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メルヒェンランド  作者: 袋ラーメン☆好き男
魔法の国編 序
21/36

ババア、愛のグレイトエスケープ

【前回までのあらすじ】

 ジョーが失踪してから数年の月日が流れていた。体感で、数年の月日が流れていた。再興した恋愛の国において、唯一の王族として国民の心の拠りどころとなっていたゐきるは、ジョー捜索に時間をさく余裕もなく、ただその毎日を、公務にて忙殺されていたのである――。



「ババア妃様――。ババア妃様――」

 バルコニーに立つ、宝石の散りばめらたティアラに白銀のドレス姿のゐきるは、気品のある笑みをうかべ、群衆にむかい、楚々とした仕草で、小さく手を振った。群集の歓声がひときわ大きくなる。

「過ごしなさい――過ごしきりなさい――過ごしきききりなさい――」

 ――過ごそうぜ

 ――今日は何をして過ごそう

 ――とにかく過ごそうぜ

 民が、口々に言っている。ゐきるは、ゆったりとうなずくと、ふたたび手を振りながら、バルコニーを後にした。



 バルコニーの扉が閉まったことを確認するや否や、ゐきるはティアラを投げ捨て、剥ぐようにドレスを脱ぎすてると、台の上にあった肌着とステテコをつかみ、部屋を出て廊下をゆきながら、荒々しい仕草でそれらを身につけた。後ろから、大臣用の法衣を身につけたジーナが、無言でついてくる。ステテコを歩きながら履くことはむずかしく、二度ほど転倒したが、それでもゐきるは廊下を進むことをやめなかった。そうして、ステテコをはききることなく、自室の前へたどりつき、乱暴にドアを押し開けた。

 一面、緑の部屋。

 突出したかしらつきの部屋であった。

 突出したかしらつき型の窓掛け。突出したかしらつき型の書斎机。突出したかしらつき型の寝台。突出したかしらつき型の抱きまくら。ゐきるはようやくステテコをはききると、倒れこむように突出したかしらつき型の寝台に横になり、突出したかしらつき型の抱きまくらにしがみついて、顔をうずめた。背後で、ジーナのため息が聞こえた。しかし、ゐきるの心には、わずかも響くことはなかったのである。



「――お妃様。お妃様」

「もっと突きだすものです――。かしらつきは、もっと突きだすものです――」

 大臣たちが、順にゐきる前のにひざまずく。

 そうして、ゐきるの手の甲に口づけていく。

 それだけの儀礼であった。

「――お妃様。お妃様」

 ゐきるは、ただ、目の前にあらわれた頭髪を、口づけられているのとは反対の手で、ねじりあげるのみであった。

 足りない。

 足りなかった。

 整髪料が足りなかった。

「彼の頭髪にはポマードが足りないわ。パストル、ポマードをちょうだい」

「――お妃様!」

「ああごめんなさい。申し訳ありませんでしたね。私、少しつかれてしまっていて。ご苦労様でした。Fuck’n  Minister」

「お妃様!」



 庭園を歩いていた。

 ジョーと過ごした庭園。ジョーと、花の臭いをかいだ庭園。ジョーと、お互いの臭いを嗅いだ庭園。嗅ぎまわった、嗅ぎきった庭園。

 突如、浮遊感が、体を支配した。

 浮いている。

 否。

 落ちている。

 全身を破裂音がつつみ、やがて、にわかに、冷たさが肌を取りかこんだ。

「ゲスゲスウ、ゲスゲスゲスウ」

 頭上より、しゃがれた女の笑い声が振ってきた。よく見知った女中の声であった。ゐきるは声にかまわず、自らを包んでいる液体を両手ですくった。泥水だった。

 ――泥水。

 ――どろどろ水。

 ――粘着水。

 ゐきるは髪留めをほどくと、ふたたび泥水をすくいなおし、その手入れの行き届いた長い髪に撫でつけはじめた。

「ああ。ジョー。リーゼント・ジョー――」

 そうして、前髪を、前方へとねじりだしはじめた。

「ああ。ジョー――」

「――ゲスゥ」

 一心にリーゼントをこしらえようとするゐきるの頭上に、しゃがれた、悲しげなため息が降りそそいだ。



「もういいわ。下げてちょうだい」

 一口も手を付けないまま、生臓物の皿を下げさせようとしたゐきるに、とうとうジーナが詰めよった。

「いい加減におし! 一体、あのころのあんたはどこにいっちまったんだ!」

「ジーナ、ジーナ」

 パストルが両肩を抱く。そのまま、ドア際まで移動した。

「ジーナ」

 ジーナが両眼を手でおおった。

「わかってるよパストル。現王室は、ゐきる様一人、がんばってもらわないと。すまないね。ついかっとなっちまっただけさ――」

「ああそうだ。そうだな。それより相談があるんだがジーナ。ちょっとこちらへ着てもらえないか」

 二人のやりとりは、ほとんどゐきるの耳には入ってこなかった。女中によって生臓物の皿が下げられていく。夢のなかならば合えるだろうか。ふとそう思いつき、女中の退室をまたず、ゐきるは突出したかしらつき型の寝台に倒れこんだ。



