初めてのこわばりさん☆
宇宙人がいる。
何メートルくらいだろうあれ……。三〇メートルくらいあるんじゃないか……? とにかくそれくらいのサイズの、頭部の大きい、全身紫の、何やらたすきらしきものをかけた宇宙人が、建物を踏みつぶしながら街中を歩いている。そして、何なのか、ここからだと遠くてわからないが、同じ紫色をした無数の何かが、地面や建物から出たり入ったりしながら宇宙人を取りまいている。人もいるようだが、状況は読みとれない。
メルヒェン……?
いや、建物壊してるぞ。メルヒェンじゃねえだろあれ。
メルヒェンなの? 日常?
そもそもメルヒェンて何だっけ。
わけわかんない。もう。
体をもどしてため息をつこうとしたとき、風にあおられているシーツの一つが、何かに吸いこまれるように物干し竿からはずれるのが見えた。シーツの隙間から、スキンヘッドとたくましい上半身が見えた。
来てる!
おっさんメイ……ん?
後ろに、米……召喚魔法が立っている。
よく見るとたくましい上半身は肉襦袢で、スキンヘッドは生え際にちょっと髪が見えていた。桃色の髪。俺は顔を見つめた。グラマラスな唇。男のものではない。
脱力した。
「桃、なんだその格好……」
桃がハゲヅラと肉襦袢をひきちぎるようにして脱ぎすてた。桃色のストレートヘアと白い祭服があらわになった。ついでに、立ちのぼるような全身からの殺気も見えた。
「それはこっちのセリフだ大概ツコム……いや、この色外道が」
「え? いやいや。これは」
殺気が、完全に殺気が見えてる。立ちのぼってる。マンガやアニメならあるけど、本当に見えてる。何この世界。怖い。俺は何となく、股間と乳首を両手でおさえた。桃が無表情で、上と下の手に順番に視線をやった。
「それはあれか? 済みか? 一戦交えて外の空気でも吸ってくるって体か?」
「違ッ! そんなわけねえだろ!」
桃が腰の後ろに手をやり、細かい装飾の入った短い棒を取りだした。白と桃色。棒というか、柄か? 五〇センチほどで、棒にしては短い。それにあれで叩いて攻撃するなら装飾が多すぎる。だが柄にしてはやたら長い。
「個人のアイデンティティを問うつもりはない……愛の対象が男でも……だが男同士の国のなかでも、よりによって性欲のみを追い求めるソドミー領を選ぶとは……」
「それは待て!」
俺は米を指さした。
「お前ッ、こ、こいつ、ここしかないって、しかもそもそも国のなかでどことか選択肢なかったけど!」
召喚魔法が手を左右に振った。
「わいはちゃうで。わいはアルファ。桃専用機。自分をのせてきたのはブラボー」
「スコイアトゥーラ・ガット」
柄の先端から、複数の光が紐のように出てきた。下にたれて、三〇センチほどでとまった。いや、ただの紐じゃない。紐の先端でL字のフックが四方を向いている。フックつきの紐が五本。あれ? もしかして、けっこう凶悪な武器じゃないか?
桃の顔が、不意に苦しげな表情に変わった。
「誰も彼も性、性……。一体なんなの……。せっかく、私……」
うつろな目でつぶやいている。
誰も彼も……?
「性など……」
桃が地面を蹴った。同時に振りかぶっている。
「性など滅びろ!」
「性ごとは無理!」
反射的に後ろへ飛びのいた。……が、飛んだ瞬間ずれを感じた。バランスがとれない。結局想定の倍ちかい距離を下がって着地した。軽い、のか。世界がちがうから……。
「滅びろ! 性! 性ー!」
考えている余裕はない。紐の部分より柄のほうが長いため、フックが飛んでくるスピードが速い。わずかな時間差がすごい面倒くさい。横にどうにかかわす。俺のかわりに攻撃を受けたシーツが、ざっくざくに裂かれた。シャレになってねえ! くらったら皮膚ごっそりじゃねえか!
