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しきるちゃんの!『バカしかいない魔族会議』

 曇天。

 一年をとおして切れることのない厚い雷雲が、窓の外の空一面をおおっている。

 うす暗い会議室である。

 室内の燭台に灯りはともされておらず、その曇天からのわずかばかりの日光が、灯りのすべてである。

 稲光が、室内と、魔王を待つ幹部たちをてらした。

 誰も口をひらかない。

 静かに、新しい魔王の来室を待っている。 

 音をたてて扉がひらき、シルバーのメガホンをもった、首からホイッスルをさげた青いジャージ姿の女性と、手に書類の束をもった仮面の黒マントが入ってきた。ジャージ女性は黒髪ストレート、ノンフレーム眼鏡――新魔王大概しきる。黒マントは、けばけばしい装飾をほどこした楕円形の仮面――魔王軍総参謀ペルソナーレである。二人は無言で一番奥の窓際まですすみ、しきるが唯一空いていた最上座に着席した。背筋がまっすぐ伸びていて、両手は膝の上、メガホンは机の上である。ペルソナーレはしきるによりそうように、彼女の右後方に立った。

「はじめまして諸君。私は大概しきる。この世界の新しい魔王だ」

 しきるは全員を見わたしながら、ゆっくりと言った。

「おうおうおうおう」

 しきるから見て左手前の男が、立ちあがり、片足を椅子の座面にのせながら発言してきた。ぼさぼさの長髪のところどころを何色かに着色し、顔には赤く太い線を塗りたくり、岡っ引きの着物をたくしあげ、やたら高い歯の下駄をはいている格好である。

「大概しきるさんとやら、お前さんは誰に断ってぇその席に座ってやがるんだ。俺たちゃあ、まだお前さんを魔王とみとめたわけじゃあねえんだがなぁ」

 しきるは背筋をただした姿勢のまま、目を細めて、男を見あげた。

「お前、なんだっけ名前。お前は何? 江戸?」

 男は目をまるくして、自分の服装に目をやり、それから再びしきるに視線をもどす。

「おいおいリアルの名折れたぁこのこった。この姿が何だかわからねえときた」

 ペルソナーレが書類の束をしきるの前におき、一枚を抜きだした。しきるはその書類に視線を落とす。

「そうそう、凹屋。お前とりあえず座れ。会議中に勝手に立つな」

 ペルソナーレが顎をしゃくった。それを見て、凹屋がしぶしぶ座る。

「よくわかんないけど、歌舞伎のつもりなら隈取は黒か藍色がいいぞ。悪役は黒か藍色。赤は主役だ。仮にもお前は魔王軍だろ。あとは、まあ、もうちょっと勉強しろ」

 凹屋が目を見ひらき、口を開け、体をがくがくと震わせた。

「あ、あなた様は……」

 そして再びいきよく立ちあがると、しきるに詰めよった。

「あ、あっしをあなた様の舎弟にし」

 しきるがすさまじい速さでメガホンをにぎり、凹屋の頭頂部に叩きつけた。

「立つなって言ってんだろ! このカラフルホームレスが!」

 頭頂部をおさえながら凹屋が席にもどった。

 しきるが机に両手をだし、空咳をする。

「えー。事前に提出してもらった履歴書と侵略報告書がここにあります。一応今日はこれを見ながら顔合わせということで。そういうことなので本日は侵略の成果に対しての評価はつけませんが、次からはぶっとばすか幹部から下ろすのでそのつもりで」

 不満の声が方々から上がった。

 しきるがメガホンで机をガンガン叩く。

「うるさいうるさい。はいだまってーだまってー……だまれヨゴレども!」

 静かになった。

「じゃあまず凹屋さん。ホラー大陸の担当ということで、あーあれ? ちょっと待って。ペル、この世界の地図ってある?」

「用意してございます」

 低くかすれた声が仮面の奥からもれる。ペルソナーレは手元に残した書類から一枚抜きだし、しきるにわたした。

「さすが」

 そう言って書類を受けとったしきるは、地図に目をやるとかたまった。ややあって、ペルソナーレを見あげる。

「これ本気?」

「メルヒェンランドの本物の地図でございます」

 しばらく、しきるは口を開けてベルソナーレと地図を交互に見ていたが、やがてため息まじりに正面をむいた。

「まあいいや。はいじゃあ凹屋さん。ホラー大陸の統治状況について報告してください」

 現在の魔王軍の唯一の領地が、魔界のあるホラー大陸である。魔界、おばけの国、裏社会の国の三つが主な国で、あとは点在する小国とダンジョン的な立地でできている。

 凹屋が手のひらで鼻をこすりあげた。

「まあ聞いてくださいな姐さん。こないだの巡業ではね、こーんなに子供が集まってですね……」

 凹屋はうれしそうに身振り手振りで話しはじめた。その凹屋を、しきるは目を細めて見つめている。

 ペルソナ―レが、しきるの耳元に仮面を近づけてきた。

「……おわかりだと思いますが、凹屋は統治の意味を理解していません」

 しきるが、凹屋を見たまま細かくうなずく。ペルソナ―レがはなれる。

「……というわけなんでさぁ。どうですか姐さん!」

「へこみ。演目は何をやった?」

「魔王昔話です」

「本物の歌舞伎をいくつか見た。時間があったら演目を監修してやろう」

「あ……あ……」

 凹屋の目から涙があふれだした。

「姐さぁん!」

 飛んだ。

「立つな! 殺すぞ!」

 メガホンが光った。

 側頭部にくらい、凹屋は壁にめりこんだ。

「やっぱり条件をつける。本物の演目を知りたかったら二四時間以内に統治の意味を理解しろ。まあ、一通り数字には目をとおしたが、魔界統治に関してはこんなもんだと思ってる。ただ、お前が統治の意味を理解すれば数字はもっと上がる。それをおぼえておけ。それからこの、『もし現在解明を急いでいる疑惑が真実だったそのとき、この世に生まれてきたことを後悔することになるだろう』っていうの、お前の字じゃないな」

 凹屋がはいずってきて、自分の履歴書を見た。不思議そうにその文面を見つめ、うなずく。しきるが読んだ文字は、空欄行にぽつんと書かれており、明らかに他とは筆跡がちがうものだった。

「誰の字か知ったとき、意味も知ることになるな。なあ凹屋……」

 後ろから低いかすれ声がした。しきるの背後を見つめる凹屋の黒目が、小さくなった。

「うーんと、まあいいや。どんどんやり合え。はい次。えと……」

 しきるが書類と幹部の顔を確認している。やがて右手前に座っている、こんがり小麦色に焼けた肌の大男を見た。いかにもといった肉体派である。二メートルを超えるであろう身長。鍛えあげられた体と、勲章ともいえる無数の傷痕。素肌に黄色のショルダーパッドと黄色の胸当てと黄色のマント。頭は角刈り。

「じゃあ、マローネさんお願いします」

 マローネと呼ばれた大男は、角ばったこんがり小麦顔をしきるにむけた。

「正規軍十万を率いている将軍のマローネだ。生まれてこの方、何かをなしたという手ごたえがなく、家族からもまわりの魔族からも部下からも、やることなすことほぼミスだと言われている」

