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精霊の朽ちる果て  作者: きりま


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13/18

魔術式道具の工房

 アィビッド帝国東部領東端の町イートヴセン。

 海沿いの寂びれたように小さな町だが、町に必要な最低限の機能は存在するれっきとした東部地域の拠点だ。


 小さいながらも魔術式道具関連を取り扱う工房も存在する。

 力仕事が少ないせいか、符の職人には細身の者が多い。

 それは一日のほとんどを、机に向かって魔術式を書き連ねることに費やしているからだろうか。運動量が少ないために、食が細くなるせいもあるだろう。


 もちろん、がっしりした身体でなくとも腹回りの肉が気になる者もいる。

 この工房の親方であるソルオリ・オクシオが、その一人だ。


 豪快な笑い声を響かせる恰幅の良い親方は、一見すると商人のようにも見える。

 親方なだけあって商人たちとの交渉事や、帝都への申請に、他の工場とのやりとりなどと出かけることは多い。


 運動量は、彼の抱える弟子達職人と比べれば多いはずだが、荷運び仕事が旅人のように日々あるわけではない。基本は町の中を歩く程度で、外へ出るなら馬車による移動だ。

 運動量に対してソルオリはよく食べた。食べ過ぎるのだ。

 体は正直である。


 しかし、それが彼の並々ならぬ活力の元であると言って、飲み食いすることを止める者はいない。

 人より量が多いかもしれないが、贅沢なものを好むわけではないので、彼の妻も呆れて言い聞かせるのはとうに投げてしまったためだ。




 職人達の朝は早い。

 独り立ちできると認められるまでは、工房の傍らに建てられた狭い共同家屋で生活を共にしている。

 夜が明け切らぬうちから、ぞろぞろと職人達は連れ立って移動する。各々の持ち場で背を丸め、すでに疲れきったような顔つきでのっそりと蠢き始めるのだ。


 そんないつもの朝早く、ソルオリの野太く枯れたような声が工房に響き渡った。


「おい、セラ! ちょっと来い!」


 弟子の一人、セラと呼ばれた青年は、ゆっくりと振り返った。

 眠そうに目を細めて親方を見たが、本当に眠いのではない。

 いつも何かしら頭の中で、不可思議な現象を読み解いているため、どこか遠くを見ているように細められていた。

 それを分かっていながら、ソルオリは皮肉で声をかける。


「起きろ。出かけるぞ。今回の旅にはお前も来い」


 親方の腹に響くような声を聞いても、セラの行動はゆったりとしていた。


「ん、旅?」


 寝てはいないが、反応は遅い。

 眠っているのと変わらねえというのがソルオリの弁だ。

 そんなセラの頭をはっきりさせるべく、ソルオリはセラの肩を揺するように叩いた。


「一通り、魔術式の工房と関係の深い場所を見せてやる」


 ソルオリの告げた内容を噛みしめると、ごくごく僅かにだが、セラの目が驚きに見開いた。

 そして、すぐに期待に輝く。


 弟子達の中でも、総合的な成長が遅かったセラが、親方であるソルオリの助手としての用事に付き合わされるのは初のことだった。


「着替えだけ持って来い。急げ!」


 走り去るセラの背を見送ると、ソルオリは馬車の荷を確認しに外へ出た。




 ソルオリは、嬉しそうなセラの様子を見て満足気に笑った。

 周囲の評価は様々だが、ソルオリにとってセラへの期待は大きかった。

 それはソルオリの信条による。


 動き回るのは好まないセラだが、未知を目にしたい欲望は強い。

