バカ妹と怖い姉
「むぅ……ここは精神世界だぞ。現実に影響はないし怪我は意思次第で無効に出来るのだぞ。実際ガナド殿も私も怪我は無いぞ」
「ダメです。まず前提として怪我をしない以前に、いつであろうとも誰とあろうとでも、ケイネリア様は敵意の無いお相手とは互いの合意が無く鍛錬を仕掛けないと、7回もお約束しました。最初は4才の春、龍冠離宮に配属されたばかりの騎士レッテラ様が騎乗しておられた飛竜を初めて……」
一つ反論するたびに、ケイスが覚えている事を前提に過去の約束や説教内容を一つ一つ掘り返して、あのときダメと教えましたねと、クドクドと姉のお説教が延長される。
ミューゼリアのお説教内容が全て事実なうえに、ケイスが異種の龍の血を受け継いでも異常がつくほどの健康優良児である事以上に、記憶を忘れるという機能を持たない等、非常識機能を諸々持ち合わせる理不尽生物なのを、誰よりも知っている相手だ。
なので、覚えていない、聞いていない、記憶違いだと、途中で打ち切る事も出来ない。
なにより問題なのは、ケイスの人としての道徳や倫理観、善悪の価値観は、主に姉兼側仕えのメイドであったミューゼリアを始めとした親族達によって仕込まれている。
隠されている身であろうとも、その血脈は現皇帝唯一の直子であり、大英雄の孫娘。
周囲の者が傅く高貴な身である事を自覚し、無茶な頼み事やわがままをいわない。
強そうだからといって、騎士達の騎乗飛竜に鍛錬として殴りかかってはいけない。
時間短縮になるからといって、物見塔の外壁を飛び降りたり、登ってはいけない。
塔がダメだからといって、崖の上り下りなら良いわけが無い。
だからといって上り下り鍛錬用の岩壁を魔術で作る騎士団式習練をまねしない事。
一つ問題行動を起こすたびに、改善策として代替案を考えるケイスは叱られ、そのたびに禁止事項は増える一方。
迷宮としての龍冠に捕らわれ、大怪我を負いながら帰還する頃になっては、療養中に無茶をするなと、さらに禁止事項は増えていった。
しかし強い者と戦いたい欲望。勝利を得るためなら自らの負傷など二の次な無鉄砲さ、剣士としての本能が、教えられたり、約束した内容を頻繁に凌駕する悪循環。
問題行動を起こしているが、それが悪い事、約束を破っている事は自覚しているのだが、押さえきれないのだから仕方ない。
しかしケイスとて怒られるのは苦手だし、お説教は嫌だ。
それでもお説教ですんでいるうちはまだ良い。お仕置きとして姉が手を出してこないからまだマシだ。
手が出てくるレベルなら平謝りだし、いつお仕置きレベル判断に姉が到達するか怖くて、思わず半泣きになるほどだ。
「今回は同じお約束を八回目ですか……忘れないように、お仕置きをする必要性がありますね」
「わ、私は忘れないぞ! ミュゼもよく知ってるだろ! だからお仕置きは必要ないぞ! どのお仕置きでもミュゼの日常生活に支障が出て困るだろう!」
膝をつき合わせてこんこんと説教をしていたミューゼリアが覚悟を決めたのを察し、ケイスは慌てて制止する。
普段ならもっとお説教が長く続いていたので、まだ余裕があると思っていたのだが、離れていた期間で基準がずれたか、判断を誤ったか、兎にも角にも自分の状況判断の甘さをケイスは悔やむ。
「ふふ。先ほどケイス様が仰ったではないですが。ここは精神世界です。痛みはともかく現実世界には影響が無いと。ならばお仕事にも問題ありません。ケイネリア様が家出から戻られた際に披露する予定でしたが。新おしおき【お姉ちゃん拳骨】が炸裂ですよ」
作ってみせた握り拳にミューゼリアが、はぁっと息を吹きかける。
その腕は細く見えようともケイスと同じく赤龍の龍殺しの血を引く存在。
見た目に反して闘気強化による恩恵で女性離れした筋力があり、近接防御格闘を得意とする父親の指導の下、最低限の下地は出来ている
だが所詮は素人の習い事。
生まれつき頑丈かつさらに鍛え上げた肉体に、卓越した闘気肉体強化による鋼の防御力を持つケイスの防御を突破するには、その防御を抜ける速度と技量を持つイドラス並みの達人か、無効化できるほどの純粋な筋力が必要。
だからケイスは傷一つ負わないし、軽く触れられた程度の刺激を与える程度でしか無い。
そうケイス”には”だ。
ケイスとミューゼリアの間には、高貴な身分で高魔力を持つ乳幼児と世話をする乳母の間によく使われる、契約魔術が施され、今も結ばれている。
その効果は主と従者側で、似て異なる。
