六章 過去の幻の謎
戦斧を振るう間ずっと、先程見たデッサンの人物について考えていた。あの人好きのする笑顔に、言い知れぬ懐かしさを覚えたからだ。会った事など、あるはずが無いのに……。
(それに……さっき)
隣で鉛筆を握るクレオ殿に、不意に弟の影が重なって酷く驚いた。今朝夢に出てきた彼も同じような姿勢で絵を描いていた。その背中が、未だ瞼の奥底にはっきり残っている。
(しかし、何故今になって記憶が……?)
本当に四天使の言葉が引き金だったのか?別の要因は、
「酷え有様だなこりゃあ」
驚きを含んだ声と共に、ロビーから大剣を担いだ筋肉隆々の男性が出て来た。不死族の一人、街ではラーメン屋台を経営する靭殿だ。
「タイナー。まだ演習は終わってないんだろ?俺とも一戦やろうぜ」
「あ」ああ、勿論だ、そう続けようとしたが、
「駄目です!!」
クレオ殿が珍しく怒鳴って制止する。
「何だ、邪魔する気か小僧?今日こそ本気で勝負出来ると楽しみにしてたんだがなあ」
未練満々で呟く。それに対し、大人と子供程もある体格差を物ともせず反論する。
「今度にして下さい!この人数を相手にしたばかりですよ?シルクさんが圧倒的に不利です」
「クレオ殿、私は」そんなやわではない。一国の軍隊も相手にした事がある人間兵器だ。
ボリボリ。不死族は頭を掻いた。
「――そいつもそうだな。悪いタイナー、出直すわ。動けるからってまだ無理するなよ」
弁解する間も無い。大男は深く頭を下げ、そのまま商店街の方へ歩き去ってしまった。
残された彼が突然頭を下げる。「済みません、差し出がましい真似を」
「いや、私こそ気を遣わせて済まない」
若干消化不良だが仕方ない。帰ってから通りを一っ走りするか。
「クレオ!タイナー!!」
呼び掛けられ、私達は同時に政府館の二階を見上げた。開けた窓からルザ殿と、隣のカーシュ殿がこちらを見下ろしている。
「さっき暴れていたのはあなただったのね。酷い有様。まさか死んでないわよね?」
「気を失っているだけだ。後五分もすれば全員目覚めるさ」
「まだ完治していない相手に傷一つ無しって……どんだけ弱いんだよ」溜息。「逆に心配になってくる」
「安心しろカーシュ殿。私は些か特殊な訓練を受けているだけだ。普通に任務をする分には、彼等は皆十二分の実力を有している」
「慰めになってないな、この惨状を前にすると……」逆に苦笑いされた。
「二人は仕事中か?良ければ一緒にランチへ行かないか?」
「え?」
不自然なぐらい目を剥く死霊術師。
「クレオ殿も賑やかな方がいいだろう?」
私は元来口下手で、人との会話が得意ではない。自分でも良い提案だと思う。
しかし彼が答える前に、階上のルザ殿が首を振った。
「まだ仕事が残っているの、ごめんなさい」
「え?さっき報告―――ってぇっ!?」
「あんたは黙ってて。そう言う訳だからタイナー、クレオを宜しくね」
「なら仕方ないな」
クレオ殿は何か言いたげな表情をしたが、結局会釈だけ返し、私に行こうと言った。
「あ、ああ」
二人に別れを告げ、先に歩き出した彼の後を追う。
「別に遠慮する事は無かったのだぞ」
「え?」
「今からでも二人を手伝ってくればいい。私の用はもう済んだしな」
彼は大きく開いた目をパチパチ瞬きした後、プッ!吹き出して笑い出した。
「どうした?」
「シルクさん、あれ嘘ですよ。ルザが僕に気を遣ってくれたんです」
「そうなのか?しかし何故?」
私と二人きりになっても、特にメリットは無いと思うが……ん?どうして赤面しているのだ彼は?またエンジンの調子が悪いのか?
『頼むから訊いてやるな。本気でオーバーヒートを起こしかねん』
治療のため移植された虹の鳥は、未だ私の心臓の中だ。どうも前の宿主から頼まれているようで、何度言っても一向に帰ろうとしない。
『やれやれ、クレオもいつか報われる日が来るといいのだが……』
「シルクさん?」
訝しげに見つめる青年。
「ああ、済まん。グリューネ殿に話し掛けられていた。どうした?」
「何だ、吃驚しました。てっきりお疲れなのかと思って……そうだ。昼食は屋敷で摂りましょう。以前言っていたエレミアの絵も、描き溜めたので是非見て欲しいです」
ほう、興味深い。それに先程のように、記憶の琴線に触れる物があるかもしれぬ。
「構わんが、手間ではないか?――ふむ、では商店街で何か適当に買って行こう。払いは私が持つ。世話になった礼だ、遠慮はいらん」
やや不服そうな顔をされつつも、私達はその場を離れた。