 この工房の誰よりもだ。

 その知識欲に対する徹底した意志の強さは、類稀な才能だ。

 執念にも思える渇望を維持できる資質。

 それを、ソルオリ評価していた。


 不意にソルオリは、心底惜しい人材だと溜息をついた。


 周りの評価がいまいちなのは、魔術式を扱う職人にとって必須といわれている精霊力を、セラが持たないせいだった。


 だがソルオリは、精霊力がなくとも魔術式は構築できるし、正しく符が発動すると知っている。

 ソルオリだけでなく、職人ならば誰でも知る事実だ。


 しかし、この道の世界的な権威であり研究機関であるミッヒ・ノッヘンキィエ元老院が、一つの基準を設けた。

 精霊力の強い者から選別し、引き抜くと定めたのだ。

 それは彼らが欲しい研究者としての基準でしかなかった。

 だらといって、この道に携わるものが意識しないはずもない。

 その影響力により、精霊力による基準化がなされてしまった。


 一定の技術を持つ職人を育て、有望な人材を篩いにかけて発見するには悪いことではないだろう。

 それを理解していても、現場と体験を重視するソルオリは苦い気持ちになる。


 誰でも努力すれば、一定の実力を身に付けられると信じていた。

 少なくとも、ソルオリの弟子達はそうだった。

 本人が自らの意思でこの道を絶とうとしない限りは、だ。


 もちろんそれは一職人の話であって、研究者に必要な資質とは違う。


 しかし、たかが一介の職人の工房だろうが、研究者から与えられた理論を量産するために働く存在ではない。

 手先の技術は確かに職人にとって身に着けなければならない術だが、何も考えず手を動かしていろといった輩には徹底して反論している。


 研究者が頭の中でこねくり回した理論を、現実に使い物にする改善をするのは誰か。

 我ら職人だ。

 明確な意思でもって、ソルオリは誰が相手であろうとそう答えるだろう。


 改善だけでなく、長年魔術式に触れている内に職人から発見される式もある。

 元老院に選ばれるほどの者でなくとも、素晴らしい知識や技術を持ち、多大な功績を残す者はいるのだ。



 そのようなわけで、ソルオリにとって最も重要な才能に対する基準は、元老院のものとは違っていた。

 だたの職人から上を目指そうとする者に対しては、特にだ。


 一定の技術を身に付けたとする。

 それから先へ進むには何が必要か。

 それは、当人がそのことに満足しておらず、未知を怖れない意欲だ。


 精神的なものだ。

 当人の資質に加えて、環境もモノを言うだろう。

 そこで、ソルオリは該当する人物を思い浮かべる。


 皮肉なことにセラ・ユリッツは、その精霊力がないからこそ、渇望が強いのだろうと思えた。




 ソルオリは、魔術式符工房と関係の深い場所へと、セラを含む三人の弟子を案内する。

 割高だろうと、旅人組合からの護衛は、しっかりと能力と評価の高い者を選んでつけている。

 職人を一人前に育てるのにかけた時間と、その後の働きを考えれば、高い投資ではない。


 主な旅の目的地は帝都にある立派な工房の見学だが、ある意味それは弟子達へとぶら下げられた餌だ。


 多くの外回りの仕事は、地味なものなのだ。

 商会への挨拶と、そこでの取引話なんて初めはうんざりする者が多い。

 申請は城内ということもあって、初めはその威容に観光気分で楽しむも、堅苦しい担当官との話し合いに緊張し、げんなりして出ることになる。


 将来に担うことにならずとも、己の仕事の立ち位置を知っているべきだろう。

 それだけではない。

 魔術式は、様々な場所で利用されているし、今後も増えるだろう。

