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剣王と魔術姫  作者: 熢火
剣人-第1章/王城に咲く血の桜
11/38

剣人-救済

お待たせしました。

区切りとなる話です。次話から第1章後半に入ります。


前回までのあらすじ

地下牢に着いたナール達は、防犯システムと思われる《殺戮奴隷》と戦う。圧倒的な戦闘力を有する《殺戮奴隷》に苦戦するが、ナールの機転で一体を倒すことに成功した。

一方ハンネローネは作戦指揮官として、奴隷市場を訪れていた王族のエクニスに呼び出される。

水弾によって頭を吹き飛ばされた奴隷は、鮮血を撒き散らしながら床に崩れ落ちる。


奴隷の剣が届く距離に居たアルフレートは、返り血を浴びていた。


「えげつねぇな・・・。兄さん、剣を生やす以外の魔術も使えたのか?」

「・・・いや、正確にはどちらも魔術ではない」


ナールは後方で、痛みに膝を着いている。


《水槍》によって風穴が開き、中指と薬指の間から割れた左手。右手の人差し指は水弾を撃ち出した反動か、あらぬ方向に曲がり各関節から骨が飛び出していた。


インゴがナールの傷の具合を確認し、すぐに回復魔術の詠唱に入った。

アルフレートも寄って来る。


この時、頭を吹き飛ばされた奴隷を見ていたのは、傷から目を逸らしていたナールだけだった。


「ッ!?」


ありえない。頭を吹き飛ばした。

それなのに、奴隷の体が起き上がる。


腕を使わず、不自然に起き上がった奴隷は、残っていた片手で剣を投擲した。剣が銀色の円盤と化す。


狙われたのは、背を向けているアルフレート。

眼がないはずなのに、剣の狙いは恐ろしい程正確だった。頭を失っても動いているのだから不思議ではない。


「アルッーーーーー」


呼んでも間に合わない。


ナールは、近くまで寄って来ていたアルフレートに右肩から体当たりした。





「君は・・・」

「治安維持局一番隊隊長。ハンネローネ・ベッカーと申します」

「君がか。噂は聞いてるよ。多くの功績を挙げている、と」

「光栄です。殿下」


ハンネローネが(ひざまず)き、こうべを垂れている相手は、豪勢な服を纏った二十代前半の金髪の青年。


エクニス・スタイン・グランドガラは、彼女を見下ろして言った。


「剣の腕はSランク冒険者、ミナヅキにも劣らないと聞いているが?」

「まだまだ。未熟者です」

「そう謙遜するな。君の実力はイェレミアスも認めている」


下衆さを感じさせない好青年らしい話し方で、エクニスは自分の左斜め背後に控えている壮年の騎士を指す。


彼はエクニスの近衛騎士だ。実力は、近衛騎士団の長を務めていると言えばわかるだろう。

近衛騎士団長として恥じぬ装備を身に纏い、凄みを感じる顔つきと衰えぬ眼力、僅かに黒髪が混じる白髪が相まって、歴戦の猛者を窺わせる。


イェレミアスの他にも、エクニスの周りには騎士やメイドなどの従者が多く居た。執事が居ないのは趣向だろう。


「それで?これは何の騒ぎだい?」


エクニスは本題に入る。


「随分と大所帯で詰めかけているようだが?」

「はい。ここの奴隷市場では違法奴隷を扱っていると判明した為、摘発に乗り出しました」

「違法奴隷ね・・・。その証拠は?」

「攫った人々を売っていた。捕らえた盗賊から聴き出しました」


それを聞いたエクニスの眉間に皺が寄った。


「不確かな情報だね。盗賊の妄言かもしれない話を信じて、僕の買い物を邪魔したというのかい?」

「もう一つ。攫われ、奴隷にされた方が脱走しました。治安維持局はその方からの情報と、潜入捜査で得た情報を照らし合わせ、違法性があると判断しました」


ハンネローネの声は落ち着いている。この程度で焦っていては、作戦の責任が伴う隊長は務まらない。


「なるほど。僕も王族として、違法奴隷を扱う奴隷市場を摘発するな、とは言えないね」


エクニスは不機嫌そうだ。

顔を下げてるハンネローネにも、その表情は声から察することができた。


「今日奴隷は買えるのかい?」

「申し訳ございません。合法か違法奴隷かわからない状態です。買うのは控えていただきたいのです」

