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剣詩舞  作者: 子父澤 緊
1/3

一

初めてその女(おんな)を見たとき、松本(まつもと)紘太郎(こうたろう)は息(いき)を吞(の)んだ。

やはり都(みやこ)は、国許(くにもと)の宇都宮(うつのみや)とはわけが違う。



揚屋(あげや)の一室(いっしつ)。

その天神(てんじん)が入って来たとき、たしかに座敷(ざしき)の空気が変わった。

「松本(まつもと)先生?」

まるで睥睨(へいげい)するような視線(しせん)。

客であるはずの紘太郎(こうたろう)が気後(きおく)れした。

「先生はよしてくれ」

「今日はお一人?」

「大勢(おおぜい)で騒(さわ)ぐのは苦手(にがて)でね」

「初見(しょけん)のお客様と二人きりなんて…」

紘太郎(こうたろう)は主導権(しゅどうけん)を取り返そうと、人差し指を立ててその先を制(せい)した。

「遊里(ゆうり)の習(なら)わしに反(はん)する?だが私は角屋(すみや)の上得意(じょうとくい)なのだ」

天神(てんじん)は苦笑(くしょう)しながら軽く首を振った。

「気にしないで。刺激的(しげきてき)だわ」


挿絵(By みてみん)



話は遡(さかのぼ)る。 前年の二月のことだ。

松本(まつもと)紘太郎(こうたろう)は坂下門外(さかしたもんがい)で起きた老中(ろうじゅう)・安藤(あんどう)信正(のぶまさ)暗殺(あんさつ)未遂(みすい)の実行犯(じっこうはん)に連座(れんざ)して、軽追放(けいついほう)の処分(しょぶん)を受けた。



何もかもタイミングが悪かったのだ。

そのころ、紘太郎(こうたろう)は攘夷(じょうい)実行を一橋(ひとつばし)慶喜(よしのぶ)へ上申(じょうしん)しようと、密かに江戸(えど)へ上(のぼ)っており、諸々(もろもろ)の手筈(てはず)を相談したのが、“たまたま”事件の首謀者(しゅぼうしゃ)と目される大橋(おおはし)訥庵(とつあん)であった。

しかし彼の寓居(ぐうきょ)に出入りしていたことで、安藤(あんどう)襲撃(しゅうげき)を企(くわだ)てた一派の一員と見なされてしまった。



行き場所を失った紘太郎(こうたろう)は、ひとまず京(きょう)の宇都宮(うつのみや)藩邸(はんてい)に身を潜(ひそ)めることにした。

宇都宮のような小藩(しょうはん)は幕府の警戒網から外れていたせいもあって、いつしか京(きょう)の下屋敷(しもやしき)(藩邸(はんてい))は、紘太郎(こうたろう)のような「不逞(ふてい)浪士(ろうし)」の受け皿になっていた。

件(くだん)の暗殺未遂事件の後、宇都宮(うつのみや)藩は幕府や朝廷(ちょうてい)のご機嫌(きげん)を取るため躍起(やっき)になっており、自ら提案した天皇陵(てんのうりょう)の補修工事に追われ、とても藩邸(はんてい)に出入りする不審者(ふしんしゃ)にまで目を光らせる余裕(よゆう)などなかった。

そんなわけで、紘太郎(こうたろう)は半(なか)ば黙認(もくにん)される形で下屋敷(しもやしき)に居つき、なし崩(くず)しに匿(かく)まっている不穏(ふおん)分子(ぶんし)たちの監督(かんとく)を任(まか)されることになった。




文久(ぶんきゅう)三年の京(きょう)。

宇都宮(うつのみや)藩邸(はんてい)は過激派(かげきは)の巣窟(そうくつ)のようになっており、いつご公儀(こうぎ)の手入れがあるのかと、紘太郎(こうたろう)は気が気でない。

元々は剣舞(けんぶ)だけが趣味(しゅみ)というお堅(かた)い男だったが、薄氷(はくひょう)を踏むような日々の反動(はんどう)で、遊里(ゆうり)通いがやめられなくなった。

しかし半年もすれば、流石(さすが)にお座敷(ざしき)遊びにもそろそろ飽(あ)きていた。

「たまには変わった女と遊びたいのだが」

ある日、そう申し入れると、茶屋の主人は顎(あご)を擦(す)りながら意味ありげに紘太郎(こうたろう)の顔を窺(うかが)った。

「おもしろい女、ねえ…ひとり、おるにはおりますが」



明里(あけさと)。

そういう名の天神(てんじん)が輪違屋(わちがいや)にいるらしいが、細見(さいけん)(遊郭(ゆうかく)のガイドブック)にも載(の)っていないという。

「天神(てんじん)の位にある遊女(ゆうじょ)が、細見(さいけん)に名がないというのはおかしいじゃないか。なぜだ?」

「なにやら訳ありらしいんどすが、詳しいところは分からへんのどす」

聞けばかなり風変わりな女で、もう年季(ねんき)が明けているのに脚を洗おうとしないそうだ。

「では、よほどの年増(としま)なのか?」

「いえいえ!見たところまだ二十(はたち)にも届かんくらいの歳(とし)ですが、あまりの美貌(びぼう)に大名のお座敷(ざしき)からお呼びが絶えず、あっという間に借金を返したんやそうどすえ?」

