カオスフル☆メルヒェンランド
桃色の長い髪。
金の刺繍の入った白い祭服。
それと、なぜか手錠をもっている。
輝きつづけている魔法陣が、召喚魔法と、そこから降りてくる少女を背後からてらしている。早朝だが、外が妙に暗いため、後光状態である。
「はあ……」
開いたハッチの縁に手をかけた姿勢で、少女がため息をついた。それから完全に庭に降りたつと、先ほどまで俺と死闘を演じていたほうの召喚魔法を見て、
「他の五人の方たちは、無事、むこうへ送りとどけました」
そう言った。
「ほんまでっか!」
それを聞くと召喚魔法はやたら驚き、それから安堵の表情になった。
「いや、良かった。とりあえず……」
少女は軽くうなずきながら、ごめんね、心配かけるわねブラボー、そう言って、困ったような表情の笑みを召喚魔法に見せた。そしてようやく俺のほうをむいた。
大きい瞳。長いまつ毛。唇が厚めなせいか、すねているような、それでいて少女漫画のような、憂いをおびた雰囲気の美少女である。俺としては唇を推したい。唇を見ちゃう。見てる。少女は何も言わず、俺にむかって歩いてきた。
「君は」
そして俺の手をつかんだ。
……。
そしてもう片方の手にもっている手錠を、つかんだ手首にむけて振りおろしてきた。
当然引く。
しばらく少女はぶらぶらしている手錠を見つめていた。そして次に、顔を上げてぼんやりと俺を見つめてきた。それから、俺の引いた手に視線をうつすと、再びつかもうとしてきた。
引く。
その、引く、から始まる一連のやりとりを、俺たちは何度か繰りかえした。
「あのさ」
「いやいやいいんで」
「よくない!」
少女は手から視線をそらさない。動きもやめない。
召喚魔法に対しての態度と全然ちがうんだけど。
俺はすこし頭にきて、なおもせまってくる少女の肩を押した。力を加減したつもりだったが、彼女が、予想以上によろめき、後ろへ倒れていった。俺の体の重心が、倒れていく少女を追うように前に移動している。その前に、押した手ごたえがおかしい。ほとんどなかった。
押した左手首がにぎられ、引かれている。
ひねられている。返せない。
横から、手錠が、前腕にむかってきている。
そこで、俺はようやく、よろめいたところからが少女の仕かけだと気づいた。
状況にさからわず、自分から少女の上に倒れていく。倒れながら、右手で手錠をはじいた。体に力を入れ、地を蹴り、上半身をすくめ、少女の斜め前の空中でどうにか回転する。むきなおって逆にとりかえした手首を、反射的に全力でにぎっていた。
「いたーい!」
なんだこいつ。
「いたい! 力入れすぎ!」
手をはなして、大きく下がる。
「おい。ちゃんと説明しろ。召喚……」
「説明などない……」
少女はそう言いながら膝に手をあててゆっくりと立ちあがってきた。白い祭服は体のラインがまったくわからない。唇をかみしめている。唇は安定の評価だ。あれだ、なんかツヤツヤしてる。かみしめ具合もかわいい。それどころではない。彼女は拳をにぎりしめ、半身になって構えてきた。手錠をもつ手を下。素手のほうを拳にして顔の横である。
手前の左足をこちらへにじりよせてくる。
一気に距離をつめてきた。
後ろ足で地面を蹴り、体勢を崩さず突っこんできている。水平チョップ。首。左腕でガードする。速くはないが、全力である。ショックでしばらく硬直した。そのすきに、手錠が、ガードした腕をねらってきた。チョップの手を外側に振りはらってかわす。すきがある。反射的に右の拳をだしていた。少女の頬の直前でどうにかやめる。そこで攻防がとまった。体勢を崩している少女は、反った体勢でかたまったまま、眼前の拳を見つめている。
しばらく考えた。
じゃあこちらもチョップということで、頭頂部へ、手刀を叩きこんだ。