「違法奴隷だったら困ると?」

「その通りです」

「買うのはたかが数人だけど?」


化けの皮が剥がれてきた。


攫われた人々が奴隷から解放される。それを、『たかが数人』だからと解放を許さない考え。

噂に違わぬクズさだ。


エクニスに買われた奴隷は、死んだ方がマシだと確実に考えると、多くの人々が噂に聞いている。

ハンネローネにしては、何としても買うのを阻止したいところだった。


「どうか、今日のところは」

「・・・良さそうな奴隷を見つけたんだが・・・」


そう言ったエクニスの視線は、自分の斜め後ろへと向けられた。


視線が緩んだのを感じたハンネローネは、少し顔を上げ、エクニスの視線を追った。


「っ!?」


視線は檻の中に入っている奴隷に向けられていた。

奴隷は、膝を抱えて俯いている少女。灰色の髪と同色の毛皮の猫耳と尻尾が、力なく垂れている。


視線に気づいたように、彼女は顔を上げた。

ラウレの深海のような青い瞳が、ハンネローネ達を捉えた。





投擲された剣は、アルフレートを押し退けたナールの左横を通り過ぎようとする。その先には、インゴが居た。


ナールは反射的に剣の軌道上に左腕を出す。

少しでも軌道が逸れれば。その無意識の願いは叶い、剣はインゴの隣の床に突き刺さった。

だが、剣の軌道を逸らすことに成功したナールの左腕は、肘から先が鮮血を撒き散らしながら床に転がった。


「ぐッ!?」

「兄さんッ!」

「ナールッ!」


アルフレートは、痛みに脱力して倒れそうになったナールを支えつつ、右手に持った剣を奴隷に向けた。


「それで死なねぇとか反則だろ!?」


頭を失った奴隷は、血を溢れさせながら歩いて来る。


首輪が奴隷を動かしているのであり、もう死んでいるのかもしれない。死んでも動くなら、四肢を斬り落とすしかないだろう。


「クソッ!インゴ、兄さんの治療にーーーーー」


言い切る前に、通路の奥を塞いでいた氷の棘に、無数の銀線が走る。《氷柱》が砕け散り、残ったもう一人の奴隷が姿を現した。


「ハハハハハッ!いいザマだ!!そこまで損傷させられるとは思わなかったが、お前らも相当消耗しただろ!!」


声の主は、通路の突き当たりで座り込む奴隷商人だ。脂汗をかいた彼の足元には血溜まりができていた。


「インゴとか言うそこの魔術師ッ。俺の脚を治療しろ!そうすれば助けてやる!!」


《水槍》で穿たれた脚の痛みに耐えきれなかったようだ。もう一人の奴隷も使ってインゴを脅迫し、回復魔術を使わせるつもりらしい。


「くそっ、この状況はやべぇな・・・」

「ああ、万事休すだ・・・」


ここで奴隷商人に従っても、治療後に殺されるのは目に見えている。かといって、戦って勝てる相手でもない。

奴隷商人を殺しても意味はなさそうだ。魔術から守ってもらえなかった時点でそれは予想がつく。


だったら、


「インゴ、兄さんを連れて走れ。魔術で通路を塞ぎながらだ・・・」

「馬鹿言うなッ。殿だったら俺がやる!」

「接近されたら終わる奴が何寝言言ってんだ!!」

「っ」


その正論に、インゴは閉口する。


「それに、兄さんがこうなったのは俺が原因だ」


ちゃんと死体を確認しなかったから。せめて首輪だけでも破壊しておけば。


「自殺じゃねぇ、時間稼ぎだ。応援を連れて来い」


言い訳だ。生き残る自信はない。

それでもインゴよりアルフレートの方が適任だ。


「何だ、逃げ切れるとでも思ってるのか!?」


奴隷商人の嘲笑が通路に木霊する。


アルフレートはナールをインゴの方に突き飛ばした。


「行けッ、インゴ!!」


だが、ナールは少しよろめいただけでその場に踏み止まった。


アルフレートは苛立たし気に吐き捨てた。


「早くーーーーー」


しろ、とは言えなかった。


ナールの気配が変わり、その場の空気が凍りつく。

ナールの襟の元から覗く首筋に、鋼色の文様が浮かび上がる。黒いオーラを彷彿させるような禍々しい魔力が溢れ出る。


蛇に睨まれたカエルとはこのことだろうか。圧倒的な存在を前にし、檻の中の奴隷も含め、誰もが呼吸すらできない状態が築き上げられた。奴隷商人に操られていた奴隷すらも足を止める。


