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長男と次男、そして親父

 ある日、次男が小百合に怒られていた。


「ごめんなさいって言いなさいっ!」


「はいっ!」


「ごめんなさい、はっ?」


「はいっ!」


「はいじゃないの! ごめんなさい!」


「はいっ!」


「ごめんなさい!」


「はいっ!」


「ごめんなさい!」


「はいっ!」


 途中から、「小百合が」必死になって「次男に」謝っているように聞こえてきて、僕とロッキーは必死に笑いを堪えていた。


 このころ、二歳になる次男は、何でも「はいっ」と元気よく返事をしたら、すべての問題は解決すると思っている年頃だった。


 小百合と次男による「ごめんなさい!」「はいっ!」というやり取りは何とか我慢できていたのだが、途中でチェリーが参戦したあたりで、僕とロッキーの堤防は瓦解した。


「ごめんなさいっ!」


「はいっ!」


「ワンっ!」もしくは「ワオーンっ!」


 もう、笑うなという方が無理という話だった。結果、僕とロッキーも一緒に怒られた。


 またある日のこと、僕は庭で草むしりに精を出していた。


 広い庭だと、草むしりもけっこうな重労働になる。特に、春から夏にかけて、雑草は猛烈な勢いで成長する。人間が生まれてから十歳になるまでの成長速度を、たった一ヶ月に凝縮したかのようなスピードだ。


 よって、僕らはその手間を少しでも省くために、駐車場にしているスペースには大枚はたいてコンクリートを流していた。


 それだけでも随分と違うのだが、家屋の周りや畑などは、やはり手作業で抜かなければならない。


 うんざりするような暑さの中、僕は休日返上で草むしりに勤しんでいた。


 居候の身である。社会人になってからは草抜きなどやったことが無かったが、文句は言えない。


 そこへ、三輪車に乗った次男がニヤニヤしながらやって来た。


 こういう時の次男は、たいていロクなことを考えていないと相場は決まっていた。僕は嫌な予感を覚えながらも、草むしりに勤しむ父の背中を見せるために黙々と作業を続けていた。


「からすの、ぬけがら……」


 次男の言葉につい振り向くと、そこには先ほどと全く同じ姿三輪車に乗っている次男がいた。少し考え、カラスは脱皮しないということに気付いた僕は仕事に戻った。


 なぜ次男がそう言ったのか、僕には未だに謎であるが、いちいち本気で謎解きをしていたらキリがない。


「邪魔するな。パパは忙しいんだ。暇なら草を引けよ。草を引くのを手伝ってくれ」


 すると次男は、三輪車で雑草を「ひいて」行った。


「ほら、ひいたでしょ?」


 得意げに言われ、僕はもう何を言っていいやら、黙り込むしかできなかった。


 またある日。「うんち」という一言と共に、小百合と一緒にトイレへ出かけて行った次男であるが、ものの十秒もしないうちに「ママー!」という大絶叫が聞こえてきた。


 ちょうどその場に居合わせた僕は、慌てて廊下に飛び出し、トイレへ向かった。


 異常を察したのか、チェリーとメープルも付いてきた。すると、トイレのドアの向こうから、噴水のように水が噴出しているのが見えた。


 それを見た小百合が、半狂乱になりながらトイレへ突っ込んで行っていた。


 どうやら、次男はウォッシュレットのボタンを押してしまったようだ。気持ちは分かる。ボタンがあれば押してみたくなるのは自然の心理だ。それに、ウォッシュレットは別に押してはならないボタンではない。


 工場に勤務している僕の同級生から聞いた話なのだが、最近、彼の職場に不思議な人がやって来たという。


 新人の彼に向かって「この赤いボタンは絶対に押さないでください」と教えた瞬間、「これですか?」と言いながらポチッと押したらしい。


 おかげで機械が止まって大幅に遅れが出ることになり、教育係であった彼は上司にコッテリ絞られたという。彼は「俺にいったいどうしろと言うんだ?」と嘆いていた。


 ちなみに、問題の新人は一ヶ月かそこらで「忙しくなったので、辞めます」と言って、去って行ったらしい。退職願をしたためた封筒には、「寿」の文字が輝いていたとのことだ。


