居場所
フィニアスは、アデールにドレスを着替えるよう告げ、下がらせた。
散らばったものも、早々に片付けさせたので、茶会は落ち着きを取り戻し始める。
フロースは、娘の不注意でテーブルクロスが絡まったと言って謝った。
フィニアスも、自分の妻が、
ディフォーレスト子爵の娘である叔母を中傷したとは言えない。
人々は、アデールが言ったことの意味に気付いていなかった。
フロースの日焼けから、
彼女が楽な暮らし、つまり貴族がするような暮らしをしていないのは明らかで、
アデールが叔母の心配をするのは自然だ。
例えノイの怒りに気付いたとしても、
「母親と自分の日焼けを恥ずかしく思った」ぐらいの想像力しかない。
それより、『花のお茶会』に招待されている自分たちが、
変な噂をするわけにはいかなかった。
子爵との関係を失うことにもなるかもしれず、そんな危険を冒すつもりもない。
とにかく、何が起こったか分からない彼らにとって、
ノイが誤ってテーブルをひっくり返したという言い訳は、受け入れやすいものだった。
モーリスだけはわざとなのを知っているらしく、
「ノイには驚いた」と言ったのだけれど、皆と同じようにそれを受け入れた。
いつもなら、フィニアスは、それで終わりにしただろう。
ところが、そういうわけにもいかなさそうだ。
彼は、モーリスが次の公爵になろうがなるまいが気にしていなかった。
デュパール公爵は宮廷での影響力が少なく、若い後継者も自分の人脈すら作っていない。
誰かに利用されるとしても、
ディフォーレスト子爵を敵に回すのは、頭が悪いとしか言い様がない。
そんな愚かなやつであれば、相手にする必要などない。
それなのに、なぜか彼は絡んでくるし、自分もほっとけないのだ。
「僕は、あなたに謝ろうと思っていました」
モーリスが言った。
「ノイに関心が無いと言ったのは嘘で、本当は彼女を気にしています。
今日、ここへ来たのは、ディフォーレスト子爵の集まりだからですが、
ノイに会いたかったのも事実です。
ところが、今は戸惑っています。
男爵、あなたが懸念しているのは、彼女は、僕には激しすぎると言うことでしょうか」
「あんたがノイに惹かれたのは、あんたの中にも激しいものがあるからじゃないのかね」
モーリスは驚く。
「あの激しさはラーウス人のものだが、ダカンレギオン族も激しい民族だった。
あんたはそれに惹かれている。
これは余計なことかもしれないが、
あんたは、本当に公爵になりたいのかね?」
彼は黙っている。
「だから、『ゆっくり考えろ』と言ったんだ」
フィニアスは、そう言って去ろうとする。
「もう一つ、あなたに謝りたいことがあります」
モーリスが慌てて言った。
「あの後、あなたのことを聞きました。
あなたが『のうのうと生きてきた』と言うのは言いすぎでした。
あなたは僕より辛い思いをしたのに・・・」
フィニアスは、正面に向き直る。
「人が、どんな辛い思いをしてきたかを、他人と比べても仕方が無い。
問題は、それをどうするかだ。
あんたは、自分の道を行くことだな」
「僕が公爵になるのは決まっています」
「じゃあ、そのように生きたらいい。
わたしは、あんたがそのことで悩んでいると思っただけだ」
モーリスは、深く息を吸った。
「公爵になれば、地位と豊かさを手に入れ、
自分のしたいことを自由に出来ると思ったんです。
ところが実際は、
しきたりと組織化された生活に従って、ステイツを守ることに負われ、
自由などありません」
「自由になりないのなら、公爵にならなければいい」
「これほどの地位を捨てるのは愚かなことです」
「愚かなのは、地位のために、自分を捨てることではないのかね」
モーリスは、しばらく、何も言えないでいた。
与えられた地位と豊かさを素直に喜べない自分がいる。
だからと言って退けられるほど強くもない。
他にやってみたいことはあるのだけれど、それも不確かで、
どこに自分の居場所があるのか、はっきりしないのだ。
フィニアスが再び去ろうとすると、モーリスは口を開いた。
「・・・僕は、優柔不断です。
自分でも分かっているんです。
僕の祖父は、故郷を離れる時、父親に言われたそうです。
『ダカンレギオン族が殺し合い、
自分が死ぬようなことになっても、戻って来てはいけない。
お前の道を生きろ』とです。
祖父はそのように生き、父もそうでした。
それなのに僕は、父が早く死に、残された僕らの生活も楽ではなく、
頼りにしていた祖父も亡くなり、不安でした。
そんな僕が公爵になれるのですよ。
僕は恵まれています」
「そこまで思っているのなら、それでいいじゃないか」
「恵まれていると分かっているのに、
これでいいのだろうかと思ってしまいます。
やりたいことはあります。
祖父の話から、民族学に興味を持っていました。
文化は興亡し、時には他文化に吸収され、それでも人は、したたかに生き続けます」
「つまり、あんたは、人類が何なのかを知りたいんだ」
「問題は、それをやるのに時間と費用が掛かるということです。
簡単に就職できる分野でもありません。
公爵になれば、それが出来ると思ったのに、そうではなかったんです」
「だからあんたは、集団で馬に乗って、くだらん憂さ晴らしをした」
「そうです。
あなたの言う通りです。
それも、ノイに会うまででした。
あの子は、何と言うか・・・まっすぐなのです」
フィニアスは、厳しい顔をした。
こんな若者が、女の子に近付く理由を知っている。
「単なる興味だけなのなら、あの子に近付くんじゃない。
自分の欲求を満たしたいのなら、尻軽な女の所に行け」
モーリスは驚いて言った。
「僕は、そんなことなど考えていません」
「じゃあ、どうしようと言うんだ?
あんたは、自分のしたいことすら分からないのに。
気になった女の子の、ちょっと激しい所を見て、
すぐに慄くあんたに何が出来るんだ。
あの子をどうするつもりだ。
自分の空虚な気持ちを埋めてもらいたいのか?
ノイは純粋な子だ。
そんな子を利用するのはよせ。
今は激しくても成長する。
あの母親を見ればいい。
彼女が、ノイを育ててるんだ!」
そう言って、フィニアスは去っていった。