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後宮武侠!~おてんば公主は夜明けを夢見る~  作者: 山田あとり
盈盈一水

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第22話 乳兄弟の絆


 ✻ ✻ ✻



「――よく来た。まあ一杯付き合え」

「景琛さま?」


 夜が更けて景琛の私室に呼ばれた暁霄はたいそう困惑していた。椅子を勧められ酒器を出されても、応じるわけには。

 眉根を寄せた暁霄を見て景琛は鷹揚に笑った。


「たまにはいいじゃないか。おまえと酒を飲んだことがないと思いついたんだ。飲まなくはないんだろう? 志勇が言っていたぞ」

「は……飲まされたことはあります」


 暁霄はほとんど酒を口にしない。万が一にも酔ってしまい、景琛に何かあった時に対応できなくなるのは恥と考えるからだ。

 今は副官として側にあるが、乳兄弟のような景琛には幼いころから仕えてきた。景琛は思慮深く正義感が強く、主と仰ぐに足る公子――深く敬愛するその相手は今、何故か重々しく言った。


「暁霄と俺は長い付き合いだよな。他の連中とは違う絆があると思っているんだが……どうだ?」


 やや伏し目がちに切り出され、暁霄は緊張した。重要な話があるのだろうか。


「……もちろん。景琛さまへの忠誠なら誰にも負けず」

「よし。まあ座れ」

「は。では失礼して」


 ビシリと姿勢を正している暁霄の前に、景琛は酒器を押しやった。手ずから注がれ恐縮する暁霄はありがたく盃をかかげる。チビリ。同時に酒を舐め、景琛は頬をゆるめた。


「呼びつけてすまん」

「とんでもありません」


 その返答は硬い。生真面目な暁霄らしい反応のままで、景琛は不安を抱いた。

 暁霄がザルなら酒が足りなくなる。志勇からは「あまり飲ませるのはお勧めしませんよ」と言われているが、どういう意味だろう。

 この酒宴は璃月に対する暁霄の気持ちに探りを入れるためのものなのだ。早く酔って舌がなめらかになってほしかった。


「乳兄弟のおまえになら、楽に話せるかもしれんと思うことがあってな」

「……というと?」

「璃月のことだ」

 

 ガタッ。暁霄の椅子が音をたてた。知らん顔で景琛は続ける。


「ここのところの後宮を見ていて考えたんだ。女の争いの中に璃月を置いておくのはかわいそうだと。あれはそういうのに向かない真っ直ぐな気性だ」

「は、はあ」


 盃を口へ運ぶ景琛に合わせ、暁霄もチビ、チビと飲む。だがとても落ち着かない。まさか璃月の話だと思わなかった。


「おまえも璃月に会ったからわかるよな。ああ、武芸にうつつをぬかす乱暴な女だと思うかもしれんが」


 ゴフッ。

 暁霄がむせる。横を向いて呼吸をととのえると、ごまかすように盃を干した。手酌で注ぎ足しながら、ここぞと言い訳する。


「いえ、璃月さまは優雅なたたずまいを身につけた立派な公主です」

「わかるか?」

「無論」


 それは暁霄が常々思っていたこと。後宮の門の外から垣間見ては可憐な姿に感嘆していたのだ。知らず力を入れてうなずく。

 だが会って話した素顔の璃月はまったく違う人だった。くるくると表情を変え、笑い転げ、怒って突っかかり――それもまた目が離せないのは不思議なことだ。槍を合わせた時を思い出し、暁霄はうなった。


「しかしひとたび槍を握ればしなやかに戦う。心も体も強いのですな」

「おお、体が丈夫なのは大切だ。嫁にいけば、そのうち子を産むことにもなろうし」


 グフッ。

 ふたたび暁霄がむせた。また盃を干す。手酌する。くり返すのを景琛はおもしろそうにながめた。やはり動揺するのか。

 咳を抑えた暁霄はあらためてひと口含み、噛むように飲んだ。酒が入っていくのに腹の底が冷える気がする。あの愛らしい璃月が母に――ということは、どこかの男のものになってしまう、と。


「それは……」


 気に入らない。とは言えなかった。自分はそんな立場ではない。口ごもったが、景琛はそれにかまわず大きなため息をついた。


「嫁にいくのは仕方がない。だがな、あいつは俺の妹だぞ? そんじょそこらの男にやるのはなあ」

「わかります」

「だよな?」


 強く同意する暁霄に、景琛は安堵の表情で笑み崩れた。少し酔ってきたのか。ヒョイと暁霄の盃にも酒を足してくる。


「あいつを後宮から出してやりたいんだ。だが嫁いだ先で綺麗なだけの公主をよそおい暮らすのはどうだよ」

「いや璃月さまは美しい女性になられるでしょう。間違いないです」


 盃を押しいただく暁霄だったがそこは主張した。たぶんこっちも酒に流され始めている。大っぴらに璃月を褒めたたえるなど普段なら絶対にできないのだが。おかげで景琛はご満悦だった。


