一章 病院と機械技師と猫
キィ、キィ……パタン。「出来た」
脚立に乗り、直したばかりの時計を壁に掛け直す。手に持った懐中時計を見て最終確認――良し、ズレてない。これで頼まれた修理品は最後だ。
決心して以来いつも首に提げた蒼ダイヤのペンダントを取り出し、遠くの父母を想う。
(お父さん、お母さん。私、今日も一生懸命頑張ってるよ)
ちょっと照れ臭くて、でも誇らしい。引き篭もっていた頃では考えられない心境。
「ああ、ここにいたのかリサちゃん」
今日の依頼人、主治医の先生が階段を昇ってきて声を掛けた。ペンダントを仕舞って振り返る。
「あ、先生。全部終わりました。この時計と、ナースステーションのタイムレコード、手術室の心電図で合っていますか?」
「もう終わったのかい?まだ来て三時間しか経ってないのに。流石は連合政府の推薦、仕事が早いなあ」
生じた赤面を誤魔化そうと、使ったプラスドライバーをショルダーバッグの工具箱へ納める。仕事を初めて十日程度では、まだまだ褒められ慣れていない。さっきも幼い頃から顔見知りのナースさんにお礼を言われ、ついおろおろしてしまった。
先生はしげしげと直ったばかりの時計を眺め、うんうん、立派な腕だ、もっと早く頼めば良かったな、と呟く。
「あ、じゃあさ……悪いんだけど、ついでにもう一つだけ頼んでも構わないかな?政府の方には後でちゃんと追加料金を振り込んでおくから。そうだ、ランチも食べて行くといいよ。病院の食堂のミックスサンド、結構美味しいんだ」
「コーヒー付きで?」
「何ならデザートもサービスしよう」
「ふふ、分かりました。で、何を直せばいいんですか?」
シャバムに設置されている大抵の機械なら触り慣れている。仮令初めての物でも、構造さえ理解出来れば処置は可能だ。
先生の後に付いて一階へ降り、ナースステーションの中を通る。婦長さんに手を振り返し、更に奥の扉へ。
到着したのは一見物置らしき小部屋。入口から向かって右側の壁に三つのテレビモニターが掛けられ、下のスチールテーブルに数十個のボタンが付いた操作盤が置かれていた。
先生がテレビを点けると、ザーッ!三台全てに砂嵐が現れる。
「どうやら守衛がボタンを変に押してしまったらしいんだ。マニュアルを見ても先生達じゃ全然直らなくて。リサちゃんは分かるかい?」
尋ねつつ操作説明書を抽斗から出して、私に手渡す。ぱらぱら……ふんふん、成程。
「少し時間が掛かるかもしれませんけど、いいですか?」
「勿論。良かった、本当に困っていたんだよ。何せこの通り全然映らないからね」
言葉に一切の嘘は無く、主治医は安堵の表情を浮かべる。
「でも、監視カメラが設置されているなんて初めて知りました。前からあったんですか?」
ほぼ生まれた時からこの病院には散々世話になっているが、そんな物騒な物が頭上にあるなど全然気付かなかった。
「うん、今年の四月からね。――”赤の星”の精神病院で入院の患者さんが失踪の末自殺した事件、知らないかな?どうも脱走の発見が遅れた事が死の一因だったらしい。それで病院学会の規則で、精神科のある病院は全ての出入口にカメラを設置する事になったんだ。勿論ここもね」
「へぇ」
生憎精神科は一度も掛かった事が無い。シャバム中央病院は定期的に聖者様が訪問しているので、他の星よりずっと入院患者が少ないと昔誰かが言っていた。あの人の白魚のような指から齎される奇跡は、倦み疲れ病んだ心を優しく癒す。
「尤も昼間のロビーは常に誰かいるし、夜間救急の玄関は閉めているから、守衛が確認するのは裏口だけさ。普段リサちゃんが診察を受けに来る時、見られる心配は一切無いよ」
「でも、一応録画はしているんですよね?」
「まあ決まりだからね。何か事件が起きた時には、警察や連合政府に提出しないといけない証拠だし。何か他に質問はあるかい?」
「特には無いです」
「そう。じゃあ食堂でランチを貰ってくるよ。――くれぐれも無理はしないでね」
バタン。
「さてと……」
これ以上余計な心配を掛けないため、パパッと終わらせよう。見た感じ、どうやら画面設定が切り替わっているだけのようだ。
マニュアルと実際のボタンを交互に見て、ポチ、ポチ、ポチッ――と。砂嵐の音が止み、三台のモニターが正常に出入口の様子を映し始めた。内、人の出入りがあるのは先生の言った通り、一番と書かれた正面玄関だけ。
「よし、後は角度を調整して……」
カメラの首を振らせ、最適なアングルを探す事三分。――うん、これで良し。
「何だ、思ったより簡単」
この程度なら機械のプロでなくても、説明書さえちゃんと読めば出来そうな物だけど。それともこれはただの口実で、ランチのついでに近況を聞きたいとか?
