二章 初めてのデート
ドキドキドキ……。
(僕なんかでいいのかな……?)
そう思いつつ、インターホンを押す。ピンポーン!思ったより大きな音に吃驚して、身体が数センチ浮き上がった。
ガチャッ。「あ、クレオさん。おはようございます。今日はお姉ちゃんを宜しくお願いしますね」
出てきたリサさんの後ろで、当人は愛用のハルバートを軽く振り回していた。余程今日予定されている防衛団の演習が待ち遠しいようだ。
「思ったより元気そうですね」
緑色の液体で満たされたカプセルの中。全身傷だらけで眠っていた姿からは考えられない回復振りだ。治療してくれたルウさんには感謝してもし切れない。
『じゃあねクレオ。――彼女とお幸せに』
分解したカプセルを定期船に積み込みながら、彼女は不敵な笑みで別れの挨拶を告げた。
「ええ。昨日はまだ大人しかったんだけど、今朝はさっきまで筋トレしていたの。暴れたくてウズウズしてるみたい。ごめんなさい、迷惑掛けて」
「構いませんよ」愛しいシルクさんなら幾らでも掛けて欲しいぐらいだ。「リサさんは今日も修理のお仕事を?」
「いえ。今日はデイシーちゃんの取材の付き添いで“赤の星”です。多分昼過ぎには帰って来られると思います」
「何だ、もう来てくれたのか」
人工耳に心地良いアルトが入り、エンジンが自動的に高鳴った。
「リサが心配性で済まないな。任務が無いとは言え、貴重な一日を私などに付き合って良かったのか?」
「い、いいえ!シルクさんのエスコート役に選ばれて光栄です!!」
本心からの発言に、彼女は僕を見下ろしながら苦笑した。
「そうか。では行こう」
「いってらっしゃい二人共」
「はい。行ってきます」
彼女の家を出て、市街地方面へ林の小道を歩く。足取りは頑健そのもので、もうすっかり全快だ。
「まだ演習までは時間がありますね。何処か行きたい所はありますか?」
今日は所謂快気祝い。予算や条件の許す限り、何でも叶えるつもりだ。
「そう言えばクレオ殿。私とリサを描いた絵が、大学を通じてコンクールに出品されるらしいな。あの子の話では大層巧いそうじゃないか」
「いえ、そんな……大した物では」
自分では習作レベルだと思っているのに、皆褒め過ぎだ。
「是非一目見たい。案内してもらえるか?」
「わ、分かりました」
今日は授業のある日だ。この時間なら既に熊髭先生が教室を開けてくれているだろう。
勝手知ったる通りを歩いていると、大学の周囲を取り囲む壁を奇妙な風貌の男性がペンキ塗りしているのが見えた。両脚が殆ど無く、上半身だけの作業着に腰から下をグレーのシーツで覆っている。顔もややのっぺりとして凹凸が無く、全体的に浮世離れした雰囲気を醸し出していた。
「やあ、今日も精が出るな。ワームレイ殿」
刷毛を動かす長い腕を止め、男性は呼び掛けたシルクさんの方を振り向いた。
「あなたは?」
「ああ、そうか。貴殿はつい最近“黒の星”を出て来たばかりだったな。私は」
彼女は僕の分も自己紹介し、朝早くから御苦労様、快活に敬礼。そこでようやく、彼が“黒の城”のロビーで倒れていた人だと気が付いた。確かルザの話では建築家だとか。
「初めまして」
僕が頭を下げると、彼は何故か少しの間視線を泳がせた。
「?どうしました?」
「いえ。他人と話すのに慣れていないもので」染み込んだ石膏で掌紋の無い手を握り、壁際の缶コーラを指差す。
「先程中へ入る学生から貰ったのですが、一体どう言う意味でしょう?」
「え?」
缶の表面には水滴が幾つも現れている。明らかに自動販売機で買ったばかりのコールドドリンクだ。
「えっと……お仕事頑張って下さい、とか?取り敢えず早く飲んだ方がいいですよ。温くならない内に」
最近は朝も暑いから、熱中症を心配した差し入れだろう。“黒の星”では気温の変化も殆ど無いそうだし、身体に異変があっても気付きにくいはず。
「……ああ、成程。何の説明も無く渡されたので困っていたのです。ありがとう、LWP」
「お役に立てて良かった。それじゃ、僕達はこれで」
プルトップを開ける軽い音を背後に正面玄関を抜け、ロビーから階段を登って美術教室へ続く廊下へ出た。
「ほう。大学の内部はこうなっているのか。思っていたより綺麗だな」
感心した彼女は続けて、学校と言う所はさぞや面白いのだろうな、淡々と言う。
