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【裁き】

正義とは、なんだろうか。


人を救うことだろうか。

人を裁くことだろうか。

あるいは、誰かによって「正しい」と教えられた事を、疑わず信じ続けることか。



悪とは、なんだろうか。


人の心を傷つけることか。

人の命を奪うことか。

それとも、誰かにとって都合の悪い存在のことをそう呼ぶだけなのか。



もしそうなら。



正義や悪とは絶対的なものではなくその誰かによって決められたルールに過ぎないのかもしれない。



ただ一つだけ、確かなことがある。


この世界は、私達の知らないところで静かに人を選別している。


(そして──私はその側にいた)



ーーー


港の外れには倉庫街が広がっている。夜になるとそこは昼間の喧騒が嘘のように静まり返る。

得てしてこういう場所は、犯罪の温床となりやすい。


その静寂の中を、一人の少女が歩く。


漆黒のコートを見にまとい、月の明かりに照らされた銀髪が輝く。


彼女の表情からは何の感情も見えない。


赤い瞳がキラリと光る。呼吸の乱れや、視線にぶれはない。素人目にはただ近所を散歩しに来たように見えるかもしれないが、そこには一瞬の隙すらない。


偶然居合わせた野良猫が物陰から彼女を見つめる。

だが、何かを察知した野良猫は逃げ出すようにその場を去った。


潮風が冷たい。


しかし、少女の歩みには一切の乱れはない。


[侵入ルート、確保済み]


耳元にいつもの通信が届く。この声がスタートの合図だ。あとはいつも通り指示に従うだけ。この作戦は限りなく完璧に近いのだから。



倉庫の裏口。


鍵はもうすでに開いていた。


この銀髪の少女はコードネーム《アイリス》。

かつてはその世界で知らぬ者はいないと言われるほどの、一流スパイだった。

だが今の彼女は、もう“スパイ”ではない。


任務ではなく仕事として暗殺を行う、殺し屋だ。


扉を開け、音を立てることなく中へ侵入していく。

指示されたルートをただ歩いて進んでいくのみ。監視の目などはまるで気にする素振りがない。

誰にも気づかれることなく目的地まで辿り着く。


中は、空気が違っていた。

鉄と薬品の匂いに加え、人の気配もある。


薄暗い倉庫の奥には錆びついた鉄格子の檻が、壁際にいくつも並んでいた。

その中にいたのは、もちろん動物なんかじゃない。

そこにいたのは十歳にも満たない子どもから、ようやく十代に入ったばかりの少年少女まで。

子供たちは痩せ細った身体で俯いて下を向くか、全てを諦めたかのような虚な目をしてただ座り呆けていた。

互いに寄り添うように身を支え合う幼い兄妹の姿もあった。

私が最も敬愛する我が祖国ではこんなことが平気で行われている。スパイの時では見ることができなかった当たり前の光景を今確かに見ている。


アイリスが檻に近づくと、何人かがゆっくりと顔を上げた。だか特に助けを求めるわけでも、泣き叫ぶわけでもない。ただ、その目だけが無気力に彼女を視界に入れていた。

声を上げれば殴られる。

泣けば食事を抜かれる。

抵抗すれば、誰かが見せしめにされる。

そんな日々を繰り返してきたのだと、一目で分かる目だった。


そんな沸き立つような怒りをグッと堪えて冷静さを取り戻す。

倉庫の中に目をやるとそこには数人の男の姿が見えた。


「……ここか」


アイリスは男達に向かってゆっくりと歩き出す。

その歩き姿には一切の迷いはない。


最初の男が気づいたときには、もう遅い。


「──誰だ!」


声が上がるより先に、乾いた弾丸の音が倉庫内に響いた。

弾丸は額を貫き男はそのまま崩れ落ちる。

静寂は一瞬で終わった。


「侵入者だ! 上だ!」


その一つの叫びと同時に、複数の足音が一斉に動き出す。

男達は銃を構え臨戦体制をとる。そして、銃声がした方へと視線が一斉に集中する。

だが、そこには誰もいない。


アイリスはすでに別の位置にいた。

最初の射線から外れた死角。

気配も音も何もかもを消して移動した。

そして殺意は最小限。


「上だ、気配が──」


言葉が途切れる。


次の瞬間、別方向からまた短い銃声。

倉庫の照明に照らされた影は男達には捉えることはできない。一人、また一人と倒れていく。

誰も“何にやられたのか”を理解できない。ただこのままやられる訳にはいかない。


「出てこい!どこだ!」


焦りが広がる。

だが焦りは、判断を鈍らせるだけであり、アイリスからすればそれは好都合だった。

そんな男達を上から見下ろしていたアイリスの動きは止まらない。


瞬きをした瞬間には、別の影へ移動している。

銃声は短く、正確で、無駄がない。

銃声が鳴るたびに戦況は終わりへ向かっていく。

やがて最後の一人になったが、その男は武器を捨て跪き命乞いをした。


「頼む……何でもするから命だけは…!!」


返答はない。

男はただ恐怖で体の震えが止まらなかった。再度命乞いをしようと声をあげようとした瞬間、


「あなたは、今まで一度でもそのお願いを聞いてあげたことがあるの?」


その言葉が男の最後の言葉となった。

さっきまでと同じ短い銃声がこだまする。そして、引き金が静かに引かれる音だけが返る。


アイリスは息の乱れもなく地上へ降り立つ。

そして周囲を一度だけ見渡す。


全てが終わっている。

そして、視線の先に──檻が並んでいた。

通信が入る。


[予定通り]


たった一言。

そこには感情も、指示もない。

ただ結果だけが流れてくる。



奥の部屋に入ると壁一面に並ぶ端末と積み上げられた帳簿があった。

開かれた画面には、年齢、金額、搬送先などの情報が書いてある。

画面に並んでいるのは人の名前ではなく“商品”としての記録だった。

アイリスは無言で画面を閉じた。


「……ごめん」


次の瞬間、端末を宙へ投げ銃を構えた。一発の乾いた破裂音が響き渡る。ライターを投げ捨て紙へ引火させてると火はゆっくりと部屋を飲み込んでいく。

そのときだった。


「……助けに来てくれたの?」


小さな声。

振り返ると、檻の中の少女が鉄格子を握っていた。

アイリスは、聞かれた問いに対して優しい表情で言う。


「うん。そうだよ」


それに対して少女は何も言わなかった。

なぜかはわからない。ただ、その瞳はアイリスを追い続けていた。


「早く行きなさい」


アイリスは優しくその人少女に促した。少女はそのままその場を後にした。

廊下の奥では、小さな足音がどんどんと遠ざかっていく。

帰り道には開きっぱなしの檻が、列をつくって並んでいた。


外へ出ると、夜風がさっきよりも冷たく感じた。

静寂は感じられない。子供達の声、そして背後では炎が倉庫を包み込んでいく。

じきここへ人も集まってくるだろう。もちろんそこも抜かりはないだろうが。

通信機が短く鳴る。


[終了]


「了解」


それだけを返し、アイリスは歩き出す。

また新たな悪と立ち向かうために。

今度は他人に決められたものじゃない。自分の決めた正義のために。


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