「生まれて……」

 しきるは、しばらく、こんがり小麦顔を見つめていた。

「よし、クビ。出てけ」

「おいおい!」

 凹屋が机に両手をついた。腰を浮かせかけたが、なんとか思いとどまる。

「姐さん、いくらなんでもそりゃあ性急がすぎるってもんだ!」

「立ちあがらなかった点は評価しよう」

 ペルソナーレが、しきるの耳元に仮面を近づけてきた。

「先ほど、『本日は戦果の評価はしない』と魔王様自身がおっしゃいましたが……」

 しきるが、口を閉じたまま唇を左右へ動かした。

「あー、言った。言ったねえ……そうね、じゃあ、ごめんなさい。マローネさん続けてください」

「わたしの担当はアザー列島。未開地だ。恐竜が住みついている恐竜島に十六回侵攻の十六撤退。何か質問はあるか?」

「うん質問はね、たくさんあるね……。あの、まず、列島だから島がたくさんあると思うんだけど、どうしておんなじ島だけずっと侵攻してるの?」

「副官の、ラガッツォの策だ」

「うん。具体的にどういう策?」

 マローネはそれには答えず、胸当てをこすりだした。しきるはそれに気づいてちらりと見たが、再び書類に視線を落とす。

「あと、資材を持ちだしてるね」

「侵攻が成功すれば拠点が必要になる。当然のことだと思うが」

「報告書によると毎回持ちだしてる。成功してないのになんで追加してるの?」

 答えない。

 胸当てをこすっている。

 脇腹もかきはじめた。

「それと、被害報告の欄だけど、十六回とも負傷者一名、軽傷ってなってるけど、これ誰?」

「わたしだ」

「これもしかして他の人戦闘してない?」

「……」

「戦闘してるのはマ、いいや。お前だけ?」

「……」

「それも副官のラガッツォの策?」

 しきるが顔を上げ、マローネを見た。

 両脇腹をかいているマローネとしばらく見つめ合った。

「ペル、副官のラガッツォを呼」

「あー!」

 突如、マローネがさけびながら立ちあがった。しきるは驚いて椅子から腰を浮かせた。ペルソナ―レも半歩引いている。

「秘密基地つくってるんです」

 マローネは口がへの字になっている。泣いている。

 中腰のまま、口を開けマローネを見つめていたしきるは、高めの空咳をして椅子にすわりなおした。

「ラガッツォが、秘密基地つくるって。恐竜が危ないから、引きつけておいてほしいって。将軍にしかできないことだからって……」

 会議室に、マローネの嗚咽だけが響いている。

 他のものは身じろぎもせずマローネを見ている。

「えぐ、えぐ」

 ペルソナ―レの仮面から息がもれる音がした。ため息をついたようだ。

「ごめんなさい、えぐ、えぐ」

「要するに陽動か……。それで、お前、大丈夫なのか? 恐竜相手に」

「大丈夫。僕、体が頑丈なのだけがとりえだから」

「ああもう泣くな。座れ」

 マローネは一方の手で脇腹をかきながら、もう一方の手で一生懸命涙をぬぐっている。両目を人差し指でぬぐって、すぐ中指でぬぐい、薬指、小指、親指といって、濡れた手をズボンでふいた。それを繰りかえしている。しきるは立ちあがると机を彼の脇までまわり、肩を叩いて耳元で声をかけ、なんとか座らせた。

「いいから、怒らないから座れ」

「えぐ、えぐ」

「姐さん、あっしのときと全然ちがうじゃあないですか……」

「だまってろ……」

 しきるは小声で凹屋を制すと、マローネの背中を何度か叩き、席にもどった。そして入室時のように、背筋を伸ばして座り、幹部たちを見わたした。

「えー、決をとります」

 しきるの滑舌のよい声が会議室に響く。

「恐竜島の秘密基地はー、侵略拠点である、侵略拠点でない」

「侵略拠点である!」

 全員、一斉にさけびだした。

「侵略拠点! 侵略拠点!」

「拠点! 拠点!」

「初の外部拠点だぞ!」

「よくやったマローネ将軍!」

「がやがや……」

「メールが来ていないわ……彼からのメールが……」

 マローネが泣くのをやめて、信じられないといった表情で、騒然とする会議室内を見わたしている。

「僕……僕……」

 しきるが、メガホンで机をガンガン叩いた。

「はいはい静かにー。わかりましたー、はい静かにー」

 歓声のほうが大きく、机を叩く音もしきるの声も聞こえていない。誰もさけぶのをやめない。

「ほらだまれー。静かにしろー。静……。静かにしろっつってんだろ!」

 しきるが立ちあがり、メガホンを机に投げつけた。

 メガホンが跳ねあがる。

 天井に突きささって、爆発した。

 全員騒ぐのをやめた。口を開けて天井を見あげている。

 全員が見まもるなか、がれきとともに身長五十センチほどの黄緑色のゴブリンが数体落ちてきた。ゴブリンたちは高い悲鳴を上げながら扉のほうへ走っていき、ドアレバーを奪いあうようにして開けると、高い悲鳴を上げながら部屋から出ていった。しきるが無言で席につく。背筋をただし、両手を膝の上に置く。ペルソナ―レが、シルバーのメガホンをマントからだし、机の上に置いた。

「マローネ」

 マローネがしきるを見る。

「生まれてこの方、何かをなしたという手ごたえがない、と言ったな」

 返事ができず、マローネはただしきるを見つめている。

「どうやら魔王軍初の外部拠点をつくったのは、マローネ……お前のようだぞ」

 再び歓声が上がった。動かないマローネの両目から、涙があふれてきた。しきるが小さく手を振る。ペルソナ―レが仮面を近づけてきた。

「あとでラガッツォとかいう副官にじっくり話を聞く必要があるな」

「御意」

 しきるの手がメガホンに伸びた。

 すぐに歓声がやむ。

 一瞬だけ、しきるの視線が列席者のほうを見たが、すぐに手元の書類へうつった。

 メガホンを机にコンコンとあてる音が、会議室内に響く。

「はい、学習能力が高くて魔王感心いたしました。……それでは次、マスカレーネさんお願いします」

「こないんです……彼からのメールが、ずっとこないの……」

 凹屋の隣に座っていた仮面に紫と白のフリルドレスの少女――マスカレーネが、スマートフォンをにぎりしめながら、アニメ声でしきるにうったえかけてきた。

「こないの……メールがこないの……」

 マスカレーネは、スマートフォンをにぎりしめ、喉元に両手を押しあてた格好で、まっすぐにしきるを見つめている。いや、正確には視線のむきは不明で、フリルドレスの体と、白地に色とりどりの花びらが描かれたイラストタッチの仮面が、しきるへむいている。

 しきるが一度書類に目を落とし、再びマスカレーネを見る。

「マスカレーネさんは祭りの国の担当ですね。侵略報告をお願い」

「彼からのメールがこないんです魔王様……」

 しきるとマスカレーネがしばらく見つめあう形になった。

「魔王様、マスカレーネには彼なんていませんよ」

 ペルソナーレが仮面をよせ、ささやいてきた。しきるは眉をよせ、ペルソナーレを見あげる。

「聞いてはいけません。マスカレーネの妄想です」

 そこまで言うと、ペルソナーレは最上座席の後ろをしきるの左手へまわりこんで、会議机上に身をのりだし、自分の体でマスカレーネの姿をさえぎる。

「いいですか魔王様、この件はですね」

「魔王様、私……どうしたら……」

「いや、そもそもですね魔王様、マス」

「ペル、お前ちょっとだまってろ」

 しきるはペルソナーレをだまらせ、あごをしゃくって元の位置へ戻らせると、マスカレーネの手前で、背筋を正した状態で震えている凹屋を見つめた。凹屋は正面のマローネへ顔も体もむけたまま、誰とも視線を合わせようとしない。