紘太郎(こうたろう)は半信半疑(はんしんはんぎ)ながら、ひどくその話にそそられた。


「おもしろい。ではその女を呼べ」

「お気持ちは分かりますが、それはあまりええ考えとは言えまへんなあ」

茶屋の主人は意味深長(いみしんちょう)な言い回しで予防線(よぼうせん)を張(は)った。

「どうして?」

「どうもその女は、壬生狼(みぶろ)の幹部(かんぶ)と出来てるらしいという噂(うわさ)がございまして」

壬生(みぶ)浪士組(ろうしぐみ)。

自らも潜伏中(せんぷくちゅう)の紘太郎(こうたろう)としては、最も会いたくない相手ではある。

「しかもその女は決して客に身体を許さず、手も握(にぎ)らせへんのどす」

「なぜそんな女が人気なのだ」

「そこどす」

客は皆、ならば自分がその女を落としてやろうとムキになって付け文(ぶみ)をするのだそうだ。

今や一端(いっぱし)の伊達男(だておとこ)を自負(じふ)する紘太郎(こうたろう)は、それを聞いて急に闘志(とうし)を燃やした。

「なら、俺がその女を落とした最初の男になってやろう」

女を篭絡(ろうらく)して浪士組(ろうしぐみ)の内情(ないじょう)を引き出すことが出来れば、手入れを前もって察知(さっち)できる。

攻撃は最大の防御(ぼうぎょ)というではないか。




話は冒頭(ぼうとう)に戻り、そして明里(あけさと)天神(てんじん)は現れた。

月光をすくったような肌(はだ)。

水鏡(みずかがみ)のような瞳(ひとみ)。

それは紘太郎(こうたろう)の想像を上回る美しさだった。

しかし、距離を詰めるには駆け引きも必要だ。 紘太郎(こうたろう)は彼女の気を引こうと、あえて突き放してみた。


「おまえには愛想(あいそ)というものがないな」

明里(あけさと)は評判通りの不機嫌(ふきげん)さで、煙管(キセル)を吹かした。

「あら?私だって面白ければ笑います」

「お前は壬生狼(みぶろ)の女だというではないか。わが藩は先般(せんぱん)の坂下門の一件にも関わった札付きだ。私と床入(とこい)りすれば面白い寝物語(ねものがたり)が聞けるかもしれんぞ?」

「そういう無粋(ぶすい)な話には興(きょう)が乗らないの」

明里(あけさと)は素っ気ない。

どんな話を振ってみても、上手く躱(かわ)して本心を明かさなかった。




そこから、紘太郎(こうたろう)の島原(しまばら)通いが始まった。

しかし、何度揚屋(あげや)入りを重ねても、明里(あけさと)は自分の流儀(りゅうぎ)を曲げなかった。

紘太郎(こうたろう)の話が退屈(たいくつ)だと、ウトウト眠ることすらある。

しかし紘太郎(こうたろう)は腹を立てるどころか、その無垢(むく)な寝顔(ねがお)に魅入(みい)られた。

彼女には、そこにいるだけでモノトーンの世界を鮮(あざ)やかな色彩(しきさい)に塗り替えるような存在感(そんざいかん)があった。




紘太郎(こうたろう)は彼女の気を引くために高価(こうか)な贈り物を貢(みつ)ぎ続けた。

藤(ふじ)が散り、紫陽花(あじさい)が咲き、朝顔(あさ顔)が盛りを過ぎても、紘太郎(こうたろう)の熱が冷めることがなかった。

紘太郎(こうたろう)は明里(あけさと)のために金を溶かし、やがて藩の金にまで手をつけるようになった。


挿絵(By みてみん)






注釈

・坂下門外(さかしたもんがい)の計画:文久2年(1862年)に江戸城坂下門外で尊皇攘夷派の浪士らが老中・安藤信正を襲撃した「坂下門外の変」のこと。

・不逞浪士(ふていろうし):幕末期に、幕府の統制に従わず過激な政治活動や治安悪化を引き起こしていた浪人たち。

・横紙(よこがみ)破り:道理に合わないことを押し通すこと。強引なふるまい。

・島原(しまばら):京都にあった幕府公認の花街(花柳界)。

・壬生浪士組(みぶろうしぐみ):後の「新選組」の前身組織。京都の壬生村を拠点として治安維持を行っていた。

・天神(てんじん):江戸時代の遊女の格付け(ランク)の一つで、太夫(たゆう)に次ぐ上位の遊女。

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