第106話 推薦入試
バスを降りた白雪は、大きく一度、深呼吸をした。
それから、自分が向かうべき方角を見上げる。
その先に見えるのは、いくつかの白い建物と、植生豊かなエリア。
一ヶ月ぶりに来た央京大だが、一度来ていたおかげでその広さなどに戸惑うということはない。
これが初めてだと、この広さではどこに行けばいいかという不安もあったかもしれないが。
時計を見ると、八時二十分。
試験開始は九時なので、時間は十分余裕がある。
午前中に小論文、午後に面接だ。
小論文は最大で十二時半まで使ってもいいという。
ずいぶん時間をとると思わなくもないが、それはこの情報学部の小論文の特殊性故だろう。
何しろ、文字数制限がない。
最低文字数も最大文字数もないのだ。
与えられたテーマに対して、必要なことを書けということなのだろう。
逆に、いかにうまくまとめるかが合否では重要と言える。
敷地に入るとすぐ、おそらくは在校生だと思われる男性が案内に立っていた。
推薦なので当然通常の試験より受験者は多くないが、それでも今日もそれなりの数の受験生が来ているのだろう。
通常の試験と異なり、白雪も当然制服で来ているから、受験生であるのは見た目で分かるのだろうが――。
「あ、えっと、受験生の方ですよね。えと、学部は……」
「はい。情報学部になります」
「あ、情報学部ですか……っと、あ、はい。でしたらこっちの道をまっすぐ上がって、奥の方になります」
「ありがとうございます」
白雪は一礼するとそのまま歩き去る。
男性がわずかに残念そうに見えたのは、果たして気のせいか。
ある意味では、いつも通りの反応の一種なので、白雪は気にしないことにした。
(とはいえ……ああいう反応が煩わしいと思うようになったのは、いつからだったんのでしょうか)
中学高校と、白雪は自分の容姿がもたらす影響を嫌というほど思い知っている。
中にはあの烏丸の様に、勘違いする輩がいたことも、一度や二度ではない。あそこまで露骨に行為に及ぼうとしたのはあの男くらいだが、それは白雪の背後にある『玖条家』という存在を恐れたが故だ。
そういう意味では、両親が健在で、白雪が玖条家に引き取られなければどうなったのかというのは少しだけ考えることもある。
ただ、自分の様な容姿の人間が他に全くいないわけではない。
おそらくそれなりの折り合いをつけてこられたはずだとは思う。
ただ、最近ああいう反応が本当に煩わしいと思うようになっている。
多分それは――自分の気持ちを理解してしまってからだろう。
正直に言うなら、来ないでくれ、とすら思うこともある。
欲しい人はたった一人だけなのだから。
「いけない。余計なことを考えてる場合ではないですね」
白雪は一度立ち止まると、頭を振った。
今は試験に集中すべきである。
以前来たおかげもあって、迷うことなく試験会場に到着した。
試験会場は普通の教室ではなく、パソコンが並ぶ部屋。
試験番号を確認してから席に向かうと、すでに画面には文書ソフトが起動しており、自分の試験番号のファイル名が開かれていた。
これに論文を書け、という事だろう。
部屋には他にも五人ほどがいて、誰もが試験に集中してるらしく、白雪のことを見る人もいない。
座って開始を待っていると、やがて続々と集まってきた。全部で三十人ほどか。
そして、時間の五分前に、試験管と思われる人が入ってきた。
「はい。ここは央京大、情報学部の一般公募推薦試験の小論文試験の会場です。パソコンの手前にある受験番号と、自身の受験票が一致しているかどうか、また、今、全員のパソコンは文書ソフトが起動して、何も書いていないファイルが開かれているかと思いますが、そのファイル名と自分の受験番号が一致しているかどうか、確認をお願いします。違う場合は、挙手してください」
しばらく待つが、誰も手を挙げる人はいなかった。
「大丈夫そうですね。では、試験を開始します。課題は画面に自動的に通知されてきます」
なんと課題それ自体も通知がネットワーク越しらしい。いかにも情報学部らしいと思えてしまう。