ナールは一歩前に踏み出し、アルフレートの隣に立った。表情は俯いていて見えない。彼は左腕を押さえていた右手を奴隷へと向けた。


右手にも、鋼色の文様が根を張り巡らせるかのように浮かび上がった。魔力が集束する。

直後、掌から『剣塊』が生み出された。


長剣、短剣、大剣、刀など一般的な武器から、不合理的な形で戦いには使えないような剣まで。幾千のありとあらゆる形をした剣の集合体。

鉄格子や床や天井を斬り裂き、 二人の奴隷を容赦なく貫く。

斬撃の音は静かだった。あまりの斬れ味に、触れた物体は無抵抗に斬り刻まれた。


奴隷の手足がもげ、『剣塊』を伝った血がビチャビチャと床に滴れた。

殺戮、虐殺、惨殺。


それらに相応しい光景を前にしても、誰も息を飲むことすらしなかった。否、できなかった。

誰かが声を上げることも、呼吸することすらしない。血が滴る音だけが響く異常な静寂が訪れる。


「お前らぁッ!!」


ナールの怒声が静寂を突き破った。

呼びかけで、二人はやっと現実を正常に認識する。


「薄皮一枚で構わんッ!!俺の左腕を今すぐ繋げろッ!!呪いが傾く(・・・・・)ッ」


ナールは全力で、湧き上がる魔力を抑え込んでいるようだった。それでも首筋に浮かんだ鋼色の文様は、少しずつ侵食を続ける。


一人でも苦戦を強いられた《殺戮奴隷》が霞む程、もっとやばい状況になる。二人の《殺戮奴隷》を瞬殺して見せたのだから当然だ。

それを察した彼らは、すぐに動いてくれた。


アルフレートがナールの左腕を拾い、荒々しく切断面同士を合わせ、インゴが無詠唱で回復魔術を唱えた。


「サ、《回復(サナティオ)》ッ!!」


本当に薄皮一枚だけ繋がった。

途端に、ナールの首筋に浮かんでいた鋼色の文様が消え始めた。『剣塊』も空中分解するように消失し、奴隷の死体だけが床に転がる。

手足がもげているのだ。生きていても脅威にはなるまい。


ナールは今度こそ床に倒れ、荒い呼吸を繰り返した。


圧倒的存在の気配が消えたその場には、思い出したかのように呼吸を始める人々の息切れだけが響いた。





「「・・・」」


呼吸が落ち着いても、アルフレートとインゴは何も訊いてこなかった。

奴隷商人については、白目を剥いて失禁していた。


「・・・俺の、体から剣を生やす能力は、魔術ではない」


鉄格子に背を預け、唐突に切り出すナール。


「人が生み出した最凶の呪いをもねじ伏せた、古い呪いだ」

「・・・呪、い?」

「ああ・・・」


インゴの呆然とした呟きを肯定し、続ける。


「東方の魔物から受け継いだ(・・・・・)





ハンネローネは、ここにきて初めて焦りを感じた。


エクニスが目をつけた奴隷は、間違いなくラウレ・グラウチェだ。

エクニスが彼女を買おうものなら、ナールが彼を殺そうとしかねない。


(まずい。退けない状態ですね・・・)


「殿下、ーーーーー」

「た、隊長ッ!!」


説得を続けようとするハンネローネの言葉を遮るように、伝令役の衛兵が、焦りに満ちた表情で走って来る。


エクニスの眉間の皺がさらに深くなった。


「殿下の御前だぞ。分をわきまえよ!」

「も、申し訳ございません!」


周りの騎士達に行く手を阻まれつつ怒鳴られ、縮こまる衛兵。それでも言わなくてはならないことがあるらしい。


作戦の指揮は副隊長であるイェニーに代行してもらっており、報告を受けるのも指示を出すのも彼女に任せてある。

ハンネローネに直接報告しに来たということは、本当に切羽詰まった事態のようだ。


「しかし、緊急事態ですッ」


伝令役が言い切ると、その瞬間を狙ったかのように悲鳴が聞こえた。


現在ハンネローネ達が居るのは、奴隷市場の二階の階段に近い場所だ。

悲鳴は階下から聞こえてきた。


ハンネローネは立ち上がると、状況報告を求めた。


「状況報告。何があったのですか?」

「はいッ、異常な奴隷が地下牢から現れました!一番隊の第一班、第二班が壊滅的被害。一番隊と四番隊の第三班が階段前で交戦中ですが、奴は強すぎます!エクニス殿下もすぐに避難を!」