「話を聞く前に確認したいことがあるんだが……。間違っていたら訂正してくれ。マスカレーネ、お前の彼というのは、へこ」

 凹屋がすさまじい速さで椅子の上に立ち、しきるへ笑顔をむけ、両手を広げてみせてきた。

「ほーら! 魔王様ほーら! 立ったよ! 立ったぞォ。ほら立ったぞォ」

 腰を落とし、前と横へ手を突きだして、ゆっくりと首を回す。見得だ。

「ほら魔王様バーンだぞォ。そのメガホンでバーンだぞごぶッ」

 メガホンアッパーカットをあごに受け、凹屋は椅子から転落した。

「これで本望か」

 ため息まじりでそう言いながらしきるが椅子に座りなおす。

「魔王様……こういう時はどうしたらいいんでしょうか?」

 極度のアニメ声が同じ質問を繰りかえす。しきるは苦虫をかみつぶしたような表情で花柄の仮面を見つめる。

「……こういうとき、魔王様はどうしてるんですか?」

 マスカレーネが質問を変えてきた。

 しきるはぽかんと口を開けた。

「えっ? 私?」

 しばらく見つめあっていた。それから、しきるは姿勢を崩し、頬杖をつき、口をへの字に曲げた状態で、視線を左上にやったまま動かなくなった。

「んー……」

 時間がすぎる。

「ちょっと待って……」

 さらに時間がすぎる。

 ようやく、しきるがあごを浮かせ、マスカレーネを見た。

「ほとんど経験ないんだけど、正直言って、私も、何も手につかなくなる気がする……」

「魔王様!」

 マスカレーネが残念そうにうつむく。

「そう、ですか……」

「すまないな……。いいアドバイスができなくて……」

 所在なく書類を触りながらしきるがそう言うと、マスカレーネが小さく首を振った。

「いえ……同じ気持ちになるとおっしゃって頂いて、なんだか、ちょっとほっとしました」

「そうか……」

 一度うつむいたしきるが、しばらく間をおき、顔を上げて再びマスカレーネを見る。

「……とにかく、もう少しこらえてみるしかないんじゃないか? 押しすぎるのは多分だめだろうから……そうだな、気持ちがどうにもならなくなるか、何か展開があったら、その都度報告してくれるか」

 マスカレーネがうなずき、ありがとうございますと返事をした。ペルソナーレが右手から会議机上に身をのりだしてくる。しきるは書類をめくる。

「魔王様。マスカレーネの言っている内」

「だまれペル。はい次。ガリ勉さんお願いします」

 しきるににらまれ、ペルソナーレが、しぶしぶ会議机から体を下ろした。

「ガリ勉さん」

 返事はない。しきるが、書類から顔を上げ、マローネの隣に座っている、黒い学生服を着た眼鏡の少年に目をやった。青い肌が魔族であることを示している。中学生ほどの容姿のその少年は、机上に参考書らしき本をいくつも広げ、ノートにペンを走らせていた。

「ガリ勉さん」

 しきるが声を張った。ガリ勉は反応しない。視線は参考書とノートを行ききし、ペンはノートの上を走りつづけている。再び書類に目を落としたしきるが、書類を何枚かめくり、眉をよせた。その数枚だけを何度かめくりなおす。それから、ほうと、声を発した。

「なるほど。無駄が嫌いというわけか」

 ガリ勉のペンが一瞬止まり、すぐに再び動きだした。

「まあいい。そういうことなら、とりあえず読ませてもらおう。仕方がないから、特別に音読してやる。……ジュブナイル半島列国における侵略進捗報告。現在ジュブナイル半島に存在する国は、あまねく対岸に位置する魔法の国より宣戦布告を受けており、戦時下もしくは準戦時下にある。調査時点においてはおもちゃの国、サーカスの国、人魚の国、おかしの国の四国がアクション大陸沖にて……」

 めくった分の数枚だけを手に取り、指先でペンをまわしながら、しきるが書類を読みあげはじめた。


(割愛)


「……現状占拠可能の予測だが、(割愛)待機させており(割愛)以下、各国における被害想定シミュレー(割愛)偏差値(割愛)単語帳(割愛)過去問(割愛)模試のフォローアップおよび模試本番および試験問題の復習期間に入るため、次回の報告は二週間後になることを了承頂きたい由」

 幹部たちから感嘆の声がもれた。小さく拍手しているものもいる。しきるが報告書をおきながら、模試、とつぶやいた。机の上で手を組み、ガリ勉に目をやる。

「あのさ、君は何で幹部やってるの?」

 ガリ勉はあいかわらず返事をしない。

 ペルが仮面をよせてきた。

「彼は現在」

 しきるは手を上げてペルソナーレの言葉を制する。

「彼は口が利けないのか?」

「いえ、そういうわけでは」

「ならお前はだまってろ。本人と話さなければ顔あわせの意味がない」

 ペルソナーレが御意と言って下がった。

「聞こえたな。自分の口で説明しろガリ勉」

 やはりガリ勉は返事をしない。一心不乱にノートにペンを走らせている。しばらくその姿をながめていたしきるは、ため息をつき体を背もたれにあずけると、持っていたペンを書類の上へ投げすてた。

「では質問を変えよう。その態度は、私がお前をいつでも免職できる立場だと理解した上でのものか?」

「それは困ります!」

 ガリ勉があわてた様子で顔を上げ、声期前の高めでハスキーな声を発した。しきるはその顔をにらみつける。

「ようやくか。あまり私をイラつかせるな」

「ま、前の魔王様は、侵略さえきちんとしていれば、後はずっと勉強していてもいいと言いました!」

 しきるが目を細め、何度もうなずく。

「そうか。で、どうする? お前は今、新しい魔王にこれからはそれを許さないと言われているが」

 ガリ勉が歯がみをし、しきるをにらみつける。しきるは両腕を肘かけにおき、悠々とその視線を受けとめる。口をへの字に曲げ、鼻からふんと息をもらすと、ガリ勉は荒々しい仕草でノートを閉じた。

「そうやって……大人はそうやって、いつだって勝手だ……!」

 そう言いながら席についた。

「ところで、このままガリ勉と呼んでいていいのか? 履歴書に本名が書いてないんだが」

 への字口のまま、ガリ勉が眼鏡のフレームをつかみ、いきおいよく上下させた。

「ハッ! これ以上ない誉めことばですね! それに安易に個人情報をさらすなんて愚かもののやることです!」

 しきるが再び目を細め、しばらくガリ勉の顔を見つめる。

「……そうか。ではあらためてきこう。お前、なぜ魔王軍の幹部をやっている?」

 それを聞いて、ガリ勉は再び、鼻からふんと息をもらした。

「一級イマジン士受験のためには、指定法人における二年以上の実務経験が必要だからです!」

「お前、その年で一級イマジン士取るのか!」

 最下座左の、白衣を着た中年男が驚きの声を上げた。ガリ勉が不満そうに口をとがらせ、白衣の男に小さくうなずく。

 しばらく、二人を交互に見やっていたしきるが、視線をガリ勉へさだめた。

「それで、どうしてその資格がほしい?」

 それを聞いてガリ勉がまた鼻から息をもらす。眼鏡の位置も変える。

「くだらない質問はやめてください。この不安定な時代に、就職に圧倒的に有利な国際資格を取ろうとすることに、説明が必要なんですか?」

「国際資格?」

 しきるが横を見る。ペルソナーレは首をかしげた。

「そうですね……地球で言う、インストラクター、医者、それと、弁護士、検事をかけあわせたようなものでしょうか」

「弁護士と検事? インストラクターと医者はわかる気がするが」

「魔王様も御存知の通り、この世界の事象にはイマジンがつきものですから、揉めごとを公平におさめようとすれば、イマジンの関わりについて正しく検証できる人物が必要です。中流層以上のものや、組織、団体の絡んだ揉めごとは、雇われたイマジン士同士でやりとりするというのがこの世界の常識です」

 こつこつと机を叩く音が、会議室内に響きはじめた。

 しきるが不機嫌そうな表情を浮かべ、ペンで机を叩いている。

 しばらく、そのこつこつという音だけが会議室に響いていた。

 不意に、しきるが唇の端をつりあげた。

「なるほど、つまり……お前の人事権をもつ私は、お前の人生設計そのものの生殺与奪を握っているというわけだな」

 しばらく口を開けてしきるを見つめていたガリ勉は、唇をわなわなと震わせはじめる。

 眼鏡のフレームもつかむ。

 眼鏡がかたかたと上下にゆれる。

「ど、どうして、そういう、結論に……」

 しきるが、にやけた表情で身をのりだした。

「なんだ? 不安定な時代ってやつは、資格を取るまではお前に何もしないと言ったのか?」

「人でなし!」

 ガリ勉が怒りの形相で立ちあがった。

「人でなし! 人でなしすぎるでしょ!」

「ああ。最高の誉めことばだ……」

 うっとりとした表情になったしきるが、そう言いながら、体を背もたれにもどす。

「ウワーン!」

 ガリ勉が泣きだした。

「大人は……大人はいつだってそうだ! どうしてこんなに世の中は理不尽なんだ! ウワーン!」

 しばらくの間、会議室内にガリ勉のウワーンという泣きごえだけが響いていた。

 やがて、ガリ勉が自力で泣きやんだ。椅子に座りなおし、これでもかというほどのへの字口で、学生服の袖で顔をごしごしと拭いている。それを、うっとりした表情のままのしきるが見つめている。