「いたいっ」
鈍い音。いい手ごたえだ。少女は頭を両手で抱えてうずくまった。
少林寺拳法をやっていた。だが、遊ぶ時間がなくなるのがいやで、中学に上がる前にやめた程度のレベルである。華奢な少女が相手とは言え、明らかに何かしらの鍛練を積んでいる相手に手加減する余裕はない。呼吸を整えながら、少女を見おろし、ぼんやりとそんなことを考えていた。
と、突如桃色と白の体が浮きあがってきた。すでに構えている。反応できず、下からの突きを棒立ちで受けるはめになった。あわてて腰を引き、両手を合わせ、腹筋を入れる。だが、衝撃がきた。
だが、思ったより大丈夫で、だから、わずかなすきをついて、頭頂部へ手刀を叩きこんだ。
「いたいぅっ」
少女が再びうずくまる。女の子座り。悲鳴が高くて鼻声でかわいい。でも油断しない。注意ぶかく観察していると、予想通り、悶絶してうなりながら、ちょっとずつ体勢を変えている。しばらくして再び不意打ちがきた。横にかわし、斜め後ろから手刀を叩きこんだ。
頭頂部に。
「あいたっ! もう! なんで頭ばっ……ちょっ」
もう面倒なので、手錠をうばい、あばれる両手をどうにかおさえこんで、後ろ手にかけた。
「あかん! 姉さん!」
「ああ、桃! これはあかんで!」
これまで静かに見守っていた召喚魔法二体が、突如として声を上げた。
「もう手錠とか……もう……」
「いや、お前のだろそれ」
「姉さん気をしっかり!」
「だからそんなんもってくるな言うたのに!」
二体の反応が何やら過剰なので、俺はまえに回りこみ、少女の顔をのぞきこんだ。
陶然とした表情になっていた。
定まらない焦点で宙を見つめている。
口を開き、浅く速い呼吸をはじめた。すこしだけのぞいている舌が、いい。頬が赤く染まってる。瞳がうるんでいる。口あきすぎ。舌がもう、完全に出てきてる。興奮した犬みたいに出てきてる。
ああ、これあれだ。
マゾだ。
しかもかなりの上物の……。
少女が、ゆっくりと地面に座りこんだ。
正座。
後ろ手で正座してる……。
キュンんだ。
全身の血流がどくどくと脈うちはじめた。
「ちょっと! どき!」
横に突きとばされた。
「桃はんしっかりしいや! あと一人やないか!」
召喚魔法が、少女に叱咤の言葉をかけながら手錠にとりついた。なぜか鍵をもっており、あっさり外すと、俺をにらみつけてきた。
「大体あんさんも悪いんやで! こんな物騒なことになっとるのはあんさん一人や!」
どうでもいい。
依然とろけたたままの上マゾに釘づけ。少女は手首についた赤い手錠痕をうっとりと見つめている。手首を顔に近づけ、頬ずりをはじめた。
「他の、あんさんの家族は、みんな極めて平和的に、それはもうなあも……桃! あんた何しとんのや!」
手首に頬ずりしてはやさしく口づけ、やさしく口づけては頬ずりしている。
召喚魔法が腕をつかんで頬から引きはなした。
「桃! しっかりせえ!」
両肩をつかんでつよくゆするが、恍惚界から帰ってこない。結局ビンタした。いいんだなぐって……ずいぶんさくっとお姫様なぐったけど……。
正気にもどった少女が、きまり悪そうに前髪をつくろいながら立ちあがり、俺をにらみつけてきた。頬はまだ赤い。
「……そ、そうです! なんか、なんだ、そうですよ!」
一瞬何か言おうかと思ったけど、やめた。何となく。
「説明なんかなかったぞ」
結局そう返した。それを聞くと少女は目を細め、詰めよってきた。
「そうでしょうか? わたしには、ブラボーの説明の途中であなたから攻撃してきたように見えましたが」
「見てたのか。たしかに先に手をだしたのは俺だ。だがあの状況であの態……」
何やら、甘くて切ない、そしてどこか淫靡な匂いを感じ、俺は言葉を止めた。
これは、桃か。桃の匂い。なんだ?
