5.
ニコラは昨夜の出来事を思い出せる限り正確に、できるだけ詳細に語ろうと、どこを見るともなく窓の外へと視線を投げた。
こんな状況だというのに、今日は朝食を食いはぐれてしまったな、と何気なく思えば、自分の緊張感のなさに表情が緩んでしまうのがわかった。
これはもう性分だから仕方ないのかもしれない。
そう思えば、テオドールから訝しげな視線を向けられる前に昨夜の出来事を語り始めることにした。
そもそもの事の始まりは、ニコラが宮廷魔術師になりたかったからだ。
公爵令嬢なのだから、将来は同等の身分の家か王家などへ嫁入りするのが通例である。
しかしニコラの両親は末娘というかわいさゆえに我が子を溺愛しており、まだ早いとして婚約者を未だに決めていなかった。嫡子のヴィクター、つまりニコラの兄は彼女と10歳も年が離れており、すでに相応しい身分の女性と婚姻を結び、書記官として王宮に出仕していてエルズワース家の将来は安泰だということも、ニコラを甘やかせる要因のひとつとなっていた。
このように両親や兄から溺愛されるという実に良好な環境で、テオドールと共にのびのび育ったのがニコラだった。それはもう淑女としてはあるまじきほどに、好奇心旺盛な少女として順調に成長した。
兄妹のようにして育ったテオドールが王立アカデミーへ通い始めたときは大変だった。ニコラは、自分も一緒に通うのだと泣いてテオドールから離れようとしなかった。常に寄り添うようにして育ってきたため、ニコラは学校というものに自分とテオドールが距離的にも時間的にも引き裂かれたことに衝撃を受けた。
幼心に、このままではテオドールと一緒に居られないと思った。次に考えるのは、当然のようにずっと一緒に居られる方法だ。
そこで思いついたのが、アカデミーに通い始めた当初めきめきと魔術師としての頭角を現していたテオドールのように、自分も魔術師になる、というごく単純なものだった。同じ職業に就けばきっと、ずっと一緒に居られると考えたのだ。
しかしそれはニコラが女の子だったゆえに、そう簡単なものではなかった。
何しろこの国では、魔術師となるのは男子しか認めていなかったのだ。
それでもニコラは魔術師になる夢を諦めなかった。
実のところ、ニコラがアカデミーに入学するより先にテオドールは卒業し、就職先も宮廷魔術師は選ばずに、ニコラの従者としてエルズワース公爵家へ戻ってきたのだから、その時点で男子しかなることのできない魔術師をニコラが無理をしてまで目指す理由など、もう無くなっていたのだ。
けれどこの時には魔術師になるというのは、すでにニコラにとって諦めることのできない、小さな頃から抱き続けた大切な夢になっていた。
だからこそ15歳になった今年、ニコラは両親を説き伏せ公爵家のありとあらゆる特権を行使して男子としてアカデミーに入学したのだ。
アカデミーとは社交界の縮図なようなもので、予行演習や人脈作りには丁度よいということで男女とも入学は可能なのだが、肝心の魔術師になるための魔法科を選択するには男子である必要があった。
それゆえの男装である。
何でもテオドールの真似をしたがったニコラは、男装をする前から自分のことを『僕』と自称し、言動についても女性を感じさせるものは一切使わなかった。無意識的に、性を感じさせなければいつまでもテオドールと兄妹でいられると思ったのかもしれない。それは今となってはニコラ自身にもはっきりとはわからない。
ニコラに極めて甘い両親は、社交界デビューもまだまだ先であるし家の中だけならば、ということで彼女の言動を無理に矯正しようとはしなかった。
それらの理由から、ニコラの男装は一分の隙もないほど完璧な仕上がりだった。
しかしそれは、ただ単に男子に見えるというだけなのだ。
見えるだけであって、男子ではない。
だから当然、問題が出てくる。
全寮制ではないので、男子との共同生活は免れた。武芸の授業での着替えについても、細心の注意を払いトイレや空き教室などで素早く済ませているため、未だ怪しまれたことはない。
そこまでは実に順調だった。
けれどニコラは昨日、男子として王立アカデミーに入学して以来、最大の危機を迎えていた。
それは無情にも齎された身体検査の知らせである。
入学してから一ヶ月が経過しそろそろ学校生活にも慣れた頃に、学業の成果を見るために実力試験と体力測定が行われるのだが、そのついでに身体検査も行われるとのことだった。
いくら入学に際して書類は誤魔化せても、さすがに身体検査で女子である身体を偽装することはできない。さらしを巻いて胸は潰せたとしても、あまりにも華奢な腕や腰まわりが露出していては、それだけで女子だと気づかれてしまうかもしれない。
いっそのこと身体検査の日は休んでしまおうとも考えたけれど、当日休んだのがニコラだけとは限らなかった場合、後日まとめて再検査ということもあるかもしれないし、身体検査のたびに休んでいてはそれこそ怪しまれてしまう。それに宮廷魔術師になるためには優秀な成績を修めねばならず、実力試験を受けないわけにはいかなかった。
もしこの身体検査で女の子だということが学校にも学生にもバレてしまえば、もう魔術師としての未来はない。
こんなことで、終わってしまうのか。
いいや、こんなところで終わってたまるか。
ニコラは拳をきつく握りしめ歯がみする思いで思考を巡らせた。
そうして行き着いた先が、終極の魔法使いであった。