「桃! 落ちつけ! スコイアはやりすぎやで!」
うん。やりすぎ。しかし桃の目には狂気がある。多分聞いてない。
「性ー!」
物干し台とシーツを利用して、死角に入りながらどうにかよける。台とポールが次々に倒れ、シーツが次々に裂かれた。
「そうだ、ちょ、あれ、あの宇宙人何なの?」
不意に桃の動きが止まった。
「……宇宙人?」
「あ、ああ。あの……」
「桃!」
召喚魔法の叫び声が聞こえた。
いつの間にかバルコニーの端に移動している。
しかし、桃は動かない。
シーツがひるがえり、無表情でうつむいている桃の姿が見えた。
「桃!」
返事をせず、桃は両手で顔をおおうと、その場にしゃがみこんだ。
何この反応……。
「ちょっと……どういう」
「桃! ほおっとく訳にいかんやろ!」
召喚魔法が駆けもどってきて、桃の腕をつかみ、無理矢理立ちあがらせた。再びバルコニーの端へむかう。そしてそのまま桃をつれて飛びおりた。
シーツが風にはためいている。
アホみたいな景色と、あと、バルコニーと……。
ちょっと……。
急に静かになられても困るんだけど……。
何この展開……。
仕方がないので、とりあえず端へ移動する。二人が庭園を走っているのが見えた。駆けよる門番兵を無視して、城門そのものを飛びこえている。再び手すりから身をのりだしてみた。がんばって、防風林が落下地点か。いや、無理だろ。それとも行けるのか? 異世界補正で。いや無理。
「いたわ! あそこよ!」
野太い声が後ろから聞こえた。やだ。すごいやだ。体が勝手に振りむく。シーツ群の向こう、バルコニーの入口から、ハゲメイド、ハゲコック、ハゲ使用人、ハゲ執事、ソドミー、ゴモラ、ハゲ掃除夫、あとわかんない。全員、上、裸。一部全裸。
心のなかで異世界補正と叫びながら、両手で手すりをつかみ、足をかけ、飛びおりた。
緑がせまる。
急加重に、悪寒が背中あたりを暴れまわる。
両腕で顔をかばう。
痛っ! 痛痛痛-い!
何かに激突し、方向がわからなくなることを繰りかえしたのち、手に当たった枝をどうにか握った。枝は折れたが、それでかなり減速し、向きが定まり、結局両手足で着地した。やはり補正がかなりある。痛いのは痛いが、ボディコントロールがやたらうまい。
「飛びおりたわ! なんて勇敢なのかしら! 抱かれたい!」
「抱くか!」
とりあえず、城門にむかって走った。足の裏が痛い。シーツの結び目がとれかけ、仕方なく片手で握ったまま走る。槍をもった門番兵が二人向かってきた。たくましい三角筋、大胸筋、腹直筋、鎧を着ろ! どうしようか迷ったが、メルヒェンだと自分に言いきかせ、片方に狙いを定めて、拳を振りあげながら進路を変えた。ふと、飛ぶだけ飛んでみるか、という発想が浮かんだ。ダメ元で飛びあがる。ダメだった。高さが足りず、膝が門番兵の顔面にめりこんだ。ごめんね。もう一人は驚いた表情で止まっている。着地後、一瞬立ちどまって見つめあったが、とりあえず再び駆けだした。かんぬきがでかい。背に腹は代えられず、両腕でとりついた。シーツが腿をすべり落ちると、背後からFantasticという叫び声が聞こえた。迫りくる危険を肌で感じた。両腕で抱えたまま下がる。長い。どうにかかすがいから抜ききると、反動でかんぬきを振りまわすかたちになった。かんぬきの先が追ってきた門番兵の顔面にめりこんだ。ごめんね。余裕ができたので、時間をかけてシーツを腰に巻きなおした。主に結び目を、時間をかけてかなり固く結んだ。
曲がりくねった舗装路を無視し、直線で駆けおりる。街が……なんか、変な街だ。いや、元々変だが、城の縮小版のような、レンガ造りに、狭間……のこぎり型の物見塔を模した屋根の建物がならんでいる。要塞化された街なのか?