まだ物心さえ持たず、だが高い魔力を持つが故に制御できず魔力暴走事故を起こしかねない乳幼児からのあらゆる攻撃を無効化し、乳母達を護る絶対保護魔術式。
邪な企みを企てたり錯乱した従者によって、主である乳幼児へと危害を与えさせないため、従者側にも施されたあらゆる攻撃を無効化する絶対保護に加え、さらに攻撃の威力に合わせて段階的に強まる従者へと、攻撃やその痛みを跳ね返す因果応報の呪術となる。
「さぁ覚悟してください。お姉ちゃん拳骨は骨をも砕きますよ……わたしの」
ぷるぷると震える拳は、自分の骨が砕け散る激痛への恐怖からだろう。
因果応報の呪いによって増幅され跳ね返された拳骨は、威力次第ではミューゼリアの拳どころか利き腕全てを砕きかねない。
自分の骨が砕け散ろうがお仕置きを敢行しようとする姉の本気度をケイスは疑わない。疑いもしない。疑うなど出来ない。
何せ幼い時に、利き手の指の骨が全て折れる重傷を負ったので、ちょうど良い機会だからと治療中のベットの上で筋力操作だけで拳を握って剣を握れないかと試していたらばれてしまい、ぺしぺしとケイスの手を叩き、呪いで返ってくる骨折している手を叩かれる激痛で嗚咽を漏らしながらも、療養に専念しろと説教してきた姉だ。
拳が折れようが、腕が砕け散ろうが、やるといったらやる。
何せケイスの従姉妹にして、精神的な姉。
常識外な妹を叱るための覚悟の決まり具合はお姉ちゃんレベルMAXだ。
「待て。本当に待てミュゼ! 怯えながらやるなら本当に待て! ただの痛みならともかく、呪術ならば現実に影響も出るかも知れぬから! 反省した! したから! ベザルートお爺さまには許可を得ない限り鍛錬を挑んだりしないから!」
「ダメです。ケイネリア様には反省は求めていません。何度お説教しても、お仕置きしても、最終的には意志を貫き通そうとすると、家出なさった時に理解しました。護衛の騎士様達にはわたしにだけは別れの挨拶をしたと仰っていたそうですが、縛り付けて猿ぐつわをして一方的に告げるのを、挨拶したとはいいません。だから何かやる時はちゃんと事前に報告して怒られて、止められても実行して怒られて、全部が終わった後にお仕置きされていただきます。何が悪いかも判らず行動するよりも、悪いと知りながらでも、行動に起こすだけ、ケイネリア様の場合は多少はマシになります……ですからむしろ現実に影響が出るなら、お仕置き効果が増大しますので望むところです」
姉の怒りレベルが高い理由をようやくケイスは理解する。
ケイス的にはちゃんと故郷を出る決意や思いを伝えたつもりだが、一切通じておらず、むしろ怒りを今の今まで持続させるブースターでしか無かったのだと。
「り、理不尽だぞ。何度も怒られなくても、は、反省しているのだから、ミュゼが自ら傷つかなくても良いではないか」
「ケイネリア様がご自分の痛みには無頓着でも、周囲の者の痛みには敏感に反応して嫌がるお優しい性格に育ってくださった事は、姉として嬉しく誇りに思います。ですが周囲の者の心情や精神的な痛みに対しては、相も変わらず無頓着のご様子。わたしが痛みに仰け反りこれから数ヶ月は苦しむ様を想像してご理解いただける事を望みます」
にこりと微笑み深く息を吐いたミューゼリアは覚悟を完了している。
「バカな事ばかりしでかす可愛い妹の為ならば、お姉ちゃんはいくらでも理不尽になれるのです」
大好きな姉が自分が原因で痛みに苦しむなんてケイスには認められない。
しかも発言的に治療神術で治す気もしばらくなさそうとなると、何が何でも避けなければならない。
打開策を求めたケイスは視界に、おっとりとした動作でこちらに近づいてくる祖母の姿を見つける。
避けたかったが最終手段を求めるしか手は無い。
因果応報の呪いの効果があっては、メイド達が主の爪や髪を整える事も出来ないので、一時的に一連の術式を解除する方法が設けられている。
解除鍵はその時々の用途に合わせるためにいくらでも自由に決められるのだが、天然災害問題児ケイスの場合は、さらなる反省やお仕置き効果を高めるために、唯一にして絶対の手段が設けてある。
「ニアお婆さま! 呪い解除のお茶を用意してください! 飲むまでミュゼを止めてください! お願いします!」
身体には良いといわれているが、実に疑わしいほどに舌が痺れるほど苦くてまずくて臭いオセラニア謹製の薬草茶を摂取して呪いを解除するしか、ケイスには選択肢が無かった。