地下牢。ナール達が制圧に向かったはずだ。


ハンネローネの脳裏に弟の顔が浮かぶが、すぐに振り払い思考を職務に集中させた。

今は最優先事項が二つも発生している。早急な解決が必要だ。


「敵数は?」

一人(・・)です!」


一番隊の第一班と第二班は倉庫と地下牢の制圧が任務だった。たった一人に二つの班ーーーーー二十名以上が敗走したというのか。

しかも倉庫では最も激しい抵抗が行われると判断し、実力者が多い班に役割を回した。今作戦に参加している一番隊の中でも精鋭だ。


「たった一人に二班も壊滅とは。随分と軟弱なようだな」

「返す言葉もございません・・・」


ハンネローネはエクニスに向き直り頭を下げると、伝令役に肩越しに指示を出す。


「二階を担当している一番隊の第四班、事務室を担当している四番隊の第一班を急行。私もすぐに行きます」

「了解!」


命令を受けた伝令役の衛兵はすぐに去って行った。


「殿下、申し訳ございません。私も行かなくてはなりません」

「武運を祈ろう」

「もったいなきお言葉」


ハンネローネは、エクニスの上っ面だけの言葉に礼を言うと背を向けた。


奴隷商人を拘束し奴隷市場の営業を止めた現在、ラウレが買われるということはないだろう。

しかし、エクニスは王族だ。どんな手を使うかわからない。


「迅速に解決。さっさと終わらせましょう」





「『ーーーーー再起せよ』《回復(サナティオ)》。呪いって・・・、大丈夫なのか?それに受け継いだって・・・」


治療を続けるインゴの声は酷く心配そうだ。

説明する必要がありそうだ。


「俺はその呪いの他に、もう一つ呪いを持っている」

「大丈夫じゃなさそうだな・・・」


ナールは、引き気味に言ったアルフレートの言葉を否定した。


「大丈夫だ。呪い同士が相殺し合ってるんでな」

「呪い同士が」

「相殺?」


聞いたこともない、とナール以外の二人の表情にはそう書いてあった。


元々、呪いというのは魔術の一端だがマイナーだ。誰かを殺すなら、剣や攻撃魔術や毒で物理的に殺した方が早い。何かを制限するならば、魔術道具を使えばいい。

二人が知らないのも無理はない。ナールも数年かけて呪いについて調べ、やっと可能性を見つけた程だ。


「剣の呪いの核は心臓にある。もう一つの呪いは左腕だ」

「拮抗してんのか?」

「正確には、剣を生やす呪いの方が強い。おかげで剣が生やせるわけだがな。それでも、核がある左腕だけは拮抗している」


だから、投げられた剣を受ける時、左腕から剣を生やさなかったのだ。生やせなかったと言った方が正しい。


「なんでそんなに呪われてんだ?」


俺が恨まれるようなことをする人間に見えるのか?と言えないのが悲しい。恨まれることなどたくさんしている。

しかし、呪われた原因が怨恨ではないのは確かだ。


「色々あったんだ。色々とな・・・」


ナールはそう言いながら、治療が終わった左腕を動かしてみる。少し違和感があるが、問題なく動く。違和感もそのうちなくなるだろう。

右手の人さし指と左手も治療済みだ。

指の治療は、関節から飛び出した骨を戻してから行った。痛かったのは言うまでもない。


「知れば知る程兄さんは不思議な奴だな・・・」

「どこがだ?」


不本意そうな顔をしたナールに対し、アルフレート苦笑している。


「強いのか弱いのかよくわからんわ、体から剣を生やすわ、呪われてるわ・・・」

「素手で剣を流すわ、盾を無視して腕を折るわ、人の魔術に干渉するわ・・・」

「挙げたらきりねぇな」

「どうやって俺の《水槍(アクア・ハスタ)》を曲げたんだ?」


インゴもアルフレートにつられ苦笑を零す。


呪いとはいえ、化け物のような能力を見せたというのに、二人は意に介さない。


「魔術に干渉する。つまり、《水槍(アクア・ハスタ)》を構築している魔力に干渉している。そう思っとらんか?」


魔術は魔力で構築されている。その魔力に干渉し構築を変えれば、魔術自体も変えることができる。