「勉強が好きか? ガリ勉……」

 別人かと思うほどの、柔らかく優しい、女性的な声で、しきるが聞いた。への字口のままのガリ勉が顔をそむける。

「ガリ勉……」

「別に。資格を取るためにやっているだけです!」

 同じ表情のまま、しきるが首をかしげる。

「じゃあ、資格を取ったらもう勉強はしないのか? ガリ勉……」

 優しい声だ。肌ざわりのいい布のように優しい。ガリ勉はうつむいた状態で、首を左右に振る。

「さ、さあ! そんなの知りません!」

「私は好きだな……」

 しきるが微笑みを浮かべた。女神のように優しく微笑み。ちらりとしきるを見たガリ勉が、口を開け眼鏡を直してその女神の笑みをまじまじと見つめ、頬を赤く染めあげたのち、あわてて下をむいた。

「分かることが増えていく感覚というのは、何にも代えがたい……そう思わないかガリ勉……」

 しきるの優しい声がつづく。ガリ勉が再びしきるをちらりと見る。

「ぼ、僕も……勉強しているときが、一番、落ちつきます」

 そしてうつむいたまま言った。

「落ちつく、か……。お前は本当に、心から安定を求めているのですね……」

 口調まで女神になった。

 ガリ勉が赤い顔を上げてしきるを見る。

「あ、安定を求めるのはいけないことですか? 人からどうこう言われる筋あいはないと思いますが!」

 微笑みを浮かべたまま、しきるは何も言わない。見つめあう形になったガリ勉が、たえきれずに再びうつむいた。

「気が変わりました……。安定に必要な勉強のすべてに励むというのなら、先ほどの件は、許可いたしましょう……」

「え……?」

 うつむいたばかりのガリ勉が顔を上げる。

「すべて……イマジン士、不安定で理不尽な世の中を生きぬくための知恵と戦略、自己の確立……」

「えっ、何……」

「すべて勉強なのですガリ勉……このすべてを勉強しなさい……。そしてこのすべてを身につけ、世の中の不安定、理不尽をもすべて飲みこむほどの、絶対的な安定を手に入れるのです……。さあおゆきなさいガリ勉……。今言ったすべてを勉強するなら、ベッロと同じように……唾棄すべき変態のぞき魔ベッロと同じように……お前が会議中勉強するのも、侵略中勉強するのも、すべて許可しましょう……」

 ガリ勉が立ちあがった。

 震える手で、ノートとペンを持っている。

「すみません、さっきのところもう一度お願いします!」

「すべて……イマジン士、不安定で……」

 しきるが同じセリフをくりかえす。セリフの終了と同時に書きおえると、ガリ勉は両手でノートを握りしめ、今書いた文字を見つめたまま動かなくなった。

「う、うおお……やってやる……」

 やがてわなわなと震えだした。勉強道具をすべてバッグにしまいこむ。

「う、うおおおぉー!」

 そして吠えた。そして両目を発光させはじめた。そして発光がつよまり、眼鏡のレンズが吹きとんだ。ガリ勉はバッグを脇にかかえると、フレームだけの眼鏡でしきるのほうをむいた。

「図書室に行ってきます!」

 うおーと叫びながら、ガリ勉は会議室から出ていった。

 しばらく、誰も何も言わなかった。

「なんか、変なことになったな」

 しばらくして、しきるがぼそりと言う。

「御意」

「気に入らないからって、適当にあおるもんじゃないな」

「……御意」

 しきるは息をはきだし、まあいいかとつぶやくと、書類をめくって入れかえた。

「次、ドナさんお願いします」

 机上で手を組んだしきるが、最下座右手に目をやる。オレンジ色のウール地のスーツを着た、髪の長い細身の女性が、上座に背をむける形で座っている。青い肌。とがった耳。魔族である。そのさらに奥に、腹の突きでた体の大きな少年が、ほぼ白目でうつむいて座っている。同じく青い肌にとがった耳を持つその少年は、身長一九〇センチはある巨体に、黒の燕尾服、白の蝶ネクタイと白いシャツという正装である。

 スーツの女性は、少年がもっている何かをのぞきこんでいる。

「ワオ。うまいわねピーター。ママ感心しちゃうわ……」

 言いながら、少年の太い腕をさする。

「もうすぐだからねピーター……もうちょっとだけいい子にしててね……」

「ドナさん。ドナ・スカーレットさん」

 しきるがやや声を張って再度呼びかけた。スーツの女性は、頭を上げるとあわてた様子で振りむき、その姿勢のまま数秒しきると見つめあった。あわててむきなおる。

「ああやだ、私ったら、ごめんなさい、あの、すぐに気がつかなくて、あの、何度も呼ばれ……てました?」

 女性は愛想わらいを浮かべ、前髪を耳にかけながらせわしなくそう言うと、しきるが返答する前に、

「呼ばれてましたよね本当ごめんなさい」

 そうつづけ、あわてて立ちあがった。

「ド……」

 さらにあわてて書類を手に取る。

「侵略報告ですわね。報告書は……提出したはず。多分……あの、報告書、そちらにあります?」

「ああ、ある」

「ありがとうございます。あの……」

 女性は再び前髪を耳にかけながら、手に持った書類からしきるへ視線をうつした。しきるとドナはしばらく見つめあった。

「どうした?」

「あの侵略報告でよろしいんですよね……?」

 しきるが眉間にしわをよせる。しかし、しきるは結局ただ、そうだ、と返してうなずいた。女性はしきるの首肯を確認すると、再び上座に背をむけた。

「ママの番よ。本当もうすぐね。本当もう少しだけいい子しててね。そうだ帰りにワルイコドーナツによろうか。そうねそれがいいわ。ピーターあなたの好きな」

「ドナ」

 しきるが再び声を張った。ドナがあわてて振りかえり、片手で書類を持ちあげながら、もう片手の手のひらをしきるへむけて突きだした。

「ごめんなさい本当、わかってます。はい。大丈夫。あー、えー」

 落ちてきた前髪をせわしなく耳へかける。

「私の担当する。あー……侵略地は、恋愛の国……愛と妄想の半島の一国で、この魔界からはテラー内海を経て、真南に位置してます」

 それからドナは、割と近い、うふふと言いながら書類から顔を上げ、しきるへ愛想わらいをむけた。すぐ真顔になって顔を書類へもどす。

「それか、ら……情勢に動きがあり、現在、見合組合という組織が台頭中。政権をになっている恋愛議会はこれを警戒していますが、先行させていた内偵により、議会との共謀による狂言の可能性があり、現在、侵略計画の展開を一時凍結し、各組織および要人周辺にあらたな内偵者を配置、情報を集めている状況です。それか、ら……恋愛の国そのものの武力は、メ界全体で見ると中の下ですわね。魔王軍としてはおそるるに足りませんが……見合組合にもぐらせているものが、最近、見合組合が武装化をすすめているのはまずまちがいないとの情報を上げてきました。ふう。ちょっと、あの、ちょっと」