「態……度……」
「どうしたんですか?」
少女がいぶかしげな表情で俺を見つめてくる。その額に汗が光っているのが見えた。
「ちょっと、悪い」
俺は少女に近づくと、指先を少女の額に、
「何? ちょっと!」
かまうことなく額につけ濡らすと、鼻に近づけ、嗅いだ。
嗅いだのだ。
甘ーい……。
これ何? 体臭? 体臭だな……。
何この子……。
しばらく嗅ぎつづけた。
「ちょっと何してるんですか? すごいキモい」
「ああ、悪い。いや、君、名前……」
「名前?」
少女はしばらく俺を見つめたままでいて、それから、腰に手をあててうつむいた。うつむいて息をはいて、額の汗をぬぐった。
「私は桃プリンチペッサ。メルヒェンランド第三王女、桃プリンチペッサです」
そういい、少女は上目づかいで俺を見た。
「桃……」
まあ、さっきから召喚魔法たちが連呼しているので、わかってはいた。だが、あらためて本人から桃という単語を聞いて、体がしめつけられるようにキュンんだ。
キュンんだのだ。
「君は、汗をかくと……」
言うのか。
うん。
「あれか。いや、君の、その、あれかね。桃かね。も、どうかね」
桃が眉をひそめる。
「あれ、とは」
「だから、君のたい、体臭……」
桃の口が開いた。眉をひそめた表情は変わらない。
「何? 体臭?」
しばらく見つめあうだけの時間があり、それから桃が、手の甲を鼻に近づけた。かいでいる。首をかしげた。
「いや、自分だとちょっと」
そう言い、召喚魔法たちを交互に見た。視線で問いかけられた二体は腰に手をあて、思い思いの方向を睨む。
「うーん……。まあ、言われれば、わからんくもないけど。意識したことないからな。いや、てか、自分ほんま、相当キモいな」
俺も、二体と同じように腰に手をあて、ため息をついた。キモい? 俺が? いつだってそうだ。聞いた俺がバカだった。それにしても、上マゾ、かつ桃の体臭をもつ少女。これは対応に不手際があったと言わざるを得ない。
「その、申し訳なかった」
桃が口を閉じた。いぶかしげな表情のまま、瞬きを繰りかえす。
「メルヒェンランドっていうのに連れていきたいっていうのが、君たちの希望だったか」
三人が顔を見あわせる。
「来てくれるんですか?」
死闘のやつも、こちらへ歩いてきた。俺は三人を順番に見た。
「とにかく、まずきちんと説明してくれ。それから、それからなら、その、まあ、やぶさかではないっていうか……」
しばらく間があって、桃が死闘のやつに目配せした。彼の腹部のハッチドアが、モーター音をだしながら上にせりあがった。なかは、
金属製の肘かけ椅子。
無数のベルト。
コードのいっぱいついたヘルメット。
ベルトが、多くて、でろんってなってて水でもどしたわかめみたい。ヘルメット……ヘルメットではない。ヘッドギアだ。勉強机の上の古いライトみたい。
拘束椅子じゃねえか……。
「説明なら、なかでしっかりおこないます! 夢旅行、是非お願いします!」
急にはつらつとした桃が、キラキラ輝く瞳で俺を見つめている。俺は、ハッチ内から目をそらせない。椅子もベルトもうすよごれてる。すごく怖い。うすよごれ具合がすごく怖い。
「どうぞ! なかへ!」
このなかに? 俺が……?
「え、やっぱり嫌です……」
「……」
桃がまた口を開けた。しばらく見つめてきたが、俺は視線を合わせなかった。桃はため息をつき、それから祭服のなかに手を入れ、銀色の、口紅のようなものを取りだし、差しだしてきた。
「じゃあ入らなくていいから、これ鼻の奥まで入れて、ここ押せます?」
端っこのところを指さしている。
「いや押せないけど……」
バカか。
桃が見つめてくる。若干かたむいて、腰に手をあて、口がさっきより開いて、眉間にしわをよせた状態で見つめてくる。
「いや、ていうか何それ。やばいやつだろ絶対。シャレになって……」
「時間がないんですよ! それにこれじゃないと、あと非合法のやつしかないんですよ!」
「知らねえよ! ていうかここまで合法なのかよ! やめた。やっぱりいかな……っ!」
両脇に圧力を感じたと思ったら、体が軽く浮きあがった。後ろから羽交い締めにされている。
「ブラボー!」
死闘が駆けよってきて俺の前にひざまづき、抱きついてきた。腕が拘束されている。近い。太い眉がすごく近い。顔パーツが、もう全部上部によってるから俺の顔パーツとほぼこすれあってる。それぞれでこんにちはしてる。そしてそれから、まあ当然のごとく、桃が正面から銀色のそれを突きだしながら突っこんできた。必死の形相で鼻麻酔を痛いッ! 痛いバッ! 涙っ、奥っ、
「バッ! いっ」
「ちゃんとおさえてて!」
奥っ、骨あたってる! 骨ー! 奥! 痛!
