第107話 ささやかなクリスマス
「そういえば、今年のクリスマスはどうしますか?」
夕食時の白雪のその問いに、和樹は戸惑ったような顔になる。
「いや、白雪は受験生だろう。さすがに……」
「一日くらい、ちょっとのんびりするくらいは大丈夫です。むしろ……ちょっと今の状態は中途半端なので、気分転換したいというのもありますし」
推薦入試は終わったが、その結果は年明けまで出ない。
不合格だった場合に備え、受験勉強は当然続けているが、ここまでくると詰め込む要素も実はない。やれるだけのことはすでにやってるので、復習がメインだ。
「実のところ、今年は集まるのは見送る予定なんだよ」
「そうなんですか?」
「白雪たちは受験でそれどころじゃないだろう? で、卯月家は朱里が臨月だ。さすがに出先で産気づいたら、ということで来ない。なので今年は見送ることになった」
予定通りなら、一月には卯月家に待望の第一子が誕生するので、それまでは様子見だという。
朱里の赤ん坊は順調だそうで、このままだと予定通り出産になる可能性が高いらしいが、いかんせん初産である。予測不可能な事態はいくらでも考えられる。
少し残念ではあるが、仕方ないところだろう。
「じゃあ、一昨年みたいに、和樹さんと二人で食事だけでも、どうでしょうか」
「白雪がいいなら、俺は構わないが……」
「はい。ぜひお願いします。二十四日……日曜日でいいですか?」
「分かった。じゃあそれで。場所は……こっちでいいか?」
「はい。あ、和樹さんがうちがいいなら別に……」
「いや、こっちでいいよ。あの広さはどうも気後れする」
「その気持ちは、分かります」
思わずクスクスと笑ってしまう。
その様子に、和樹もまた笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十二月二十四日。
その日、白雪は朝ごはんが終わってすぐに、和樹の家に来ていた。
お昼は軽く済ませる予定で、パスタとサラダだけである。
その後、時間のかかる夜ご飯の仕込みも行う。
今日のメニューはクリスマスらしく洋風。
一通りの料理が終わり、気付くと外はもう暗くなっていた。
和樹と二人、料理をテーブルに並べていく。
「……これ、もしかして……」
「覚えていてくれましたか。はい。二年前のメニューと同じです」
まだ、和樹との距離が今ほどではなかったあの時。
ただ、あのクリスマスは確実に距離が縮む一助になってくれた。
その思い出のクリスマスの料理を、そのまま再現したものだ。
「既視感があるから覚えていたが……白雪も覚えているんだな」
「単に習慣なのですが、作った料理をずっとメモして残しているんです。課題があったらそれと一緒に」
昔はノートを使っていたが、今はスマホで済ませている。
別に材料まで記録はしていないが、何を作ったか、というのは実はずっと残しているのだ。文字通りメモ程度だが、ちょっと自分で上手く行かなかったかな、と思った時はそれもメモに残しているし、ローテーションがマンネリ化するのも防げる。
「言われてみれば、時々写真も撮っていたな。俺とかは上手く行った時になんとなく残してたことはあるが……」
「そういう意図もありますよ。もっとも、こういう役立て方したのは初めてです」
いくら思い出の食事とはいえ、二年前の内容を正確には覚えていなかったが、メモが全部残っていたので問題なく再現できた。
というよりは、多分あの時よりさらに美味しく出来ている自信がある。
「さあ、いただきましょう、和樹さん」
「ああ。そうだな……それじゃあ」
二人で席に着くと、お互いのグラスに飲み物――もちろんノンアルコール――を注ぐ。いつの間にか、パソコンからはクリスマスソングが流れている。
そして二人でグラスを掲げ――。
「メリークリスマス」
二人の声が同時に響いた。
「うん、もう何回言ったか分からないが、本当に美味しい。ありがとう、白雪」
「私こそ、美味しそうに食べてもらえるのは本当に嬉しいです。和樹さんには、特に」
「そ、そうか」
和樹が少し驚いたようになる。
少しは戸惑ってくれたのだろうか。
「それにしても……もう二年以上か。白雪の料理には驚かされ続けている気がする」
「光栄です。私も美味しいと言ってもらえるのが、こんなに嬉しいことなんだって、この二年で本当に思いました」
和樹だけではない。
雪奈や佳織、卯月家の二人や友哉、俊夫たちに食べてもらって、率直な感想は本当に嬉しいと思えている。
それは、白雪が本当に好きな人たちだからだろう。
「美味しいな……二年前より、美味しくなってないかな、多分」
「ありがとうございます。多分そうかな、と私も思います。人のために作り続けることで、上達しているのかもしれません」
最大の違いは、籠めた気持ちだろうと思う。
好きな人に食べてもらう食事なのだ。
あの時と今では、その心境はあまりにも違う。
食事が終わって、一息つくと、二人でテーブルを上を片付けた。白雪はキッチン側に立つ和樹に次々と空いた皿を渡していく。
「コーヒーと紅茶、どっちにする?」