 ドナは愛想わらいをまわりへむけながら、場へ背をむけ、ピーターに何か話しかけた。すぐにむきなおる。

「ごめんなさい。えっとどこ……そう、ええっと、二枚目以降は、具体的な数字と補足情報です。まず内偵数。各愛爵宅へ三、各恋爵宅へ五、恋愛議事堂へ三……」

 ドナは報告しながら、後手でピーターの腕をさすっている。しきるがわずかに横をむいた。ペルソナ―レが仮面をよせてくる。

「どうなんだペル」

「仕事自体は徹底しています。徹底というより、執拗と言ったほうがいいでしょうか」

「彼女のあの性格からくるものだろうな。でも、まあ」

 しきるは報告をつづけているドナの顔をながめながら、ゆっくりとペンをまわす。ペルソナ―レがうなずく。

「悪い人材ではありません」

 そのとき、何かが落ちた音がした。

 幹部の視線がピーターに集まる。

 振りかえってピーターを見たドナが、天をあおいだ。ピーターは完全に白目になっている。

「ああなんてこと……ピーター。あとちょっとだったのに……」

 ドナは書類を投げすて、床においていたトートバッグを拾いあげ、立ったままなかを漁りはじめた。

「待っててねピーター。すぐに落ちつくから。すぐよ。待って……」

 ピーターが体を伸ばし、がくがくと痙攣しはじめた。

「待ってピーター……すぐ……やだ、どうしたのかしら……入れたはずなのに。ああ。やだなんてこと。信じられない」

 トートバッグの中身を机の上にぶちまけた。両手で広げる。

「ああ。ないわ。ポーチ……ポーチポーチ。ああどうしよう。こんなことって……」

 ピーターの痙攣が激しくなっている。ドナはさがすのをあきらめて、ピーターの巨体に抱きついた。

「ピーター……ああお願いピーター。落ちついて。ああどうしよう薬を忘れるなんて……」

 突如、ピーターが立ちあがった。

 椅子とドナが転がる。

 白目のまま、限界まで口角を上げている。

 

 ――香りーたつような緑ー 流ーるるー 清きー小川ー

 

 歌いだした。

「お願いやめてピーター……ああ……お願い……」

 ドナは立ちあがると再びピーターにとりついた。低く艶のある声が、空気を震わせながら会議室内に広がっている。

 色気と艶。男声中部、バリトンである。

 

 ――さえずるー小ー鳥ーたちー 風もー歌ってーいるーようー

 

「ああいやだこの子ったら……わかったわピーター……わかったからもう」

 言いながら、ドナは幹部たちから隠すようにピーターの前に立ち、口を押さえようとしたり、両手を広げたりしている。 

「ああピーターお願い……こんなことって……もう、ああもうどうしたら。どうしたらいいの……皆さん本当、こんなことになって。本当に……ああ……」

 ドナの頬に、涙が伝いはじめた。

「ああとても上手ねピーター。ママ惚れぼれしちゃう。ああ。ママも歌おうかしら。ママも歌っていい? そうなのよね。そうなんでしょピーター……ああ。もうこうするしか……」

 ピーターと言っているが、ドナはほとんど幹部たちを見て話している。涙を流しながら、ピーターの体を撫でながら、笑顔で話している。

「ママも歌うわ。許してね。ああ皆さん許してください。許して……」


 ――ふりそーそぐー日差ーしー 恵ーみーのー太陽ー

 

 突如、すさまじい高音が会議室を席巻した。ドナは泣きながら口を大きく広げ、片手を腹部、もう片方の手を幹部たちへと伸ばしている。突きぬけるような高音。悲鳴のような発声。

 圧倒的迫力。女声上部、ソプラノである。


 ――そよーぐー風ー ああ母なる大ー地ー

 

 しきるが、わずかに横をむいた。ペルソナーレが仮面をよせる。

「閉ロール症……体内のイマジン循環に問題があり、イマジンの蓄積により、ロールが個人の意識内で完結してしまう難病です」

 しきるは机に両肘を突き、手を組み、目を細めて親子の歌う姿を見つめている。男声中部と女声上部の二部合唱は、優雅に絡みあいながら、大自然をたたえる歌詞を歌いあげている。

「うまいな」

「御意」

「だが、歌詞が気に入らないな」

「……御意」

 しきるが大きく息を吸いこんだ。


 ――にわかにー

 

 そして歌いながら立ちあがった。

  

 ――立ちこめーるー 暗ー 雲ー 声をひそめーるー 鳥ーたーちー


 二部合唱に、包みこむような太い響きが加わっている。女性の声としてはかなり低い。

 太く優しい、母性的な響き。女声下部。アルトである。

 ペルソナ―レが、一歩前に出て、しきるの隣にならんだ。

 

 ――おびえ隠れる― 獣どもー 闇の眷属のー おーでー まーしー  


 地を揺るがすような、声とも振動そのものともとれるほどの低音が、三部合唱の一番下に、強い圧力をともなって参入した。

 最下声部、バスである。

 そこに、さらに、かんだかい打音が加わった。凹屋が下駄を脱いで両手にはめ、打ちならしている。凹屋が拍子を入れながら隣のマスカレーネへ目くばせした。マスカレーネが首を横に振る。しきるとペルソナーレが、歌いながら、席をはなれてマスカレーネへ近づきはじめた。マスカレーネが両手で喉元を押さえながら、おびえたように後ずさる。三人へ順番に顔をむけている。しきるとペルソナ―レが、凹屋を入れ三人でマスカレーネを取りかこんだ。

 マスカレーネがうつむく。

 歌はつづいている。

 歌が彼女を取りかこんでいる。

 マスカレーネが顔を上げた。

 両肩が大きく上がった。


 ――アイアム プリティーガール モスト フェイバリット

 

(割愛)


「ピーター。嘘……あなた今……」

 黒目がもどり、椅子に腰かけたピーターが、顔をしかめながら首を振っている。

「あー。ぽく。ここは……ぽくは一体」

 ピーターが、さっきまでのバリトンが嘘のような幼児声を発している。ドナがふらふらとピーターに歩みよる。

「ああ。ピーターあなた。なんてこと……ピーターが正気に戻るなんて……」

「あー。ぽく、小川のほとりで歌ってた。悪い人たちがきて、ぽくの歌に割りこんで、でもよくって、五部混声合唱になって、ぽく、あー。そしたらこの部屋にいた」

 ドナの両目から涙があふれだした。ピーターを抱きしめる。抱きしめて顔をこすりつける。ピーターがくすぐったそうにキャッキャッと笑った。

「ぽく、母さんのこすりつけ、久しぶり」

「そうよ。こすりつけるわ。ママ今はとことんこすりつけたいのピーター……ああピーター……」

 しばらくすると、ドナは急に顔を上げ、立ちあがって上座をふりかえった。

「ああ魔王様。私なんて言ったら……」

 しきるが首を横に振る。

「たまたまだ。お前の報告はほとんど済んでいたし、それに、あれだ、その、久しぶりに正気にもどったのだろう? その、こすり……」

「魔王様。ああ私。ごめんなさいこすります」

 ドナは再びピーターに抱きつき、顔をこすりつけはじめた。

「はい次、つ……」

 しきるが書類をめくる姿勢のまま、動きを止めた。

 書類はもうない。

 下座左手に、三人残っていた。

 青い肌をした魔族の老婆が二人。手前に、金色の着物を着たえびす顔の老婆。隣に、銀色の着物を着た、深いしわのきざまれた峻厳な顔つきの老婆。そして最下座、先ほどガリ勉と会話をした、白衣をきたヒゲ面の中年男。机の上に一升瓶をおいている。

 白衣の中年男が、机上に両足をのせた。

 ペルソナ―レが、スコルテ、と低い声で言った。白衣の男は薄らわらいを浮かべている。反応はない。

「三人ばかり、書類がないようだが」

 しきるが顔を上げ、三人を見て言った。

 返事はない。

 しきるはすぐに視線をそらす。

「後は、失踪した鯖野とかいうやつか」

 ペルソナーレが御意、と返事をした。そのペルソナ―レへ、しきるがうなずいてみせる。ペルソナ―レはそれを見ると、持っていた書類の束を、凹屋とマローネの前においた。

「さて、ぼんやりとだが、全員ついて理解できてよかった。では宿題についての説明にうつる。結論から言おう。現在攻略中の国の指揮を副官に期限つきで委任し、余剰兵力にて即座に侵略戦争をおこなう。明日中に侵略地を決め、即時編成に入る」