「時間は十二時半までとなってますが、途中、お手洗いに行きたい場合は挙手してください。係員がご案内します。また、時間いっぱいまで待たずに試験が終わりましたら、ファイルを保存後、ログアウト処理を行ってください。その後、退室してかまいません」
とはいえ、文字数の上限も下限もない小論文試験だ。
どこまで書けばいいのか、というのすら受験生に任されているというこの自由度は、本当に曲者だろう。
「はい、時間になりました。始めてください」
同時に、画面上にポップアップメッセージが表示された。
それが、仮題らしい。
白雪はそれをよく読みこむと――その画面を横にどけて、キーボードをたたき始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ホントに……美味しい」
白雪はほぼ時間いっぱいまで使って試験を終わらせた。
小論文の骨子だけであれば、一時間半ほどで完成していたのだが、あとはひたすら見直しである。
この辺り、紙に書いた論文では見直しをして、書き直すのも楽ではないが、そこはさすがに便利だった。
実際、最初の書き上げたものと、記述の順番を変えたりして、完成度は自分で満足できるものになっていると思う。
面接開始は一時半から。
試験番号順に呼ばれるので、白雪は二時集合だと言われた。
なので、とりあえずこの学校名物の食堂棟――大きな建物が一棟丸ごと全て飲食店関連だけで構成されている――で食事をしているのである。
見回すと、今日はこの大学の推薦入試を一気に実施してるのだろう。
制服姿の人が非常に多い。
ただ、推薦は通常一校に一人だけなので、つまり誰もが知らない者同士。
さらに言えばライバルだ。
なので、誰とも会話することなく、一人で食事をしている人ばかりである。
(そういえば雪奈さんたちは今頃何をしてるでしょうか)
白雪は試験で学校を休んでいる――もちろん公休扱い――が、当然高校は普通に授業をしているはずだ。
といっても、三年のこの時期は受験対策の授業になるケースも多いが。
元々、まともに授業があるのは十二月までだ。
一月からは、授業はないに等しい。
試験が本格的に始まる人も多いのだ。
白雪が今食べているのは、中華風の定食。
餃子と焼売、それに野菜炒めとご飯とスープ。量も十分にあるのに、これで四百円は安い。
どう頑張っても、作ったら材料費だけでこの金額になりそうだ。
もちろんこの分量ならそうではないのだろうが。
(お昼ご飯ってお弁当作る意味あまりなさそうですね……)
前日の残り物があればいいが、ない場合は無理に作る理由がなさそうだ。
もちろん、合格すればだが、今回の推薦がダメでも一般試験でもチャンスはある。
模擬試験での合格率は八割に達していて、白雪自身、自信はある。
無論これで終わってくれる方が助かるが。
すべては、この後の面接にかかってると言っていいだろう。
(何を聞かれるのか……ですが)
面接対策は学校の内外含めて色々参考にしたが、央京大の情報学部に関しては情報が少ないのに加え、担当によってかなり違うらしく、参考になる情報はほとんどなかった。
総じて、面接の基本である嘘をつかないこと、どうして志望したのかなどをはっきり言えるようにしているしかないという話になってしまう。
ふと時間を見ると、一時半近い。
二時に集合だからまだ余裕はあるが、そろそろ戻っておこう。
周りを見ると、面接の手引き書を読みふけっている人もいれば、やることをやり切った、という感じになっている人もいる。
自分もどちらかというと後者だろうか。
情報学部棟に戻ると、あてがわれた部屋で一人佇む。
やることが特に何もないので暇だが、かといって緊張からか、眠くなるということもない。
想定問答などを考えておくべきなのだろうが、何を言われるか分からない以上、あとは運を天に任せるしかないだろう。
そうしているうちに、気付けば白雪たちのグループの順番になった。
そして――。
廊下に並べられた椅子に座ったのは五人。
女子は白雪一人だけ。