街に到達して謎が解けた。
すべて、入口が、中が見えないように壁をいくつか入りくませた構造になっていた。
全部ラブホじゃねえか。
お前ら本当……いや、今はそれどころではない。
五〇メートルほど先。
全身紫色の巨大生物がそびえている。
たすきの、『いや気がさす代』の文字が見えた。
さす代……(便宜上そう呼ぶことにするが)は相変らず前進を続けている。建物が倒壊する音と振動がここまで響いてきている。この進行方向だとさす代は……後ろを振りかえった。色とりどりのスキンヘッドが、集団で坂をくだってきているのが見えた。
目をつぶった。
心を落ちつかせて深呼吸する。
すぐに、前進するという答えが出た。
再び走りだした。
前方の交差路から、全身が紫にそまったスキンヘッドが出てきた。
体と、そして周囲の地面を、紫のスライムのようなものが出たり入ったりしている。男の表情や動きはほぼゾンビのそれだ。男はそのまま向かいの枝道に消えた。慎重に周囲を確認しながら、交差路まで進んだ。わりと、その、まあ、がっつりとした光景がそこにはあった。
さす代の足元。
大量の紫スキンヘッドたち。
大量の、辺り一体を侵食した紫の細ながいネバネバ。
何がしかのうめきが充満している。
声が重なっていてなんと言っているのか聞きとれない。
ネバネバは、紫スキンヘッドたちの体や、地面、建物を出たり入ったりしている。そまっていないスキンヘッドが、ネバネバに周囲を囲まれ、染まり済みに両肩をつかまれ何かをわめかれて、同じように紫に変わるのが見えた。
そのとき、かすかに耳なりがしていることに気がついた。庭のときと同じ高音。周囲を見まわす。屋根の上。桃と『極論』の、ピンクの召還の円。庭のときより大分でかい。文字が入っている外円がゆっくりと回転している。出てきた。ピンク……米だ。次々に出てきては空中に飛びだしていっている。飛びだしたほうを目で追った。四方に散らばり、ハッチを開いてネバネバを吸いこんでいる。
う~ん……。
どうしたものか……。
数メートルほど先の地面から、紫が出てきた。
すぐに複数になった。
にわかに、緊張が全身に広がった。踵を返そうとしたが、背後の地面からも紫が伸びあがりだしている。少し落ちつきすぎた。すぐに取りかこまれた。高さは大体一メートルくらい。飛びこえて済む状況なのか? とりあえず飛ぶしかない。助走は数歩か。腰を落とした。そのときだった。
「靴下がぁ」
ネバネバが声を発した。
靴下……。
何だよそのセリフ……。
もっと緊張感のある……。
「いっつも片方だけないんだよぉ。本当いやんなっちゃうぅ。絶対靴下を隠す妖怪かなんかがいるんだよぉ」
いやまずお前が妖怪的な立ち位置だろうが。いやそれはあれとして、小学生くらいの男児の声だ。口々にわめきだしている。ほとんど泣き声。拍子抜けして、構えをといた。周囲のネバネバを見まわす。うねうね伸びたり縮んたりしながら、靴下がない、いつも朝はこう、遅刻しちゃうなどとわめいている。もっとこう、激しく、サバイバルかつスプラッターな状況の立ちはだかりを想定・準備していたが、なんと言えばいいか、要するに聞こえる内容の共通点に気づき、俺のなかでわめき内容における問題の焦点が定まってしまった。仕方がないので、急ぎ、状況に対する姿勢を頭のなかで軌道修正する。
「ちょっ、いい? ごめん。ちょっと!」
声を張りあげ、手を上げて周囲を見まわした。
「靴下ぁ」
「母ちゃんがいつもぉ」
「どれを選んでも片方しかぁ……」
「ちょっ、コラァ! まず、待て。いいから待て。コラァ! 聞け!」
何体かはまだしゃべっているが、大分静かになった。
「まず、いいか? 収集と整理が基本だ。いいか? まず、聞かせてくれ。親が洗濯物を畳まずに、山積みになっている家なのか?」
大きく、身ぶり手ぶりセットで発言した。しばらくの間ののち、口々に、そう……、はい……、うん……などのリアクションが返ってきた。
「わかった。そうか。ありがとう。よし、じゃあ整理しよう。まず、誰が嫌なんだ?」
リアクションなし。
「靴下がないとか、その原因として洗濯物が山積みになっているのが嫌なのは、誰?」
リアクションなし。うねうねしてる。質問の仕方を変えよう。
「親は山積みについて嫌がっているのか? 」
リアクションなし。ちょっとしてから、どれかが、気にしてないと思う……と発言した。
「そうか。まず、よかった。第一段階はクリアだ。自分一人の問題だと判明した」
リアクションなし。
「次に解決へ向けての展開だ。朝イライラしないためには、靴下をどうすればいいと思う? 」
そんなのぉ……とどれかが言った。
「そんなのぉ、洗濯物を畳んでぇ、タンスに入れてぇ……でもどうしてぇ、僕がみんなの洗濯物を畳まなきゃいけないんだよぉ! 子供なのにぃ! 」
「人がイライラするしくみ……」
そこまで言って切った。
「人がイライラする心のしくみが、子供と大人で違うと思うか? 」
リアクションなし。
「イライラしているのが自分なら、それを解消するのも自分しかいない」
しばらく何も言わないでいると、やっぱり納得できないぃ! どうして小学生の僕がやらなくちゃいけないんだよぉ! と、どれかが叫んだ。
「自分の分だけ畳めばいい……大事なことは、みんなで一緒にやること、それぞれが一人でやること、この両立が大切だってことだ。けじめとも言うな。残念だけど、君の家ではその二つの違いがあいまいのようだ。冷たく考えろということじゃない。 親でも兄弟でも、別の人間なのは現実なんだ。自分と、自分以外の人間。引くべき境界線を引かなければ、家族でも友達でもうまくいかなくなる。そういうことだと思う」
リアクションなし。だがうねうねが、ちょっと変化している。ネバ同士で顔を見あわせているような動きだ。顔はどこだ。
「とにかく、しばらく続けてみろ。他の家族が君に影響されて畳むようになれば、家のなかもすっきりしてそれでよし。 誰も真似しなくても、最低でも君の問題は解決する。どうだ?」
ていうか、これだけ話しといてなんなんだけど、これ何? どういう状況?