頭のなかに、液体の射出する振動が響きわたった。
液体が染みこんでいき、あっという間に体が痺れだした。全身の力が抜ける。涙が。すごい泣いちゃってる男の子なのにわたし。やだ怖い。どうなっちゃうのわたし。すごいやだ……。
*
(――はーい。必死の抵抗ご苦労様でした――)
ピンク色の壁と、あと上のほうに通気口のメッシュが見えるだけの空間である。
まず、よだれをどうにかしていほしい。口が閉じず、もう、胸元からへそのあたりにかけて悲しいことになってる。これだけアホみたいにベルトで縛るなら、頭を、こう、縦にまいて顎もしめてほしかった。弛緩によって首がかたむいているため、よだれ爆撃を受けた地帯はかろうじて体の中心から外れている。自分で言っておいてなんだが、だからどうした。
(――わたくしメルヒェンランドまでご一緒させて頂きます召喚ガイド、ブラボーの星、と申します。短いおつきあいとなりますが、どうぞよろしくお願いいたします。――それでは。メルヒェンランドに到着するまでの間、体が完全に溶けて召喚魔法と融合する過程を楽しみながら、夢旅行先をフローチャート式の質問で――)
ごめん何? 溶ける? 溶けるって言ったのか? なんだその過程。捕食された虫か。それで融合って、どうするの融合して。融合してむこうで、召喚魔法として行動するってこと?
(――はあ――)
露骨なため息が流れてきた。
(――一度にたくさん質問してきて。バカなのかなあ――)
……こいつ。
……うさんくさいとは思ったけどもう本性あらわしたか。なんか敬語心こもってない感じしたもん……ん? ちょっと待て、どうやって会話してるんだこれ。
またため息が聞こえた。
(――はあ。うるさいなあ。いいでしょ。空気感できてるでしょ。あれだよ、なんか、脳に直接話してる的なやつ。いちいち流れ止めるのって人としてどうなの?)
お前がまず人なの? ……まあいいや。いちいち流れ止めてるって言われるとなんか癪だから。俺が悪かった。進めて。
(――よかった。非合法のほうの麻酔をあそこのダクトから流入させなくちゃいけなくなるかと思いました。さて、それでは説明していきますね。――まず融合に関して。メルヒェンランドで存在できるのはイマジン体という、イマジンエネルギー体の含有した体だけなんですね。そのため、リアルの方々がメ――メ界に滞在するには、イマジン体への変換が必要になるんですね――)
そうやって略すんだ。メ界って。それと非合法の麻酔はひかえてもらえて本当によかった。つまり融合は変換の一過程ということか。地球で何年も学生やってる身としては、色々受けいれがたいところだけど、まあ、すでにありえないのいくつか見ちゃってるしな。
(――ん? いや――あー……。いいや。そうです)
ちがうのかよ。お前、そんで、ごまかすならちゃんとごまかせよ。
(――リアル――つまり旅行者の方々は、融解状態でン次元空間に進入すると、イマジン体化するんです。そして融解状態のリアルに、イマジンコンバータ、個体識別チップ、データ収集用メモリ媒体、そしてメーPSを埋めこむというわけです――)
うーんと……イマ……融解……あってるじゃねえか! どうしてまぎらわしいリアクションするの。それからもう突っこみどころが多すぎるんだけど。何ン次元て。信用する気が失せるような命名すんな。あと、そんでどんだけ埋めこむんだよ。まとめサイトの広告リンクか。
しばらく、沈黙があった。
(――まとめサイトの広告リンクか、か――)
ん……? 何……?
(――装置のことは、どの旅行者にも話しているわけではありません――あなただから話したのです――)
ん? 何この雰囲気……あなただから……?。
(――これらの装置はすべて、安全な運営のためのものです。帰還時にはすべてとりのぞかれます――)
待って。あなただからって?
(――)
俺らのことって事前に調査済みだったのか? で、俺は何なの? なんか役割があんの?