 ふるえた。

 体がふるえあげた。

「も、もう一度言ってちょうだい」

「た、旅の商人が、と、突出したかしらつきの男を見たと」

 困り顔の執事が、ふるえる声で言った。

「どこで、どこでなの」

「いえ、そこまでは。まずはお妃様にお伝えせねばと」

「その商人はどこにいるの」

「し、下の客間に待たせてあります」

 執事が言い終わるまえに、自室を駆けだしていた。駆けた。ジョー。駆け続けた。耐えきれず、雄叫びをあげた。ジョー。WOW。ジョー。ジョー。Fuck’n Joe。階段を駆けおり、ふたたび廊下を走り、ドアを前蹴りにして客間に飛び込む。

 誰もいなかった。

 背後で、施錠される金属音がした。

 猛っていた。

 ゆっくりと振りむき、ドアにとりついた。怒りか。絶望か。正体のわからない猛りくるう感情がゐきるの全身をにわかに支配した。

「一体何――これは何の真似」

「ちょっとあんたにいいたいことがあってね。ゐきる様」

 ジーナの声だった。

「ちょっと――」

 ゐきるはドアに額を擦りつけた。わかっている。腑抜けているのはわかっている。どうにもならない。そもそも恋愛の国だ。恋愛に身をやつして、何がわるい。

 解錠される音がした。ドアがひらき、ジーナの姿が見える。殺してしまうかもしれないと思ったが、その、悲しみを帯びた真摯な表情を見て、全身から猛りが抜けおちた。ずっと、一緒に、この国のために過ごしてきた、いわば、同士であった。

「わかっています。わかっていますけど、どうにもなりません――」

 先に、そう、言葉が口をついて出た。

 しばらく、ジーナはだまったままゐきるを見つめていた。

「何がすごしなさいだ。どんだけ腑抜けちまったんだあんたは」

「わかっています――けどッ」 

 にわかに、何かが心の底からこみ上げてきた。

「私は、この国のために――ジーナあなただって、唯一の王室である私にがんばってもらいたいとおっしゃっていたではありませんかッ」

「バカを言うんじゃないッ。あたしがどういったかなど――以前のあんたなら、あたしがどういったかなど――」

 不意にジーナが口をつぐみ、うつむいた。

「いや、今のあんたを論破したところで、一つも面白くない。ちょっと来な」

 そう言うと、ジーナはゐきるの腕をつかみ、踵をかえした。

「ちょっと、痛いですジーナ。そんなに強くひっぱらないで」



 突出したかしらつき型の窓掛け。

 突出したかしらつき型の書斎机。

 突出したかしらつき型の寝台。

 突出したかしらつき型の抱きまくら――。

「な、なんということを――」

 山積みにされていた。

 ただ山積みにされているのではない。それは、大量の薪の上に積み上げられていた。

「ああ。まさか、嘘よね。ジーナ。ああ。嘘だとおっしゃって」

「よく見てな。ゐきる様」

 ジーナが、手に持った松明に火つけ、ゆっくりと突出したかしらつきの山へ近づいていく。

「いやあ。なんという。鬼畜ッ。消して。お願い。ああジーナ消して。お願いです」

「私の覚悟だ。これは。これであんたが戻らなかったら、あたしは斬首にされてもかまわない。パストルも、セルビリータも、おんなじ覚悟だ」

「わだすはとんずらこきますでゲス」


 ジーナが、燃え上がる松明を投げ入れた。


 ゐきるが絶叫しながら、あたりをみまわす。なにもない。羽織をはぎとり、近づき、火をたたく。火は燃え広がり、薪と突出したかしらつきの山をおおいつくしている。羽織に火がうつった。火のついた羽織を投げ捨てると、ステテコを脱ぎ、火をたたいた。すぐにステテコに火が移り、ステテコを投げ捨てた。肌着を脱ぎ、火をたたいた。ためらうことなくズロウスを脱ぎさり、何も叩かずにすぐに火のなかに投げ入れた。そうして全裸で土の上に突っ伏した。