我に返っている間で、ネバが少しずつ縮まっていく。
「一回切ってアルファ! 旅行者が!」
桃の声がした。
叫び声だが、遠い。
何かが高速で突っこんでくるのが風切音でわかった。振りかえる間もなく後ろ襟をつかまれ、強い力でひっぱられた。ピンク。米だ。ハッチが開いている。嫌! い……あれ? ソファ?
柔らかいものの上に投げだされ、すぐにハッチが閉まる駆動音がした。
柔らかい……やっぱりソファだ。オレンジのラブソファ。ピンク色の壁。すぐに振動がくると思ったが、それは特になかった。
広い。三畳ほどある。いや、広いというほどではないが、ブラ星の米内に比べたら段違いだ。明らかに外寸とあっていないが、まあ今さら。そして壁に大型モニタ。小型冷蔵庫、引きだし付のサイドテーブル。何これ。配色も、暖色系でそろっていておしゃれ。
「桃専用機、って、こういうことか……」
(――噂どおり察しがええな――)
アルファの声が聞こえてきた。噂どおり? それにしても何だこの内装のちがい。うちの家族本当に大丈夫か?
笑い声が聞こえた。
(――たしかにうちは特別綺麗やけど、ブラボーのところは、桃の召喚魔法のなかでも群を抜いて汚い――)
ああそう……。
しばらく沈黙が続いた。
特にない。
(――あー。汚さんかったら、まあ、くつろいでくれていてええ。冷蔵庫にサイダー入ってるから――)
ああそう。いや、いいです。今は……。
(――ああそう――)
すごいあの、所在ない。両手で両腿をさすりながら、内装を見まわす。なんとなく、サイドテーブルの引きだしを開けてみた。大学ノートが一冊入っているだけだった。
(――あっ。それは見たらあかん。あかんで――)
一度手を止めたが、再び伸ばしてノートに触れてみる。
(――コラァ、あかんゆうとるやろ。ツコム――)
特に俺の行動をはばむ機能はないようだ。好奇心のおもむくままに手に取ってめくる。綺麗な字だ。これは、詩か? けっこうぎっしり書いてある。
散歩のこと
私は犬。
お気にいりの首輪をくわえて、ご主人様に散歩をせがむ。
くぅんくぅん。
ご主人様、散歩に連れていって。
――まったく、ピーチはおねだりしてばっかりだなあ。
ああ、ごめんなさいご主人様。ピーチ、欲ばりな犬でごめんなさい。
ご主人様が、雑な手つきで首輪をはめてくれる。
くぅんくぅん。
痛い。ひっぱらないでください。嘘。ひっぱってください。ぶんまわしてください。
お気にいりの首輪。お気にいりのコース。
くぅんくぅん。
大好きなご主人様との、お気にいりの、とびっきりの時間。
――まったく、ピーチ、こんなところで粗相をして。
ああ、ごめんなさいご主人様。こんなところで粗相をするピーチを、
どうか、嫌いにならないでください。
どうか、もっとよく見てください。
ほう。
(――だから見るな言うたやろ――)
アルファを無視して、ひと通り斜め読みしてから、ノートを引きだしに戻した。しばらくあごをさすって考える。
つまり、ゆがんだ欲求と、倫理観との間で板ばさみになっているタイプか……。
(――何やそれ――)
まれに見る逸材……。
ハッチが開いた。