例えば、《水槍》を《水球》にできる。また逆も然り。軌道を曲げるなど簡単だろう。


しかしこれは『できれば』の話だ。魔力に干渉し、構築を自在に変えるのは不可能と言われている。自在に操る程の干渉する手段がないのだ。

できて、自分の魔力や魔術をぶつけ構築を乱したり変えたりする、レジストや複合魔術程度。


インゴ達は、ナールの行った魔術への干渉は、それらの一歩先と考えたようだ。


「あれは魔力ではなく、『力』に干渉しているんだ」

「『力』?」

「そう『力』だ」


インゴの怪訝そうな言葉を肯定しながら、ナールは奴隷の見るも無残な死体を越え、気絶している奴隷商人に近く。


周囲の檻から怯えた視線が向けられたが、目を向けないのが彼らの為だろう。


「『力流を摑む者、万象を司る者なり』。師匠の教えだ」

「万象を司る。かなり大層だな・・・」

「聞いたことねぇぞ?」

「師匠は山に籠っている。教えを受けたのは俺が初めてらしい。それに、技の行使で負傷する時点で、俺は五流(・・)以下だ。『万象』には程遠い」

「その師匠は『万象』を司れんのか?」

「知らん。だが言ってることの一部は本当だ」


奴隷商人の胸ぐらを掴む。

そのまま引き上げ、武器を持っていないか確認すると、一発殴ろうと思った。


「『力流』は方向だ。川の水は下流へと流れ、物を手放せば地面に落ちる。『力流』に干渉できれば、自在に操れる。どうやって干渉してるのかは俺にもよくわからんが」

「わかんねぇのかよ・・・」

「体で覚えさせられたものでな」


情報を引き出す為には、奴隷商人を起こす必要がある。奴隷商人を起こすには一発殴る必要がある。


治安維持局と交わした契約では、『奴隷商人が激しく抵抗し、こちらに死傷者がでると判断した場合と、証拠を抹消しにかかった場合のみ、できるだけ無力化することを前提に殺傷を許可』となっていた。


(正当な理由だ。契約には違反しとらん)


奴隷商人に笑われたことが、相当頭にきたようだ。殴ることは決定事項らしい。


「歯ぁ食い縛れ」


気絶している相手に言っても意味がない。言ってみたかっただけのようだ。


バキィッ、と奴隷商人の顔面に拳がめり込んだ。


「ごふぅっ!?」


歯が何本か折れ、鼻血が出る。

血で呼吸が阻害されたのか、奴隷商人は苦しそうに呻き始め、すぐに意識を取り戻した。ナールを認識すると、表情を恐怖に歪ませた。


「・・・なっ、な!?お、お前!!」


あれだけのものを見せたのだから、これが正しい反応だろう。


そんなことを思考しつつ、ナールは問いかけた。


「今日この奴隷市場に連れて来られた、青い瞳で灰色の髪の猫獣人の少女。どこに居る?話せば見逃してやる。嘘を吐くようなら、追いかけて、本当のことを言うまで体をスライスしてやる」

「あ、ああぁ、に、にぃ、二階に居るはずだ・・・」

「本当だな?」

「ほ、ほぉん当だぁ・・・」


ナールは、涙目になりながら鼻血でくぐもった声で証言する奴隷商人を離し、床に尻餅をつく鈍い音を聞いた。


「ここは任せて構わんか?」

「ああ、行け。アルフレート、お前も付き添え」

「へいへい」


もしラウレが怪我でもしていたら、ナールが暴走しかねない。アルフレートには、彼の手綱を握る役割もあるのだから同伴は当然だ。


ナールはインゴに短く礼を言うと、アルフレートと共に地下牢を後にした。





その奴隷の戦闘力は凄まじかった。

隊列を組んだ衛兵達に真正面から突っ込み、無傷で隊列を崩す。

遠距離からの魔術を避けて間合いに踏み込み、盾役の前衛達を薙ぎ倒して懐に潜り込み、敵兵の抵抗を嘲笑うかのように斬り伏せる。圧倒的だった。

交戦中の一番隊と四番隊の第三班は乱戦状態になり、被害は半滅を超えていた。


数人で斬りかかるが、奴隷はそれすらも上回る。全員の攻撃を凌ぎ、反撃の隙を作った奴隷は、一人の衛兵の首を刎ねる軌道で剣を振るった。


衛兵は辛うじて死を悟ることができた。それほどの剣速。悔いる時間は与えられない。


(あ、死ーーーーー)


ガキィィィンッ!!