 そんな話はともかく、同級生が勤務している工場の赤いボタンとは違い、我が家のウォッシュレットは、押したところで別に問題はない。


 むしろ、押すことを目的に作られている。だが、この場合、問題になったのは、次男がまだ成人サイズに成長しきっていなかったということだった。


 ウォッシュレットのノズルは、完全に目標を通過し、何の的も存在しない天井へ向かって、温水を一気に噴き上げた。


 その結果、トイレの床から廊下、廊下の壁までもが水浸しになってしまったのだった。小百合いわく。


「いやー、もう、焦ったわー。だってさあ、ママーって言ってくるのはいいけど、まだウンチが出てるし! 水がワシャーって噴き出てるし! こっちもパニックになってさー、とりあえず水を手で押さえるじゃん? そしたら全部、子供にかかるんよね。子供もパニックなって、ママっママって大暴れで、水を止めようにも止められないし、チェリーとメープルはウォッシュレットの水を舐め始めるし、旦那は気絶してるし。もう、最悪やったー」


 またある日のこと。


「ちょー、聞いてー。今日さあ、昼過ぎに二人で昼寝しとったんよねー。そしたらさー、気が付いたら子供がおらんのー」


 会社から帰って来てまったりしていた僕に、小百合は何の前触れもなく語り始めた。


「びっくりしてさー、探すじゃーん! だってさあ、気が付いたら寝ててさあ、ああっと思って起きたら子供がおらんのやけん! でさあ、探したら台所におったんよー」


「台所に?」


「そう! それでさあ、コンロの下のところから油を出して来たみたいでさあ、床にぶちまけてたんよー! もう、信じられるー? それだけじゃないんよね! 油の上にさあ、インスタント・コーヒーまで撒いてね! でねえ、油って滑るじゃーん。なんか、本人も立てないみたいでからさあ、生まれたての小鹿みたいにプルップルしながら、ママ……、ママ……って呟いてんのー。もう、どうしようかと思ったー」


 僕は曖昧に笑った。


「それだけじゃないんよ! あの子さあ、うちの化粧品でイタズラしまくったみたいでからさあ、顔が落書きみたいになってんのー」


「顔が落書き……」


 落書きされた顔というのなら分かるが、顔が落書きそのものだというのは初めて聞いた。


「でさあ、もう、信じられんけー。うちの買ったばっかりのファンデがバラバラに割れてるし、口紅とかエグレてるし、シャドウなんかアイラインのペンシルで掻き回されたみたいで、全部真っ黒になってるし! 畳のお部屋はドロドロになってるし!」


 ほら見て、と差し出された携帯電話のディスプレイには、首から上だけが妖怪になった次男が映っていた。


 次男にしてみれば、小百合が毎朝、真剣に鏡に向かってしていることは、妖怪への変化に思えたのかもしれないと思うと、少し笑えた。


 またある時、下半身丸出しで逃げ回る次男を、パンツを持った小百合が三十分近く追いかけていたこともある。


 穏やかなゴールデンウィークの午後、市街地の大型ショッピング・モールでの出来事であった。ちなみに、僕は他人のフリをしていた。


 またある時、次男は起床と同時に寝室から猛然と駆け出して行ったことがあった。


 僕はほとんど夢の中で、その行動を認識していた。ややあって、彼が再び戻ってきた時、やたら甘い匂いが鼻についた。


 はっとして目を覚ますと、口の周りをチョコレートでベタベタにした次男が、布団の中でニヤニヤしていた。


 前日、夕飯が食べられなくなるからという理由で、子供たちは祖父母に(僕から見れば義父母に)買ってもらったチョコレートアイスを、取り上げられていたのだ。


「アイス、食ったの?」


 僕が聞くと、次男は天使のような笑顔で微笑んだ。


「食べてないよ」


 僕は「そっか」としか言えなかった。それから約三時間後、冷凍庫を開けた長男が絶叫した。


「僕のアイスがないっ!」


 今現在ようやく三歳になろうとする次男は、こういったエピソードに事欠かないのだが、長男の方は次男と喧嘩している時以外は、成長するにつれてひとりでプラレールに没頭していることが多くなっていった。


 部屋に黙々と作り上げられていくトミカ・タウンを目の当たりにして、僕は子供の創造性(あるいは想像性?)に驚かされることがしばしばあった。


 思えば、レゴやブロックに夢中になって、何と言うこともない長方形や正方形、円形から、ロボットや動物、乗り物など、無限に創造して行く力は子供ならではなのではないだろうか。


