の檻もまたただの海へと還る。


 フリムローダの人々は天変地異の下で不安を抱きながらも、水が引いていくのを見ると、誘われるようにみな表に飛び出した。

 彼らは外へ出て、天を仰ぎ、そして知ることになるのだ。


 自分達が信じてきた神の死を。


 そして――――



「あれは何だ……」




 指差す先には一筋の光。

 黒き雷雲に一つ空いた光の穴。

 穴から悠然と降り立つ銀色の形。

 巨人を喰ったときと比べ物にならぬほど巨大に。

 襤褸(ぼろ)のような体は傷一つない白銀の鱗に包まれて。

 その背には後輪が浮かぶ。

 この姿を見て海亡などと呼ぶものは最早いないだろう。



 この世界に住まう全ての人類は知った。


 自分達が信じてきた神の死を。





 そして――――



 ――新たな神の誕生を。












「いいや、神なんかじゃないさ」



 メリアスに浮かぶ小舟から。

 コバルト=ホライズンは空を見上げて言い放つ。



「――――神になんてさせてたまるかよ。ギルガノット」






 神なき国で、最後に抗うのは人間なのだ。

 コバルトはギルガノットの着水点へと向かい舟を漕ぎ出した。







★ギルガノット(種族ホオジロザメ)はサメスキル【神羅】を取得しました。

◎異世界サメメモ

この物語より遥か以前に"海亡"と呼ばれた怪物がいたが、それは巨大なワニだったと言う。



次話は明日(10/19)の22時更新予定です。

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