プロローグ
赤い着物姿の小さな身体からは、想像もつかないほどの剣戟が大地を裂いていた。
神は自らの背丈を優に超える長大な刀を玩具のように振り回し、刃を唸らせる。
その動きに一切の淀みはなく、むしろ身体の大きさが枷になることすら感じさせない。
幾度となく火花が散る。
黒剣と白刃がぶつかり合い、乾いた金属音が荒野に響き渡った。
振り下ろされる一撃は正確無比で、ワシは受け止めるたびに地を踏み割る。
「こんの化け物め! いい加減に参ったと言うのじゃ!」
声を荒げている金髪おかっぱに切り揃えた幼い女の子供が『神』だというのは、どうにもバカげた話だ。
だが、実際に神の名に相応しい強さを持っているのも事実だった。
神が手にしている刀もまた、常識から外れている。
妖刀村正……小柄な身体には明らかに過ぎた長さと重さを持ちながら、その刃は意思を宿すかのように神の動きに寸分の狂いなく応じていた。
ワシは黒剣を肩に担ぎ、地を踏みしめる。
長年の戦場で鍛え上げた肉体は、鎧を着ていなくとも鋼のように固く太い腕と脚には無駄な肉など一切ない。
一振りで人を斬り伏せ、正面から叩き潰すためだけに作り上げた自慢の身体だ。
その証拠に神との戦いによって荒れ果てた広大な大地は、クレーターだらけになっている。
元将軍であるワシは黒剣を握り、赤い着物姿の子供と対峙していた。
「貴様のおかげで、技とやらがどんなものか身に染みて理解できた! だが、やはり戦いとは力が全てだ!」
神との戦いの中で力だけの攻撃ではどうにもならないことは、嫌というほど悟った。
ひたすらに技を受けて傷を負うたびに自らの気で瞬時に回復する。
筋肉が裂けて骨が軋んでも、身体は自然に剣を握り前に出る。
まさに化け物じみた戦いを繰り返し、戦闘は三日目に突入している。
どんなに長く続く戦闘でも、呼吸と間合いだけは崩さない。
それは戦場で数千の命を預かってきた頃の癖だった。
これほど正面から力をぶつけ合える相手は、退役してから一人もいなかった。
皆、噂を恐れワシと剣を交える前に逃げていった。
力とは言ったものの、このままでは埒が明かないのも分かっていた。
どう考えても力押しだけでは攻撃が足りない。
かといって、不慣れな技を使えば神に隙を見せることになる。
あと一つ、何かがあれば……そう考えながら、ワシは悩んでいた。
「力は確かに大事じゃ。しかしな、魔力を持たぬ小僧では我に勝つことはできぬのじゃ。このまま戦えば我の勝ちは確定、せいぜいあがくと良いわ!」
戦っている最中だというのに、「あーっはっはっは!」と背を大きく反らして笑う神。
だが、それでもこいつに隙はない。
苛立ちと同時に、勝ちたいという強い思いが胸を高ぶらせる。
「ふぅ。分かった。魔力があれば勝てるんだな?」
「はっ、何を言うかと思えば、小僧には無理な話よ」
ワシはニヤリと笑い、練り上げた気を体の外へと放出した。
それは蛇のような細長い束に収束し、身体中から蛇が飛び出しているような見た目になる。
「な、なんじゃそれは! 気色悪い! 身体中がゾワゾワするのじゃ」
「お望みの魔力だ。受け取れ!」
放たれた蛇のような気がワシの心臓へと集まった瞬間、亀裂が入るような嫌な音が響いた。
「待て待て、待てぇぇい! まさか、それは!」
神の言葉を無視する。
割れるような音と共に放出された膨大な魔力が、ワシの黒剣に絡みついた。
「そのまさか、だ」
重くのしかかる魔力を纏った黒剣を力任せに振るうと、音が消えた。
全てが黒く染まった瞬間、勝負は決まった。
黒が消え、倒れていたのは神だった。
想像を絶する放出に、もう一歩も動けないほどの疲労を感じながらも、ワシは声を張り上げた。
「勝った……っ、勝ったぞ!!」
神との戦いの勝利を、噛みしめる。
だが、赤い着物姿の神は、何事もなかったかのようにすくっと立ち上がった。
どうやら魔法で回復したらしい。まだ続けるつもりなのか。
悔しそうに表情をコロコロ変える様子は、見ているだけでも面白かった。
「まさか、我が人に負けるとはな……。まっ、あくまで小僧の土俵で戦って負けただけじゃ!」
「そんなもの百も承知してる。それでも、勝ちは勝ちだ」
「うぐぐぬぬ……」
口惜しがる神には悪いが、ワシはもう満足だった。
誰にも相手にされずに終わると思っていた人生の最後に、本物の神と戦えたのだから。
「……思い残す事は何もない」
嘘偽りのない気持ちだった。
――だからこそ、その言葉は致命的だった。
神の表情が、初めて見せる本当の感情が、怒りが歪みを帯びる。
「人風情が、思い残す事はないじゃと? ……貴様は、この我との戦いを終わらせるつもりなのか!」
ワシは神の唐突な怒りの感情に当てられ戸惑う。
やるせないような、怒りと喪失を感じてしまいワシは言葉を失う。
だが、そんな事はお構いなしにまくし立ててくる。
「一度戦いに勝ったくらいで甘ったれるな! 貴様なんぞより強い奴は、ゴロゴロおるわ!」
神は手にしていた村正を大地に突きさすと、魔力で創り出した赤々とした巨大なハンマーを両手に握っていた。
「ちょっと待て、何だその馬鹿デカいハンマーは!」
「思い残す事はないな? そう、口にしたよな?」
神がニヤリと笑い、担いだハンマーを思い切り振り抜く。
「うわああああああああーーーー!!」
痛みはなかった。
ただ、物凄い勢いで吹き飛ばされ、雲を突き抜け、光の先へと飛んでいく自分を認識していた。
――これが、死ぬという事なのか。
そう思いながら、ワシの意識は遠ざかっていった。
少しずつ書いて書かなかった日も含めて1年以上かかってしまいました。