(――王族――これは召喚を担当する立場のものたちですが、召喚時、王族の各個人の考えによって、召喚対象にかたよりが出ないように、事前の調査は禁じられています――)
じゃあ……。
(――リアル各個人の人格解析については、今あなたがつけているそのヘッドギアで行われています――)
……なるほど。このタイミングで解析してるっていう、その部分の理屈はわかった。その部分以外の疑問がたくさんあるが、こんがらがるのであとにしよう。それで、俺だからってのは?
(――あなたなら、夢旅行――ファミリア召喚の全体像や、それにともなうリアルへの措置の妥当性を、客観的、合理的に評価できる――データがそうしめしています――そして今、あなたが必要です――)
……理性的だと言ってもらえるのはうれしいが、これだけ疑問、疑惑の山状態でそんな言葉をかけられても、申し訳ないが俺から言う言葉は何もないな。評価かどうと言う前に、まず、家族の状態、それから夢旅行の目的、じゃないか?
(――なるほど合理的なお答えです。そのとおりだと思います――)
しかし、待っても、それ以上は聞こえてこない。
なんだ? 話す気はない?
(――いや、それらの説明は、今回の召喚者である第三王女桃プリンチペッサ様と、夢旅行先の人間たちの仕事なので。ざっくりと説明しましょう。これから行って頂くメ界には、地球にはない物質が一つだけあります。それはイマジンです――)
イマジン……。
(このイマジンによって、空想が現実化し、メ界は、文字通りファンタジーの世界として成立しています。しかしメ界が存在しつづけるためには、空想の量が一定範囲内である必要があります。イマジンによる空想的な事象の量をイマジン率と呼び、これが五〇%、地球と同じ完全な物理法則に則った事象の量を因果律率と呼び、これも五〇%。このフィフティ・フィフティが著しく崩れると、メ界は存在できなくなると言われています。メ界は、日々生まれるファンタジーによって、常時、イマジン率がゆるやかに上昇しつづけており、これを基準値へ戻すために、必要に応じて、強い因果性をもつリアルの方々にお越し頂いているというわけです)
まあ、納得するもしないもないな……説明内容そのものは、理解できなくもないが……。
(――まあ、何にせよ、夢旅行者の方たちには、ほとんど危険はありません。このイマジンによってメ民は寿命以外で死ぬケースはほとんどなく、メ界で展開されている物語に介入する確率の低いリアルは、まず死ぬ事はあり得ません。事故でも、病気でも――おっと――)
あれ……なんか、さっきからあちこちかゆい。
(――おしゃべりの時間はもうあまりありませんね。とにかく今、そのバランスがおびやかされています。原因はわかっていません。そんなわけで、今のメ界には、合理的に事象を整理できるリアルが必要なのです。今回の召喚には、高い知性をもつものを呼べるかどうかに、つよい期待がよせられていました。今回のファミリア召喚の目的は今や――ツコム様あなたをメルヒェンランドに連れてくること――そうなったと言っても過言ではないのです――)
だから……。うーん……。
……とにかくむこうについて、さっき言ったことが確認できたら、もうすこし……そのとき、ヘッドギアからモーターが動き出すような音と振動が伝わってきた。
(……この音は?)
(――ああそれは、ヘッドギアの人格解析が終わった音ですね――)
人……え……?
(――今からデータがこっちに――あーやっぱり。思ったとおり理性的な人格なんですねー。おっとなー――)
……。
(――)
……今から……デ……。
(――フフッ――)
……な、なんちゃって。あ、あやしいと思ってたんだよねー本当。あーよかった話半分で聞いといて。半分ていうかもう四分の一ぐらいでしか聞いてなかったけどね。あーよかった。本当よかった。
(――はいウソー。さっき完全に信じきってるリアクションしてましたー)
してませんー。そもそも途中でリアクションはさんでませんー。
(――途中とは言ってないですー。「人……え……?」って、最後完全に素でリアクションしてましたー)
コラァ! もう頭きたぞこの野郎!
お前、この野郎ッ! お前本当、どんだけすらすら嘘出てくんだよ! 詐欺師でもあんな流暢には無理だわ。お前コラ! あれだ、本名と所属! 本名と所属を言え! むこう行ってから、
(――言うかバーカ! あっ、もう時間がありません。ほら、体が――)
そう。さっきからすごい体がかゆい。体……あっ。
見えている腕と腹、下半身。
ちょっと透けてる……。
(――はい。言いわすれていましたが、溶けはじめはすごくかゆいんです――)
やだそんな副作用! そもそもしびれててかけないし! ん? 普通、麻痺してるとかゆくなくない?