「ちょ、待ってくれよ姐さん! さすがにその日程は性急にすぎるってえもんだ!」

「宿題内容は侵略地の他、優先理由、デメリットの三つ」

 しきるは凹屋を無視して説明をつづける。

「余剰兵力については、事前に、諸君らの侵略報告よりペルソナ―レが算出した数が宿題用紙に書かれているのでそれを参照すること」

「姐さん!」

「参謀長はペルソナ―レ。そして、軍は私が直接指揮をする。どうだへこみ。私の指揮が見たくないか?」

「そ、そりゃあ……」

 そう言うと、凹屋は他の幹部を見た。マローネ、マスカレーネ、ドナが曖昧にうなずきを返す。凹屋があきらめたようにため息をつき、宿題用紙をマスカレーネに渡した。マローネも、立ちあがってドナに渡している。マスカレーネが後ろをむき、宿題用紙を金の老婆に差しだした。老婆は置物のように動かない。マスカレーネは、仕方なく、老婆の前に三部の宿題用紙をおいた。

「みなの考えはすべて聞く。そのためにも今言った項目は必ず埋めてくれ。こんなところだな。以上。宿題内容の質問なら今頼む」

 しきるはジャージの胸ポケットから三色ペンを取りだすと、手元の幹部書類を広げ、書きこみを入れはじめた。

 ふん、と鼻で笑う声が聞こえた。

「軍どころか、幹部すら掌握できぬうちからもう侵略の話とは。ままごともいいところだな。笑える」

 下座左手から、銀の老婆がしわがれた声を発した。

 しきるは三色ペンを動かしつづけている。

 そしてそのままの姿勢で、参加する意志はあるようだな、とつぶやいた。

 それからふとペンを止め、顔を上げ、声を発した銀色の老婆を見た。

「また何か言いたくなったら、次は発言前に名前を頼む」

 それだけ言い、再び、書きこみ作業に戻る。

「魔王になれば、リアルでも死ぬ可能性があるとわかってやっているのだろうな……」

 再び銀の老婆が声を発した。

「名前を先にと言ったはずだが」

 しきるが顔を上げずに言った。そして、イマジンとロールの話だな。承知している、とつづけると、ペルソナーレを呼んで、書類を指さしながら、指示を出した。ペルソナ―レが御意と返事をする。

 会議室内に低い笑い声が響いた。

「承知は結構じゃが……その細腕じゃ、自分の身すら守れんのじゃないか?」

 笑い声が三人分になった。

 それぞれが発する紙の音と、笑い声だけが、会議室内に聞こえている。

「今のは質問か? リゴール」

 しきるは書きこみをつづけたままだ。それから、トラジ、スコルテと名前を言って、ペルソナ―レのほうへ顔をむけ、合っているかと聞いた。ペルソナ―レが御意と返す。リゴールと呼ばれた銀の老婆がしきるをにらみつけた。しきるは最後に何か書いてペンを置くと、最上座席の豪華な背もたれに背中をあずけ、両手を机に投げだし、頬をふくらませて長く息をはきだした。すぐに姿勢を正し、書類をまとめてつかみ、机の上に立てる。

「試してみるか。ん?」

 そして、束で机を軽く突き、そろえた。

「それとも、もう、試そうにも足腰が立たんか」

 しきるがリゴールを見た。視線がしばらく交差した。リゴールと金の老婆、トラジから黒い煙が立ちあがりはじめている。しきるはリゴールから目をそらすと、幹部たちを見まわした。

「それでは、質問もないようなので、今日はこれで。明日は……この世界には時刻の習慣がないようだから、城内に鐘を」

「今死ね」

 リゴールがつぶやいた。

 体が浮上している。

 先に動こうとしたペルソナ―レをしきるが手で制した。リゴールは机上に降りたっている。腰を落とし、両手をしきるへむけて突きだした。銀色の光の粒。突きだした両手に集まっている。室内に巻きはじめた風で書類があおられる。

「食らえ。大概しきる」

 メガホンをつかんだしきるが、左へ飛んだ。

 リゴールの手。

 しきるを追っている。

 銀色の光の粒で、リゴールの手が見えないほどになった。


「『加齢の波動』」


 高さの変わりつづける、ひどい耳障りの音が会議室をつつみこんだ。

 銀色の光。

 リゴールの着物の袖が、激しくはためく。


 凹屋が、突きだされていた。


「そんなぁ! 姐さァー……ん……」

 光を受けた凹屋の体が、見る間に細り、しわまみれになった。服が体から抜けおちる前にふたたび飛んだしきるが、最上座席の座面に立った。

 ゆっくりと、左足を会議机の端にかける。

 笑っていた。

 口の両端をつりあげたしきるの全身が、光を吹きあげはじめた。

「お主……! 自分の部下になんということを!」

 金の老婆――トラジが怒りの表情で叫んだ。リゴールと同様にその場で浮きあがる。体をかがめたトラジが、空中で回転をはじめた。見る間に速度をあげ、ほとんど球になった。激しい摩擦音が鳴り響いている。四方に、金色の光の粒が飛びちっている。


「『加齢そのもの』」


 しきるへ突っこんだ。

 メガホンを突きだしている。

 すさまじい衝撃が、会議室を揺り動かした。

 金色の球が回りつづける。

 歯車にかかったように、メガホンががくがくと震えている。

 風圧で眼鏡が吹きとび、ジャージと体操服の肩口が削りとられ、しきるの、切れ長で涼やかな瞳と、水色のスポーツブラが露出した。

「わしの孫は変態のぞき魔ではないー!」

 回転がさらに速度を上げた。押し込まれ、しきるが後方へと足を擦らせる。

「事実だ! 家庭内の情操教育を見なおせ!」

 メガホンを両手で持ちなおした。金色の球が下がる。

 銀色の光の粒が、ふたたびリゴールを取りまきはじめた。手だけでなく、全身に集まっている。リゴールの全身を取りまいている。先ほどより、リゴールは両手の間隔を広げている。

「トラジはすでに加齢だから影響をうけないという設定の……」

 高さの変わりつづける、ひどい耳障りの音が会議室をつつみこんだ。

 ふたたび、ざらざらした音が会議室をつつみこみ、即座に音の高さを変えはじめた。細く高い、そして振動そのもののような太く低い、そしてふたたび細く高い音へ、動きつづける。

 光が会議室すべてをおおいつくす。幹部たちが腕で顔をかばう。音が鳴りつづける。部屋をおおった光が、ゆっくりと収束しはじめた。

 最上座前。

 青いジャージ。しきる。

 ふたたびメガホンを片手にもちかえ、空いた手でホイッスルをつかみ、右へ突きだすと、しきるは目の前に浮きあがったホイッスルのストラップをくわえ、引きちぎった。すぐさまストラップが発光をはじめた。銀色の光。しきるへ収束しつづけている。一度折りこんだ右腕を、マローネへむけしならせた。光と化したストラップが、伸長し、マローネを何重にも巻きあげ、しきるの腕の引きこみにしたがい、

「重ーい……!」

 その巨体をしきるの前へと運びこんだ。


「『加齢の波動』」


 巨体が、場所を奪い取るように球をはじく。

 歯止めを失い、最上座席を吹きとばして、トラジが背後の壁へめりこんだ。

「あぶぶ、僕ぅ……慣れてるからぁ……こういう……アァ……」

 老いはじめたマローネを踏みつけ、しきるが飛びあがった。

 出力がまだ終わっていない。

 しきるが、両手を突きだしたままのリゴールを越える。

「貴様ァ……! またしても部下を……!」

 リゴールが顔でしきるを追いながら叫ぶ。しきるが落下のいきおいで扉を蹴やぶり、廊下に降りたつ。そして振りむき、腰に手をあてメガホンで腿を叩きながら、リゴールへむけて首をかしげた。