「……一応ビデオ回して、ちゃんと映っているか確認しておこう」
設定がおかしかったのはモニターだから、多分問題無いとは思うけど。
守衛さんはズボラな性格らしく、録画ビデオは椅子の背後に山積みされたままだ。適当に一本デッキへ差し込み、閉鎖されている夜間救急の三番モニターを切り替えて再生する。
脱走者発見目的で必要無いとは言え、映像は無音だ。どうやら守衛さん、画面が映らなくなる前にも設定を弄っていたらしく、私がさっき調整したより大分外側の角度になっていた。入口手前約一メートルの空間が映っていない。早回しして映像に乱れが無いか見ていく。
「あれ、クレオさん達だ」カチッ。普通の速度に戻す。
片想いの蒼い髪の青年が、以前一緒に家へ来た茶髪の男性と話しながら病院を出て来た。右下のレコードを確認すると、予想的中。不死族の人達が相次いで倒れ、お姉ちゃんが大怪我を負った翌日だ。きっと、家族のオリオール君のお見舞いから帰る所なのだろう。確かあの時、レティちゃんはずっと付き添いで病室にいたんだっけ。仲良しで微笑ましいなぁ、と頬を綻ばせかけ、次の瞬間硬直した。
「!この人……」
見覚えのある短髪の赤毛の男性は、親しげにクレオさん達と話し始めた。でも――巻き戻して確認する。やっぱり……さっきは気付かなかったけど、樹の陰に潜んでいた所を出て来ている。
「どう言う事……?」
その時、ナースステーションとは反対側の壁の奥から微かな物音がした。ビクッ!立ち上がって音のした方を確認すると、段ボールに塞がれたドアが一つ。空箱を取り除いて、恐る恐るノブを回す。
「鼠でもいるのかな……?」
どうやらこちらが本物の物置らしい。換気用に北向きの窓が取り付けられているが、採光は最悪。掃除されて日が経ってないのか、然程埃っぽさは感じなかった。
「にゃー」
抑揚の無い鳴き声を聞いた瞬間、私は中に入ろうと踏み出した脚を止めた。
「にゃあ」
鳴き真似で返事をして踵を返し、監視室の隅にあった電話に手を伸ばした。機器にメモされた内線の番号を確かめながら押す。
プルルル……ガチャッ。
『はい、食堂です』おばさんらしき声。
「済みません、そちらに」主治医の名を告げ、呼んでもらうよう頼む。三十秒もしない内に本人が受話器を取った。
『はい、もしもし』
「あ、先生」
『リサちゃん?どうしたんだい、まさか心臓の具合が』
「ううん、違うの」とんでもない心配性!と思いつつ否定する。「あの、さっき言うの忘れていたんですけど朝ご飯、食べ忘れちゃってて。だからその、後で払いますから二人分持って来てくれませんか?」
『え、本当に?病院に来る前からずっとお腹空いてたのかい?言ってくれれば先に食堂へ連れて行ったのに。――ああ、うん分かった。でもお礼はお礼だからね、仮令十人分でもタダだよ。それじゃ、もう十分だけ我慢しててくれるかな?』
「ありがとう、先生。楽しみにしてますね」
ガチャン。受話器を置くと、倉庫の扉から抜け出てきた猫と視線が合った。