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10.

 支度が整い次第すぐに客人を出迎えに行く旨を侍女のエマに伝えると、室内は再びニコラとテオドールのふたりだけになる。

 ノックの音により遮られてしまったテオドールの言葉の続きは、出し抜けに訪れた静寂の前に途切れたままになっていた。

 来客を告げられたニコラはその場を動かずに、エマの出ていった扉をじっと見つめて来訪の意味を考えているようだった。ややあって考えが纏まったのか、くるりとテオドールの方へと向き直る。


「ソルのやつ、先触れもなしにうら若き乙女の家へ訪ねてくるなんて、いくら幼なじみだからって気軽すぎやしないか…? いや、今は男子だからいいのか…?」


 身体だけはこちらを向いているものの、それは自問自答のようで特に答えを期待している様子ではなかったので、テオドールも敢えてニコラのことを黙ったまま見つめていた。

 視線に気づいたのかやっと焦点をテオドールに定めると、ニコラの灰色の瞳が一瞬ダークブルーの色を滲ませたように揺らぎ、その(きら)めきの中に目の前にいる青年の姿を映し出す。するとテオドールは、何故かその場に縫いつけられたように動けなくなる。

 それを知ってか知らずか、ニコラは形のよい唇に弧を描いて花のつぼみが綻ぶように鮮やかに笑った。


 テオドールの心を捉えて離さないその顔は卑怯だと思いながらもその反面、誰よりも近くでいつまでもその笑顔を見守っていたいと思ってしまう。

 不意に目が合ったとき、ニコラがそうやって笑いかけてくれる。

 それは彼女、今は彼となってしまったニコラの単なる癖なのかもしれない。それでもテオドールは、その笑顔を向けられるのが自分だけであればいいと思う。そう考えてしまう自分はひどく浅ましく、従者として失格なのはわかっている。

 しかし…と煩悶(はんもん)しながら、ふと先ほど宙ぶらりんになってしまった言葉の続きに思考を巡らせる。


「結局、朝食を食いはぐれてしまったな。残念…」


 テオドールをいとも簡単に陥落させてしまう笑顔を向けておきながら、ニコラが口にすることはいつもどおりのたわいない話題だった。だからこそ、余計にその落差にテオドールは毎回肩透かしを喰らったような気持ちになってしまう。が、そんなことはおくびにも出さない。

 従者として、主にそのような思いを悟られるわけにはいかないのだ。

 こんなときばかりは、意識しないと感情があまり顔に表れない己の性質に助けられる。


「ニキさまに朝食を食べてもらえなかったってバジルが拗ねるでしょうね」

「……うーん、ランチに持っていけないかな。無理か。せっかく作ってもらったのに」


 テオドールがエルズワース家の料理長の名を口にすれば、ニコラは困ったように眉を下げて首を(かし)げた。

 ニコラにとってエルズワース家で働く者たちは皆、家族のような存在だった。

 たとえそれが金銭によって雇われている使用人であったとしても、そこに思いやりや信頼関係がなければ長く働くことなどできない。だからこそニコラは、自分のために行動してくれたことを無駄にしたくなかった。貴族らしからぬ考えではあるけれど、主人として仕えるには理想的な思想の持ち主なのがニコラだった。それはエルズワース家の教えというよりは、テオドールと一緒に育ったがゆえにごく自然に身についた考え方であった。

 そんなところもテオドールがニコラを好ましく思うひとつだ。


「ニキさまの分まで俺があとで堪能させてもらいますんでご心配なく。バジル特製モーニングは無駄にしません」


 テオドールの提案にホッと表情を和らげながらもニコラは、おまえだけずるいと恨めし気な視線を向けた。そのまま彼の顔を穴でも空くのではないかというほど、何か思い出すようにじっと見つめ続ける。


「なあテオドール、さっき言いかけたことがあっただろう。その続きは?」


 ニコラの視線に耐えかねて思わず口を開きかけたところで、中途半端になっていたとはいえまさか些細な言葉の続きを促されるとは思わず、予想外のことにテオドールはまるで頭をガツンと殴られたような強い衝撃を受けた。


「………さあ、何のことだったか忘れちまいました。きっとくだらない内容だったんですよ」


 引きつってしまいそうになる顔を、いつもは使わない表情筋をフル活用して何とか無表情を装うとテオドールは何でもないといった様子で肩を竦めてみせる。

 ニコラは彼の様子を少しも見逃すまいと、瞬きも忘れてその表情を見つめた。こういった反応をするときのテオドールは、高確率で何か隠しているのだ。それを看破するために、ニコラはじっとテオドールのことを見つめることがある。

 しかし今日はどれほど無言で見つめ続けても、彼は折れなかった。


「……おまえがそう言うんならそうなんだろうな」


 今回はニコラの方が先に折れることにして、納得はしていないもののそれ以上の追及はやめた。

 するとテオドールが僅かに緊張を緩ませ安堵(あんど)した様子で小さく息を洩らしたけれど、ニコラは敢えてそのことには気づかないふりをした。これ以上問い詰めるべきではない。何故だかその方がいいような気がしたのだ。


 実はテオドールが(かたく)ななまでに飲み込んだ言葉の続きには、ニコラの運命に関わる重要な意味が込められていた。……はずだった。

 けれど肝心なところでニコラは、それを引き寄せることができなかった。

 大事な何かを掴み取ることができなかった。


 何故なら、ニコラ・エルズワースの運命は仕事をしないのだから。


読んで下さってありがとうございます。

タイトルを回収しましたので一区切りということで、今後の更新は不定期とさせていただきます。

が、自分でも内容を忘れてしまわないうちに終わらせたいと思っていますので生温かく見守って頂けると幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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