(――知るかバーカ。俺はかゆくないから、どうでもいい――)
本当お前。何なの? 失職しろ。
急にだまった。
(――お前、それはダメだろ――言っちゃ――)
え……ごめん……リアルだった……? ごめんね……。
ていうか、だめだ。すごいかゆい。さけびだしたいほどかゆい。そしてかけないので、もうあれ、すごい、神経がわーって、ぼわーってくる! そしてない。もう自分がほとんど見えない。
(――雑談ばっかしてたのでそろそろシャレになんないくらい時間がありません。召喚地リクエストやります。さきほども説明したとおり、フローチャート式の質問にて、最初に降りたつ場所を決めます。到着あとは自由に移動できるので、気楽に答えて頂いて結構です――)
気楽もクソもあるか! これをどうにかしろ!
あぁ……! よだれが……。今気づいた……。もうどうにも……。乾いてる部分のほうが少ない。
(――はーい。気楽に答えてくださいねー――まずは――男性と女性、どちらがお好きですか?)
何その質問!
女性!
(――それでは、もし恋に落ちるなら、どんなタイプの男性と恋に落ちたいですか?)
聞いてねえなこの野郎! 俺の性……あっ! 今さらだけど、これのための拘束椅子だったのか。基本的に後ろ側がかゆい。
(――うわあ今ごろ――あなたを理性的とか言った先ほどの自分が恥ずかしいです――男性のどんなところに魅力を感じますか? 厚い胸板ですか?)
お前! ゲイチャート以外進める気ねえじゃねえか! 後ろ側……背中と膝の裏が特に。でもああ、なんか、ちょっとだけかゆみがおさまってきた気がする……まだ全然かゆいけど……。
(――それでは男性同士の恋愛の素晴らしさについて語ってください)
質問じゃなくなった!
まだかゆいっ。
(――申し訳ありません。旅行者はみな別々の場所からのスタートという決まりがあるんですが、他のエリアはすでにご家族の方が選ばれてしまっているんです――)
じゃあチャート決定してんじゃねえかッ。そりゃみんなこの流れ避けるからこれだけ残るのも納……納得できるか!
そしてかゆみは大分おさまってきた。
(――トイレにこもってたお前が悪い――というわけで、おめでとうございます――大概ツコム様、男同士の国、ソドミー男爵領へご案内です。融合も、まあ大体上がりましたね――はーい。じゃあいったん意識が落ちまーす――)
急速に、意識が遠のきはじめた。視界が白くくもっていく。かゆみとの戦いのせいで、入ってきた情報が、なんか、ほとんどどっかに行ってしまった……。
(――それではよい旅を。ああ、さっきのお願いしますね。メ界のためにも、桃様のためにも――)
それには答えられず、俺の意識は完全に落ちた。
*
(君はあれだね。乳輪が、すこし大きいんだね……)
乳輪……?
声が聞こえている。響きが沁みこんでくるような、低いダンディな声。
それから、胸のあたりに、かすかに甘いしびれ。
(聞こえているかな。ツコム。説明の義務があってね。さっさと済ませてしまおう)
すぐ近くで、紙をめくる音が聞こえた。
(まず、メルヒェンランドは、地球人の空想エネルギーが集まり、地球から派生してできた、ン次元空間に存在するおとぎの国である。ふむ。次に、地球にはない法則として、イマジンとロールがある。ふむ。もうだめだね。もう限界だ。私は)
すぐ近くで、紙の束が落ちた音がした。
(こんなもの本当は必要ないんだ。どうしてかって? フフッ。だって君は、この国で、ずっと暮らすことになるんだからね。この国で、ずっと、たがいをむさぼり合いながら)
たがいを……むさぼる……?
甘い。胸のあたりが、ちくちくと甘くしびれる。これは何……? 恋……?
(甘いかい? フフフゥ。乳輪を、指で、いらっているからね)
甘いしびれは、全身に広がりつつある……。
(ゆったりと、そう円をえがくようにゆったりと、私の無骨な指先が、ツコム、君の、乳輪から、おっと私としたことが。すこし性急にすぎるな。色を、見てみようか。色は普通だね。すこし色素が沈着している部分があるかな。自分でいらう習慣がもうあるのか。フゥッ。先が楽しみだな。そうだ。ツコム、君は知っているかな。乳首はね、性器じゃないんだよ。素晴らしいことだね)
乳首は……性器じゃ、ない……素晴らしい……こと?