「うんうんあいつは可愛い――だがそれだけじゃなかろう?」

「というと?」

「槍だ。あとは……義侠心というか」

「なるほど確かに」


 下々を気づかう。悪だくみを嫌う。人を蹴落とすより自分を高めたい。

 璃月のそんな心根は、共に過ごした時間は少ないものの暁霄にもよく伝わっていた。そういうところも好ましくて璃月のことが脳裏から離れないのかと今さら納得する。


「本当におやさしい御方だ……」


 暁霄はしみじみしてグイと盃を空けた。流れるように手酌するのを確認しながら、景琛は首を横に振る。


「わざわざ公主を迎えようなんて家だぞ。きっと璃月を外朝でのし上がるための道具にするんだ。そんな璃月に槍の稽古を許すわけはない。なんなら夢見を強いられ体を壊してしまうかもしれん……ああ璃月かわいそうに」


 景琛はわざとらしく言った。

 もちろん酔ってなどいなくて、今までの流れはすべて芝居。暁霄から恋の核心となるひと言を引き出したくて虎視眈々と狙っているのだが――チラリとうかがった暁霄はそこそこ飲んだはずなのに顔色は変わらない。しかし口を一文字に結び、深刻に考え込んでいた。


「婚家では、そんなことになりましょうか……」


 つぶやいた暁霄は持っていた盃をゆっくり干す。そしてガンッと卓子に置いた。


「……許せません」

「お、おう? どうした暁霄」

「璃月さまをないがしろにするとは不届き千万」


 暁霄は顔色も口調もほとんどいつものままだ。だがその瞳が妙に据わっている。これは酔っているのだろうか。

 スッと腰に手をやるが、今はそこに刀を佩いていない。にもかかわらず暁霄は椅子を蹴って立ち上がり、力強く言い切った。


「そんな夫、私が叩ッ斬ってやりましょう。お任せを」

「いやいやいや璃月はまだ嫁にいっていない。落ち着け」


 景琛は慌ててなだめにかかった。

 ちょっと待て、もしや本当に酔っぱらいなのか。見た目の変化がないから油断していた。志勇が「あまり飲ませるのは」と言った時の微妙な顔を思い出す。暁霄が絡み酒なら教えておいてほしかった。

 これほどの手練が暴れたりしたら大被害だと冷や汗をかいたが、暁霄は突っ立ったまま沈痛な面もちで言いつのる。


「璃月さまには幸せになっていただきたいのです」


 それはごく真剣な、本気の言い分だった。

 璃月を妻として迎えるなど弩級の幸運。そんな僥倖に恵まれる相手の男に怒りが湧いた。一歩下がって見ているしかない暁霄が拍手して認めるぐらいに璃月を大切にしてくれなければ万死に値するというもの。

 語気の強さに暁霄の真心を感じた景琛だったが、もうひと声ほしいとも思った。酒の勢いに任せ「自分が幸せにする」とまで言ってくれればよいが。仕方なく畳みかけた。


「おまえ……そんなに璃月のことを想ってくれているんだな」

「当然です。我が妹の乳兄妹の妹ですよ」


 すごく正しい事を言っているのにわかりにくい。


「となれば妹のごとく気にかかるのも道理と考えていただきたく。僭越ながら私がお守りすべき人の第二位に入っています」

「第二……その一は俺か」

「御意」


 ややフラリと揺れる暁霄はやはり酔っているのだろう。言い切った内容はやや筋が通っていなかった。

 後宮にいる璃月を外朝の武官が守る道理はない。大きな動乱にでもなれば別だが、通常それは娘子軍の任務。だから「守りたい」と思うのは仕事ではなく、ただの暁霄としての願いで――。


「ああ。だから璃月に『戦わず、おとなしくしてほしい』と」

「は。おわかりいただけましたか」

「ふむ」


 回りくどい奴めと景琛は苦笑いした。酔っているくせに「妹のようだから」と言い訳するし、なんとも手ごわい。

 だが暁霄にしてみればそう自制するしかないのだった。望んではいけない人への気持ちを口にするのは、みずから沼に飛び込むようなもの。恋とは異なるものだと強く規定しておけば、まだ岸辺にとどまっていられる。

 酒に身を任せながらも暁霄の枷は外れなかった。だが心を抑えつけるのも面倒になったのか、深く息を吐く。


「――あの方は、月なのですよ」


 つぶやくと、暁霄はドカリとその場にあぐらをかいた。すぐにうつむいたまま動かなくなる。


「え、おい。暁霄?」


 慌てた景琛が駆け寄るが、上司の呼びかけにも暁霄は反応しなかった。熟睡している。


「嘘だろ……」


 景琛はあきれかえって天井をあおいだ。いきなり寝るとは反則じゃないか。だから言ったのに、という志勇の声が聞こえた気がした。

 どうすればいいだろう。人を呼んで本人の部屋に運ばせるのも暁霄の名誉にかかわりそうな。


「ここで寝かせておくか……?」


 景琛だってほろ酔いなのだ。あまり深く考えたくない。春の夜はまだ冷えるが、この宮殿には皇城の地爐(ちろ)から床に熱が送り込まれてくる。風邪をひくようなことにはなるまい。

 もういいか、という気持ちになって長椅子にあった膝掛けや靠墊(クッション)をかき集めて敷く。自分より筋肉の厚い体をそこに横たえ、適当に引っ張り出した自分の着物をその上に重ねた。暁霄をそうしておくと景琛もさっさと自分の布団にもぐり込む。



 ――翌朝、主の部屋で目覚めた暁霄が悲鳴をあげたのは言うまでもない。



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