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「逆子でしたの。後脚の蹄が見えた時は、絶望しそうになりましたわ。すぐに獣医を呼びにやったのですが、獣医は別の厩舎の牛の出産に駆り出されていて不在だったのです。通常なら、馬のお産は30分程で済んでしまうものなのですが、40分経っても仔馬が産まれる気配がなくて。それで、これ以上待つことはできないとなって、私と馬丁のマックスで出産を手助けすることになりましたの」
熱く語り出したルーシーの怒涛の馬トークが止まらない。
「本来ならエリザベスに寝転がったり歩き回ったりしてもらって、仔馬が正常な位置になってから自然に産まれてくるのがベストなのですが、状況は逼迫しておりました。そこで、ロープを持ってきて仔馬を引っ張ることにしたのです」
「仔馬を引っ張る?」
ルーシーのトークに、マイケルが合いの手を入れる。我が意を得たりといった質問をもらったルーシーは、ますます熱くなって喋り出した。
「逆子の出産って押す人と引く人が必要なのです。出てこようとする後脚を押し込む係と、前脚に引っ掛けたロープを引っ張る係ですわ。それで、マックスがエリザベスの胎内に手を突っ込んで仔馬の前脚にロープを引っ掛けてくれたので、私はそれを必死で引っ張って。しばらく押したり引いたりしていたところ、急にずるずるっと前脚から仔馬が出てきたのです。でも、産まれてきた仔馬は息をしていなくて…。マックスが馬の後脚を持って逆さ吊りにして、わたくしは仔馬にバケツの水をぶっかけて、それでなんとか息を吹き返してくれましたのよ」
そう言いながら、ルーシーは目尻にうっすら浮かんだ涙を拭った。
「難産でしたけど、その後のエリザベスも仔馬も体調になんの問題もなくて。仔馬がよろよろと立ち上がった時は感動して泣いてしまいましたわ」
そう言いながらも涙を拭う手が止まらないルーシー。そんなルーシーを見ながら、もらい泣きしているヴェロニカ。
そんな二人を見ながら、あたしも涙が止まらない。
「こっ、仔馬が無事で本当によがったねぇぇぇー」
目と鼻から涙と鼻水が出て止まらない上にハンカチを持ってなかったので、テーブルクロスで拭きまくっていたら隣のマデリーンからそっとハンカチが手渡された。
「返さなくて結構ですわ」
そう言って微笑みを浮かべるマデリーンに、またもや涙が止まらない。
「ありがどーーーー。あなたっていいひとねー」
しゃくりあげながらお礼を言うと、マデリーンは優しくあたしの背中を撫でてくれた。
「でも、将来騎士団長になるナサニエル様のために、色々と勉強なさってるのね。ご立派だわ」
あたしを優しく撫でながら、ルーシーに向かって微笑むマデリーン。
「べ、別にナサニエルさまのためじゃございませんわ。自分が将来、恥をかかないために必要最低限の知識を身につけておきたいと思っただけです!」
マデリーンの言葉に、つんと澄まして答えたルーシーだけど顔が真っ赤に染まっている。
ツンデレか、ツンデレなのか。
「ま、そんなこったろうよ」
ナサニエルはそんなルーシーの言葉に、ちょっといじけたようにクッキーを摘んだ。
馬について熱く語るルーシーを、さっきまで驚いたような顔で見ていたナサニエル。
ずっとルーシーのことを、スイーツちゃんだと思って蔑ろにしていたけど、実はトンファーを振り回したり馬に対する熱い想いを持っていたりすることなんて気付こうともしなかったもんね。
ゲーム内では、そういう一面を知ってルーシーのことを見直すって設定になっていた。
でもなぁ。
「ナサニエル、ルーシー嬢は将来きみの妻となったときに困らないように様々な努力をしているが、きみはルーシー嬢の夫となるためにどんな努力をしたのかな?」
マイケルが笑顔でナサニエルに問いかけた。顔も口調も穏やかだけど、なんか周りの温度が下がったような気がするのは気のせい?