(フフッ。だって考えてみたまえ。ツコム。男の)
(兄さん、ずるいじゃないか! 抜け駆けは禁止だよ!)
足音が近づいてきて、世界がゆれ、背中に何やら密着してきた。
(ゴモラ。お前は)
(君は良い肉づきをしているなあ。とてもいらい甲斐がある! 何かマーシャルアーツをやっていたのかい?)
背中が、あらあらしく、上下に撫でられはじめた……。
マーシャルアーツ? ああ……少林寺……。
(ゴモラ。お前はまったく。ムードがないんだよ。いつも言っているだろう)
(わかっているよ兄さん気をつけるよ! それにしてもハッ! 実に良い肉づきだね! 兄さん色素の沈着は、きっとマーシャルアーツのトレーニングによるものだよ! そして僕にも義務を果たさせてくれ! 僕だってこの日を、ハハンッ。心待ちにしていたんだから! ハハハン!」
一瞬尻肉をつかまれたような感触があったが……感触はすぐになくなった……気のせいかな……。
すぐ近くで、再び紙がこすれる音が聞こえた。
(夢旅行について。夢旅行の期間は決まっていないが、大体三ヶ月から一年間ぐらい。ふんふん。これは時間の話かな。数字か大きすぎてよくわからないね。次だ。リアルのイマジン体は、因果律百パーセントの地球で生活している体を変換したもののため、長くはもたない。次。帰還の際は元の日時にもどれる。次。メーPSによって、家族との合流ハハア! もうだめだ! こんなの必要ない! こんな、こんな若い、こんな)
背中が激しくこすられてる……。
紙束が遠くに飛んでいく音がした……。
(こんな若い男肉を目の前にして! はん! 読むことなどできない! ああツコム! ああツコム!)
背中の撫でが、さらに激しくなった……。途中何度か尻肉つかみがそれとなくきてる……。
(ゴモラ。ゴモラ。すこし。お前)
いい加減意識がはっきりしてきた……鼻麻酔……融合……乳輪……解析……ヘッドギア……乳輪……
召喚地リクエスト……ゲイチャートしかねえじゃねえか……乳輪……ゲイ……尻肉……
(ツコム! エモジオーネ、ツコーム!)
痛い。痛てて。背中……撫でて、撫でて、もう撫でるっていうかこすられて、そして、尻にビンタがきた。
あうっ!
(ハハッ! スパンク! ハハッ!)
(おまえというやつは)
スパンクにより、さすがに、完全に意識が浮上した。目を開ける。目の前に、はだけた金のローブからのぞく毛むくじゃらの厚い胸板。視線を上げる。うっとりした表情の、黒髪オールバック、かつ髭の洗練されたおっさんと目があった。おっさんがゆったりと微笑みかけてきてる。
うおおなんだこの状況。
「おはようツコム。男同士の国、ソドミーへよ」
思わず顔面に拳を入れた。
「ハゴッ」
手をつこうとしたが、力が入らない。体を横に転がして、おっさんごとベッドから落ちた。全身に力を入れてどうにか立ちあがる。ベッドの上の金髪の若おっさんが目に入った。
そしてなんだこの部屋。
白と金色の網だか炎だかの模様が細かくはいった壁や絨毯。いくつもならんだ小窓とカーテン。高い天井とアホみたいに豪華なシャンデリア。過剰な装飾の家具に、壷やら鎧やらの美術品。そして、ゲイの男爵(半裸)とその弟(半裸)。追加で俺(全裸)……。
男同士の国、ソドミー男爵領。
……いや。
メルヒェンランド。
きたのか。
俺は豪奢な部屋をほうけたように見まわし、それから、ベッド付近のどうしようもない半裸のおっさん二人を、警戒しつつながめた。
今、置かれている状況に、地球にないと言えるものはない。全部ある。半裸のゲイの男爵も多分いる。
不意に、イマジン体のことを思いだした。体のあちこちを見たりさわったりして確認する。力が入らないので手つきがのんびりだ。特に変化は見当たらない。
そういえば、どこまでされた?
