取引成立
「ふぅ……」
悩みに悩んで、私は吐息を吐き出した。
答えはわかっていて、何を迷うことがあるのだろう。そもそも、秘密を互いに暴露した時点で、選択肢はなくなっていたのではないか。
「わかった。その取引に乗るよ。乗りゃぁ良いんだろッ」
私は難しいことを考えるのが嫌いで、だから悩むのが嫌になったから答えた。
その瞬間、ジョセフが腕を大きく広げる。
取引成立の抱擁というわけだ。
今がどういう状態が忘れたのではあるまいなぁ?
「なに、タダのハグだ。これからの栄光を、共に喜び合おうじゃないかッ」
「……」
流石に私も恥ずかしいため、ジョセフの手を取って握手した。
「これで、勘弁してくれ」
ジョセフは残念そうに口元を歪めるが、私の意思は尊重してくれたようだ。
これでお互いに命を賭け合った、共存体となった。
細かいことを詰めようというところで、いきなり扉が開く音がする。
「ッ!」
私は慌てて、ジョセフを抱きかかえると書斎机の向こうへ跳ぶ。
ドサッ、ゴロゴロ、ガチャッ――。
0.5秒ほど遅れて、助手の青年が入って来た。
「せ、先生……?」
机の上を散らかしたため、彼は驚いた様子で言った。
ジョセフはジョセフで、何が起こったのかを少し思案している。いや、もう把握している。
直ぐに立ち上がらないあたり、私の体の感触を確かめているのだろう。
別の場所を立たせてんじゃねぇよ……!
「目隠し。さっさと返事しろ」
私が小声で指示する。
「先生?」
ジョセフは目隠しを取って立ち上がり、苦笑を浮かべながら助手に答えた。
「いや、大丈夫だ。居眠りをしていたら、盛大に転けてしまったよ」
「お疲れのところ申し訳ありませんッ」
「問題ない。それより、ノックもなしに慌ててどうしたんだい?」
「すみません! 保安隊の方が……その、話があると」
椅子に座り直して、悠然と場を繕えるジョセフも流石だ。実は、元からちょっと茶目っ気があったりするんだろうな。
またまた助手も大変だ。いきなり保安隊が、先生に会いたいなんて言ってきたら驚くだろう。
しかし、どうしてまた保安隊が? それにこいつはちょっと強引な面会だ。
「構わない。通してくれ」
ジョセフも、助手に用件が伝わっていないことを見越して客人を招き入れる。
そう言うなり、三人の男達がズガズガと室内に踏み込んできた。
「あッ、そちらでお待ちくださいと……グッ」
「退け! やぁMr.プロフ、ここに保安隊員襲撃の犯人が逃げ込んだという噂があるんだが?」
抗議する青年を押し退け、入ってくるなり横柄な態度をみせる。
こいつら、本物の保安隊じゃねぇな……。保安隊に所属はしてるんだろうけど、どうせ他の犯罪組織の息がかかってる奴らだ。
「ワタシが犯罪者をかくまっていると? ワタシが何者で、それが何を背負っているか、わかっての妄言だろうか?」
ニセ隊員の言葉に、ジョセフも憤慨したように答える。本気で怒っているわけではないが、十分な威嚇にはなっている。
なかなかの演技力だと思う。
まッ、ジュペッテには負けるけどな。
さてさて、市議が任命した弁護士を疑うなんて、身の程知らずも良いところだ。この場合だと、命知らずってところか。
「どこの所属かは知らないが、大人しく帰った方が良い」
「見られて困ることでも? こちらは、手洗いですか」
ワンピースだけなら見られても誤魔化しが聞くが、流石に切り裂きジョーの衣装はダメだ。
ここからは、マランツかスカリスどちらかの使いっ走りとの根比べである。
「市議においでいただくか、最低でも君達の上官(エリオット=コーポ)殿を呼ぶことになるぞ?」
このままでは平隊員の暴挙が、ジョセフや私の立場を悪くする。
奴らは、保安隊に居られなくなるか私らの秘密を知るか。
二者択一の睨み合い。
「油断してる間に私がやるわよ? ムグッ」
提案するも、机の下に押し込まれた。
「物音がしますなぁ?」
えッ、バレた?
声が大きかったかと焦ったが、どうもこちらへ来る様子がない。
「人様の家の手洗いを、無断で借りるのはいただけんな」
ジョセフが立ち上がって、止めにいこうとする。
私もついつい、机の影から頭を覗かせる。
「にゃぁ~お」
「……」「……」「……」「……」「……」「……」
その場にいた誰もが、意外な侵入者の出現に目を丸くした。
猫は僅かに開いた扉の隙間から、受付を通ってタッタカ逃げていく。
黒と灰の縞模様をした、可愛いショートヘア種だ。やや薄汚れていたので、そこらの野良猫だろう。
後で知ったことだけど、ジョセフがこっそり餌を上げていたんだとさ。この前見た紙袋は猫の餌を買ってきたものだったわけ。
閑話休題。
「し、失礼しました……」
ニセ保安官も、これ以上の追及もできず引き下がる。
顔面を蒼くして逃げていく姿は、とてもじゃないが直視して笑えなかった。
ジョセフが、直ぐに助手を部屋の外へと出す。なんとか平穏が戻り、彼はこちらへ戻ってくる。
笑うのを堪えるのに必死で、腕の位置も顔の前へ来ていた。その上、どんな格好をしているのかも忘れていた。
「いろいろと詰めたい内容もあったが、これ以上遅くなると怪しまれる」
「ハッ。おまッ、見るな! また、いつでも来てやるよから……」
全く……なぁにチラチラと……。
まさか、そのナリで私が初めての女というわけではあるまい。
「そんなに体が魅力的か? な、わけねぇよ」「とても魅力的だ」
言い終わらない内に返ってきた言葉で、私の頭はまたしても茹で上がった。
「は、は……はぁッ?」
「驚くことじゃないだろう。アルシャ、君は女性としてではなく動物として美しい」
「どういうことだ?」
私は問う。
イマイチ、褒められているのかどうかわからない評価だ。
「わからないか? アルシャのそれは、獣として、メスとしての美と言うべきか」
「……なんか、喜べない。そういう褒められ方なのはわかったぜ」
話の半分くらいしか理解できない。
しかし、私の力のことを考えると獣っぽい雰囲気になるというのも理解できる。そしてもう一つ、わかった事がある。
ジョセフは、褒めるのが下手だ。
「結構、女を侍らせてるようで、扱いには慣れてないんだな」
指摘され、図星だったのか溜め息を吐いた。
「はぁ。これまでに二度は逃げられている」
「意外なこともあるんだな。これ、私まで逃げたらどうなるんだよ?」
「女の心変わりを許容するのも、男の甲斐性というものだ。しかし、アルシャに似れられた日にはどうなるか……」
流石に、また嫉妬に狂って殺されてはかなわない。
男としてつまらない存在かもしれないが、人間としての、犯罪者としてのデタラメさは一丁前だ。
「ま、私を愛してくれてる間は手は切らないよ」
「当たり前だ。俺から逃げぬ限り、愛し続けるとも」
そう言い合って、二人で笑った。
なんてロマンのない共犯関係だろう。
しかし、私達はこれで良い。これが、私達らしい手の取り方だ。
明日、事務所へやってきた時間に、またやってくることを約束する。
その日はそれだけで、私は寄宿舎に帰った。やっぱりワンピースは乾いておらず、気持ち悪かった。