しかし、散るのは鮮血でも命でもなく、火花。


「ーーーーーんだ・・・?」


前方から発せられた声は優しく、恐ろしく涼し気。


「こんにちは。お兄さん」


ハンネローネ・ベッカーは、眉ひとつ動かさず、奴隷の重撃を受け止めて見せた。


「今すぐ退避」


指示を出す間にも剣戟は続く。


「負傷者の確認と治療を最優先してください」

「りょ、了解・・・」


呆気にとられる部下を無視して、剣を振るう。

一合目、二合目、三合目、四合目、五合目。それで奴隷に回避行動をとらせた。

開いた距離を潰し、ハンネローネは追撃する。また回避行動をとらせ、距離を開け、追撃する。

それを繰り返すことで、部下達を巻き込まない場所まで移動した。


「十分な距離。ここなら本気で戦えます」


やっと本気。十数人の衛兵達が束になっても敵わない相手に、本気を出さず追い込んでいく実力。


ハンネローネの踏み込みが、一段と鋭くなった。

奴隷も応戦する。


剣戟は一層激しさを増したが、その分継続時間は短縮された。

相手の剣を舐めるうに振るわれたハンネローネの剣が、相手の剣を絡め、弾き上げる。


「一本」


返す刀の振り下ろしで、剣を持つ腕を切り飛ばした。腕は剣を握ったまま宙を舞い、離れた場所に落ちる。


だが、腕を切り落とされて尚、奴隷はまだ動く。残った手で殴りかかってきた。その動きは痛みを感じないかのように円滑だ。


ハンネローネは拳をかいくぐるように避け、すれ違いざまに奴隷の首輪を狙って剣を振るった。だが、奴隷が体を反らし、首輪を浅く傷つけるのに留まった。

ハンネローネは不快な金属音を耳にしながら、避けたことから首輪が弱点だと推察した。


「それにしても速い。首輪の影響ですか?」


答えなど期待していない。

少し距離が開いたのを利用し、ハンネローネは優雅に構え直す。


「解析するなら、首輪は無傷での回収が望ましい。ですが、それは貴方を痛みつけることになります」


異常な首輪だ。奴隷商人達の余罪になるかもしれない。


首輪を回収して解析するか、奴隷を救うか、決めなくてはならない。

首輪を回収するなら、奴隷を戦闘不能まで追い込む必要があり、奴隷を救うなら、首輪を破壊する必要がある。


「苦痛を与えられてきた。見ればわかります」


奴隷の身体は痛々しい。傷痕だらけの肉体に、左右別々に動く眼。首輪の効果か、それとも精神的な問題か、声は発さず表情も変えない。


「私は痛みつけたくない。貴方はどうしてほしいですか?」


腕を切り落としておいてそれを言うか。


ハンネローネは何を言っているのかと、内心自嘲した。

答えなど期待していない。それでも、訊かなくてはいけないような気がした。


(救ってほしい。そう言ってくれれば、大義名分が生まれるからですか?)


衛兵という立場的に、選ぶべきなのは首輪の回収かもしれない。

奴隷は、捕まった犯罪者がなる場合が多い。目の前の奴隷もそうだとしたら、やはり首輪を回収すべきだろう。


しかし、ハンネローネはそれを否定した。


(首輪と人の命。人の命の方が大切に決まっています)


どうするかは決まった。

後は実行するだけだ。


(武器は無し。後は、首輪を叩き斬るだけです)