「ここなら安全やろ」
米から出る。屋根の上だ。紫宇宙人がかなり遠くに見える。百メートルくらいか。ハッチを閉じると、アルファはすぐに前方に戻っていった。ネバネバが宇宙人の周囲の屋根や壁を埋めつくすほどになっている。米は吸いこむとどこかへ消え、また戻って吸うを繰りかえしているようだが、アルファを入れて五、六体で、ネバネバが減っているようには見えない。一度に吸いすぎたのか、四つんばいでネバネバをリバースしてる米がいる。桃も、あの凶悪鞭を振りまわして宇宙人のまわりを飛びまわっているが、宇宙人には煙たがっている気配もない。変わらず、建物を踏みつぶしながらゆっくりと前進をつづけている。まあ、劣勢である。
近くでどなり声が聞こえた。下……後方。ソドミーたちだ。領主様を連れて城へ戻れとか、なんやかんややってる。異変に気がついたらしい。
再び前方へ向きなおって戦況をながめる。そして桃の様子がおかしいことに気がついた。動きが、ぎこちなくなっている。明らかに遅くなっている。色も、紫に染まりつつあるように見えた。屋根に着地したあと、飛ばなくなった。ネバネバが集まってくる。鞭を振りまわして牽制している。紫ハゲたちが屋根に上がってきた。桃の動きがさらに鈍くなった。この距離でも、紫に染まりつつあるのがはっきりわかるようになった。米……ネバネバのダメージがあるのか、瞬間移動の繰りかえしに負荷がかかっているのか、こちらも動きが鈍くなっている。米の半分は転移中でいない。戻ってきたばかりの米のハッチドアがとれた。これは関係ない。一体が気づいて桃にむかって移動しはじめているが、匍匐前進だ。
桃が膝をついた。
一気に取りかこまれる。
「桃はぁーん……!」
匍匐前進が、泣きごえで叫び、桃へ手を伸ばす。
おい何だよこの状況……。
ため息をつき、おもむろに駆けだした。
屋根の端を蹴る。思ったより行……くけど行かないっ。危ねっ。体勢をととのえて再び駆けだす。
何なんだよ。
勝手に拉致しといて。
何の前おきもなくピンチさらしやがって。
二〇メートル。完全に桃が隠れた。ハゲの肩をつかむ。
「結局俺がやるんじゃないか……」
「美人に産まなかった親が悪いのよ……」
「オムレツ絶対失敗する……」
ネバ……本当にネバネバするこれ……。やだ……。
「桃!」
体をねじこみ、両手足で紫ハゲたちを押しやる。ネバは……とりあえずはたいて蹴る。効果なし。ドス黒い紫になった桃が見えた。
「おばあちゃん絶対私への当てつけだわ……」
「乗換時間二分って乗せる気ねえだろもう……」
「目玉焼き絶対失敗する……」
「桃!」
目が真っ黒だ。ゾンビだ。そんなエフェクトになってんのお前だけなんだけど。両手を突きだしてきた。
「いやぁ気ぇぇがぁあさぁ」
そして突っこんできた。思わずビンタした。倒れこみそうなった桃を自分で殴っておいておこそうとしたとき、背中を中心に紫ハゲたちがなだれてきた。
「もうどうしてうちの子だけ……」
「シャープペンの芯って、結局先端から入れる……」
痛い! 重い! 何なんだよ! そんで攻撃は特にねえのかよ! 重い! バカ!