 しばらく、薪が弾ける音だけが、周囲に聞こえていた。

 肩が震えはじめた。

 クックと、低く、くぐもった笑い声が、全裸の老女から流れだした。

「忘れておった――何もかも――」

 ゐきる様。ジーナがつぶやいた。

「そうじゃ――わしは忘れておった――礼を言うジーナ――」

 そうして、全裸の老女は、六二とは思えない俊敏さで、すっくと立ちあがったのである。

 老女が、ジーナのほうをむいてきた。

 落涙していた。

 滝のように、両眼から、落涙していた。

 しかし、凛とした面持ちであった。

「もどったね――ゐきる様」

「ああ。わしが愚かであった――」

 そう言うと、老女――ゐきるは、首をやや横へむけ、空を仰いだ。 

「ジョーが立てなおしたこの国。民。――そしてジョーそのもの。想い人。どちらも、おそろかにしていることに気がつかなんだ。想い人と合うことが叶わないのであれば、想い人のつくったこの国に精力を注ぐ――。こんな簡単なことに、思い至ることができなんだ。愚かであった。品も、服ももやして、ようやく気づくことができた」

 公務にもどる――ゐきるはあっさりとそう言い、踵をかえした。

 そのゐきるを、ジーナが呼びとめた。

「待ちなよ。奪うばかりじゃ芸がないだろう。プレゼントもあるんだよ。こんな、過去のものじゃない。今。そして未来のものさ」

 そうして、ジーナは一枚の写真をさしだしたのである。いぶかしみながら、ゐきるはその白黒写真を受けとった。


 肝が。

 忘れていた。

 肝そのものを忘れていた。

 今しかなかった。

 未来しかなかった。


 否――今と未来は別物だから、両方、しかなかった、は文法的におかしかった。震えてる手で、写真を見つめこんだ。震えすぎて、写真がただの灰色一色の残像になって、見つめている意味がなくなっていようとも、それでもゐきるはうがつほどに見つめこんだ。写真は、盗み撮りされたもののようであった。人混みのなかの、袖なし外套を頭からすっぽりとかぶった人物。当然のことながら、顔つきはわからない。しかし、突出していた。袖なし外套が、額のあたりより、前方に、これでもかというほどと突き出ていたのである。

「魔法の国でとられたものだそうだ」

「――行くぞ。わしは」

 ジーナが笑い声をあげた。

「じゃなきゃ、こんな写真渡さないよ」

 ゐきるは顔を上げて、ジーナを見た。ジーナの目が、しっかりとゐきるを見つめ返してきた。

「ただ、行く。詫びも、礼も言わん」

「ああ。それでこそあんただよ。服も用意してある」

 ゐきるはうなずくと、その場で足を広げ、両手を左右へと突きだした。どこからか湧きだした女中たちが、あっという間にゐきるの体に下着をつけ、洋服をつけ、袖なし外套を羽織らせた。ゐきるは振りかえり、ジーナ、パストル、セルビリータを順番に見つめた。

「国はまかせた」

 ジーナだけがうなずいた。ゐきるはうなずきかえし、庭を突っ切り、外に用意されていた馬に乗りこんだ。一人、追いかけてきている。パストル。わしも。神の妻に合いたい。そう叫んでいる。ゐきるは前方を見つめ、馬の腹を蹴った。前だけ。前だけを見つめていた。視界の端で、赤ら顔の男が、衛兵に取り押さえられるのが見えた。

 息を呑んだ。

 城門の外。

 民が、あふれていた。

 怒号のような歓声が、ゐきるを包みこんだ。

 中央の、民の道。ゆっくりと進んだ。知った顔。いくつもある。ふたたび、涙が流れだした。ジョー様を。ジョー様を必ず。民が、口々にそう言っているのが聞こえた。はじめから――肝が、そう語りかけてきた。はじめから、血迷っていたのは、自分自身だけだった。いつの間に忘れていた。この民たちは、おのおの、ゐきると数々のぶつかり合いを経た民たちだった。泣きながら、馬を進めた。すさまじい音圧がきた。合唱。国家だった。民たちが、国家を歌っていた。

 ――あふれんばかりの精力に

 ――満ち満ち満ちて、満ち満ちて

 ――今日この日

 ――欲望の日。

 ――一歩も引かん。燃えさかる。

 ――欲望に燃える。燃えさかる。

 ――老いてなお、老いてなお、

 ――生きる、生ききる、生きききる

「生きる。生ききる」

 つぶやいた。涙が流れつづけた。


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