思考を終え、地面を蹴ろうとする。

だが、掠れた声がそれを遮った。


「お、おお、い、え・・・」

「!?」


ハンネローネは足を止め、驚いた表情をする。


声の主は奴隷だった。彼は苦しそうに繰り返した。


「お、おい、て・・・。こ、おいて・・・。ころ(・・)して(・・)・・・」


奴隷は言うのをやめると、地面を蹴る。

腕から流れる血が、鮮やかな紅の軌跡を残す。


スゥ、とハンネローネは心が冷たくなるのを感じた。


直後、首輪をつけた奴隷の首が輪切りにされ、頭部と首輪が別々に宙を舞った。





「お前より強いではないか・・・」

「俺より弱ぇって誰が言ったよ・・・」


ナールとアルフレートは、ハンネローネが奴隷にトドメを刺す一部始終を見ていた。

強いとは予想していたが、あれほどまでとは。最後の断頭など全く知覚できなかった。しかもハンネローネは無傷である。


「恐ろしい姉を持っているな・・・」


俺も似たようなものだが、とナールは内心続けていると、アルフレートが苦笑した。


「あれでも、よく思いつめたりするんだぜ?」


そこも同じだ、とナールが共感していると、ハンネローネは指示を出し始める。


「首輪を回収。死体の後処理もお願いします」

「死傷者数を確認次第報告。回復魔術が使える兵は治療に回ってください」

「幹部の従業員も馬車に乗せ監獄へ移送。重要参考人です、絶対に逃さないでください」


本当に思いつめているのか怪しいが、隊長という立場的に私情を殺しているのかもしれない。


他にも、合法な奴隷と違法な奴隷の『分別』や、地下牢の奴隷の治療、客からの苦情対応など、いくつか指示を出してから、ナール達の方へやって来た。

彼女はナール達に労いの言葉をかけると、状況報告を求めた。


「あの奴隷は地下牢から出現した。そう聴きました。何があったのですか?」

「たぶん防犯システムかなんかだ。それを地下牢に身を隠してた奴隷商人の一人が発動させた」


アルフレートは、地下牢で起きた出来事を簡潔に話した。


呪いについては伏せてくれた。人に言いふらすような内容でもないので、ありがたい。


呪いは怨恨でかけられるのが普通だ。

ナールは例外とはいえ、事情を知らなければ恨まれるようなことをしたと認識されるだろう。そう認識すれば、大抵の人間は敬遠する。

ハンネローネの人柄的にそれはなさそうだが。


「なるほど。それではアルの不手際でお兄さんに迷惑をかけたと?」

「い、いや、その・・・」


報告を聞いたハンネローネが微笑みを浮かべ、アルフレートの顔面が引き攣る。


「説教は後。お兄さん、お礼を言います。弟と部下を庇ってくれてありがとうございます」

「俺も言い忘れてた。兄さん、ありがとな・・・」

「言い忘れてた?アル、命を救われた恩を忘れていたのですか?」

「あ、あの状況ではしかたなーーーーー」

「再教育。覚悟しなさい」


アルフレートの顔面が蒼白になる。よほど恐ろしいことをされるらしい。


「お兄さん。本当に申し訳ありません」

「いや、礼を言われる為にやったわけではないから構わん。それに、首輪の硬さを危惧して、奴隷を狙ったのは俺だ」


あれで殺せなければ、アルフレートが死んでいた。

首輪を破壊する手もあったが、水弾で撃ち砕けるのか不明だった為、奴隷自体を狙ったのだ。


それより、と前置きしてからナールは問いかけた。


「ラウレはどこに居る?」


それを聞いたハンネローネの表情が少し曇る。

ナールは最悪の状況まで考えた。


最悪な状況はラウレが買われることだ。その中でも最悪なのが、ここに来ている最大の客に買われること。

エクニス・スタイン・グランドガラ。


「まさか・・・。ラウレは今どこに居る!?」


ハンネローネに噛み付く。


対して彼女は冷静だった。


「冷静に。彼女は二階にいます。無事です。ただ・・・」

「ただ、なんだ・・・?」

「エクニス殿下に目をつけられています・・・」

「ッ」


最悪ではないが、その道を進もうとしているのを感じたナールは走り出す。


だが、アルフレートに一瞬で羽交締めにされた。


「落ち着け兄さんッ、突っ走ったってどうにもなんねぇッ!また牢獄にぶちこまれてぇのか!?最悪死刑だッ!!」

「離せッ!ラウレが奴隷のままより、俺が処刑され

た方がマシだッ!!」

「アルの言う通り。落ち着いてください」

「兄さんッ、まだ決まったわけじゃねぇ。それに、市場は差し押さえられて、売り買いはできねぇ!!」

「王族の権力をそんなに楽観視できん!!」


どう言ってもナールは止まらない。支部でもそうだったのだから。

こうなったら気絶させるなりして、強引だが、無理矢理矛を収めるしかないかもしれない。


だが、姉弟が決断する前に、新たな人物が会話に割り込んだ。


「そこの黒髪、騒がしいぞ」


豪勢な服を纏った青年を守るように囲んで、大勢の人々が二階から降りて来る。エクニスとその従者達だ。

エクニスは階段を降りると、ナール達の方へ歩み寄って来た。


「兄さん、今は耐えろ」


アルフレートはナールの耳元で囁くと、ハンネローネと共に跪いた。


体が自由になったナールもそれに倣う。


「ふんっ、賊のように野蛮な顔をしているね。この男は誰だい?」

「ナール・リューグナー。摘発の協力者です」


前に出てナールを鼻で笑ったエクニスは、ハンネローネの言葉を聞いて何かを悟ったらしい。


「協力したのは、身内が人攫いにでもあったのかい?」

「はい・・・」

「その身内に僕が目をつけた。そんなところだろう?」

「・・・」


聞かれていた。

それに、クズではあるが、馬鹿ではないらしい。


内心舌打ちしたナールに、アルフレートとハンネローネは、冷たい汗を流す。

ナールの経緯を悟ったエクニスが、何をしてくるか分かったものじゃないのもあるが、ナールが斬りかかるのも時間の問題に思えた。


「・・・ここは不快だね」


エクニスは言葉とは逆に笑っている。不気味だ。

何を企んでいる。


「帰るとしよう」

「・・・は?」


つい呟きが漏れた。


今何と言った?帰る?

