10話 S級の盗賊に会う
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夜の帳が下り始めたギルドのロビーは、昼間とは一転して静まり返っていた。
ほとんどの冒険者たちは併設された酒場へと移動しており、広いフロアには数人の職員が片付けをしている姿があるだけだ。
オレはアリアを連れて、先ほど登録を済ませた受付カウンターへと真っ直ぐ歩を進めた。
「すまないが、少し聞きたいことがある」
オレが声をかけると、書類を整理していた受付嬢が顔を上げた。
「はい、どのようなご用件でしょうか。あ、先ほど登録された新人の……」
トロール変異種の素材を出したオレの顔を覚えていたのだろう。
受付嬢は一瞬だけ表情を引き締めて、オレの言葉を待った。
「この街のギルドに、どんな歪みでも見抜く凄腕のS級盗賊がいると聞いた。どこに行けば会える」
オレの問いかけに、受付嬢は困ったように眉をひそめて小さいため息をついた。
「ああ、無影のクロウさんのことですね。……確かにクロウさんは、罠解除の技術やあらゆる事象の看破において国一番と言われるほどの腕前を持ったS級の盗賊です」
受付嬢は一度言葉を区切り、周囲に人がいないかを確かめるように視線を走らせた。
「ですが、あの人は特定の場所を拠点にしていません。ギルドに現れるのも数ヶ月に一度の気まぐれですし、普段はどこで何をしているのか私たちですら全く把握できないんです」
「依頼を出して呼び出すこともできないのか」
「S級への指名依頼は、国家規模の緊急事態でもない限り原則として受理されません。お力になれず、申し訳ありません」
やはり、最高ランクの奴を引きずり出すのは容易ではないか。
能力の詳細が分かっただけに、どこにいるのかすら掴めないというのは不便極まりない。
「そうか、気にするな」
オレは短く答え、隣で不安そうにオレの服の裾を握っているアリアを振り返った。
「アリア、引き上げるぞ。いない相手を待っている訳にもいかない」
「うん……。ごめんね、せっかく教えてもらったのに」
「お前が謝る必要はない」
仕方なく今日は一度宿へ向かおうとオレが背を向けて出口へと歩き出した、まさにその時だった。
背後で一切の足音も気配もなく、受付の天板が小さくトントンと叩かれた。
「よぉ、お嬢ちゃん。俺の噂話をしてたってのは、そこの小さな坊主かい?」
低くて、どこか楽しげな男の声が誰もいないはずの空間から響いた。
オレは瞬時に足を止め、黒剣の柄に手をかけながら背後へと鋭い視線を走らせた。
そこには、いつの間にか一人の男がいた。
全身を夜の闇に溶け込むような深い漆黒の軽装で包み、首元には緩いマフラーを巻いている。
前髪の隙間から覗く細められた瞳には、すべてを見透かすような不気味な知性が宿っていた。
受付嬢が驚きのあまりに声を失って固まる中、男はオレへと向き直り、薄薄とした唇を吊り上げて笑った。
「初めまして、と言っておこうか。F級でトロールの変異種を仕留めた、面白い坊主」
オレの『気』の索敵をすり抜け、音もなく背後に立ってみせたその男。
気配を消すことにおいて冒険者の頂点に立つであろう男が、今まさにオレたちの目の前に姿を現していた。
男はカウンターに肘をついたまま、値踏みするような視線をオレへと向けてくる。
オレはアリアを自分の背後へと隠すように半歩下がり、腰の黒剣をいつでも抜ける構えを維持した。
コイツは完全に気配を断っていた。本気だったなら、完全に殺されていてもおかしくない。
それ以上にショックだったのが、自分の油断によってアリアを危機に立たせていたかもしれないことだ。
間近で言葉を交わすこの瞬間でさえ、目の前の男からは生命としての残滓がほとんど感じられない。
まるで、意思を持ったただの影がそこに立っているかのような錯覚さえ覚える。
「……いつからそこにいた」
「お前さんたちがロビーに入ってきたときから、ずっとな。あまりに面白い話をしていたから、つい聞き耳を立てさせてもらったのさ」
クロウは悪びれる様子もなく、肩をすくめて軽薄に笑った。
受付嬢は未だに驚きから復帰できず、引きつった顔で男を見つめている。
「ク、クロウさん! いつの間にサンブロスに戻ってこられたんですか!?」
「ほんのさっきさ。あのトロールの変異種を仕留めた規格外のルーキーが登録しにきたって聞いてね。ちょっとどんな顔か拝みにきてみたら、その本人が目の前で俺の名前を出しているんだから、縁というのは恐ろしい」
クロウは受付嬢の言葉を適当に受け流すと、再びその細い目をオレへと向けた。
「お嬢ちゃんから聞いた通り、俺は『無影のクロウ』だ。一応はS級のカードを貰っているが、見ての通りただの気まぐれな風来坊だよ」
「オレはシド、こっちの女はアリアだ。お前は、もう知っていると思うがな」
オレは黒剣から手を離さぬまま、冷徹な視線を男の瞳へと真っ直ぐに突き刺した。
「お前が優秀な目を持っているという話を聞いた」
「ああ、確かに持っている。隠すような話でもない」
「ならば、そこのアリアの体内を見てほしい」
オレの言葉に、クロウはわずかに眉を動かした。
彼はオレの背後で怯えるように縮こまっているアリアへと、視線をゆっくりと移動させる。
「ほう? お前は看破が罠だけだと考えなかったのか?」
「それだけでS級でいられるとは考えにくい。人に知られているスキルだけで、生き続けていられるほど甘くはないだろう」
オレの言葉は単なる推測ではなく確信だった。
あらゆる死線を潜り抜けてきた男の目は、その技術がただの罠解除に留まらないことを直感で察している。
無言で男を睨み据えるオレの全身から『威圧』がロビーの空気をじわじわと支配していった。
無意識のうちに、黒剣の柄をさらに強く握り締める。
「……分かった分かった。だから、そんなに纏わりつくような殺気で見つめてくれるな」
「ッ!? 一度気配を察知できなかったから、ついな」
オレは深く息を吐き、知らずに肥大化していた無形の『威圧』を強引に解いた。
さすがはS級というべきか、『威圧』を介して放っていた本物の殺意をコイツは察知してみせたのだ。
クロウはマフラーの隙間から冷や汗を流しながら、苦笑いを浮かべて両手を軽く上げてみせた。
「勘弁してくれよ。F級のルーキーが放っていい威圧じゃないぜ、それは。……いいだろう、そのお嬢ちゃんの身体とやらを拝見させてもらうさ」
「いいのか、よろしく頼む!」