 僕の子供は二人とも男なので、女の子の場合がどうなのかは分からないし想像つかないのだが、大人になった今現在、子供と同じ熱心さで自分の世界を創造していけるかと聞かれると、やはりできないと答えるだろう。


 そう言えば、僕も子供のころはひとりでプラモデル作りに没頭してることが多かったことを覚えている。子供時代と言っても、記憶にはっきり残っているころのことなので、おそらくは小学校低学年かそこらの話だ。


 母親の話によれば、もっと小さいころはプラレールやブロック、レゴを使って遊んでいたということだが、あまり覚えてはいない。


 学校から帰って来て、適当に宿題を済ませ、ひとりで黙々とプラモデルを作り、窓ガラスの向こうの夜空に宇宙を思い浮かべながら、戦争ごっこを楽しむ。


 今思えば、あのころの自由な時間がとても懐かしい。


 大人になった今に比べて、子供のころはもっと一日の時間がたくさんあったように思える。


 今も昔も、おそらく恐竜が生きていた時代でさえ、一日は二十四時間で、一年は三六五日だというのに、時間とは不思議なものだ。


 子供のころの午後四時と言えば、これから「遊ぶ」時間だ。大人になった今の僕にとっては、午後四時と言えば、もうすぐ仕事が「終わる」時間だ。残業や雑務などがあるので、とりあえずということであるが。


 一方、午後五時となると、子供時代は家に帰らなければならない時間を意味している。午後五時とは、子供にとって一日の終焉を意味する時間だった。


 だが、大人になった僕からしてみれば、午後五時は仕事が終わって、プライベートの時間が「始まる」時間だ。無論、午後五時に会社を出れることなど、滅多にないのだが。


 子供時代は昼が長く、夜が短い。一方、大人になってからは昼が短く、夜が長い。


 いつのころから、時間についての感覚が変わっていた。その変化はゆっくりと訪れ、僕自身さえ気付かないまま、子供時代を過去のものへと置き去りにしてしまっていた。


 しかしながら、こうして自分の子供がやること、言うことを聞いていると、失ったはずの過去の感覚が戻って来ることがある。


 もちろん、かつて感じていた感覚がそのまま戻ってくるという意味ではない。


 恐竜を初めて見た時、子供時代の僕は感激した。アパトサウルスだったことを今でも覚えている。


 同じように、アパトサウルスの化石を何かのチラシで見て興奮している長男を見て、僕は自分が感激したこと、その時に感じた胸の高鳴り、そういったものを思い出すのだ。


 仮に今、アパトサウルスやティラノサウルスの本物の化石を目の当たりにしたところで、おそらく子供時代と全く同じ感激は決して得られないはずだ。


 そして、風呂上りにビールを飲んでいるときのこと。ビールを飲んでいる僕を興味深そうに眺めている子供たちを見て、僕は自分もまたビールを飲んでいる父を興味深く眺めていたことを思い出す。


 ただビールを飲んでいるだけでは、親父のことなど思い出すことはなかったというのに。


 そういうことを考えていると、親父が風呂上りに纏わり付かせていた石鹸と酒の匂いが交じり合った独特の匂いまでもが蘇ってきて、ひどく懐かしい気分にさせてくれる。


 プラモデルにばかり夢中になっている僕に向かって、もう少し友達を遊ぶことを覚えろ、と父はよく僕に言っていた。


 一方、僕はプラレールやブロックにばかり夢中の長男を心配して「もう少し、友達と遊ぶ機会を作ってやったらどうだろうか」などと小百合に相談している。


 子供時代、プラモ作りを邪魔してくる親父が鬱陶しいとさえ思っていたが、今になって親父の気持ちが分かると、何だか微笑ましいような気分になる。


 あまり友達付き合いが得意ではない長男を心配していた僕であったが、幼稚園の年中に上がるころには、そんな心配はあっさりと無くなった。


 ニンテンドーDSの登場である。僕らが見てないところで、しっかり友達を作っていた長男は、その友達経由でゲームのおもしろさを学んできた。


「最近は幼稚園児でもゲームするのか」


 小学校高学年に上がって、ようやく自分のスーパーファミコンを買ってもらえた僕は、今時の幼稚園児が少々羨ましかった。


 ポータブル・ゲームと言えば、僕の時代はゲームボーイ全盛期だ。かつてのあのドッド画面からは考えられないほど綺麗な液晶に感嘆し、ゲームに夢中になっている長男の手元を、僕はつい夢中で覗き込んでしまっていた。