ナールは少しして、やっと言葉の意味を理解した。


無理にでもラウレを買おうとするなど、何かしてくるかと身構えていた三人は、 全く予想外のことを言われ、裏が無いかつい勘ぐってしまう。


しかし、エクニスは笑ったまま従者を引き連れて出口に向かってしまった。

唖然とその背中を見送る衛兵達。


エクニス達が遠ざかると、ナールは二階へと駆け上がって行った。アルフレートも後を追う。

走った。気持ちが焦り過ぎてか、失血の影響でか何度も転びそうになったが、速度を落とすことはせず、ただひたすら走った。階段を駆け上がり、二階の廊下を走り、彼女の姿を探す。


エクニスが立ち去った理由は分からない。ラウレを何らかの手段で連れて行った可能性すらある。

その場合はエクニスを追って、どんな手を使ってでも聴きだすつもりだ。


「ナール?」


しかし、杞憂だった。

少し離れた廊下の檻から、聞き覚えのある声で呼ばれた。

どちらかといえば階段に近い場所だったが、廊下は複数あった為、走り回る羽目になった。


立ち止まって目を向けると、探していた少女の顔があった。一日も経っていないのに久々に会ったような気がする。


彼女は深海色の瞳を見開き、表情を驚きに染めていた。


「何で、ここに居るの?」

「助けに来たからに決まっているだろ・・・。遅くなってすまん。無事か?」


数拍後、ラウレは驚いた表情をくしゃっと歪ませ、目尻に涙を溜めた。


「自分の心配をしてよ・・・。そんなにボロボロになってまで・・・」

「怪我はしとらんぞ?服は自分で裂いて、血は返り血だ」


半分嘘だ。服は自分で裂いたが、付いた血は負傷した際の血だ。かなり流血した為、走り回った結果頭がクラクラする。


相当高位の回復魔術でなければ、血液の補充や手足を生やすことはできない。


「だからって、普通そこまでしないよ・・・」

「お前を助けられるなら、『普通』でなくても構わん」


言い切って、檻に近づく。

近くで見ても、特に怪我などは見て取れない。


ラウレは、やっと安堵の表情を浮かべたナールに、ずっと思っていた疑問を口にした。


「何で私にそこまでしてくれるの・・・?」

「奴隷市場から連れ出したのは俺だ。無責任に放っぽり出したりはせん」

「偶然、同じ牢に入ってただけなのに?」

「・・・ああ、その通りだ。偶然に過ぎん」


偶然。

『ラウレ・グラウチェ』だからじゃなく、『同じ牢』だったから。同じ牢に入ったのが他の奴隷だったら、ラウレを見捨てていた。


彼女を傷つけた自覚はあった。それでも、嘘を吐いて誤魔化す気はなかった。嘘を吐けば、それこそ深く傷つけるだろう。

リューグナー(嘘吐き)。そう名乗っているのは、過去に吐いた嘘の戒めからだ。

嘘で大切な人を傷つけない。決めたことの一つだ。


「でも、私を助けてくれたことに変わりはないよ。ありがとう、ナール」


ラウレは、心が痛んだのを誤魔化すように笑う。


ナールは言い訳などすることなく、ただ無言で、右手に刀を生やし鉄格子を切断した。救いに来た騎士(ナイト)ように、手を差し伸べる。


ラウレは躊躇うことなく自分の手を重ねる。

偶然の救済だろうが何だろうが、彼の剣なら、首輪を斬るのも任せられると思った。





エクニスは、帰路についた馬車の中で笑っていた。


「イェレミアス、奴隷市場の幹部を移送していた馬車の襲撃は上手くいったかい?」

「はい、殿下。全員王城に匿ったそうです」

「僕が気に入った奴隷ーーーーー灰色の髪の猫獣人と、あの黒髪の男、関係性は確かだろうね?」

「目撃情報が多数ありましたので、間違い無いかと」

「名前は分かったかい?」

「ラウレ・グラウチェだそうです」

「ラウレか・・・」


王族だ。金には困っていない。

金にものを言わせれば、それなりの情報網を張り巡らせることができる。


壮年の騎士から名前を聴いて、一層笑みを深くする。


「黒髪の男の身辺調査を行え。それと、恨みを持った奴をとにかく集めろ」

「御意」


馬車についた窓から夜の帳が下りた街の中心を見る。


数多くある窓から光が漏れる王城が目に入った。遠くから見た王城は、点々と星を纏っているように見える。


あそこで調教の毎日が始まるのだ。

想像するだけで嗜虐心がくすぐられる。


「目の前で身内が痛みつけられるのは、さぞ悲しいんだろうね・・・。少し話してみたかったけど、空気が読めない衛兵共め」


ラウレに目をつけてすぐ、摘発の作戦が開始された。

一度は『品定め』機会を失ってしまった。かと言って、二度目が無かったわけではない。ラウレと接触をはからなかったのは、今後の楽しみというわけだ。


くつくつと笑ったエクニスは、支配欲の赴くまま、楽しげに決意を口にした。


「自分から僕の物になりたいと懇願させてあげよう」

読んでくださってありがとうございますm(_ _)m

次話は二週間後ぐらいになるかと思います。


Twitterにてラウレのイラスト公開中。

@Hohka-noroshibi


またお会いしましょう( ´ ▽ ` )ノ

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