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王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
番外短編
36/36

秘書官の不覚

リーファが17歳の頃の話。4年越しの恋愛フラグが初めて1本立ったとかなんとか。非常にちっこいフラグですが!


 コンコン、と控えめなノックの音は、あまり聞き慣れない響きだった。

「どうぞ」

 机に向かったままロトが応じると、そろっと扉が開いて、細身の人影が覗く。

「お邪魔しまーす……」

 小声で言いつつ入ってきたのは、元盗人の少女だった。国王に連れられてこの城に来てから、一年ほど過ぎただろうか。物怖じしない性質なのもあって、いつもは城館内のどこでも鼻歌まじりにスキップしているような元気さであるのに、今日はなぜか遠慮がちである。

「どうしたんだい、リー」

 怪訝に思って声をかけ、次いでロトは目を丸くした。面目なさげにリーファが挙げて見せた右手は、痛々しく包帯が巻かれていたのだ。

 慌てて立ち上がってそばへ行ったロトに、彼女は慌てて「怪我じゃないよ」と言った。なるほど、近くに寄ると湿布薬の匂いがするので、切り傷だとか骨折だとかではないらしい。

「書き取りしすぎて、痛くなったんだ。神官さんに、しばらく使うなって言われた。それで、勉強出来ないから、エート……見てていいかな? ロトの仕事」

「見てるのはいいけど」

 ロトは安堵と感心と呆れたのが相まった複雑な声を出した。そしてふと、温かな苦笑をこぼす。

「手を痛めるなんて、随分、頑張ったんだね。もうかなり上達したんじゃないかい」

 異国人のリーファは、この国の言葉をほぼ全く知らなかった。養父や国王シンハ、それにロトの三人がかりでせっせと教え、彼女の方も見事な記憶力を発揮して、話し言葉は驚くべき速さで習得したのだ。並行して読み書きも学んでいたが、そちらも基礎はすぐに習得した。

「まだまだ、全然だよ」

 だがリーファは満足していないらしい。

 普通なら、日常生活に支障が出なくなれば、それで良しとするものだ。知的専門職に就こうとか、商売人で会計や契約書類が必須だとかでなければ、元々この国で生まれ育った者でもあまり高度な読み書きは出来ないのに。

 おやおや、と言いたそうな顔をしたロトに、リーファは口を尖らせた。

「最初みたいに、変な力は入らなくなったから、沢山書けるようになったけど。でも、難しい言葉は知らないし、子供のお使いぐらいしか出来ない。もっと勉強しないと」

「偉いね。でも、僕の仕事なんか見てて、勉強になるかい?」

「うん」

 リーファは迷いなくうなずいてから、言い添えた。

「邪魔しないから。ロトは、シンハの……手伝い、エート……補佐! してるんだろ? だから、どんな事してるのか知りたいんだ」

 意外な言葉に、ロトは軽く目をみはった。ということは、何か。つまり、

「君も陛下のお手伝いをしたいのかい?」

 図星だったようだ。途端にリーファは顔を赤らめた。

「ち、違うよ! ただその、どんな風になってるのか、ちゃんと知っておいたら、邪魔しないで済むかな、って」

「陛下の?」

「うん」

 恥ずかしそうにうなずいたリーファを見つめ、ロトは思わず笑みを広げた。

(健気だなぁ)

 自らが仕える主君に、彼女もまた恩義を感じて何か報いたいと願っている。そのことが、何よりも嬉しかった。きっと必死に勉強しているのも、『子供のお使い』程度でない何かの役に立ちたい一心なのだろう。

 そう考えてにこにこしていると、リーファがじとっと責めるまなざしを向けてきた。慌ててロトは咳払いし、緩みきった表情をごまかす。

「とりあえず、僕の所に来て陛下の方へ行かなかった、って時点で、君は充分よく分かってると思うけどね」

「あいつ絶対オレのせいにしてサボるもん」

「……リー、言葉」

 たしなめられ、リーファはむうっとしかめっ面をする。表情だけで抗議したが、ロトは真顔で腕組みし、じっと訂正を待っている。渋々リーファは言い直した。

「私が行くと、陛下は相手をしてくれるので、仕事を邪魔してしまいます」

「良く出来ました」

「うぇ~。もういいじゃん、あいつの話ぐらい~」

 途端に崩れたリーファの口調に、ロトは堪えきれず失笑した。

「いよいよ君も、本格的にエファーン語になじんできたね。良いんだか、悪いんだか。ともかく、僕もあんまりおしゃべりしていられる余裕はないから、何をしているかいちいち説明は出来ないけど……」