彼女の複雑な生い立ちはカプセルから出た翌日、個人的に呼ばれて聞かされた。赤毛の天使、お父さんの命令で殺人を強要されていた日々を、シルクさんはとても悔いていた。パーティーの夜に見せた涙の原因も、僕やまだ生きていたヘレナさん達を殺さなければならないかもしれない不安からだったのだ。勿論、僕は彼女を軽蔑したりなんかしない。却って辛い弱みを告白する程の信頼を示され、胸が一杯になってしまった。
『クレオ殿、これを受け取ってもらえるか?』
まだ気だるげな片想いの女性は、ソファに背を預けたまま一枚の金貨を手渡した。表裏が同じ女性の横顔の珍しい物だ。話を聞くと、シルクさんの体内にあった唯一の持ち物らしい。誕生記念コインだそうだが、肝心の名前や生年月日は擦れて読み取れなかった。
『グリューネ殿を貸して貰ったからな……礼にもならんが、私本来の所持品はそれぐらいしか無い』
『いいえ!僕、お守り代わりに大事にします!』
金貨は現在胸ポケットに大事に仕舞ってある。触れる度彼女に与えられた勇気が湧いてくるようで、自然微笑んでしまうのが玉に瑕だけれども。
「ここです」
ガラガラガラ……。
ドアを開く音に、既に教室にいた数人が振り返る。
「お、ランバートおはよう」
「今日は来れないって言ってなかったか?あれ、そっちの美人はもしかして」教室の後ろを指差し、首を振りつつ交互に見る。
「ええ。モデルの一人、シルク・タイナーさんです」
「初めまして御学友達。いつもクレオ殿が世話になっているようだな。これからも仲良くしてやってくれ」
現役防衛団の彼女に握手されると、絵描きの卵の生白い手などまるで子供だ。
「お、来てたのかランバート」背後から教室の主、熊髭先生も入ってくる。「おお!こちらはもしや例の」
「ええ。あの絵を見に来たんです」余計な事を言われない内に答える。
「そうかそうか。ああお前等、何やってんだ!?美女の客だぞ、さっさと茶を淹れてこい!」
「あ、済みません!」バタバタッ!
先生は両腕を広げ、大仰に額の中のデッサンを示す。
「さあさ、もっと近くでどうぞ。ランバートの傑作で、現在大賞最有力作なんですよ」
「熊髭先生!?」前より明らかに誇大広告じゃないか!
「ふむ……確かによく描けているな。写実だが、それだけではない心動かされる物がある」
姉妹への愛情を籠めて挑んだお陰か。でも造型もまだ到底納得出来ないし、この通り実物は数百倍美しい。
彼女は左右に首を振り、近付いたり遠ざかったりしながら絵を丹念に眺める。針の筵に座らされた気分だ。
「これは写真を見ながら?」
「いえ、全部メモリーを元にした想像図です」
「ほう!器用だな。こんなに精巧な質感のデッサンを、実物も見ずに……」
顎に手を当て尚もじっくり観察する。その間にも生徒達が続々と入ってきて、僕は何度も彼女の事を説明しなければならなかった。
「へー、あれが噂の」「時々朝早く大通りを走ってるよな」「にしても何てナイスバディ!」
「セクハラは止めて下さい!」慌てて彼の口を塞ぎ振り返る。―――良かった、どうやら観賞に夢中で聞こえていないようだ。
「ところで今日はどうするんだランバート?授業、受けてくか?」顎髭を撫でながら先生が尋ねる。「彼女と一緒に。デッサンなら特に教えなくても出来るだろうし」
「いいのか?」振り返ったシルクさんが問う。
「一人増えるぐらい問題無いさ。つか、お前にはちょっとした課題をやってもらうつもりだったんだ」
「え?またコンクール絡みですか?」
「いや。他の連中には昨日から制作に入っている。俺の手違いでな、大学から提出しろって言われてたの忘れてた。でだ、どうせなら体験入学生のお前もやれ。そんなに難しい課題じゃないから安心しろ」
「はあ。何ですか?」
「父親、又は母親。或いは世話になった恩人。とにかく感謝している人間を描け。簡単だろ?」
何処がだ!?凄く難問じゃないか。
「ほらほら、出席書いてとっととスケッチブックに向かえ。あ、お嬢さんはこいつの隣にどうぞ」
いつも通り真っ白の紙と向かい合うが、横にシルクさんがいるとどうにも集中出来ない。
彼女は渡された削りたての鉛筆をくるくる回し、感謝とは中々難しい課題だな、独り言を呟いた。そもそも絵を描いた経験はあるのだろうか?