「逆上がりができる意味がわかんない……」
「袋ちゃんと開いたためしない……」
「そもそも卵をちゃんと割れない……」
「もう……うるさーいッ!」
止まった。
「心がとらわれるのは……いいか!? 心は、生まれてから経験によって構築されるんだ! 現実とは別枠でできてる! まず、一度にやらずに、小さい成功体験を重ねて考えを持ったり観察をしたりできるだけの余裕を生みだせ! あとは各々で切りはなし、整理、再構築、以上! わかった!? 以上!」
ジタバタ暴れる桃を抱えてはなれる。
「いいか? 成功体験だぞ? 小さい成功体験。一度にやるなよ? 心の整理も、実際の整理と一緒で一カ所ずつしかできないんだからな」
しばらく進むと、血相を変えたアルファが合流してきた。俺と桃を抱きかかえて飛びあがる。
「あんさん平気なんか! なんで汚染されんのや? それにあいつら……」
「知るか。それより、召喚魔法で吸いとってどうするんだ?」
「それは、人のいない地域に……」
わからない。今考えてもしょうがない。しばらく離れたところで再び屋根の上に降りた。
「捨てるんだな。汚染されても自然回復するようだな。回復するしないの条件は?」
横たえた桃を見ながら言った。ドス黒かった色から、すでに大分回復している。
「特にないと思う。汚染のないところでしばらく置いておけば。励ましたりすればさらに早く治るようや」
前方の宇宙人周辺に目をやった。他の米たちが立ちまわっている。
「なら召喚魔法で人間を先に避難させ、その後に処理するほうが効率よくないか?」
アルファも前方を見つめる。考えているようだった。しばらくして、ああ確かにそうやな、とつぶやいた。
「桃アルファより、全召喚魔法へ――。作戦の変更を伝える。ただちに吸収中のこわばりさんを吐きだし、メ民の回収、避難に切りかえるんや。避難場所は城。こわばりさんの排除はその後、全メ民の移動確認後ということにする――」
米たちが屋根の上で四つんばいになり、こわばりさんを吐きはじめた。下でやれ。
「あんさんはどうする……? ここにおるんか?」
米が協力しあい、ハゲたちを互いのハッチにねじこんでいる。
俺は曖昧に首をかしげた。
「さあ。汚染なしが、体質か、たまたまか……まあ乗りかかった舟だからな。ちなみに、あの本体……宇宙人みたいなのは、どうするんだ?」
「宇宙人とネバネバは別や。汚染をとりのぞいてから、元の場所へかえす」
汚染ハゲも非汚染ハゲも大体いなくなった。米が元のこわばりさん排除へ戻る。
「元の場所ってのは」
「いつもより、勢いがない、わね……」
桃だった。振りむく。肘をついて上体を起こしている。紫はもうほとんどない。ちょっと変なふうに日焼けしたか、起こると顔色が変わるタイプの人くらいのレベル。
「ああ。ない……。周囲の感染者を先に取りのぞいたからやろうか……。彼の、ツコムの考えなんやけど」
宇宙人の表面に銀色が見えるようになった。やっぱり銀だった。そこからの回復は早く、米たちというより、自身で汚染を取りのぞくような素ぶりも見られた。
「シ……」
唐突に、コンピュータの合成音のような声が、周囲に響きわたった。
「……シ?」
「シ……シ……侵略ゥッ! コノ星侵略ゥゥ!」
「なかも悪人じゃねーかッ!」
「オ前、モモ……」
「アルファッ!」
桃の叫び声。
脇を、ピンクの巨体が高速で通りぬけた。
宇宙人が、何かおかしい。ゆがんでいるように見える。うめきだした。アルファが停止した。それほど近づいていない。宇宙人が明らかにゆがみはじめた。S字になりはじめている。アルファ。ハッチ。ようやく、魔法のランプのような状態なのだと気がついた。まるごと吸いこむ気か。白い粒子のような集まりが、アルファのハッチへ流れこみはじめている。勢いが増しはじめた。そして、奔流と化した粒子に誘われるように、宇宙人が一気にアルファのハッチ内へと流れこんだ。
アルファ。思ったより……五メートルほどにしか膨らんでいない。
消えた。
突然の静寂に、ただ、現場一体をながめる。
「終わりか……?」
何も起きない。米たちがうろうろしているだけだ。振りむいて桃を見た。
「で、何? あれ知りあい?」
無表情で正面見てる。返事なし。俺さ、さっきからこの子にほぼ返事してもらってないよね。あ、でも唇が、自己主張的なのが見える。ぷるぷるしてる。元々ぷるんとしてる唇がモアぷるぷるしてる。溜め息をついて肩を落とした。
「こわばりさん……。今、この世界に起きている異変の一つです……」
諦めて向きなおろうとしたとき、消えいりそうな声で桃が言った。
消えいりそうな、それでいて、激しい感情を内に秘めているのがわかる声だった。
「それは、ネバネバのほうの話でいいんだよな」
「ヤクザ星人は、丁寧に謝罪して、星に帰した」
後ろからアルファの声がした。桃が俺の背後に視線をやる。
二度……三度……。
嫌な予感がしてとっさに振りむいた。きょとんとしたアルファの表情。気のせいか。ふたたび桃の方を向く。すでに、鼻麻酔をかまえた桃がそこにいた。
両脇への強い拘束。
「ちょっ、何? 全然そういうタイミングじゃなくない? ちょ痛っ?」
痛ーい! あ? 痛? 痛ーッ!