 自らが生み出している物の価値について考える機会として欲しいと、ソルオリは考えていた。


 帝都を出た次には鉱山へと赴いた。

 魔術式符を書くのにも、作動させるためにも必要な原料である鉱石の産出地だ。

 それからどういった経路で町へと届けられるのか、回り道ながらも街道を他の町を経由しながら進んだ。




 最後に、大陸南東にある海沿いの町ポトランへ到着した。

 この町から海沿いの街道を北上すれば、元の町イートヴセンへ戻るのだ。

 途中にも集落はあるが、後は野営でしのぐつもりである。

 ソルオリは今回の旅では最後となる宿を取った。

 長い街道を幌馬車に揺られながら移動した。

 弟子達は既に工房を出たときの元気さはない。

 宿に到着したときには、皆が安堵の吐息を漏らしていた。




 目の前の建物には、魚の形に削られた木製の看板が打ち付けられている。

 馬車ごと通り抜けられるのではという横に広い両開き扉を開けると、生臭い空気が漏れ出た。

 そこは、魚の加工場を兼ねている宿だった。


 ソルオリは、活きのいい宿の主人を見つけるや、唇をゆがめて愉快そうに声をかけた。


「よう! 久しぶりだなあカティングぅ?」

「おお、ご無沙汰じゃねぇか。厭らしい笑いしやがって、何しに来やがった!」

「前回の賭け覚えてるよなあ? ここの『開き』はうめえからよ。おまけしてくれや」


 ソルオリが『開き』という言葉を強調すると、宿の主人であるカティング・フィシスは歯ぎしりしながら叫んだ。


「くっそー! 誰が忘れるか! いや忘れてりゃいいのに!」

「よっ太っ腹」

「それはあんさんの方だろうが」

「違いねえな。ははは」

「ちっまあいい、約束は約束だ。宿賃二割引してやらあ」


 どうやら『開き』とは、彼らの間で交わされた秘密の取り決めのようである。


「今後も生きている限りは約束を果たしてもらうってのも、覚えていてくれて嬉しいね!」

「くっ、足元見やがって!」

「まぁまぁ、代わりにうちの工房はお前んところを贔屓にする」

「融通してほしいもんが無いわけじゃねえがよ、乾物屋の俺が符なんか使いどころがあるかよ。よしっ今晩は再戦だ。次は負けねえ」

「はっははは、やめとけや!」


 全く禄でもない親父連中である。

 弟子達は、呆れたり、またかと頭を抱えたりと様々な反応ながら、その気持ちは同じであるようだ。


「待たせたな。セラ、お前は初めて来ただろ。よく分かったか」

「親方の交渉術は、俺に真似できると思えない」

「そっちじゃねえよ。ま、確かにお前は賭け事にゃ向いてないがな。馬鹿正直だから。でだ、ここに泊まる時があれば」

「ああ、合言葉か。分かった」


 ぼんやりとしていながら重要なところは把握しているセラの背を、親方は笑いながら叩くと部屋へと移動した。


「まったく、親方は仕事は立派だが、他はちょっとアレだよな」

「おっなんだと? アレなんて厭らしい言い方しおって」

「嫌な言い方しないでくれよ。女将さんも苦労するはずだね」

「生意気いうな」


 弟子たちとソルオリが馬鹿な話をしている間、セラは苦笑しながら頷くだけだ。

 だが今では、楽しんでいると分かる。

 会話にならないことが多く、自分からお喋りに参加することはないが、共に学んだ弟子たちはそういった奴だと馴染んでいた。

 仕事に関することなら、はっきりと言葉にできるのを知っているからだ。


 共同で暮らしていれば、自然と役割分担が出来ていく。

 手先の技術でいえば誰にも勝る者だとの信頼は得ていた。




 慣れない旅に疲労は濃く見えるが、満足そうな弟子達を見るとソルオリの心も弾んだ。