「構わないよ。本当に、見てるだけだから」

 言ってリーファは、近くにあった椅子を動かして執務机の傍に置き、ちょこんと座る。さあ仕事しろ、というわけだ。ロトは肩を竦め、作業の続きに戻った。


 書類に目を通し、訂正や確認が必要な事項を書き込んで、相手や重要度、期限に応じて分類する。求められている文書があれば作成し、署名捺印して、乾かして。

 そうした書類仕事は、やる方も大変だが、見ているだけはさぞ退屈だろう――そう思ったのだが、たまにロトが思い出して様子を見ると、いつもリーファは真剣そのものだった。

 机上の様子を観察し、ロトがどういう手順で何を動かしているのか、どこに何を置いているのか、すべてを理解しようとしているかのようだった。

 途中でふと気付くと、いつの間にか彼女は椅子を離れ、棚に並ぶ本や書類束やあれこれの道具を、物音一つ立てないまま食い入るように見ていたりもした。

 城内にいる別の政務官と打ち合わせや相談に行く時も、リーファは質問をして説明の手間をかけさせはしなかった。静かについて来て、気配をさせずに廊下や壁際でやりとりを聞いていたのだ。

 それは、教えてもらうことを期待するのでなく、誰に何を言われなくとも自ら学び取ろうという強い意志のあらわれた態度だった。


 忙しい時が過ぎてゆき、窓から黄金色の光が長く射し込む頃、二人は連れ立って国王の執務室へ向かっていた。まとめの報告と明日に向けての打ち合わせの為だ。

 ロトは今日一日で早くも、リーファが自分の後から影のようについてくるのが当たり前のような感覚になっていた。いつもは自分がシンハに付き従っているのだが、こうしてお供がいるというのも、なかなか悪くない。

 無事に仕事を終えられそうな安心感から、ロトはリーファを振り返って笑顔を見せた。

「今日はお疲れ様だったね。何か見るべきところがあったのなら良いけど。後で、取って置きのビスケットをあげようか」

「やった! 貰うっ!」

 途端にリーファも無邪気な子供っぽい笑みを広げ、万歳しながらぴょんと飛び跳ねる。

 可愛いなぁ、とロトが和んだ、直後。

「あっ、シンハ!」

 廊下の先を向いていたリーファは、明らかにまったく性質の違う笑顔になって叫ぶや、ロトの横を駆け抜けて行った。

 虚を突かれたロトが勢いに引きずられるように体の向きを変えると、廊下の突き当たりで、部屋から出てきたシンハにリーファが飛びついていた。

「声がすると思ったら、やっぱりおまえか。珍しいな、何をやってたんだ? あ、なんだその右手は」

「書き取りしすぎた! だから今日は勉強休んで、ロトにくっついて仕事見てたんだ。すげーな、秘書官って王様より働いてないか?」

「おまえな……まぁ、その通りだが」

 シンハが苦笑する。その温かな声も、包み込むようなまなざしも、すべてリーファに注がれていて、他の誰かが割り込める雰囲気ではない。

 取り残されたロトは茫然と廊下に立ち尽くしたまま、胸に兆した苦い思いを、ただ持て余していた。

(……そりゃ、陛下の方が良いのは、当たり前だけど)

 何もそんなに、見事なまでにすっぱりと、振り捨てて行かなくても。

 一顧だにせず、微塵の情け容赦もなく――どころか、明らかにあれは、そこに彼がいることさえ一瞬で忘れ去っていた。

(今まさに話題にされた当の秘書官も、ここにいるんですよ、陛下?)