「私が気に入らないのなら、私の首をとって、そいつが魔王の座につく。それだけのことだろ? ちがうのか? リゴール」

「ぬかせ……」

 しきるが駆けだした。直後、しきるがいた場所の壁に、回転するトラジが突っこんだ。トラジは回転を止めると、人さし指と中指をなめ、その二本指を、空中で滑らせはじめた。指を追って輝く金色の線が現れ、耳なりのような、かすかな高音が周囲へ広がる。線が、円になった。円の中央に、『伝統』の文字が激しく明滅しながら浮きあがる。


「『乱れデイサービス』」


 円から、碁盤、血圧計、ラジカセ、陶器、鉢うえ、折りがみ、介護浴槽、そして介護車両(ワゴン車)が競うように姿を現した。空中を、しきるを追って飛んでいく。円からは、ワゴン車につづいて次々にデイサービス関連アイテムが現れている。

 走りながらいくつかの召喚物をメガホンで叩きおとし、しきるが進行方向へ跳躍した。空中で後方へむきなおり、メガホンを口にあてる。

 メガホンが輝きはじめた。

 しきるが大きく息を吸いこむ。

「おばーちゃーんだーいすきッ!」

 しきるの声が廊下にこだまし、デイサービス関連アイテムが、すべて花束に変化した。

 ようやくリゴールが、会議室から飛びだしてくる。

「トラジ!」

 トラジは目を潤ませて花束たちを見つめている。

「ああ何という……。わしゃぁ……感の極まりなあ……」

「トラジ! やめるんじゃ!」

 トラジはリゴールの制止をきかず、花束の一つを手にとり、顔を近づけた。

 泡を吹いて床に転がった。

「こりゃ毒花……ごぶぅ」

「貴様ァ! どこまで卑劣か……!」

 跳躍しながら廊下を移動しているしきるは、空中で仰むけになると、目をつむり、自分の両肩を抱いて、身をよじらせた。

「んー……悪いの気っ持ちいー……」

 しばらくしきるをにらみつづけていたリゴールは、人さし指と中指をなめ、トラジと同じように二本指を空中に滑らせた。輝く銀色の線が、円をえがく。厳格の文字が、激しく明滅しながら中央に浮きあがる。

 

「『七色の老人』」


 銀色に輝く厳格の円は、七つにわれると、壁や床のなかに消えた。顔を上げてその様子をながめていたしきるが、視線をリゴールにむける。今度はリゴールが笑っている。

「わしにこの技を出させるとは大したものだが、これでお主の命運はつきた!」

 しきるはそのまましばらくリゴールを見つめていた。やがて着地し、移動を継続しながら周囲を確認する。少し先に上下への階段が見えている。しきるは注意をはらいながら、階段を降りようとした。下の踊場に、シルバーカーを持った老爺が立ちつくしていた。

「こんなところに……こんな急な階段があるとは……この荷物じゃ、とても……」

 後ろから、しわがれた笑い声が聞こえた。

「どうじゃ! いくらお主が卑劣でも、困りはてている老人を捨ておくことはできまい!」

 しきるは止まらず、跳躍して階段を飛びおりた。メガホンを振りかぶっている。着地と同時に、発光しはじめているメガホンを、シルバーカーへ振りおろした。

「あ、あんたァ! 何をするんじゃあ!」

「開けて御覧なさいおじい様」

 しきるはそう言いすてて、そのまま階下へと降りていく。しきるを追おうとした老爺が、光りはじめたシルバーカーに気づき、歩みを止めて振りむいた。近づいてジッパーを開ける。なかから、写真たて、まくら、古い裁縫セットなどが転がりでてきた。

「こ、これは……道ばたでもらったティッシュだけがぎゅうぎゅうに詰まっていたはずのバッグの中身が、いつのまにやらすべてよし江の形見に!」

 シルバーカーの前に座りこんだ老爺が、亡き妻よし江の形見をにぎりしめ、わなわなと震える。そして、階段を見あげた。

「たとえ、目の前の階段が、どんなに急傾斜で段数が多くとも……これを……よし江の形見を……誰かに託してのぼる事などこのわしにはできん!」

 老爺は震える手で形見をしまいジッパーを閉めると、階段をのぼりはじめた。

「よ、よし江……わしは……よし江ー!」

 駆けあがりだした。

「よし江ーッ!」

「どうじゃ。壱の老人トラップ、シルバーカーをひいてきたため階段をのぼれず困りはてる老人の威力は! これを見すてることができるというなら見ぶッ」

 通路をとんできたリゴールと駆けあがってきた老人が衝突した。老人が階段を転げおちる。

「よし江ぃ……」

 しきるは階段下の通路を駆ける。すぐに広い空間に出た。

 何もない。天井の高い、広大な空間。ロココ調の内装と、幾何学模様の床。意匠は豪華だが、見えるのは、端にいくつかのドアだけだ。

「大広間か……」

 しきるはなかほどまで歩いていくと、腰に手をあてて息をはき、高い天井を見あげた。不意に建物が振動しはじめ、激しい音とともに天井が抜けおちてきた。

 後方に飛びのく。

 瓦礫と一緒に何か巨大な人工物が落下してきている。

「よくわからんが、俺も勢いでたたかってやる!」

 スピーカーを通した男性の声。

 ロボ。

 透明なコックピットを中央に、多間接型の足と腕が二本ずつついた背の低い形状のロボ。

 瓦礫を蹴りとばしながら、しきるに襲いかかってきた。二本のアームがしきるへ伸びる。アームの四本指がひらき、中央のノズルがせりだしてきた。瓦礫の散乱で足場が悪く、しきるはすぐい壁際に追いやられた。

「くらえ! すごい薬!」

 飛びあがった。

 しかしノズルではなく、四方をむいたアームの指先から液体が飛びだした。しきるはまとまりの一つをまともに浴び、床に落下した。緑色の煙が広がっている。煙が、しきるの姿をおおいかくす。

「かかったなバカめ! それはどんな人間も、あっという間に狂人にしてしまう偶然できた薬だ!」

 反応はない。

 スコルテはコックピットを開けると、身をのりだした。 

「どうだ……あんたの冷静さもこれで形なしだろ……偶然できた薬だけど……」

「つい先日まで、平凡な生活をおくっていた女子学生が」

 低い声が大広間に響いた。

 スコルテが頭上を見あげる。

「異世界と聞いて、転移先を、迷うことなく魔界へと決め」

 開いた天井から、けばけばしい色の仮面をつけた黒マントが、ゆっくりと降下してきている。

「これも迷うことなく、世界を侵略すべく行動を開始」

「ペルソナーレ……」

 ペルソナーレは、空中で停止した。 

「まさかお前……このお方がまだ狂っていないと思っていたのか?」

 スコルテが顔をしかめて、ペルソナーレから、もうもうと上がる緑煙へと視線をうつした。

「いや、ペル。効いている」

 煙のなかから、弾丸のように人影が飛びだしてきた。

 長い髪がはためている。

 四つんばいで、白衣の男の胸へとりついた。

 喉をつかんでいる。

「食うぞ」

 黒目も白目もない。

 赤一色の目が、至近距離でスコルテを見つめている。

「あ、あんた……」

「ハァ……これは、お前がやったことの、結果だぞスコルテ……当然、受けいれられる、のだよな……」

「は……」

 しきるが口を開けた。刃のように鋭くとがった歯がならんでいる。首を大きくかしげながら、しきるの頭部が下へ、喉へ下がった。三〇〇度近く開かれた口が、ゆっくりとスコルテの喉に近づく。