「開通……開通? は……」
前かがみになって、後ろに手をまわそうとしたとき、くぐもった笑い声が聞こえた。床に転がっているオールバックの金のローブ一枚のおっさんが、小指で鼻血を確認しながら(出ていない)笑っている。
「聞いたかゴモラ。ツコムが開通と言った。やはりリアルは進んでいるのだな。こんなノンケの青年まで、何をどうするか。フフフ」
「こうしよう兄さん! 先に彼をオルガスムスへ導いたほうが、彼を開通できるっていうのはどうだい!」
ベッドの上の金髪ロングの若おっさんが、とんでもないセリフをはきながら床に降りてきた。
「おおゴモラ。それはいい」
「よくねえ!」
俺は全力で踵をかえした。スピードは歩くと走るの中間くらい。しびれた足を引きずるときのような、ふがふがした感じが全身を駆けめぐる。さっきよく殴れたな俺。だが危機感がうわまわっているのか、スピードはだんだん速くなった。ドアまでたどりつき、全身で引いて、廊下に出た。廊下もいかにもだ。華美な絨毯、鎧、アーチ、天窓、燭台、階段……が左に見える。俺は階段にむかって全力で進んだ。階段は上下にある。ここは下だろう。
「あら!」
その下から、とんでもない存在が姿をあらわした。いや、まあ、ここまでのあれから、まあ、なくはないというか、まあ……あれなんだけど、やだな形容するの……。
「妖精さん? 妖精さんなの?」
上がってくる。野太い声で問いかけながら階段を一段一段上がってくる。黒いスカートに白いエプロンをつけ、手にティーセットの載ったトレーをもち、スキンヘッドなのにレース付きのカチューシャをつけた上半身裸のおっさんメイドが上がってくる。
「妖精じゃないです……」
「どうして全裸なの? 相手を探しているのね? だったら……」
もうやだこの国。
上へ逃げる。
一度踊り場を折りかえすと、上がったさきに扉が一枚あるだけだった。嫌な予感。だが上がるしかない。扉を開けると想像どおり屋上バルコニーだった。大量の白いシーツが等間隔で干され、風にはためいている。とりあえず一枚はぎとって腰にまいた。他の扉はない。絶望的だが、逃げ道は見つけ出さなければならない。見つけ出せなければ、きっと俺は、この下の金色の部屋でこれまで出合ったことのない自分と出合うことになるだろう。しゃれた言いまわしをしている場合ではない。とりあえずシーツ群をかきわけて、バルコニーの端へむかう。
はるかかなたに、いくつか見なれたものが見えた。端までたどりついた俺は、その異様な光景を前に、逃げ道を探すのを忘れ、手すり際に立ちつくした。
なんだこのカオスな世界は。
俺は円形のバルコニーを、手探りで手すりをたどりながら一周し、そのカオティックなパノラマに見いった。
観覧車。魔王城。天守閣。巨大御輿。明らかに戦争中の海域。光り輝いている森。高層ビル群。風俗街……ホテル街? 街……国? 一パノラマで判別がつくということは、一つ一つの国はかなり小さいことになる。それはいいが、ありえないのは、この規模で、国によって明らかに昼夜と天候にちがいがあることだった。高層ビルのあたりと巨大御輿が見えるあたり、ホテル街も当然のように夜だし、魔王城……これはいわゆる悪魔の顔シルエットなのでそう呼んでおくが、魔王城のあたりは、その一帯だけ分厚い雲がかかり、ときおり雷も落ちている。光輝いている森には、そこだけ深い霧。
観覧車の近くにはジェットコースターのレーンらしきものがあり、他のものは小さすぎて判別できないが、まあ遊園地だろう。これは前述のホテル街のすぐ近くで、つまり昼と夜が隣同士になっている。他には、これといったシンボルのない近代的生活圏がいくつかあるが、街も施設もないところは、ほとんど森、山、海などの自然で、これも隣接である。
「メルヒェンランド……」
非常識だ。
だが、これが今いる世界の現実か。
ふと思いたち、手すりから身を乗りだした。城だ。石造りの城。十九世紀初頭のヨーロッパ、ゴシック様式がかった見事な城である。視線を前方へ移す。防風林、庭園などを抜けて城門があり、そこからいくつかつづら折りになった坂の先に城下町が広がっ……広……。
宇宙人がいる。