 俺が育てたなんていう傲慢な気持ちにはなれなかった。

 彼ら自身が、巣立とうと足掻いたからこそ技術は身についたのだ。

 初めの一歩を踏み出す手助け。

 それが出来たなら十分に満足しなければならない。


 そう思いつつ、弟子達を見るソルオリの目は細められる。

 子供の成長を見守る温かい気持ち、といっただけではなかった。

 共に暮らし、互いの性質を知っていようとも、ぶつかる時はままある。


 彼らも成長するごとに、各々の理想を胸の内に育て、それは確固たる形を持っていく。

 そして、主張がぶつかり合うとき、決して相容れないことがあると知る。


 それぞれが道を見つけ、巣立っていくこともあるだろう。

 だがソルオリは、決してそれらに口を挟むことはしないし、してはいけないと思うのだ。

 簡単に答えを得ようといった気持ちからでなく、苦悩した上で意見を求められたならば、もちろん全力で応えるつもりだ。

 しかし、幸か不幸か、今までそうした者はなかった。


 どの弟子も、自らの苦悩から自身の道を見つけていってくれたのだ。


 幾人かの、特に印象深い弟子を思い返す。

 彼らは自らの信じるものを見出し、そして工房内でも対立し、袂を分かれた。

 今現在においてまでの、わだかまりはない。

 心中はどうあれ、仕事上の付き合いはあるし、手が必要なときに呼べば来てもくれる。


 彼らは、自分の居場所を見つけることで落ち着いたのだろう。

 弟子達それぞれの顔を思い浮かべながら、最後にセラへと目が留まった。

 果たして、セラはどんな道を見つけるのだろうか。



 不意に、セラを預かった経緯が脳裏に鮮やかに蘇った。

 セラには辛い時期だった。

 ソルオリにとってもだ。

 余計なことをしたかと、しばらくは自己嫌悪に陥ったものだった。

 苦い笑みが浮かぶ。


 よくぞ、ここまで育ってくれたと思う。



△▽



 北の大異変からしばらくは、各地で精霊溜りが見受けられた。

 徐々に物を消していく現象だ。

 国は全力で排除を試み、対処方法も分かってきた。

 それらは、減らした後に増えることはなかった。

 異変の影響によるものだろうと、ひとまずは結論付けられた。


 イートヴセンから北、馬車で数日の距離に小さな漁村がある。

 そこで精霊溜りが見つかったというので村は大騒ぎになっていた。

 イートヴセンは町といっても、軍が常駐している数も少なく、出せる人手は足りない。

 どうせ符がいるのだからと、ついでとばかりに職人であるソルオリも、商人と引率の警備兵へと連れられて処理に向かった。



 見つかった精霊溜まりの処理を終えると、兵達は数日ほど周囲の探索に向かうからと出ていき、商人やソルオリら一般市民は村で待機することとなった。


 貧しい村だというが、子供たちが元気に遊ぶ村は、活気のある証拠だ。

 避難するように村長宅前の広場に集められて遊ぶ子供達に、ソルオリは出来の悪かった符を与えて遊ばせた。

 今後は魔術式の利用も幅広くなるだろう。

 符は限定的な効果しかないものだが、だからこそ親しんでもらうには丁度良い機会だと考えていた。


 一人、口数の少ない子がいた。

 他の子供が符の反応に一喜一憂してはしゃいでいる中で、彼は奇妙に見ている。


「どうした。使い方が分からないか」

「それは分かる。何が見えてるのか、分からない」


 つい、ソルオリは口を閉ざした。


「小さな光が、見えないか」

「何も。とつぜん何かが起こる。それだけ」

「それだけ、か……俺はソルオリってんだ。お前さんは」

「セラ・ユリッツ」


 いくら精霊力が弱くとも、まったく見えないなんてことはないはずだった。