「あ? ドレスとアクセサリーがどうのこうのって話題に、耐え忍ぶ努力とかかな」
ルーシーの顔が引き攣った。
「あなたは、戦場に行く前に斥候を放って敵の様子を観察したり、情報を収集して戦略を立てたりといったことはなさいませんのね」
ナサニエルに対する、マデリーンの声も心なしか冷たい。
「そんな基本的なこと、怠るわけがないだろ」
「でも、いま仰ったじゃない。そんなこと時間の無駄だって」
「夜会と戦場じゃ全然違う。娯楽と殺し合いを比べることがおかしいだろ」
「夜会はただの娯楽の場ではありませんわ。時と場合に寄っては戦場と同然。剣の代わりに言葉で刺すのです。場合によっては、剣より致命傷になる場合もございます。そのような場所に、なんの情報収集もせずなんの武器も持たず、丸腰で挑むおつもりなの?」
嘲るように言うマデリーンにナサニエルはいじけたように答える。
「情報収集って、たかがドレスの色とかでしょう?そんなもんの情報収集してなんになるっていうんだよ」
「たかがドレスと仰いますが、王妃様や自分より上位のご令嬢とカラーやテイストが被らないように調整したり、流行をいち早く取り入れてたくさんの情報を収集することができるとアピールするのも大切なことなのです。王妃様と同じ色のドレスを着ていたりすれば不敬とみなされるか、もしくは情報を教えてもらえない外れ者の烙印を押されてしまいます。流行遅れのドレスにしても、最新の情報を取り入れる伝がないのか家計が苦しくて取り入れられないのかと痛くもない腹を探られかねません。それを踏まえれば社交会の花と謳われたルーシーさまは、稀代の知将と言っても過言ではありませんわ」
マデリーンがそう言い放つと、ナサニエルは愕然としたようにルーシーを見つめた。
「悪かったな、ルーシー。俺、そんなこと全然考えたこともなかった」
頭を下げたナサニエルに戸惑ったような瞳を向けるルーシー。
「お前は、宝剣やトンファーの本を読んだり、馬を大切にしたりして、俺と俺の将来の仕事に歩み寄ろうとしてくれてたんだよな。それなのに、俺はそんなことにちっとも気付かずに、お前とお前のやってることを小馬鹿にしたりして。……最低だ」
小さくなって謝るナサニエル。いくら傍若無人な脳筋でも、基本は乙ゲーの攻略対象。中身は素直で良いやつなんだよねー。
悪いことしたら素直に謝る。これ大事。
ゲーム内では、実はナサニエルのために色々と努力していたルーシーにナサニエルが絆されるって形で二人の仲は改善していた。
でも、ルーシーが歩み寄る努力をしていたんだから、そこはナサニエルもするべきなんじゃないかと、あたしはなんとなく納得がいかなかったんだよね。
だから、この状況はまさに大円団! 気分爽快スカッとジャパンよ!
「だから、べ、別にそれはあなたのためじゃなくて…」
いつになく素直なナサニエルに真っ赤になって否定するルーシー。
こっちはやっぱり素直じゃない。ツンデレだしツンデレだしツンデレだし。
「ルーシー嬢、男は馬鹿だから言われた言葉の裏とか考えようともせずに、そのまま素直に受け取ってしまう生き物なんだよ」
そんなルーシーにマイケルが揶揄うように声をかける。
「特にナサニエルみたいに、脳みそが筋肉でできているようなヤツには、わかりやすく丁寧に話してやらないと」
「ちょ、脳みそ筋肉って失礼じゃないか!?」
「事実なんだから仕方ないだろう」
そう言ってふざけ合う二人をよそに、マデリーンが放った鶴の一声は的確だった。
「そう言えば、ルーシーさまの仔馬の名前はなんておっしゃるの?」
ガチーーーンと真っ赤になって固まるルーシー。
「そ、そんな…名前なんてどうでも良いではありませんか」
「どうでもいいだなんて。出産に立ち会った大切な仔馬なのでしょう?」
「そっそれはそうですけどなまえなんてなくてもべつにこまらないというかなんというか」
「あ、あたし知ってるよ、馬のなまえー」
あたしがそう言うと、ルーシーはガタッと立ち上がって叫んだ。
「言わないでよ! 絶対に言わないで!!!」
「えー、でもマイケルも言ってたじゃーん。ナサニエルには分かりやすく丁寧にって」
「え? 俺?」
不思議そうにあたしを見るナサニエルに、あたしはニヤリと笑って仔馬の名前を告げた。
「仔馬の名前はネイトだよ」
とたんに、ナサニエルの顔が真っ赤に染まる。
ネイトは、ナサニエルの一般的な愛称だもん。流石に鈍ちんのナサニエルにも分かるよね、それがどういう意味か。
「だっ、だからそれは産まれた仔馬がナサニエルみたいな見事な黒鹿毛だったから…別にへんないみなんてないようなないようなないような」
否定しながらも言葉が尻すぼみ的に小さくなっていくルーシー。真っ赤になって固まるナサニエル。
あー、なんか今日はやたらと暑いわー。秋なのに。
二人を生暖かく見守っていたら、先に再起動したのはナサニエルだった。
「あー、えっと…。俺、今度斥候放ってお前の好きなスイーツとか調べとくから。情報収集して、流行りのカフェとかパティスリーとかも探しておくから。だから…」
「だから?」
「こ…今度、俺と一緒に二人で出かけないかなって」
お誘いキターーーー!!
思わず歓声をあげそうになったけど、ぐっと堪える。
「い、行ってもいいけど、その後で仔馬の訓練にも付き合ってもらいますからね」
真っ赤になって俯きながらも、言葉はやっぱりツンデレのルーシー。
ア
ア
ア
アオハルーーーーー!!
秋だけど。
ふと隣を見ると、満足そうに頷いているマデリーンと目が合った。
思わず手を出して、テーブルの下で二人でガッチリ握手を交わす。
さて、次はディエゴの番よ! マデリーンとの最強タッグで、あなたもヴェロニカにメロメロにしてみせるわ!
馬の出産の件は、大昔に読んだ児童書のゆるーい知識で書いたものなので、間違いがあるかも知れません。