「クレオ殿は誰を描くつもりだ?」
「そうですね……やっぱり家族のディーさんでしょうか」研究所から目覚めさせ、面倒を見てくれた恩義は何物にも換え難い。「シルクさんは誰にするんです?お父さんですか?」
「あの男を?冗談は止めてくれ」
眉を顰め、嫌悪感を顕わにする。
「す、済みません……でも、あの人がいなかったらここまで強くなれなかった訳ですし……それに、“黒の星”で会った時、凄く怒ってましたよ。シルクさんが傷付けられて……」
乱暴で怖いけれど、僕には彼がそう悪い人間には思えなかった。
「それは単なる癇癪だ。子供と一緒さ。自分の物に手を出されて腹が立っていただけだ」呆れたように首を振る。
「それだけにしては」
「あいつなど、これで充分だ」
言うなり鉛筆をスケッチブック一杯に走らせ『へのへのもへじ』の顔を描いた。勿論、顔立ちの端正な天使とは似ても似つかない。
「ふふ、良い気味だ」意地悪げにニヤニヤ。「今度来たらこいつを見せてやろう」
ガラガラッ!!「おい糞アマ!!」
「げっ!」
どうしてわざわざこんなタイミングで来るんだ!?彼女を連れ戻しに?でないなら何の用。
「ランバート、知り合いか?」圧倒的不機嫌のオーラに押され、先生以下生徒一同硬直しながら彼を凝視する。良く見ると全員綺麗に一歩後退していた。
「いや、私の知人だ。驚かせて済まない。すぐ出て行かせる」
スツールから立ち上がり、腰に手を当てて対峙した。
「神聖な学び舎で騒ぐな。一体何だ?任務は解除されたんだろう?」
「折角俺様が様子を見に来てやったのに、その態度は何だ?ケッ!」舌打ち。「しかも朝っぱらから機械小僧と仲良くお絵かきたぁ、平和ボケが過ぎるぜ。反吐が出る」
「喧嘩を売りに来たなら帰れ。それとも――野蛮人には『表に出ろ』の方が通じるか?」
「シルクさん!?」
千切れた手足の抜糸も済んでいないのに、藪から棒に何を言い出すんだこの人は!?
僕の不安を見抜き、彼女は不敵にも酷く格好良く微笑んだ。
「心配するな、すぐ済ませる。皆は課題に専念するといい」
「そんな訳には……」
もしまた怪我をしたら、信頼して一日任せてくれたリサさんに申し訳が立たない。何とか穏便に帰ってもらう方法は……そうだ!
「あの、お父さん」
「あぁ!?誰がお父さんだコラ!!?」
怒鳴り声に一瞬怯みかけたが、勇気を振り絞る。隣のキャンバスのスケッチブックを外し、そのまま差し出した。
「シルクさんが描いたお父さんです。どうぞ」
これは賭けだ。激怒の上灰にされる可能性は高いがさて、どうなる?
「―――ケッ!」
ビリッ!顔文字のページを破り取り、炎のような真っ赤な目で改めてしげしげ眺め始める。
「おい人形。――中々上手く描けているじゃねえか」
「は?」
厭味としか思えない台詞に形の良い眉が歪む。が、彼は一向に気にしていないようだ。
「当然俺様が預かってて良いんだよな?」
「ああ。そんな下手糞な絵、欲しいなら幾らでもくれてやる。その代わり」
「大人しく帰れってんだろ。ケッ!人形の分際で命令たぁ、大したお嬢様振りだぜ全く」
悪態を吐きつつも、彼は機嫌良く元来た廊下を戻って行った。自分で仕向けてもまだ信じられない。あれで本当に決闘を回避出来たなんて……。
「何だったんだ今の?」
「さあ……?」
教室内の生徒達は互いに顔を見合わせ、揃って同じ疑問を口にした。