 人の体にだって、精霊力は流れているからだ。


 ただ、見るための体の器官が、塞がれているんだろう。

 そんな風に生まれてくる者はたまにいる。

 その理由だろうか、セラには違った素質があった。

 そして、すぐ後に、それがセラと家族を苦しめていると知ることになる。




 それとなく様子を見、村の連中から話を聞いて、セラを取り巻く状況が浮かび上がってきた。


 セラは人の話を聞かない。聞けない。

 いつもぼんやりしている。

 かと思えば、瞬く間に何処ぞへとふらついている。

 子供らしくない。

 なんでも壊す。


 ソルオリが聞いた限りでは、散々な評判だった。

 もちろん村人が、はっきり言ったわけではない。

 だがソルオリは、そんな子を数人ほどだが見かけたことがある。

 一時的に預かったこともだ。


 なぜか、そういった性質を持つ者は、職人の仕事に向いていた。

 職人といっても、肉体労働の比重が高いものより、頭脳労働が多い方に向いているようだった。

 セラはそんな子供達の中でも、突出しているように思えた。


 だから迷わず、直感を信じて、ソルオリはセラの両親を訪ねていた。




 両親は表向きにはソルオリを丁寧に応対してくれた。

 職人の地位は、村の漁師に比べれば尊ばれている。

 ただし表情には何の用かといった不安は隠せていない。

 その中に、長年の苦労から滲んだ疲労もだ。


「符で遊ばせたら大層な興味を示していたもんでな。この本をセラに預けてくれないか」

「本なんて……そんな高価なもの預かれません!」

「良かれと思ってってのはありがたいが、あいつはなんでも知りたがるんだ。子供の話を真に受けなくていい。それに……悪いが、きっと破いちまう」


 違う。

 そう説得したかったが、今までそんな風に見てきたのだ。

 親が、そう言うのだ。

 周囲には、何も言えはしないだろう。


 ふらとやってきた職人の言葉など、にわかには信じられるものではない。

 時間が必要だ。


 分かっていながら、ソルオリは頭に血が上っていた。

 破いてしまうと言った。

 なんでも壊すと信じている。


 彼らは、セラをよく見ていないのだ。

 実際に何をしているのか。

 頭の中を覗くことができない以上は、仕方のないことだろう。

 父親は漁に出て、母親は家のことでやることは幾らでもある。

 目が行き届かないのは、仕方がない。


 それでも、もうほんの少しでも、余計な理由をつけた上ではなく、ありのままの姿を見ていたなら。

 セラは、この世の理屈を知ろうと情熱を傾け、それに喜びを見出していると分かるはずだ。


 セラが、何かだけでなく、誰かを傷つけると思っている。

 こういった子供たちを持つ親の不安が、そう思わせるのだろうか。


 ソルオリは、心に沸き上がった気持ちをぶつけてしまった。

 迂闊なことだった。


「セラの他に、兄弟はいないな。それはなんでだ。手がかかっているからか。それとも……下の子に傷を負わせると、不安か」


 父親の顔が強張り、母親は悲痛な気持ちを隠すように片手で口を覆った。

 しくじった。

 そう思ったが、もう遅い。


「出て行ってくれ」


 カッとなって踏み込みすぎた。

 ソルオリの悪い癖だ。


 戸口から追い立てられながらも、言いすがる。


「すまない。言い過ぎた。だが一つだけ聞いてくれ。俺はセラのような子を見てきたことがある。大抵は大人になるにつれて、ああいった行動は治まるもんだ。それまで待つのもいい。だが、それは才能の一つなんだ。今から伸ばせば、あの子は大成する」