他の男子生徒は、その時になって白雪に気付いたようにしてから驚いた様子だが――これで集中力を乱したら悪いな、とちょっとだけ思ってしまった。
そうしてると、部屋から面接が終わったであろう学生が出てくる。
様子を窺いみるが――よくわからない。
「では、次、受験番号――」
呼ばれた白雪は、立ち上がると「はい」とだけ答えてから教室に入った。
通常は会議などに使う部屋なのだろう。
大学は机が固定されている教室が多いが、ここの部屋は机が動かせるらしい。
正面に三人ほどが、長机に並んで座っている。
中央の男性はおそらく五十歳以上。びしっとしたスーツを着こなしていて、おそらくこの人がメインだと思われた。
両サイドは、どちらも三十歳過ぎというところか。
「失礼いたします。受験番号――」
自分の受験番号に続いて、名前を名乗る。
それを確認してから、正面左側の人が、「着席してください」というので白雪はゆっくりと着席した。
その様子に、両側の人が少し感心したようになる。
(こういう所作は――就職では有利とは聞きますが)
大学の推薦入試ではあまり関係ない気はするが、印象は悪くはならないだろう。
「ようこそ、玖条さん。では、早速面接を始めたいと思う。まずは――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お疲れ様、白雪」
「はい。とりあえず、やれるだけはやったと思います」
無事試験が終わり、帰ってきた白雪を、和樹が食事を用意して出迎えてくれた。
面接が終わったのが三時前。
一度学校に寄って、試験が終わったことを報告して、帰宅したのが五時過ぎ。
和樹に事前に帰る時間は聞かれていたので、学校に寄ってからだからと言っていたところ、そういう準備をしてくれていたらしい。
何のかんの言って、一日出かけていたに等しく、また、気疲れしていたのでこれは本当にありがたい。
「ありがとうございます、和樹さん」
「まあ疲れてるだろうと思ってね。今日ぐらいはゆっくりしていいんじゃないかな」
「はい、そうします」
もちろん一度家に帰って、お風呂などは済ませている。
今の時間は六時過ぎ。
明日は学校は休んでもいいと言われてはいるが、行くつもりではある。
せっかくの高校生活を無駄にしたくない。
「どうだった、試験や面接は」
「小論文は……大丈夫だと思います。事前に抑えていたテーマだったので、うまくまとめられたかと思います」
小論文のテーマは、『今後人工知能が社会に与える影響と活用法について』だ。提示されたいくつかの事例、および自身の知見などから論ぜよ、というもので、ちょうど興味があって調べていたことを最大限活用できた。
面接は志望動機や高校での活動について聞かれたが、こちらも特に問題はなかったとは思う。
同時に、生徒会長をやっていたというのはかなりのアピールポイントになった。
このためだったわけではないが、今にして、白雪を生徒会長に推薦してくれた征人にはお礼を言いたくなる。
生徒会長をやっていなければ、学生時代の活動についてアピールできたか言われると、ちょっと自信がない。
「面接担当の人は、どんな人だった?」
「えっと……三人いらして、真ん中の人は五十歳以上だとは思います。びしっとスーツを着こなしていて、なんかいかにも『教授』って感じでした」
「……へぇ。なるほど」
「和樹さん?」
「いや、なんでもない。他の二人は?」
「ええと……」
そう言いながら、多分和樹は当該の人物について心当たりがあったのだろうと推測できた。
とはいえ、和樹もそんな不正などするタイプの人間ではないのは分かってるし、白雪ももちろんそれを望まない。
「受かってるといいな。発表は?」
「年内に出てくれると助かるのですが……年明けになると言われてます」
合格通知はメールで来る。
予定では一月五日だが、少し前後する可能性はあるという。
合格したからと言って、その先の保証があるわけではない。
むしろ、その先についての方が問題は遥かに大きいが――。
それでも、まずは一つ、大きな山場を越えたことに、白雪は安堵していた。