(5)ふたたび、ぶどうジュース
また、ぶどうジュースです。
ある朝……父は眠っていた。
わたしは、ほっとしつつも心配になる。
このまま父が目覚めなかったら……
そんなとき、わたしの行動はしばらく停滞する。
「起こすべきなのか……起こすべきではないのか……」
父の眠りを妨げてしまったら、それは侵害である。
しかし、父が生死の境をさまよっていたら……そんな不安。
でも、そんな日は多くはない。
父は父で必死に生きているし、元気でいられる時間が、父にとっての充実感にもなっている。
ある日、父を起こすと、寝ぼけた顔で「今日、調子悪い……」と言った。
わたしははっとするし、同時にほっともする。
「調子悪い」と、自分で言えるだけでいい。
そこで、自分を抑える、というモードに入ってもらえる。
わたしにとっては、むしろ安心材料なのだった。
──
その日、父はいつもよりは1時間遅れで起き出した。
父の思い出のレシピ、父が唯一作れる野菜炒めの朝食を、わたしはまた用意する。
朝食を食べる父。また──眠るわたし。
父をほっぽらかしの時間が続く。
しかし、わたしにとっては回復の時間だ。夜眠っていない……
わたしが瞼を閉じている間に……父は朝食を食べ終えて、縁側へと起き出していた。
枕をぽんぽんと叩いて、寝不足具合を感じているわたし。
でも、父が起きているなら……わたしも目を覚まさないといけない。
疲れた右手で、寝床に手をつく。
右半身で支えながら、起き上がるわたし。……だるい。
でも、そんなことも言っていられない。
父のもとへ行って、「今日は体調は良い?」と聞いた。
「んだなあ、まあまあかな」
と答える父。
わたしはやはりほっとする。
前日は、トイレの時間も長かった。
放尿を終えても、じっとしている父。
一向にトイレの水を流そうとしない……
いらいらとする、わたし。
ちょっと待って、わたしだって、あなたの介助は大変なんだからね! と、思わず思ってしまっている。
でも、そんな思いに対する罪悪感もある。
父が10時間程度の睡眠を終えて起きてくると、ようやくほっとしているわたしがいる。
今夜も……父はトイレで転倒しなかった、と。
そんな朝、そんな昼なのである。
父は、「あれ!」と言う。
「あれ」ってなんだろう。
父の食事のことか、それとも手紙のことか? 誰かに手紙を出さないといけないとか?
わたしの思考で回転する。でも、分からない。
「え? あれって何?」
「あれとかこれじゃなくって、はっきりと言って?!」
と、父に少し強くあたる。
「あれ……ジュース飲みてえなあ」
と、答える父。
わたしはその瞬間に一気にほっとして、思考のすべてが脱力に代わる。ジュースかああ……
「うん。何ジュースが飲みたい? リンゴジュースとオレンジジュースとぶどうジュースがあるよ?」
「んだなあ、今日はぶどうジュースか?」
と、答える父。
縁側には今日は光がさんさんとさしていて、エアコンをつけていなくても温かい。
そう。こういう家を作った父には、先見の明があったのだと思う。
自分自身の作った家に、癒されている父。
その光景を、わたしは幸福だと思う。
一人娘にも、介護され、介助されている父……しかし、それは父の若年期の努力があったからこそだ。
老年に入る前に、娘と和解した。できた。それが、今の父を支えている。それは、決して簡単なことではない。
今も、長兄と父とは微妙にぎくしゃくしたままなのだ。
でも、それは父と長兄とのあいだのヴァニティーの往復でもある。
父には父のプライドがあり、長兄には長兄のプライドがある。
仕方のない衝突だ……
わたしは台所に立ち、ぶどうジュースを取ってくる。
これは、結構離れたスーパーマーケットまで行かないと売っていない。
わたしは、普段の買い物はスーパーの宅配サービスで済ませているけれど、自転車などで遠出しないと、そのぶどうジュースは買えないのだ。
だから、そのぶどうジュースはわたしにとっても特別なものでもある。
父は、飲み口にストローを差して、静かに口をつける。
ずずーっ、という音。
父が、ぶどうジュースを飲んでいる。
その充実した時間。
わたしの買い物の労苦。
なるようになれない、リハビリの苦労の時間。
……それがすべて終わった、しまわれた後の、静かな昼間の時間。
父はぶどうジュースを飲む。
そうして、ほうっと息をつく。
わたしも、ほっと安心する。
父は今日の午後、歩行訓練のリハビリをするだろうか……
わたしは、父に聞いてみる。
「今日。また歩いてみる?」
「んだな」
「今日は天気がいいからね」
「んだな!」
父は骨折の困難にも負けず、歩行訓練をします。^^
終わりです。