 その顔を、小百合に携帯で撮影され、家族間でしばらく笑われた。


 長男がゲームに夢中になったあたりから、我が家には幼稚園の友達が頻繁に遊びに来るようになっていた。


 リビングの一画では子供たちが円陣を組んでゲームに夢中になり、別の一画ではママさんたちが円陣を組んで噂話に夢中になっている。


 その光景は、僕自身が友人たちと円陣を組んでゲームに夢中になっていたころにも、存在していた。


 僕が小学生のころには、スーパーファミコンを持っている同級生の家に大挙して押し寄せていた。


 友人の母が、笑顔の裏で本当は快く思ってはいないのだろうということは何となく察しがついていたのだが、スーパーファミコンを持っているのは、同学年のうちではその家しかなかったのだから、仕方が無いと思っていた。


 午後五時まで、僕らは、同級生の家で彼の母親が作っている夕食の匂いを嗅ぎながら、テレビ画面に目を釘付けにしていた。


 そして五時のサイレンが鳴ると同時に、友人の母親がやや厳しい口調で、


「今日は終わりよ。帰りなさい」


と言ってくる。僕らはそれぞれもっともらしいことを言いながら、少しでも長い時間、その場に居座ろうと必死だった。


 しかし、友人の母親が完全に怒りモードに入るまでには、全員が席を立つことにしていた。


 そしていったん頭の中が「帰るモード」になると、急に腹が減ってくる。自分の家そのものが恋しくなる。


 中学生になると、その後も道端で友人たちと無駄に語り合っていることが多かったが、小学生時代は、空腹が優先され、自転車を漕ぐ足に力が入ったものだ。


 頭の中が「ゲームやりたいモード」になっているときは、一秒でも二秒でもいいから長く、友人宅に留まりたいと思っていたのだが、いったん帰るモードになった瞬間、それまで何にも代えがたいほど魅力的だった友人宅が、単なる他人の家になってしまう。


 午後五時になったから帰るよ、と母親たちに諭され、幼稚園児たちは当然のように「まだ遊びたい」と主張する。


 それでも、母親たちはあの手この手で子供を連れて帰っていく。


 帰るときには大泣きしていた息子の友人たちであるが、おそらく家に帰ることには夕飯のおかずの方が重要事項として認識されているはずだろう。


 僕はそんな子供たちを見ながら、僕が子供のころ、まだ遊びたいといっては駄々をこねる自分を父が何ともいえない顔で見下ろしていたことを思い出す。


 父が子供のころ、どんな遊びをしていたのか、僕はまるで知らない。父が「昔はあのあたりは田んぼだった」と、今時のオシャレな家を指しながら言っていたり、川にかかった橋を指差しながら「あのころにはまだ橋が小さくて」などと言っていたことは、かろうじて覚えているのだが、遊びに関しては教えてもらった記憶がほとんどないのだ。


 僕自身、長男にも次男にも、自分が子供のころ夢中になっていた遊びを教えようとはしていない。父もまた、僕と同じ心境であったのかもしれないと、今では思う。


 もしかしたら、父も僕に向かって自分が子供のころ夢中になっていたものの話をしてくれたことがあったのかもしれない。


 しかし、おそらくそれは僕にとって退屈なものであったのだろう。だから覚えていないのだ。


 何となく「今時の子供」である我が子たちに、化石を見るような目を向けられるのが嫌で、敢えて積極的に子供に昔の話をしようとはしていないという部分もあるかもしれない。


 社会人として仕事に忙殺されていると、亡くなった父親のことを思い出す機会さえ無くなってしまっていたのだが、不思議なことに、自分の息子を見ていると、自分の父を思い出すことが多かった。


 いずれ、今はまだ小さい息子たちも、大人になって父親になる日が来るかもしれない。


 その時に、彼らもまた僕のことを思い出してくれるのだろうか。そう思うと、なんだか照れ臭い気分になった。


 そして、僕はこうやって親父のことを思い出しては懐かしい気持ちになっているとき、葬儀のときにはできなかった、本当の意味での弔いをしている気になるのだった。

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