 大人につれて治まると言ったところで、二人は動きを止めた。

 母親の方は旦那の顔を見上げる。


「あなた……」

「もういい。帰ってくれ!」


 これは、到底セラには聞かせられない出来事となった。

 どう言えば良かったのかと、しばらくの間苛まれた。




 あの後、両親は話し合ったのだろう。

 ソルオリが町へ戻る日の朝早く、話を聞きたいと申し出があった。


 予定通りに旅立ったのだから、長い時間を過ごしたはずはないのだが、話し終えた時にはすっかり外が暗くなっていてもおかしくない気持ちだった。


 両親はただ、似たような子供達の症状を知りたかっただけだ。

 病気だとでも思っている二人の態度に、また腹を立てたのだろうかとソルオリは考える。

 気が付けば、必死に説得していた。


 賢い者は、常人には理解できない行動をするものだ。

 その才能を眠らせるのはもったいないことだ。

 資質は早い内から磨かねば沈んでいくだけだ。


 思い返せば、まるで人さらいの詐欺師のような気分になる言葉を連ねていた。


 そしてソルオリは、工房で預かりたい、育てさせてほしいと、願い出ていた。

 最後に深く頭を下げた。

 両親は、心底動揺していたことだけは覚えている。




 工房に戻ってからも手紙のやり取りをする内に、セラが本の内容に興味を示し、静かに読みふけっていると知らされた。

 もう、どこかへふらりと居なくなることもないと。


 それは初めてのことで、だからこそ預けたいとの願いが記されていた。




「俺は、悲しませただけなの」


 ソルオリが馬車に乗せると、セラは俯いてそう呟いた。

 セラは、ソルオリに連れ去られると怖がってるのではない。

 淋しいのでもなかった。

 両親に捨てられるのかと、悲しんで泣いていた。


 その姿は、ソルオリの胸をついた。

 子供にこんな思いさせちゃあいけねえと、まだ小さい体を左腕に抱え上げる。


「父ちゃんも母ちゃんもな、セラが嫌いなんじゃない。だけどな、二人も一人の人間に過ぎない。どうしていいか分からないんだよ」

「だったら、親方が教えてくれればいい」

「それは無理だ。聞いて分かるもんと、体験して分かるもんは、別の知識でな。なにより、俺たちには感情がある。とても、大切なもんだ」


 うまく言ってやれないことが歯がゆい。

 ただ、気持ちが離れたわけではないことは知っておいてほしいと願った。


「そうだ、手紙を書けばいい。書き方を教えてやる」

「文字なら、書ける」

「馬鹿が。書き方だ。言葉はただの道具だ。だがな、それに心を込められる。不思議なもんだろ?」

「心を込める」

「そうすりゃ、父ちゃん母ちゃんにも、お前の気持ちが伝わるさ」

「だと、いいな」


 セラは笑いはしなかった。

 だが、涙が止まっただけでも今は良しとしようか。

 そうして、ソルオリは馬車を走らせた。




 あのセラが、成長したもんだとソルオリは笑う。

 セラも、困ったように笑う。

 口元だけの笑みだが、随分と感情を表せるようになった。


「本当に、出て行くのか。まだ、何も返してもらっちゃいねえぞ」


 ソルオリはわざと困らせるようなことを言っている。

 だが今となてはセラもソルオリの扱いに慣れていた。


「今までありがとう。でも、今後も取引してもらわないと困るさ」


 不意にソルオリは泣きたくなる。

 これまでも、これからも生きてる限りは弟子をとって育てていくだろう。

 その度に、俺は最善を尽くせただろうかと嘆くのだ。


 今回は特に胸にきた。

 育った弟子は、まだそう多くはないが、ソルオリの右腕となり働いている者もある。

 今後も一人前になった者に役割はある。

 工房を出て、商会に引き取られた者もいる。


 だが、こうして、遠くへと旅立つ者は居なかった。

 しかも、追い出すような状況にしてだ。

 懸念していた、意見のぶつかり合いが起こったのだ。

 そして、セラのやり方は独創的過ぎた。

 追従する者はなかったのだ。


「どこに腰を据えるかは分からない。だけど、俺も他の町は知らないからな。申請が通れば、近くに戻ってくるさ」


 ソルオリのしみったれた顔を見ても、セラは肩を竦めるだけだ。


「お前は、ほんっとうに頑固だな」

「親方に似たんだろう」


 なぜだろうか。

 俺なんかの手が届かない高みに上って、戻ってこない気がするんだ。

 そんな考えがソルオリの心に浮かんだ。


 それはそれで幸せな予感だ。

 

 セラ自身が改造した妙な荷車を引く後姿に、つい笑ってしまう。

 遠ざかる背に、ソルオリは呟いた。


「今は、セラの無事を祈ろうじゃないか」




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