 声がすると思ったら、と言ったからには、自分の声も届いていただろうに。呼びかけはおろか視線を向けもしないのは、あんまりではないのか。

(って……いや、どっちに嫉妬してるんだ、僕は。子供っぽいな)

 はたと我に返り、ロトは片手で眉間を揉んだ。そして、はあ、とため息ひとつ。

 不覚を取った。

 たった一日、後ろにくっついて来られただけで、勘違いしかけた。

(リーは僕の子分じゃない。ずっと後ろの方にいるものだとばかり思っていたけど、彼女なりに努力して、しっかり前へ進んでいたんだ。ああ、僕が間抜けだったんだ、時々追い越されているのに気付きもしないで)

 もちろん、負けたなどとは思っていない。シンハの信頼も、たぶん友情も、自分の方が多くをかち得ているはず。だがさりとて、新たな誰かが入り込む余地が無いわけではないのだ。悪くすれば、取って代わられることさえも。

 安心と慢心は違うというのに――己の油断に気付かされたロトは、頭を振りつつ二人の方へと歩いて行った。

「じゃれるのは、最後の一仕事を片付けてからにしてくださいよ、陛下。はい、目を通して下さい」

 ばさりと書類束を差し出すと、やっとシンハはロトに目を向け、すまん、と謝った。横でリーファも、邪魔しない約束だったのを思い出したらしく、恐縮そうに一歩離れる。と、その肩からハラリと何かが落ちた。

「あ、いけね」

 リーファがつぶやき、左手で拾い上げる。うつむいた動作につれて、焦茶色の髪がばさりと首にかかった。ひとつに結んでいた紐が、じゃれた弾みで解けたのだ。

「ごめんロト、結んで」

 紐を差し出され、ロトは書類を渡して空になった手で受け取ると、リーファの背後に回った。

「髪もだいぶん伸びたね」

 言いながら、そっと首に手を沿わせるようにして、緩く波打つ髪を束ねる。まだ結い上げるほどの長さはないが、出会った頃は少年のような短さだったのが、肩の下まで伸びた。

「流石にもう、男の子と間違われる心配はないかな」

 からかい半分に言った直後、髪の柔らかさと、間に覗くうなじにドキリとして、小さく息を飲む。

(ちょっと待て!)

 いやいやいや、待て待て、それは駄目だろう、違うだろう。

 抱きかけた妙な気分を、大急ぎで打ち消す。目の前の少女は――そう、少女だ、ほんの子供だ、首筋だって細さは女の子のものだけど柔らかくもきれいでもないし、ビスケットに万歳して、廊下で陛下とじゃれるような子供で……

(いや、十七歳のはずだけど……っ、じゃなくて、それだって子供だろう!?)

 葛藤が漏れないように口をしっかりと閉じて、髪を括るのに集中しようとする。

 幸い、シンハは立ったまま書類に目を通しており、リーファはこちらに背を向けているから、二人ともロトの不審な態度には気付いていない。

「別にオレは間違われてもいいんだけど、しょっちゅう髪を切るのは面倒くさくってさー。ロトはいつもちゃんとしてるけど、面倒じゃない?」

 リーファは呑気にそんな事を言い、少し首を動かして肩越しに後ろを見ようとする。慌ててロトは、その頭をぐいと前に向けさせた。あだっ、と文句を言われたが答えない。

 ささやかなやりとりに、シンハも気付いて視線を上げる。

(しまった)

 ばっちり目が合ってしまい、ロトは一瞬凍りついた。

 夏草色の双眸が怪訝そうにしばたたかれ、次いで疑惑と、少しばかり面白そうな気配を浮かべる。結局彼は何も言わずにまた書類に目を戻したが、ロトは恥ずかしさのあまり逃げ出したくなった。

 髪を結び終わる頃には、どうにか表面だけでも平静を取り繕うことが出来たものの、内心は結構大変なことになっていたのだった。


 この日を境に、ロトの中で色々と感情の変化が生じてゆくのだが――その原因たる当人に気付かれるのは、まだまだ先の話である。



(終)

リーファが18歳までの話はこれで全部なので、ひとまずここで完結。

19歳以降は『王都警備隊・3』から先になります。

(※シリーズ最初の作品の所に一緒にくっつけた短編を除く)

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