「ま、まて……ま……」

 スコルテの両頬が、軽く叩かれた。

「ウソ」

 しきるの顔が、再びスコルテの顔の正面に上がってきた。目も歯も、元の人間のものに戻っている。驚愕の表情のスコルテは、しばらくその表情のまましきるを見つめ、やがて、息をはいて脱力した。

「ま、魔法か……」

 後ろから、貴様、先ほどはよくも、というしわがれた叫び声が聞こえてきた。

「でも……」

 しきるが全身に力をいれる。そして、

「これは代わりに受けてね」

 そう言うと、スコルテの額に軽く口づけし、飛びのいた。回転するトラジがせまってきている。スコルテはコックピットのシートから立ちあがり、両拳を握りしめた。

「ほ、ほれたァー!」

「加齢そのものー!」

 しきるが一階の窓ガラスを割って外に飛びだしていく。直後、大広間は爆炎に包まれた。



 車が激しく往来する魔王城の本丸前に、老爺が、立ちつくしていた。

「なぜこんな往来の激しい国道に信号がないんじゃ……わしゃ目が悪いのに……」

 前転をくりかえして爆風のいきおいを殺したしきるは、そのまま駆けだし、通りぎわ、老人の臀部に輝くメガホンを叩きつけた。

「あんた何じゃ! だっ誰か、ひったくりじゃ、そいつを……」

「グッドラック!」

 しきるはそれだけ言いすてて往来を飛びこえる。老爺は吹きとぶことなく、激しく発光しはじめた。

「誰か……ん? これは! 見える! 目が見える! なおかつ体が綿のように軽い!」

 老爺が、老人とは思えない身がるさで横断歩道に飛びだした。トラックをよける。乗用車もタクシーもピザ屋のバイクもよける。

「ははあ! 見える! 車両が止まって見えるぞー!」

「何やってんだジジイ! 死にてえのか!」

 老爺は横断歩道を渡りきることなく、中央付近にとどまり、車をよけつづける。

「神か? わしゃ神か! なんぞこれは!」

 ダンスのような仕草も取りいれはじめた。

「ははぁ、どうじゃ! どうじゃこのステップ! この腰の動ん」

 ひかれた。

「貴様ァ! またやりおったなァ!」

 しきるは走りつづけ、城の脇の庭園広場までくると、ようやく足を止め、振りかえった。空から追ってきているリゴールを笑顔で見あげる。

「面倒だ! 残りの老人を一度に出せ!」

「言いおったな……後悔するなよ……」

 リゴールが数十メートル手前で止まる。地上からは十メートルほど。空中にとどまったリゴールは、指をくわえ、再び、空中に銀色の召喚陣を描きだした。

「集え! 残りの五老人よ! 今こそ……」


(割愛)


「ハァ……ハァ……き、貴様ァ……かよわき老人たちを、そん、そんなふうに! 全員、すごく、そんなふうに!」

 リゴールはよろよろと立ちあがると、片手で袖をおさえ、もう片方の腕を頭上へ突きあげた。魔王城上空の雷鳴と雷光が、にわかに激しくなる。

「もう許さん……もうあれ、普通の魔法! 普通のすごい魔法!」

 しきるも立ちあがる。

 しきるの頭上に、ひときわ黒い雷雲が集中しはじめた。しきるが空を見あげる。すでに雲の間では絶えまなく雷光が走っている。リゴールが目をつむり、詠唱をはじめた。

「普通の……」

「魔王様」

 ペルソナ―レが庭園内に入ってきた。

「すごい……」

 しきるが両手を突きあげる。

「魔法!」

 折れまがった光が、空からしきるまでの空間をつらぬいた。

 轟音。

 消えない。

 雷光がしきるを食らうかのように、空間をつらぬいたまま形を変えつづけている。次から次へと地に浮かびあがる放電流が、周囲の庭石を砕き、植物を焦がしている。

「終わりじゃ! 大概しきる!」

 叫んだリゴールのすぐ横を、耳をつんざくような音と光のかたまりが突きぬけた。

 しばらく動けなかった。

 ようやく振りかえる。

 魔王城の一部が、えぐられたようになくなっている。

 むきなおった。

 集中が切れたため、落雷は消えている。

 煙臭が立ちこめている。

 蒸気のむこう。

 目をこらす。

 立っている。

 服の切れはしがかろうじて体に引っかかっているだけの、ほとんど下着姿のしきるが、しかめ面を横へかたむけ、両手を腰にあてた姿勢で立っていた。

「やっぱりまだ、出力もタイミング全然だめだな」

「お主、どこで魔法を」

「あなどるでないリゴール」

 ペルソナ―レが、リゴールのそばまで移動してきた。

「あのお方は、この地に降りたってすぐより、あらゆる知識や技術の習得をはじめられている」

「ま、魔法を習得するほどの時間など……」

「知識においても技術においても、あのお方の習得速度は常人の比ではない」

 しきるは、不機嫌そうにリゴールを見つめている。

 呆然と立っていたリゴールは、歯がみをし、かまえなおした。全身から黒い煙を立ちあがらせる。

「そうか。ならば手加減はいらぬな」

「リゴール」

「おおリゴール! いいぞ! まだやる気だな! さあ! 私を殺ってみせろ!」

 黒煙に気づいたしきるが笑顔になった。両手を広げている。

「ぬかせ! 今度こそ本当に死んでもらう!」

 リゴールが詠唱をはじめた。

 先ほどよりも大きな黒雲がしきるの上空に集まりはじめる。

 再びしきるが空を見あげる。

 いくつもの雷光が雲から飛びだした。

 しきるが胸をふくらませ、大きく息を吸いこむ。

 ホイッスルをくわえた。

 両腕を、頭上へとまっすぐ伸ばした。指先をきれいにそろえている。周辺を地上目がけて落ちつつあった雷光が、途中で、すべてしきるへと進む方向を変えた。ホイッスルが輝きはじめる。全方向から、雷光がしきるへとせまる。しきるが頬をふくらませた。


 長笛。


 かんだかい長音が、雷鳴の低い轟音に、縫うようにからみつく。

 鳴りつづけている。

 しきるの両腕がゆっくりと下がり、指先が、リゴールと、その背後の魔王城へとむいた。

 雷光たちが、しきるにおそいかかる。

 

 短笛。

 

 すべての雷光が、リゴールと魔王城へむきを変えた。

「はっ……」

 ペルソナ―レはすでにいない。

 リゴールは間にあわない。両腕で顔をおおうと、銀色の光をまとってかがみこんだ。

 束になった雷光たちが、城へ風穴を開け、そのまま、いばらのように城全体へからみついた。

 地面が揺れはじめた。

 庭園の石が、踊るように位置を移動している。

 放電流のラインにそって、城の輪郭がくずれはじめた。城上部が、下部へ飲みこまれるように沈みはじめ、土煙が、地をはうように全方向へ走りはじめた。

「失礼します」

 マントを広げたペルソナ―レがしきるの元に降りたった。せまりくる土煙に背をむけ、しきるをマントのなかへおおいかくした。

「リゴールは手を抜いていたのだろう?」

 マントのなかのしきるが言った。

「ご安心ください。この程度で死ぬものは、城にはおりません」

 鼻で笑う声が聞こえた。

「心配などしていない。自分の練度を知りたくて聞いただけだ」

 しばらく間をおいて、ペルソナ―レは、御意、とだけ言葉をかえした。

 巨大な瓦礫が、ペルソナ―レのマントに当たり、砕ける。

 しばらく、衝撃に耐えつづけた。

 マントを開き、ペルソナ―レはしきるの隣にならぶ。視界は悪いが、塵風はおさまっている。

「全然見えないな」

 しきるは手庇をつくり、しかめ面で前方に目をこらしている。

「地下牢はどうだろう」

「残っていると思われます」

「まあ、残っていなくても、怪我一つしてはいないだろうな。性犯罪者におちたと言っても、一応前魔王だからな」

「御意」

「見に行くか。そういうスケジュールだ」

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