確か――二年前はコーヒーだった。
「コーヒーでお願いします」
「分かった」
和樹がコーヒーを準備する間に、冷蔵庫に行ってケーキを取り出した。
これもまた、二年前と同じ――ブッシュ・ド・ノエルである。
「これも二年振り、か」
「はい。前より美味しくできたという自信があります」
「まだ上達するんだからすごいな……期待させてもらおう」
「はい。期待してください」
思わず二人でクスクスと笑う。
和樹がコーヒーを淹れて、白雪がケーキを切り分けた。
「それじゃ、いただくね……」
「あ、待ってください」
白雪の言葉に、和樹が怪訝そうな顔になるが、それに構わず、白雪は和樹の前にあるケーキにフォークを入れて、小さく刺す。
「し、白雪?」
「家族ですし、またダメですか?」
あの時は初めてやって本当に恥ずかしかった。
ただ同時に、本当に――嬉しいと思えたのだ。
多分もう、こういう機会はない。
だからこれは、今日絶対やると決めていた。
しばらく固まっていた和樹が諦めたようにケーキを口に入れる。
そして当然とばかりにお返しがされてきたのを、白雪は迷うことなく口に含んだ。
「ふふ。ありがとうございます」
前ほどには恥ずかしくはない……ということはない。
ただ、それ以上に嬉しさが優る。
誕生日の時と違って、今度はちゃんとその余韻まで感じることができた。
恋人同士ではなく、家族だとしても、今この場で和樹と一緒にいられることが、何よりも嬉しい。
「あまり外では……まあ友人同士ならいいだろうが」
「大丈夫です。男性でやるのは、和樹さんだけです」
「それはそれで……いや、もういいが」
白雪は満足したので、席についてケーキを食べ始める。
和樹もなにやらため息を吐いたが、その後はいつも通りになった。
「さて、と。定番だけど……せっかくこんな日だからな」
和樹が立ち上がると、なにやらきれいにラッピングされた袋を持ってきた。
期待していなかったわけではないが、やはり嬉しい。
「クリスマスプレゼントだ。今思えば、二年前のボールペンって、女子高生にあげる物ではなかったよな……とは思うが」
「いえいえ。嬉しかったですし、今も大事に使わせていただいてますよ。とても便利でしたし」
そう言いながら、渡された袋を手に取ると、意外に重い。
和樹に確認して、中を取り出すと、ちょうど宝石箱くらいの大きさの箱が出て来た。なんだかわからない。
紙箱を開けると、中から出て来たのは、木製の箱。
大きさは高さが五センチちょっと、横に二十センチほど、縦に十センチほどというところか。
なんだかわからないが、開くように出来ているようなので開くと――。
「オルゴール……ですか?」
「ああ。少しいいやつだが、その分音がきれいなんだ。曲は定番のものだが」
オルゴールといえば、小さな装置を想像するが、これは箱一杯に入っている。大きさが全然違って驚いた。
箱の底にゼンマイが付いているので、それを回してみると――驚くほど豊かな音が流れた。曲目は定番の『トロイメライ』だ。
「すごくきれいです……私の知るオルゴールとは全然違う……」
音の複雑さも音程の豊かさもまるで違う。
しかも、途中から曲が切り替わった。かなり複雑な機構らしい。
「喜んでもらえて何よりだ」
「はい、とても嬉しいです。ありがとうございます」
それから白雪は、オルゴールを置いて自分の荷物を取り出す。
「はい、私からも」
和樹が紙袋を渡されて、それを開く。
出て来たのはセーターだ。ただし――。
「……まさかこれ、手編み?」
「はい。去年のリベンジです」
「いや、いつそんな時間があったんだ。勉強してたんじゃ……」
「勉強しながらですよ。今時、映像学習なんて当たり前ですし。編み棒って慣れると逆に集中できるんです」
半分事実だが、半分は誇張がある。
確かに、同じことを繰り返す時は良いのだが、うっかりすると編み過ぎて長くなりすぎたりする。
それで何回かやり直したりもしたが、いい気分転換になっていたのは事実だ。
和樹の家ではやっていなかったが、いつも夕食後は帰宅する。
だいたい夜の十一時くらいまでは、いつも映像を流しながら編み続けていたのだ。
「まあ、白雪がいいなら……うん、凄いな。サイズもちょうどいい」
和樹が早速着てくれた。
グレーの、少しの刺繍が入った程度のセーターではあるが、自分で編んだものを着てくれているのは、やはり嬉しい。
「調整が必要だったら言って下さいね。何とかできると思うので」
「いや、大丈夫だろう。本当にありがとう」
「どういたしまして」
ふと時計を見ると、もう十時を過ぎていた。
さすがに、もう遅い。
「それでは……あ、そうだ。和樹さん、年末年始って帰省されます?」
「多分正月には帰らないと思う。美幸が友達を連れて行くと言ってたので、むしろ時期を外すつもりだ。なので、年末年始は家だ」
「あの、私も今年は帰省しないんです。なのでまた……」
「分かった。大晦日、また一緒に年越し蕎麦食べるか」
「はいっ」
何も言わなくてもそう言ってくれたことを、白雪は心底嬉しく思っていた。