29 妙蓮寺 100年の水音
伸子のプレゼンの会場は、すごく古い時代に建てられたヨーロッパの大学の講堂だった。石造りの壁には、古びたライオンのレリーフがあり、その口元から、今も絶えることなく細い水が流れ落ちていた。
水のしずくが、ひと粒、またひと粒と床の石に落ちる音だけが、広い講堂に静かに響いていた。
どうやってそこへ行ったのか──そんなことは一切忘れてしまった。ただ、壇上にのぼるのは卒業式の証書をもらうとき以来だった。
多くの国から人々が集まっていたが、日本人は数えるほどしかいなかった。
「伸子さんもプレゼンしたの?」
という札幌チカホでの響香の問いに、伸子はふーっと息を吐いて、あのときの苦い思い出を話した。
「したわ。眼鏡を忘れちゃって、大変なことになった。慌てて『眼鏡は顔の一部です』って言ったら、大爆笑されちゃって。
それでつい『あー、早く帰って卵かけご飯食べたい』って言ったら、大ウソつき呼ばわりよ。
独り言だけがマイクで拾われて、翻訳アプリで各国の言葉に通訳され、どんどんアナウンスされるの。もう、穴があったら入りたかったわ」
帰国後、後輩たちが冗談交じりで
「ラブロマンスの旅じゃないの?」
なんて話されたのも聞こえた。
「名古屋の四間通りで、もっと立ち止まっていればよかった」
と、伸子はぽつりと加えた。
実際、四間通りに立ったとき、伸子も、何かすごいことができそうな気がしていたのだ。
「四間通り?」
響香が聞き返すと、伸子は名古屋の四間通りについて、ゆっくりと説明を始めた。
ふたりで江戸時代の文化について話した。
「井戸を見たことある?」と聞いたら、響香は、小学生の頃、見ていた井戸の話をしてくれた。
「どこ?」と聞いたら、「妙蓮寺」と答えてくれた。
「妙蓮寺って駅名?」それは伸子の素朴な疑問だった。
横浜港が開かれ、外国人居留地として栄えた「関内」から、その約5キロ内陸にある「妙蓮寺」
「駅名を聞くと『きくな(菊名)』っていう駅があって、その次が妙蓮寺よ。」
まじかに見えるのは横浜みなと、♬
遠くに見えるのは真っ白い富士山♬
響香は、小学校の校歌の一フレーズを口ずさんだ。
そして、「おおぐちだい小学校」っていうの、っていって、パンをかじった。
そのパンは、ベンチの横のコンビニで買った。
二人とも、細かいお金がなくて、それぞれ一万円札を出すと、新しい紙幣には渋沢栄一の顔があった。
新年会しようといいって、おめかししたのに、結局、お店探そうと座ったベンチで、ずうっとしゃべった。
それは、
伸子の長旅の話が、滝のように流れて滝壺に落ち、
ゆっくりと地下を伝わった水が、やがて下流に小さな源流を生む──
そんな時間だった。
それは、
過去という海に、最初に落ちたひとしずくのように。
ぽつりぽつりと記憶の中の妙蓮寺を思い出して語り始めた。
戦前の焼け野原に、静かに佇む井戸と自分を置き、ゆっくりと想像した100年の歴史を紡いでいった。
「渋沢栄一さんは、小4の社会で地元の鉄道を作ったヒーローとしておぼえたの。
だから『日本のお札にまでなる人』って、実感が湧かなかったけど……。私の頭の中では、妙蓮寺の駅を計画した人なのよ。それも、きっと、妙蓮寺の井戸の前で。これは、私の想像なんだけどね。井戸端会議っていうでしょ?」
伸子が取り出したiPadには、
渋沢栄一が日本の**「資本主義の父」**と呼ばれ、
**「道徳と経済を両立させる」**という理念(『論語と算盤』)を重んじたことが書かれていた。
「儲けることは、人を幸せにすること。
そうでなければ意味がない、って感覚だったみたいね。
鉄道だけじゃなく、銀行も、ガスも、ホテルも……あ、江別の王子製紙も。」
伸子は一瞬、江別の王子製紙の歴史に心を引かれたが、今はそれを胸の中にしまった。
「そうなんだ。」とこたえた響香は、それから、
落としてしまった小さなパンのかけらを、腰をかがめて拾い、袋に入れていた。
まるで、百年前の妙蓮寺の井戸の前にたたずみ、
そこからこぼれ落ちる一滴の水の行く先を、じっと見つめているようだった。
「横浜が、日本の水道インフラの起点だったことは、間違いないわ。」
伸子は、そっと言葉を重ねた。
画期的だった横浜水道。
渋沢栄一が手がけた宗派を超えたシンボルとして──妙蓮寺の駅も、戦争で大きな被害を受けたはずなのに、驚くほど速やかに復旧していった。その理由が、今になってわかるような気がする。
響香の語りも、水滴のように、さらに続いた。
日本発の近代水道を横目に見ながら、関東大震災の焼け野原、戦後の焼け野原を乗り越えようとした人たちが、妙蓮寺の井戸に自然と集まったのだろう。
水道のない時代、井戸はコミュニティーの中心だった。
「ここにもに水道があったらいいな」
そんな夢を、誰かがぽつりとつぶやき、みんなで語り始めたに違いない。
「東京にはもう、いろんな利権が絡んでいて……ならば、まず横浜に。」
そんな声が重なり、日本の近代水道の礎ができていったと想像しやすい。
もちろん、それ以前にも水道の発想やそれに近いものはあった。
だけど、その目的は防火のためだったのかもしれない。
きっと、伸子さんが四間道で見たものも、そうだったのだろう。
──渋沢栄一さんと、妙蓮寺の住職が井戸の前で、こう話していたのかもしれない。
栄一「住職、ここの井戸の水はいいですね。」
住職「この土地、活かしてくれませんか?」
栄一「かなえますよ。」
住職「お願いしますよ。」
100年前の、妙蓮寺駅の完成。(1925年)
それを願った渋沢栄一と、土地を提供した住職──
もしかしたら、並んで駅の完成を見届けたのかもしれない。
妙連寺駅から、線路で、つながった、1925年の関内はある意味、よそのくに。
関東大震災の爪痕がまだ残るなか、横浜の近代化は進んでいった。
そして、妙蓮寺の井戸端で交わされた「井戸端会議」は、さらに、今の日本の世界最高水準のインフラへとひろっがていったにちがいない。
「そんなこと、今まで考えたこともなかったけど、響香さんと話していると、そう思えてくるの」
伸子がそう言うと、響香は微笑んだ。
「まだ旅の話は何もしていないけど、ありがとう。」
響香の語る妙蓮寺の過去に心を引かれながら、伸子はゆっくりと身を置くことに決めた。
かばんからまた、アイパッドを取り出し、地図アプリで「妙蓮寺」という地名を探し始めた。




